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3 きょうのクリーニング店

 骨董品店で木霊さんに出会ってから二週間ほどが経った。僕は平和な日常をうわんの黒い歯と共に過ごした。

 今日は祝日。運動部や活動熱心な文化部以外、学校は休みだ。文芸部とは名ばかりのほぼ帰宅部である僕は、自室で暇を潰していた。本当は同級生と遊びに行く予定が、生憎の悪天候で中止になったのだ。

 窓の外は曇天が広がり、遠くに見える山々が白く霞んでいる。道ゆく人は履き物に雨を染み込ませながら傘を差し、湿度を含んだ重たい空気の中、どこかを目指して歩く。まだ午前中だというのにやはり空は暗い。予報では曇りのはずだったが、実際は朝からずっと、雫が屋根を打つ音が響いていた。


 なくなった予定を何で埋めようか。せっかくの休みを無駄に過ごすのはもったいない。テレビの横に積み上がっているゲームを進めるか、気分転換にどこか食べに行くか。

 スマートフォンを手にし、マップアプリで“近くのグルメ”と入力する。検索すると、何件かカフェやレストラン、定食屋などが出てきた。マップを拡大し、情報を確認しようとしたその時。


 カツン、と窓に何かが当たる音がした。風で砂かなんかが飛んできたのかと思い窓をじっと見ていると、今度はノックするようにコツコツと音が鳴る。窓枠の上部から、黒く細長い、鋭利な何かが一本顔を覗かせていた。僕はぎょっとして座っていたデスクチェアから飛び上がる。

 カラスのくちばしかと思ったそれは、近づいて見てみると爪のようだった。意を決して外を見上げると、

「やぁ!」

「うわっ!?」

 急に出てきた逆さのうわんの顔に驚いて後ずさる。そばにあった棚のフィギュアやらなんやらを手で払い薙ぎ倒しながら、わけもわからぬまま尻餅をついた。

 外で逆さのまま、手をひらひらと振っているうわんは満足げにニコニコとしている。腹が立った。なんなんだ。

 体を起こし窓の鍵を開ける。ぬるりとした動きでうわんは僕の部屋へ入った。「いやぁ、君がすぐ開けてくれないせいでずいぶん濡れちゃったよ」と袖をきょろきょろ確認しているが、雨空の下に居た割にはそれほど色が変わっている部分は無いようだった。濡れていても人のせいにしないでいただきたい。

 今日着ているのは落ち着いた小豆色の着流しだ。

「びっくりしたじゃないですか、もう!普通に出てきてください」

「すまない。これは俺の本能なんだよ」

 口ではそう言っているものの、全然すまなそうにはしていない。

「で、何の用ですか」

「小池クリーニングに行こう」

「…あ」

 先日木霊さんに言われた“近場”の妖怪がいるという店だ。うわんの「また来る」は今日の事だったらしい。

「行くって、今からですか?」

「それ以外にいつがある」

「…わかりました。準備したら出ますので、すぐそこの公園で待っていてください」

「あぁ。そうだ、傘を貸してくれないか」

「なんでこの土砂降りで持ってきてないんですか…」

 通学用カバンに入っている折り畳み傘を差し出す。うわんは「これ、傘なの?」と変なところをつまんでしげしげ眺めていたので、使い方を教えると「便利だね」と欲しそうにしていた。絶対にあげない。


────


 雨足は弱まる事なく未だに地面を打ち、水溜りに飛び込んでは辺りに飛沫を散らしている。適当に引っ張り出したパンツの裾が濡れるのに不快感を覚えつつ、僕は門扉を出て歩き始めた。僕の家から公園まで徒歩5分ほどだが、そのわずかな時間が気重になるくらい、外の空気はずんと沈んでいた。

 ちなみにその公園は、僕とうわんが初めて会った時に寄った公園だ。

 家の前の往来には人通りがそこそこあり、雨の中を楽しそうに散歩する犬や小さい子供の姿もあった。元気で何よりだ。


「おにーさん」

 後ろからふと、こちらを向いて喋りかける男の子の高い声がした。僕の目の前には腰を曲げて歩くお婆さん、反対側の歩道にはせかせかと歩く中年のサラリーマンがいた。

 気になって振り向いてみると、どうやら男の子は僕に話しかけているらしく、青い傘を広げて立っていた。目が合う。まろい頭に整えられた綺麗な黒髪がなびいている。白いシャツに灰色のカーディガンを羽織っており、間からサスペンダーが覗いていた。下はシンプルなスラックスにローファーで、傘を持つ方とは反対側の手に風呂敷包みを抱いている。お使いの途中なのだろうか。

