099話 いざ、氷河連山
数日経過し、ウルデリコさんの病状はすっかり良くなり、仕事を再開できるほどに快復した。ウルデリコさんは店に立ち、店番と弟子の指導とで忙しそうにしている。
店が再開されてすぐに寄ってみたら、ウルデリコさんが毛皮のコートを無料で提供してくれるって言いだしたんだよ。だけど、それは良くないよね。そんな見返りを求めて薬を作ったわけじゃないんだから。無料なんてダメだよ。高価な品だから店が大赤字になっちゃうよ。それでもなかなか無料を押し通そうとして譲ってもらえず、なんとか説得した結果、赤字にならない程度の値引きで落ち着いた。
マオちゃんのほうは、まだ毎日午前中を病院で過ごしている。そこで医者に薬草の知識をいろいろ教え込んでいるらしい。
凄い知識だよね。マオちゃんの実家って薬師か何かだったのかな? もう燃えてなくなっちゃったから聞き出すのは気が引けるよ。
当初予定としていた新しい魔法の開発のための素材採取は午後に行っている。
なんと、医者が冒険者ギルドを通しての指名依頼をしてくれたから、いろいろな種類の薬草を納品することになったんだ。それでマオちゃんは素材だけでなく薬草も積極的に摘んでいるんだよ。
現状、コルドの町での滞在日数が予定より大幅に延びている。それでも、薬草の納品による収入のおかげで収支は悪くない。雪山用装備などの出費の半分近くすら賄えている。
また、嬉しい知らせも届いているよ。
マオちゃんが医者に教えた薬の知識で、なんと、難病の人が二人、快方に向かっているそうで。もとは死を覚悟するほど重篤な状態だったらしい。マオちゃんはそんな人の人生を良い方向に変えたんだよ。とんでもない功績だよね。
「エムや。そろそろジャジャムに向かうとするかの」
「新しい魔法は完成したの?」
「昨晩、最後の魔法が無事完成したのじゃ。ずいぶん待たせてしまったのう」
「十年や二十年、待ったうちには入らないのです」
時々、素材採取について行くこともあったけど、旅に必要な物を買い揃えてからは基本的にごろごろいていた私、レティちゃん、ミリアちゃん。いつでも旅に出る準備はできている。
「出発です♪」
町を出て北へと向かう。今は全然寒くないから、いつもの服装のまま。氷河連山って、本当に寒いのかな?
野営を挟んで、白い大地が目前の場所まで歩いてきた。
「さっぱり寒くないけど、そろそろ着替えないとダメだよね?」
「うむ。大気中のマナの流れの影響で、気温などは一気に変わるものじゃからのう」
「あの山脈だけがおかしいのです。すぐ隣のドラゴンの領域はまったく寒くないのです」
「へー、そうなのか。じゃあ、このまま進んでどこまで行ったら寒くなるのか、今晩の干し肉を賭けて予想しようぜ。一番近くを予想した奴の総取りで」
「普通に、どう見ても全員が同じ位置を指定するのではないのかえ?」
「うん。あの辺りでいきなり真っ白になっているもんね。絶対にあそこだよ」
前方に草の生えていない茶色の地面があって、その向こう側が、線を引いたように白く染まっている。
「あそこしか考えられないのです」
「しゃーないなあ。私はその少し手前の茶色の部分だ!」
防寒装備に着替え、茶色の地面の場所まで進む。
寒くはない。温かくもない。空気が乾燥していて、涼しい風がそよそよと流れている。
「あちゃー。外れか」
「今晩、ミリアは干し肉抜きなのです。ミリアの分をみんなで分けるのです」
「ひゃっ。突然寒くなったよ!?」
茶色い部分を越えて白い領域に足を踏み入れると、いきなりとんでもなく寒くなった。まるで、見えない壁でもあるかのような急激な変化。
「マナのいたずらじゃ。仕方あるまい」
「よく考えたら、ピオは防寒装備を持っていないけど大丈夫なのか?」
「はーい。シールド魔法で寒気を寄せつけませんから大丈夫です。効果が切れそうになったらエムさんのポケットに入りますよ♪」
ピオちゃんの体全体を覆う球状のシールド魔法。寒さも凌げるんだね。ピオちゃんの魔法はいろいろできて便利だよ。
一応ピオちゃんは毛糸の手袋を服のように変形させた服を着てはいるんだよ。あれはマオちゃんが作った服。マオちゃんは裁縫もできて、器用だね。
「さて。先に進む前に、魔物がおらぬか確認するのじゃ。サーチ……。近くには魔物はおらぬの」
「魔物にしたって寒さに耐えられないから、ここには寄りつかないのか?」
