5 きょうのコンビニ
桜詰南高校への通学路には、コンビニが数軒ある。
僕は放課後、同級生たちとファストフード店で食事と談笑を楽しみ、帰路についていた。砕けた言い方をすると、ハンバーガーを食べながら適当に駄弁ってきたのだ。転校生とはいえ、クラスには結構馴染んできたと思う。教室の雰囲気も穏やかでこれといってトラブルもないし、平和だ。
男子高校生の胃袋というのは厄介なもので、食べたそばからすぐに空腹感が襲ってくる。先ほど食べたバーガーとポテト、メロンソーダが胃の中ですでに豆粒くらい小さくなっている気がする。
「チキンかおにぎりでも買おうかな…」
通学路にはあったが一回も入ったことのないコンビニに足を運ぶことにする。僕の家から二番目に通るコンビニで、チェーン店ではあるものの何となく機会がなかったのだ。
家に向かってしばらく歩くと、今まで素通りしてきた青い看板が目に入る。
大きな駐車場の中に建っているそれが目的地だ。恐らく虫と風除けの二重扉をくぐり、店内に入る。「いらっしゃいませぇ」と間延びした中年女性店員の声が響いた。人がまばらにいたがさほど忙しいわけではないようだ。先ほどの声の主は菓子パン類の品出し中だった。
僕はおにぎりコーナーで何かめぼしいものがないか物色する。帰りに歩きながら食べるつもりなのでそんなに量はなくていいが、ボリュームがなさすぎても食べた気がしない。僕の胃袋は豪快であり同時に繊細なのだ。
同じくおにぎりを選んでいるらしい現場職風の男性に場所を譲り、ホットスナックのウィンドウの前で足を止める。やはりチキンか、つくねか、からあげか…。今日は肉かもしれない。今日は肉にしよう。
小さなからあげ5個入りの“唐揚げちゃん”に決めた。購入しようとレジへ赴く。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
「唐揚げちゃんを一つください」
「はい、250円ねぇ」
僕が財布を取り出している間、店員さんは無駄のない動きで商品を取り出し、セロテープで口を留めて差し出す。
会計が終わり退店しようとすると、店員さんが話しかけてきた。
「あなた、よくあの子と一緒にいる子?」
「あの子…?」
何のことだろう。もしかして同級生の保護者や父兄関係者だろうか。
「あのね、ここまで出かかってるんだけどねぇ」
そう言って店員さんは水平にした手のひらで“ここまで”を示す仕草をする。年齢は見たところ50代くらいで、白髪染めをしているであろう茶色の髪は短く切り揃えてあった。腫れぼったいが笑い皺が刻まれている愛嬌のある目もとと二重顎の、よくいるおばさんだ。背は僕と同じくらい。
「あぁ、思い出した!うわんちゃんよ」
僕は面食らって、手に持っていた唐揚げちゃんを落としてしまった。
────
店員さんが大きな声で言うものだから、思わず辺りを見回して人がいないか確認する。幸い今までいた人たちは既に退店していた。
今思えば知らないフリをしてさっさと立ち去ればよかったのだ。後悔が僕を襲う。完全に心当たりMAXな反応をしてしまった。
店員さんは「あらあら、ビックリさせちゃった。ヤマビコくんに怒られちゃうわ」と言いながら僕の唐揚げちゃんを拾ってくれた。ヤマビコくんというのは恐らく、木霊さんのことだろう。うわんが以前そう呼んでいるのを聞いたことがある。
ということはやはり、この人も…。唐揚げちゃんを受け取りお礼を言うと、店員さんはニコッと笑って返事をした。
「うわんちゃんといっしょに歩いてるところをよく見かけてねぇ。あの子ほら、人妖怪問わずあんまり交流とかしないでしょ?あたし驚いちゃって!」
早口で捲し立てる。僕が怯んでいると、さらに店員さんは続けた。
「あらごめんね、いっぱい喋っちゃったわ。ほほほ。あたしも妖怪でね、聞いたことあるかな?がしゃどくろっていうの。人の時は志賀って名前なんだけどね。知ってる?すごく怖く描かれることが多いんだけどさぁ、実際コンビニに来るオジンの方がよっぽどおっかないわよ、ねぇ?やだオジンって今の子わかんないかしら、あっはっは!オジンっておじさんとかジジイって意味ね」
「は、はぁ」
店員さんのマシンガントークに圧倒されていて思わずスルーしてしまいそうになったが、この人は本当はがしゃどくろらしい。
が、がしゃどくろ?あの?
