余談となりますが
「スーツ、借りたよ」
店の中に入ると同時に、うわんは片手に提げたスーツを差し出す。相手はここククノチ骨董品店の店主、木霊と言われる妖怪だ。うわんはいつもの着流しの袖を揺らし、後ろ手に扉を閉めた。
「あぁ。早かったな」
「天狗は知らなかった。…鵺もだ」
木霊はスーツを受け取ると、目立つシワや汚れがないか確認する。どうも潔癖の気があるようだった。主語を抜かした報告だったが、常に街の妖怪の動向を監視している木霊は、それが件の札のことだとすぐにわかった。
「そうか、鵺もいたか」
「人の女性になっているとはね」
「随分前からだぞ。お前は周りと関わりを持たなすぎるんだ」
「興味がないからなぁ」
説教くさく言う木霊を適当にかわし、カウンターにもたれかかるうわん。「しかし天狗は全く、いい仕事をしてくれたよ」と皮肉を持ってひとりごちる。
「昔のお前なら、すぐに気づいただろうさ」
気まずそうにそう小さな声で言いながら、木霊は尚も語りかける。
「羽木原君の様子はどうだ」
「早くも気づかれたよ。札のことだけ」
何故か嬉しそうに言ううわんに呆れながら、スーツを丁寧にハンガーにかける。
「お前は嘘が下手だしな」
「君に言われたくないね。…でも、信じると言ってくれた。俺のことを」
「そうか」
この男は、戻りたがっているのだ。かつて人と共生していたあの時代に。
何百年と妖怪としてこの世に生を受け、語り継がれてきた存在が、たった一人の人間によってこうも変わってしまう。
妖怪とは、常にその概念が揺らいでいる。人々の“信じる力”で生かされ形作られていると言っても過言ではない。
人々の揺らぎによって自己の存在認識をも揺らいでしまうのか、と日々木霊は自身にさえ問うときがある。
木霊は「脆いな、私たちは」と呟いた。
「それにしても、なんだって本当の事を伝えない?」
木霊の問いに、うわんは少し間を置き答えた。
「友達だからだ」
「はぁ」
わかるようなわからないような返答に困惑する。
「友達には魚をあげるのではなく、魚釣りの仕方を教えてやるもんなのさ」
木霊は肩を落として更に呆れた。うわんは昔からこういったコミュニケーションのしかたをする奴だっただろうか、と思った。やや芝居がかった仕草でお手上げのポーズをする。
「もっとわからん」
「君には人の友達がいないからな」
「その言い方は癪に触りますね、ぼっちニートのくせに」
「なんだそれは。よくわからないが二度と言うな」
ひとりの妖怪が、かつて一人の人間の中に自己を見出し、依存し、自己の存在をその人間ありきと認めてしまったことがあった。
その人間はやがて妖怪の前から姿を消し、妖怪は路頭に迷った。ふらふらと行き着いた先は、とある街だった。
「これからどうするつもりだ」
「そうだね…まぁ、色々まわってみるかな」
「とか言って、旧友と遊び歩きたいだけじゃないのか?」
木霊がそう揶揄うと、うわんは乾いた笑いで返事をした。
「じゃあ、俺はこれで失礼するよ」
「ああ」
「次は図書館に行こうと思ってるんだ」
「ふむ、あそこか」
「俺たちが載ってる本も見てみたいし」
「そうか」
うわんが腰を上げ、扉に手をかける
「戻るといいな」
後ろからの木霊のその声にふっと頬を緩め、「根気よくやってみるさ」と片手を上げてみせた。
「あいつはどうも、…要領が良くないな」
店内に再び一人となった木霊の言葉は、カランカランと鳴るベルと混じり消えていった。