091話 人面樹の森 前編
森の入り口に到達する頃には雨が上がっていて、それでも空を覆っている雲がどんよりとしていて、より一層、森を怪しく不気味に見せている。
「このコブ、この枝……、もしかするとウッドウォーカーか?」
虫眼鏡で太い幹を観察するミリアちゃん。
幹にあるコブや不自然に低い位置にある枝の配置が、顔に見えなくもない。
「魔物は成敗するのです」
「待て待て。そやつは魔物ではないのじゃ。えっとじゃな、そやつの名前はモックモックで、隣におるのはリンリン。じゃが、種族を含め、それ以上のことは識別できぬ」
木に名前があるの?
この間訪れたエルフの森の木には名前がつけられていたし、この森にもエルフが住んでいて、木々に名前をつけているのかな?
「エルフが住んでいる森だとしても、不気味すぎない? どうする? このまま進む? 進むしかないよね?」
どんよりと曇った空も相まって、本当に不気味に感じる。
行きたくない気持ちが半分、行方不明者を探さなきゃって気持ちが残りの半分。
「行方不明者を見捨てるわけにはいかないのです」
「せっかく怪しい森を発見したんだ。調査しない手はないだろ? エルフがいるなら何か手掛かりを知っているかもしれないしさ。ほら、行こうぜ」
ミリアちゃんはこうは言っていても先頭は歩かない。先に歩きだしたレティちゃんの後ろを行き、木々や地面を観察している。
私も周りの木々を眺めてみる。
木々の幹のコブがまぶたのように見え、目を閉じたままこちらを見ているように思えてならない。たくさんの不気味な木々に囲まれているような感覚。
「わわっ!?」
「擬態した魔物なのですか!?」
しばらく森の中を進んだところで、近くの木々の幹に一斉に顔が現れた。
コブがまぶたで、低い位置の折れた枝が鼻。樹皮の盛り上がりが口になった個体がいれば、すべてコブから顔に変化した個体もいる。
「ふぅぅぼぉぉ……」
「ひゅうぅぅぅ……」
これ、風の音じゃないよね?
木々が不気味な音を奏でているっぽい。
「何でしょうか、きっと皆さんに何かを伝えようとしていますよ。それでしたら、カイワ・セイリーツ♪」
ピオちゃんが謎の存在と会話ができるようになる魔法を唱えた。前回同じ魔法を使用したときは、謎の意識体が対象だった。壊れた皿とかね。この木も意識体なの?
『侵入者よ。人面樹の森へ、何をしに来た?』
うわ。ちゃんと話ができるようになったよ。
声を発しているのはどの木だろう? 周り中木だらけだからね。
周囲を見回す。すると、左前方の木の顔の動きから、この木が会話している相手だと認識できた。
「人面樹? 我の知識には存在しない生物なのです」
「妾も初めて聞いたのじゃ。人面樹というのは種族名なのじゃな? それに、ここはどこなのじゃ? 陸続きではなさそうじゃ」
『ここは、人面樹だけが住む世界。その方が住まう大陸と場所を同じにし、次元だけが異なる空間。すなわち異なる次元世界』
「次元だけが異なる空間? 意味が分かんないぞ」
「異次元迷宮みたいな特別な場所のことだと思うのです」
異次元迷宮もそうだけど、妖精の国もよく分かんない場所にあるんだよね。たぶん、ここはそんなのと同じような場所だってことだね。
『聡明なその方なら、ここはその方らが立ち寄ってよい場所ではないと理解したはず。早々に立ち去れ』
周り中の木々が幹をたわませて葉を揺らし、カサカサ音を立てている。一人だけで迷い込んだのなら、間違いなく逃げ出しているよ。でも、
「それはできないよ。私たちはね、行方不明者を探しに来たんだよ。調査ぐらいさせてよ」
クロックさんの仲間が行方不明になったのは、状況からこの森でほぼ間違いない。きっとどこかに痕跡があるはずだよ。
『行方不明者? ほぉ。そのことであれば、北へ進み十本先の人面樹に尋ねよ』
この先に進む許可が下りた。それで北ってどっちだろう?