「あなたお名前は?」
「羽木原といいます…」
「ハギワラくんね、覚えたわ。何もとって食おうってわけじゃないんだからそんな怖がんないでよ。ってそりゃ無理か。見たことある?あたし描いた絵」
「えぇ…テレビとかで…。すごく大きな、骨だけの…」
僕はがしゃどくろ…志賀さんの問いに気圧されながらもなんとか答える。本当にこの人が、あの恐ろしいがしゃどくろなのだろうか?
「そうそう!それよ!戦争でのたれ死んだ魂がどうとかってやつよ。まぁ今はこうやって、現代を忙しなく生きてる魂相手にコンビニ店員やってんだけどさ。でもね羽木原くん、あたしこうやってパートしてみてわかったんだけどね、この世の業っていうのは全てコンビニに集まるのよ」
説得力があるのかないのかわからない自論を展開されて返事に困った。確かにコンビニ店員は大変そうだ。
しかしうわんのことを知っているということは、この辺りにずっと住んでいるのだろうか。
「うわんさんとその、どういった関係なんですか?」
「やだ関係ったってそんな付き合い長いわけじゃあないわよぉ。ただの知り合い!でもうわんちゃん、ちょっと前に仲良かった人の子がいたんだけど、その子がどっか引っ越しちゃってさ」
「人の子?」
初耳だった。思えばうわんは滅多に自分のことを話さない。過去のことなど尚更だった。別に友情が芽生えているわけではないが、うわんの今までのことは少しだけ気になった。
「鯵田じゃないんだけどね、もっと田舎の方に暮らしてた時。その子と離れてすっごく落ち込んじゃってぇ。昔はもっと素直だったんだけど」
今のうわんは捻くれているが、どうやらその人の子と過ごしていた時は明るく、穏やかで純粋だったらしい。うわんの光のない赤い眼や、気怠そうな歩き方、周りと壁を一枚隔てるようにいつも袖に手を入れ込んで腕を組んでいる姿を見ている僕には考えられなかった。
「ちょっと前って、いつ頃ですか?」
「そうねぇ…10年くらい前かな。もうちょっと前だったかもね。でも最近のうわんちゃんは楽しそうよ!あなたと一緒にいる時はなんとなくそう思うの」
「そ、そうですかね。こっちはビクビクしながら過ごしてますよ。妖怪慣れしてないもので」
「あら人間はみんなそうよぉ!あっはっはっは、面白いこと言うわね!」
そんなつもりはなかったが謎にウケてしまった。
うわんに対して頭に来たり呆れることもあるが、相手は妖怪だ。何が引き金になるかわからないし、会わされる妖怪も全員が全員安全という保証はない。管理している木霊さんも、言ってしまえば妖怪の一人だ。
しかし志賀さんの話を聞いて、うわんが何を感じ、誰と何をして生き、なぜあの性格になったのか、興味が湧いてきたのも事実だった。
「仲良かった子って、今どこにいるかわかりますか?名前とか」
そう聞くと、志賀さんはお手上げといった顔で肩をすくめた。
「さーっぱり。うわんちゃんも、引っ越し先がどこかは何も聞いてないみたいでね。だからもう結構、人間不信?妖怪不信?なっちゃったみたい。あたしも名前くらい聞いたことはあるけど、なんて言ったかしらね…ごめんなさい、全然覚えてないわ」
「そうなんですか…」
居場所がわかれば、会って以前のように素直なうわんに戻れるかもしれない。うわんの不信も取り除いてあげられるかもしれない。そう思ったが、本人も聞かされてない以上、望みは限りなく薄かった。