「おにーさん、靴が汚れているよ」

「靴?」

 綺麗な格好の子だな、と目を離せずにいると、僕の靴を見て一言そういった。

 見ると僕のスニーカーは泥や雨で少し汚れていたが、言うほどでもない。先ほど見かけたどこかの親子が履いていた靴の方が、年季が入っていたと思う。

「ぼくね、おうちが靴屋さんだから、買いに来てね」

 そう言って男の子は、僕にA5サイズほどの紙を差し出す。受け取るとそこには“ヒガラシ履物店”、その下には様々な靴や下駄、草履の写真が印刷されていた。

「あ…ありがとう。行かせてもらうよ」

 僕の言葉を聞いた男の子は、「うん!」と元気に頷き「またね」と手を振って走り去っていった。地面を滑っていく雨水を弾き散らすのもお構いなしに駆け、青い傘を左右に踊らせながらだんだん小さくなっていく後ろ姿を、僕はぼうっと見ていた。

「商売熱心な子だなぁ…」

 もらったチラシを小さく折り畳み、ポケットにしまう。住所を見たところそれほど遠くはなかったので、今度レインブーツでも買いに行こうかなと思った。



「お待たせしました」

 公園のブランコで、貸してやった傘をさしてゆらゆら揺れているうわんを見つけ、声をかける。

「そこ、濡れません?」

「え?あぁ、そうだね」

 聞いているのか聞いていないのかわからない返事をするとうわんは立ち上がり、少しも濡れていない尻をはたいた。見てくれは完全に人の青年なのだが、先ほどの黒い爪のような部分といい、共に過ごしていて“やはり人ではないのだな”と感じる時が節々にある。出会ってから二週間ほどだが正直、怖さは拭いきれていなかった。

「どうかした?」

「いえ…クリーニング屋さんはどこにあるんですか?」

「人の足だと、歩いて三十分ほどかかるかな。九迅くじん町なんだ」

「九迅町ならバスのほうが早いですね」

「そうか。じゃあ、君に案内役を任せよう」

 九迅町は鯵田市の南西側に位置する地域で、隣の市にまたがる大きな湖“巳ノ峰湖(みのみねこ)”が有名な町である。湖は北側で海と連絡している汽水湖となっており、淡水・海水に限らず様々な生き物が見られるので、ほうぼうの大学生や学者が研究によく集まっていたりする。

 九迅町のバス停を降りるまでは僕が先頭を行くことになった。ここに居着いているうわんでも公共交通機関は使ったことがないらしい。僕は歩きながら、声をひそめて質問する。

「うわ…上山さん以外の妖怪の方も、バスや折り畳み傘を使わないんですか?」

「そんなことないよ。その小さい板を使いこなしている奴も、毎朝電車に乗って通勤している者も普通にいる」

「あぁ、スマホ…。そうなんですか」

「俺は人々の暮らしに興味がないし、このまちで仕事もしていないから物を知らないんだろう」

 うわんは僕の後ろを歩き、傘の骨組みを指先で撫でながら言った。僕は自分のビニール傘越しに曇り空を見て、木霊さんの言葉を思い出していた。

 “人間になりすまして生活している者が数多いる”

 なんとなく、横目で周りに意識を向ける。あの人ももしかしたら妖怪かもしれない。あの人も、あの人もあの人も。僕の通っている高校にだって、人のふりをしている妖怪がいないとは言い切れない。いま小豆色の着流しを揺らしながらそばを歩くうわんも、正体は恐ろしい姿形の妖怪なのだ。仕事をしていないということは飲み食いしなくても生きていけるのだろうか。いや、衣食住すらなくても問題はないのかもしれない。


 しばらく道路に面した歩道を行くと、小さなベンチに屋根付きの待合所が設けられたバス停が見えてきた。あれですよ、とうわんに言うと「これバス停っていうのか」と上から下まで感心するように見ていた。目にしたことはあるらしい。