「寒い地域に特化した魔物は存在するのです。でも実際に見たことはないのです」
「まあ、何がおるのかは妾も知らぬのじゃが、新たに開発した魔法を発動すると、それが持続中は探索魔法は使えなくなるゆえに、注意して進むのじゃぞ」
「移動中に使うのって、どんな魔法だっけ?」
何か魔法を開発したことは聞いていたけど、詳しいことまでは聞いていない。
「パーティー全員を包み込む、暖かな風じゃ。今、これだけ寒いのじゃ。発動後は切るわけにいくまい」
「そんないいのがあるなら、早く発動してくれよ。超寒いからな」
「うむ、それでは。寒気を遮断し、仲間を包む魔王の温もりの風、メガ・ウォームスウインド」
「わあ。さっきまでの寒さが嘘のように温かくなったよ」
体の周りを、なんとなく温かい風が吹いている。それは私たちを包む球状の領域となっているように感じられる。
「お? 雪って上に乗ることができるんだな。柔らかそうに見えるからもっと足が沈むものだと思っていたぞ」
「かんじきの効果じゃろうのう」
雪の上を歩いて進む。
最初は物珍しさに紛らわされていて気にしてなかったんだけど、一歩進むことが、いつもよりも大変だと思うようになった。
毛皮のブーツとかんじきが重く、さらに足が雪に埋もれるまではいかなくても若干沈んでいるから、膝を高く上げて歩かないといけない。そのためあっという間に足に疲れが蓄積しだした。
「わわっ」
「おい、大丈夫か?」
歩く際に、右足が思ったほど上がらなくて、その結果右足が左足の近くに下りたため、左足のかんじきを踏んで転んでしまった。
「大丈夫だよ~」
雪に埋もれた顔を抜き出し、ぶるぶる首を振って答えた。
胸元から雪が入り込んだから、それを払ったり叩いたりしてコートの中から追い出す。
ピオちゃんはまだポケットの中には入っていないから、転んだ私の下敷きになることはなかったよ。
「これをつけてると、歩きにくいよな。大して足が大きくなっている感じもしないし、一度外してみないか?」
これというのはかんじきのことで、ブーツを一回り大きくしたような木の輪っか。これがあるから、やや蟹股気味に歩かないといけないし、これ自身にも重さがある。外したら歩きやすくなりそうだよ。
「靴屋に装着を勧められたのじゃろ? 妾はあまり乗り気にはなれぬのう」
「ミリアが率先して試すのです。我はその結果を見て判断するのです」
「外すのは簡単だからな。ほら見ていろよ」
一度雪の上にお尻をつけて座り、縛り目をほどいてかんじきを外したミリアちゃん。両足のかんじきを外したら、ゆっくりバランスを取るようにして立ち上がる。
「う、うおっ! おっ、とっ!?」
足が雪に沈んでいき、よろけて一歩前に踏み出したら、その足が深く雪の中に埋もれてしまった。ほぼ同時にもう片足も深くめり込み、結局胸の辺りまで埋もれて動けない状態に。
「おーい、助けてけくれ~。抜け出せないぞ~」
抜け出そうとして力を込めた手もめり込んでしまって、脱出できそうにない。雪中の胸像のようになっているミリアちゃんの顔は情けなく、今にも泣き出しそう。
「そらみたことか。ほれ、掴まるのじゃ」
ミリアちゃんの近くに行き、手を差し伸べたマオちゃん。
それに掴まり、ミリアちゃんの体が雪から抜け出した。
「やばいな。かんじきって凄い効果があったんだな。見直したぞ」
ミリアちゃんはもう一度雪の上に腰を下ろし、かんじきを装着し直した。
不思議だね。かんじきってブーツよりもちょっとだけ大きくなった木の輪っかなのに、装着するだけで足が雪に埋もれることがなくなるよ。歩きにくくなるのは事実なんだけど、ないと歩けないから、買って正解だったよ。
「歩きの疲れを軽減したいのであれば、そうじゃのう、前を歩く者の足跡を踏んで行けばよいのではないかの?」
なるほど。
いくら埋まらないといっても少々は沈むから、これまではそれを踏み固めるようにして歩いていた。もし、前の人が踏み固めた場所を歩くのなら、疲れは少なくなりそうだね。
「そのやり方では先頭を行く者は何も変わらないのです。誰が先頭なのですか?」
「え? レティちゃんじゃないの?」
「ま、入れ替わりながら行けばいいだろ。で、最初の先頭はレティな」
「ぶー。妖精になって飛んで行けばいいのです」
それはナイスアイディアだよ!