小池クリーニングを夏目くんと出ていく時、二人に言われたことを思い出す。
“前とキャラが違う”とうわんのことを言っていた二人はあの時、僕の「以前はどんな人だったんですか」の問いにただ一言、
「人間嫌い」
と答えた。もしかしてそれは、人の子と離れ離れになってしまい、何も信じられないまま桜詰に住み始めた頃のうわんのことを言っていたのだろうか。
「あらっ、もうこんな時間じゃない!引き止めちゃって悪いことしたわねぇ。気をつけて帰って」
「いえ、そんな」
志賀さんのその声で時計を見るともうすぐ夕飯の時間だった。まだ聞きたいことはあったが、あまり仕事の邪魔をするのもよくない。冷えた唐揚げちゃんをレンジで温めてもらい、僕はお礼を言ってコンビニを後にした。外に出ると、群青色が空を占めていた。
───
あと5分ほどで家に着く。車が一台通れるくらいの狭い住宅街を進むと、前から見慣れた着流しの男が歩いてくるのが見えた。顔が見えるところまで近づいていくと、やはりうわんだった。
「やぁ」
「どうしたんですか?まさかまた人を驚かそうとしてるんじゃ」
「人聞きが悪いな。ただの散歩さ。それ、なんだい?」
うわんは僕の手に持っている唐揚げちゃんを指さして問いかけた。
「からあげです。食べますか?」
「ああ。聞かれなくてももらうつもりだった」
なぜか得意満面でそう言うと、爪楊枝で刺した唐揚げを一つ口に放り込んだ。ファミレスの件といい、こいつ、意外と食い意地が張っている。
コンビニで志賀さんと会ったことを言おうか迷ったが、今はとりあえず言わないでおいた。しかし黙っていると、また夏目くんの時のように「なぜ言わなかった」と拗ねるだろう。ゆっくり話せる時に伝えることにする。
「うん、温かくてうまい」
そんなことも知らず、うわんは5個250円の唐揚げを頬を緩ませて咀嚼する。昔のうわんなら、もっと明るい、屈託のない笑顔で味わったのだろうか。あまり見ているとまた怪訝な顔をされるので、僕も最後の一個となったからあげをつまむ。
「うわんさんは、好きな食べ物とかあるんですか?」
「特にない」
「…そうですか」
手持ち無沙汰になってしまったのでなんとなく話題を振ると、一番反応に困る返事をしてきた。僕がそろそろ帰ろうかと思い声をかけようとするとうわんは、あっと思い出したような声を出す。
「こないだのぱへは、悪くなかった」
食べ終わったからあげの爪楊枝を差し出しながらそう言った。
少しの間記憶を探る。そういえばうわんは、先日クリーニング店の後行ったファミレスでぱへぱへ言いながらミニパフェを食べていた。僕が思ったよりお気に召していたようだ。僕は無意識に顔が綻んでいた。
「じゃあ、また一緒に食べましょう」
僕がそう言うと、うわんは少し呆気に取られた様子で口を開く。
「驚いたな。君からそんなことを言うなんて。何かあったのかい?」
鋭い。確かに何かあったが、知らんふりして「いいえ」と言っていおいた。
「ふうん、そうか。まぁいい。楽しみにしておく」
「えぇ。では僕はこれで」
「からあげ、ご馳走様。札の件は日を見て迎えにいくよ」
「わかりました」
そういえば、志賀さんにも札のこと聞けばよかったな。まぁいいか。
最初の時より札に対して執着が薄くなってきている自分に驚きながらも、うわんに別れの挨拶をし、暗くなった道を進む。
しばらくして振り返ると、向こうを歩くうわんの背筋が少しだけ伸びていた。