 今日は祝日なので、平日とは発着時間が少しずれる。時刻表を見ると、九迅町行きは幸いもうすぐ来るようだった。



 僕たちがバス停に着いてから数分後に来た、九迅町行きのバスに乗り込む。整理券を取り、車内を見回す。乗車人数はそれほどおらず、後方に空いている二人がけの席があった。降りる時に先導できるよう、窓側をうわんに座ってもらう。


「バスに乗るの初めてだ」

 先ほどまでバスの発車アナウンスに顔を上げてキョロキョロしていたうわんは、車窓を見て小声で言った。

「酔わないでくださいね」

「お酒が出てくるのかい?」

「人は車やバスに乗っているとたまに吐き気を催したり、気持ち悪くなることがあるんです。乗り物酔いって言います」

「へぇ。大変なんだね」

 妖怪ってバス酔いするんですかね?と聞こうとしたが、他人に聞こえるかもしれない所でこういう話をするのもな、と思い辞めた。たぶん妖怪に三半規管は…ない。たぶん。

「ハギワラくん、これは何?」

 うわんが何やら指をさして聞いてきた。見ると“降車ボタン”と書かれている。

「押すと次のバス停で停まってくれます」

「なるほど。これで途中下車ができるんだね」

 なんだかいつもより目がキラキラしている少年のようなうわんに、思わず笑みがこぼれる。外の景色を目で追っているうわんを見ていると、視線に気づいたのか「気持ち悪いな」と言ってきた。

「次は丹郷たんごう、丹郷、…」

 九迅町は二つほど先だ。


────


 バスをおりると雨は小降りになっていた。うわんはお金を持っていなかったので運賃は僕が払った。いつか何かで返してもらいたいところだが、妖怪に恩を売るとどうなるかわかったもんじゃないので我慢してやる。傘を開くと、雨がぶつかるぱたぱたという音がする。弱くなってはいるものの、まだ止まないようだった。

「道、わかりますか?」

「あぁ。ついてきてくれ」

「はい」

 先を行くうわんに続いて、横断歩道に向かって歩く。信号を渡ったところですぐ「あれだよ」と指差した。その方向を見ると確かに、“小池クリーニング”と斜体で書かれている薄桃色の看板がある。

 それにしても、妖怪がクリーニング店って…。僕はその奇妙な組み合わせに違和感を覚えた。もっとなんか、山に住んでるとか、夜しか現れないとかのイメージを持っていた。こんな身近に、しかも僕や家族が利用するかもしれないお店にいるなんて、少しゾッとする。

 店が連なる市街地を通り、人を避けながらクリーニング店に近づいていく。


「ハギワラくん!」

 その時、うわんの呼ぶ声が聞こえた。返事する間もなく、僕の横をトラックがエンジンをふかしながら通り過ぎていった。腰から下にじわじわと不快感が広がる。

「うあぁ…」

 情けない声が出る。最悪だ。

「あぁ、やられちゃったね」

 派手に泥水をかけられた僕のシャツとパンツは、鼠色にぐっしょり濡れてしまっていた。トラックの後ろ姿を睨みつける。地肌まで染みている部分が冷たい。大きなため息をついて、がっくりと肩を落とした。

「ちょうど洗濯屋さんが目の前にあるんだ。よかったじゃないか」

「そういう問題じゃないですよ、もう。これ気に入ってたのに」

 一層重い足取りになってしまった僕を、うわんは何を考えているかわからない顔でじっと見ている。

 無惨な姿になってしまった僕と服が、小池クリーニングのウィンドウにうつった。


────


「いらっしゃい!なんだ、君かね」

 自動ドアをくぐると、禿頭で立派な白髭をたくわえたご老齢の男性がエプロンを着て立っていた。6、70代くらいであろうか、所謂おじいさんではあるが目は爛々としており、腰も曲がっておらずどちらかというと逞しい体つきをしている。キビキビとした動きと男性らしいしゃがれた声が桃色のエプロンと噛み合っておらず、しかしそのためにひょうきんで人当たりの良さそうな雰囲気を醸し出していた。