森の中だと全然分かんない。
「うむ。お主の名前はキーノで、十本先の人面樹の名前はボックキッキで合っておるかえ?」
『我はキーノ。介抱しているのはボックキッキ。それで合っている』
マオちゃんが魔法で十本先の人面樹の名前を調べてくれた。
ボックキッキさんが介抱している?
ひょっとして行方不明者を助けてくれているの?
五年前の行方不明者……。淡い期待を抱いて十本先の人面樹に会いに行く。
途中、どの人面樹の幹にも目が現れて私たちの動きを目線で追いかける。たった十本進むだけなのに、ジロジロ見られていて居心地が悪い。
「貴様がボックキッキなのですか?」
会話ができたからといっても、まだ油断はできない。
どこかに黒色のウッドウォーカーがいて襲ってくるかもしれないからね。
それでレティちゃんが先頭となって歩いた結果、目的の人面樹への声掛けはレティちゃんがすることになった。
『ワシ、ボックキッキ。ぞぞ?』
閉じていた目が開き、口も開いて返答が来た。
ぞぞ?
「我らは行方不明者を探しに来たのです。キーノに、貴様に尋ねろと紹介されたのです」
『ぞぞん。足元を見る。ぞぞ』
ボックキッキさんの目が斜め下に向いた。
「足元? この辺りだけやたら落ち葉が多いな。枯れているわけでもないのに大量に積もっているぞ」
「もしや!」
マオちゃんが何かに気づき、ボックキッキさんの後ろ側にある葉の山を掘り起こし始めた。
すると、目を閉じた女性の顔が出てきた。
「生きています♪」
近くに飛んで行ったピオちゃんが、息をしていることを確認した。
でもそれは目視では判別できないくらいのか細さ。
「急いで掘り起こすのじゃ」
すぐさまみんなが加わり、体全体を掘り出そうとする。
『ぞぞん。掘るのを止めよ。話を聞け』
せっかく出てきた女性の体を、ボックキッキさんは大量の葉っぱを降らせて埋めてしまった。
私たちも埋もれたので、葉の山から体を這い出させる。
「ぷはぁ。話を聞けとは、何のことだ? 私たちは行方不明者を連れて帰ればそれでいいだけだぞ?」
「妾としては、行方不明者を実際に見て、なんとなく事情があるのは理解できたのじゃが、そのことについてかえ?」
『ぞぞ。ワシの葉が呪いを抑えている。しかしぞぞ、葉から出すと、呪いは増大し、やがて死に至るぞぞ』
呪い? 何ソレ。怖くなってきたよ。
「呪いとは、何のことなのですか。誰かが呪いをかけたのですか?」
『ぞぞん。ずいぶん前になるぞぞ。そこに眠る者どもが人面樹の森に侵入してきたぞぞ。無害そうなのでワシらは無視していたのだが、奥にある呪われた人面樹に手を出したぞぞん。あからさまに接近を拒んでいる黒い人面樹にまさか手を出すとは、誰も思っていなかったぞぞ』
クロックさんが言ってたことと同じだ。
黒い木に攻撃したら反撃されたって話だった。
『黒くなった人面樹は呪われているぞぞん。その攻撃を受けると呪われ、やがて死に至るぞぞん』
「それで、倒れた冒険者をボックキッキが助けてくれたのか」
「ありがとう。ボックキッキさんは、いい人なんだね。違う、いい人面樹なんだね」
『ワシは運ばれてきた者を葉で治癒しているだけぞぞん。根に絡まれた者どもをうまく攻撃範囲外へ運び出した近所の者こそが称えられるべきぞぞ。人面樹は移動できないぞぞ。枝葉リレーで倒れた者を運んだぞぞん』
人面樹はこの場から動くことができないそうで、倒れた人を運ぶのは大変だったみたい。