飛んで移動すれば、どんなに深い雪だって簡単に越えられるよ。
「残念。ここはマナの流れが強く、皆さんの技量では飛んで行くことはできません。それに皆さんはシールド魔法を使えませんから、きっと寒くて耐えられませんよ♪」
「では、レティシアが先頭で決まりじゃな」
結局、レティちゃんを先頭とした一列になって進むことになった。その後ろはミリアちゃん、私、マオちゃんの順。
前の人が踏み固めた場所を歩くのはとっても楽だよ。もちろん、雪のない平地を歩くのと比べれば大変なんだけど。
「はぁ、はぁ……。そろそろ交代なのです」
「ここで少し休憩するか。歩いていて汗をかいたぞ」
雪の上に座り、息が整うまで休む。
歩くだけで汗びっしょりだよ。
実は途中でマオちゃんの魔法は止めてもらっていたんだ。それでも暑い。
暑いから、毛皮のコートは前を開いてはだけるようにして着ている。体に当たる風はとても冷たいはずなのに、それが心地よく感じるんだよ。
「そろそろ進むとするかの」
みんなが立ち上がり、ミリアちゃんを先頭として進む。最後尾はレティちゃん。
「いやー。先頭は疲れるなあ」
「後ろにいるのに、そろそろ体力の限界だよ……」
雪の上を歩くのは、想像以上に疲れる。
「それならば、少々雪を固めてみるかえ?」
「便利な魔法があるのですか? もっと早くに使いやがれ、なのです」
「待っておれよ。万物を凍らせる魔王の冷気、メガ・フリージングスノウ」
マオちゃんが先頭のミリアちゃんの前に行き、スティックを前方に向けて魔法を発動した。すると前方遠くまで続く氷の道ができた。道幅は私の肩幅ぐらい。氷の厚さは手の平を横にしたぐらい。
「おお? 凍らせたのか? これで足がめり込むことはなくなりそうだ」
「初めての魔法じゃからの。うまく発動できて僥倖じゃ」
「次はエムが先頭の番だぞ。そらっ」
「わっ、わわわーっ」
つぅー……、コテン。
滑って転んで背中を打った。
「やっぱり転んだのです」
えー。レティちゃん予測できていたの? 早く言ってよ!
「やはり、固めるだけでは不十分だったかのう。滑らなくするには、あーやってこうやって……」
「はぁ。先に進もうぜ」
氷の道の隣を歩く。
雪の丘みたいになっている場所に差し掛かり、その付近には白い草がたくさん生えていた。
「あれはきっと、ユキスベリ草です。私も見るのは初めてです♪」
「根っこが雪の中にあるのですか?」
「マナが草の形になった存在ですから、皆さんが住んでいる土地の草花とは形態が根本的に違いますよ♪」
「ミスリル山のクリスタルキキョウみたいな物か」
「なるほどの。ここに来る冒険者は、あの草を採取しておるのじゃな」
珍しい草の群生地を越え、歩いて行くと、さっきまで快晴だった空がどんよりと灰色に変わった。
「山の天気は変わりやすいのです。一雨来るかもしれないのです」
「今いるここは山ってほど高地ではないけどな。周りが山に囲まれているから仕方のないことか」
「どうしよう。テントを張る? 雨宿りなんてできそうにないし」
どこを見ても木は生えていない。マナでできた不思議で巨大な植物はいくつか散在しているけど、雨宿りするには背丈が足りない。
うっわ。急に風がでてきたよ!?
寒っ!
はだけていた毛皮のコートの前の部分を閉じる。
バチッ、バチバチバチッ!
雨どころじゃないよ!
固い物が空から降ってきて頭や背中に当たる。
手の平に当てると、小指の先ほどの氷の塊だった。
「まずいのう。吹雪の予感がするのじゃ。ピオや、転移でどこかに避難できぬかの?」
「うーん……。転移魔法を発動しようと準備しましたが、うまくマナが集まりません♪」
「急いでテントを張ろう」
「いや、間に合わぬ。中途半端な状態じゃとテントごと飛ばされてしまうじゃろう。ここは下手に動いてはいけないのじゃ。しゃがんで凌ぐのじゃ」
風が強くなり、氷の塊が止んで白い粉状の雪が吹きつけるようになった。
真っ白で何も見えないよ。
すぐ近くのマオちゃんの顔すら、見えないくらいの吹雪。
空から降ってくる物、地上の雪が舞い上がる物。
白い粉の世界に迷い込んだように、右を見ても左を見ても真っ白。
これまで歩いていた進行方向がどちらだったかなんて、まったく分からない。
私たちは身動きが取れなくなった。
みんなしゃがんで帽子を飛ばされないように押さえ、もう片腕は無意識に顔や胸元を押さえて吹雪をやり過ごそうとしている。
痛い、痛いよー。寒いを通り越して顔が、腕が痛い。
容赦なく吹きつける冷たい風は、耳や鼻、指に引きちぎるような痛みを感じさせる。歯がガチガチ音を立て、腕が、体が小刻みに震えている。
まつげが凍りつき、鼻で息をするのも困難になった。言葉を発しようにも、頬が強張って口が動かない。
「ぐ、ぬ、ぬぅ。メぐぁ……、ウほームふウインと……」
マオちゃんの、魔法……?
私の意識はここで途絶えた……。
なっしんぐ☆です。
ホームセンターコメ〇で購入したスマホ毛布に包まるととても幸せに感じます。
5000円でしたが、良い買い物をしました。
作中、主人公一行はこのような厚手の毛布は購入しなかったようです。