 店内は清潔感があり、白いカウンターが客との空間を区切るように横長に設置されている。奥に様々な種類の洋服やスーツがハンガーにかけられているのが見えた。店に入ってすぐ左手にはコインランドリー用の洗濯機が数台置いてあり、そのうち二台がゴウゴウと音を立てている。仕事中らしい。

 軽く見回しても、おじいさん以外の店員は見えなかった。

「ちょっと聞きたいことがあってね」

「珍しいな。そちらは?」

 後ろで小さくなっている僕をうわんの肩越しに見やり、ニコッと口角をあげて聞いた。

「人間のハギワラくんだ。僕が妖怪だということを知っている。ヒジツの札がどこにあるか教えてもらいたい」

「おいおい、そんな矢継ぎ早に言うんじゃないよ。少しは年寄りを労わらんか」

 おじいさんは肩をすくませ、うわんの早く帰りたそうな態度に呆れている様子だった。

「自分は人の名は小池ということになっとる。本当は小豆洗いってもんだ」

 やはり、と言っていいのか、この人が妖怪だった。小豆洗いという妖怪らしい。名前は聞いたことがある。

 どうりでカウンター横で小豆が売られているわけだ。

「羽木原です。よろしくお願いします」

「それにしてもすごい格好だな。表の通りでやられたか」

 小池さん、もとい小豆洗いさんは「はっはっは」と笑いながら僕のなりを下から上に見る。初対面でこんな姿を晒すのは、正直穴があったら入りたいくらい恥ずかしかった。

「ウチで洗っていくといい。これも何かの縁だ、料金はサービスでタダにしてやるぞ」

「い、いえ、悪いです。それに着替えがないので」

「自分んとこで良ければ適当に貸してやろう」

 妖怪とはいえ、プロのクリーニングを無料で、しかも服を貸してもらってまでお願いするなんて、僕にはとても頼めなかった。しかし小豆洗いさんは、何かを洗うのが好きなのか全然引かない。先ほどから僕ではなく僕の汚れた服を見て話をしている。

「あまり無理強いするなよ。ジジイの年寄りくさい服は嫌だって」

 うわんは僕の思ってもない気持ちを代弁したつもりで割って入った。

「そんなこと」

「お前の格好のほうがよっぽどじじくさいぞ」

「ハギワラくん、僕の服を貸すよ。こういう洋服がいいんだろ?」

「ど、どこから持って来たんですか」

 小豆洗いさんの声を無視したうわんの手には、いつの間にか白いワイシャツと、紺地にワンポイントが入ったトレーナー、深緑の動きやすそうなパンツがまるで最初から持っていたかのようにあった。小豆洗いさんも「着替えてくるといい」と上機嫌に店の奥へ通してくれたので、渋々だがお言葉に甘えることにする。

 奥は意外と広いスペースがあり、右手にある“休憩室”と書かれたプレートがぶら下がっている部屋にお邪魔することにした。

 しかし、これは本当にうわんの服なのだろうか?普段の、着流しに草履姿のうわんとは程遠い現代風の洋服を見て思う。妖怪だけの持つ力を使ってここに転送したとか、あるいは今作ったとかなのだろうが、着心地はいたって普通で、その辺で売られている服と何ら変わらない。なんだか不思議な気持ちだった。

 表の方からの小豆洗いさんの「汚れた服はその辺に置いといてくれ」という声にお礼を言い、すっきりした服で二人のもとへ戻った。


 うわんがコインランドリーのスペースでしゃがみ込み、何かをじっと見ている。近づいて様子を伺うと、どうやらコインランドリースペースの洗濯機の中で回る服を見ているようだった。

「服、ありがとうございます」

「おや…うん、似合ってるね」

 僕がお礼を言うと立ち上がり、うわんは値踏みするように僕の姿を見て、微笑んだ。赤い瞳が細められ、どこか楽しそうに着物を揺らす。

「随分とまぁ、仲良しになっちまって。羽木原くんだったか?服は一週間もありゃあ綺麗になってるからよ、好きな時に来てくんな」

「はい、ありがとうございます」

 小豆洗いさんが朗らかに言ったところで、店舗に備え付けてある電話が鳴った。「おっと、ごめんよ」とこちらにひと声かけ電話に出る。「小池クリーニングです」という気持ちのいい声が店内に響いた。


「残念ながら、小池も札のことは知らなかった」

「聞いたんですか?」

「君が着替えている間にね。少しでも心当たりがないか聞いたが、ダメだったよ」

 どうやら先ほど、札のことを小豆洗いさんに話していたらしい。未だ音を立てて洗濯物を洗っている銀色の塊を見ながら、うわんはそう言った。

「そう、ですか…」

「まぁ、小豆を洗ってばかりいる奴だし、知ってるわけないよね」

「失礼ですよ」

「まったくだぞ、小僧め」

 電話を終えた小豆洗いさんがうわんを叱った。やはりここは見た目くらいの年齢差があるのだろうか。うわんは聞いているのかいないのかわからない顔で洗濯機を眺めている。

「しかし力不足ですまない、羽木原くんよ」

「いえ、謝らないでください。元はと言えば上山さんが…」

「上山?誰だ、そりゃあ」

「あ、うわんさんのことです」

 僕がそう言うと、小豆洗いさんは大きな目をさらに見開いて「お前、そう名乗ったのか」と聞いた。うわんはいつもの薄気味悪い口角だけの笑みをたたえたまま、少しばつが悪そうにそっぽを向いた。

「…外にいる時はそう呼ぶように言ってあるんだ」

「はぁ、あのうわんがなぁ!お前昔は…」

 小豆洗いさんが嬉しそうな顔で懐かしむように語り出したのと、うわんがそれをやかましいなと止めるのと、小さなお客が来店したのは、ほぼ同時だった。


「あーっ!おにーさん!」

「あ!今朝の…」

 店の出入り口を見て、僕は驚いた。うわんとの待ち合わせに行く途中で出会った、あの青い傘の男の子だった。

「なんだ、知り合いか?」

 小豆洗いさんがきょろきょろと、僕と男の子の間で視線を右往左往させている。うわんは何故か嫌そうな顔をしていた。以前年寄りは嫌いと言っていたが、もしかしたら子供も嫌いなのかもしれない。

「知り合いというか…今朝、声をかけられまして」

「おにーさんに、お店きてねって言ったらね、うん行くよって言ってくれたの!」

「そうかそうか、よかったなぁ」

 高い声とまるいほっぺ。楽しそうにぴょんぴょん跳ねながら一生懸命小豆洗いさんにそう伝える男の子は、子供に興味のない僕でもとても可愛らしく見えた。

 男の子の持っていた風呂敷包みは、クリーニングに出す予定の洋服のようだ。小豆洗いさんと男の子が話していると、うわんが僕に囁くように聞く。

「なんで会ったこと、言ってくれなかったんだい?」

「え…どういう意味ですか?」

「あれは妖怪だ」

 思わず大きな声が出る。見た目はただの男の子だ。いやうわんだって、小池さんだってそうなのだが、こんな小さい子に化けている妖怪もいるのか。僕の「よ、妖怪?」の声に男の子がこちらを見る。

「そうだよ。でもぼくはおにーさんのこと、大好き!」

「それはこの子の持つ特殊な性質であって、君はその性質に引き寄せられただけに過ぎない」

 突然の告白に戸惑いと照れがない混ぜになってほっこりしていると、うわんが茶々を入れてきた。許せん。こんな子供に。

「あの…名前は、なんて言うんですか?」

「ぼくの名前は陽枯夏目ひがらしなつめだよ!おにーさんは?」

「教える必要はない」

 うわんは夏目くんを明らかに目の敵にしている様子だ。無視して僕は「羽木原と言います」と返事した。うわんが不満そうに見ている。小豆洗いさんがうわんに「まぁまだガキなんだから、そう意地悪することもないだろ」と宥めるが、うわんは「一つ目は俺より年上だ」と言って不貞腐れた。


「えっ、と年上?」

 僕は耳を疑った。うわんの年齢もよく知らないが、夏目くんと呼ばれるこの子がうわんより年上?

「そうさ。こいつは一つ目小僧と呼ばれる妖怪で、生まれたのは俺よりずっと前だ」

 思わず夏目くん…と名乗る一つ目小僧を見ると、人懐っこそうな顔でニコニコとこちらの反応を伺っている。

「でもなぁ、一つ目はその何百年前からずっと子供やってんだぞ?そんなけんけんした言い方やめてやれよ」

「子供は嫌いだ」

「またそうやって…」

 屁理屈を並べて頑ななうわんに小豆洗いさんがため息をついて眉を下げる。お手上げのようだ。僕も小豆洗いさんに加勢したいところだが、どうも妖怪同士の…というか、うわんと他の妖怪との関係が読めなくて躊躇われる。“人々の暮らしに興味がない”と言っていたが、妖怪との交友関係もあまり芳しくはないのかもしれない。


「そうだ!はぎわらさん、今からぼくんちおいでよ」

「え?」

「うわん君も一緒に!」

「なんで俺まで」

 夏目くんの唐突な提案に、うわんまで返事に一瞬の間があった。スマートフォンの時計を見るとすでに正午を回っている。

「ぼくもだけど、うわん君もはぎわらさんのこと大好きだもんね」

「どこをどうとったらそう見えるんだい。ハギワラくん、もう帰ろう」

「あ、えっ」

 夏目くんの言葉に“呆れた”と言わんばかりに片眉を上げぶっきらぼうに言い放つと、うわんは僕の手をとり自動ドアをくぐろうとする。僕はつんのめって転びそうになったが、反対側の手に絡みつくやわらかな感触に強く引かれ、なんとか体勢を立て直した。

「ダメだよ!ぼくと一緒に行くの!」

「ひえぇっ」

 振り返ると夏目くんが僕の手を小さな両手で掴み、持っていかれまいと綱引きのように踏ん張っていた。文字通りの引っ張りだこ状態になった僕は二人の妖怪にこのまま引き裂かれるんじゃないかと戦々恐々している。夏目くんの後ろにいる小豆洗いさんも「おいおい、やめなって」と二人を宥めているが、当の本人たちは聞く耳を持たない。

「な…もう、わかったよ」

「ヤッタァ!」

 僕の青くなった顔を察してか、夏目くんの必死さを見てか、諦めたらしいうわんは納得のいかなそうな表情でスッと手を離し、襟を正して腕を組んだ。夏目くんはパァッと笑ってばんざいをしている。僕は縦に真っ二つにされるかもしれない状況から逃れ、見事生還を果たした。

「ハァ…死ぬかと思った…。もう、上山さんはどうしてそんなに夏目くんを邪険にするんですか」

 息を整え、うわんに今までの態度を問い詰める。身長差のせいで自然と見上げる形になったのが悔しい。うわんは僕の顔をじっと見て少し考え、口を開き、

「いい子だからだ」

 と、一言そういった。後ろでは夏目くんが「はえー」とあっけに取られたような声を出している。僕も思わずポカンと口を開けていると、うわんは踵を返し「行くなら早く行こう」と早足で店内を出て行った。


「アイツなんかキャラ違うよなぁ」

「そうだねぇ」

 つるつるの頭をぽりぽりかきながら言う小豆洗いさんの言葉に、夏目くんが答える。古い付き合いの妖怪しか感じないものがあったのか。

「以前のうわんさんは、どんな人だったんですか?」

 我慢できず、僕は問いかけた。すると二人は顔を見合わせて、同じタイミングで顎に手をやる。さながら祖父と孫のようで、その光景だけ見ればとても微笑ましい。

 しかし二人から返ってきた言葉は意外なものだった。


────


「何を話していたんだい?」

 先に出たうわんを追って、僕と夏目くんも小池クリーニング店を後にした。「お騒がせしました」と小豆洗いさんに謝罪とお礼を述べると、いい笑顔で「またいつでも遊びに来てくんないな」と言ってくれた。どこまでもいい妖怪だな、と思った。泥水で汚れたあの服を引取りに行く一週間後がまた楽しみになった。

 夏目くんも「お父さんの服よろしくね」と元気に言い、小豆洗いさんにバイバイをしていた。可愛い。


 外に出ると、いつの間にか雨はすっかり止んでいた。晴れ間は見えないが、遠くの空は少し青みがかっていた。恐らくもう降ることはないだろう。

 うわんは店を出て100mほどのところにある電柱に寄りかかり、今まで僕たちを待っていたようだった。畳んだままの傘を指先でいじりながら「待ちくたびれたよ」などと悪態をつくうわんに「すみません」と一言いってから、僕はある提案をする。

 時計は12:50を示していた。

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