「なるほどのう。それで、その呪いとやらはどうすれば解けるのじゃ? 眠れる者どもは、後日迎えに来ればよいのかの?」
『ぞぞん。葉の中で呪いの進行を抑えるだけで精いっぱいぞぞ。ワシは呪いを解く術は持ち合わせていないぞぞん』
「それじゃあ、この冒険者はいずれ……」
残念そうに下を向いたミリアちゃん。
「その、冒険者に呪いをかけた人面樹を観察しに行きましょう。きっと何らかの解決方法が見つかるはずです♪」
「ピ、ピオちゃん、行きたいの? 呪いだよ、呪い。近づくと危険だよ」
「エム、何を恐れているのですか。瀕死の者を助けてこその勇者なのです」
「レティシアや。エムの考えは間違ってはおらぬぞ。ここで倒れる者が増えては元も子もないからの」
「それでもさ、せっかくここまで来たんだ。見るだけ見て、黒い奴が動き出しそうなら逃げ出せばいいだけだと思うぞ」
うーん……。誰かが呪いを解かないと、眠れる冒険者は助からない。
その手掛かりを探るため、誰かが行かないといけないのは事実だよ。他の誰かを頼るより、勇者の私が行くのが筋なのかあ。
「本当に危険だから、周囲を超警戒しながらゆっくり移動するって約束できる? 危ないと感じたらすぐ逃げるんだよ?」
「それは当然のことなのです。心が決まったら、すぐに行くのです」
みんなが条件を飲んでくれて、行くことに決まった。
ボックキッキさんに呪われた人面樹の場所を尋ね、私たちは武器を手にしてその目線の方向へと進む。
左右を見ながら一歩一歩ゆっくり、少しずつ。
やがて黒い木、もとい黒い人面樹が視界に入った。力なく枝が垂れ下がり、葉がしおれている。幹にはまだ顔は現れていない。
その周辺には枯れた人面樹が十本以上見えている。
「冒険者のみならず、呪われたら人面樹も死んでしまうようじゃの」
「これはなんとかしないと、まずいよな。何か手掛かりは……」
「エム、攻撃してみるのです。さっさと倒してしまえばいいのです」
「ええっ!?」
いやいやいや。Bランク冒険者が手に負えなかったんだよ。Dランクの私たちじゃ無理だって。
それにまだ剣の間合いでもないよ。
これだけ離れているにも関わらず、寒気がするんだよね。
「ちょっと待ってください。皆さんはここで待機です♪」
ピオちゃんが、すーっと飛んで前進する。不可視の魔道具を作動させているためか、黒い人面樹はピオちゃんの接近に気づかないまま。
ピオちゃんはそのままぐるりと幹を一周してから空中で静止し、何かを思案したかと思ったらスティックを掲げてやや後退する。
「皆さん、後ろに下がってください。いいですか? 行きますよ。ミ・エール♪」
武器を構えたまま数歩下がると、ピオちゃんが魔法を発動した。すると、黒い人面樹の幹に重なるように、半透明な人型のナニカの上半身が浮かんでいるのが見えるようになった。
「ゆ、ゆーれい!?」
私の声に反応したのか、それともピオちゃんの声に反応したのか。黒い人面樹の幹に赤く染まった目と口が現れ、その視線が私たちに向いた。
垂れていた枝が浮かび上がり、ミリアちゃんの胸を刺そうと瞬時に伸びる。
「おっと!」
「イージスなのです」
それを右に躱し、ハリセンで叩き落としてから後方へとステップしたミリアちゃん。
続けて伸びた枝はレティちゃんの盾に阻まれた。
あれ? 私たちでもそれなりに防げていない?
「幽霊ではありません。悪魔です。あの人面樹はスピリットデビルに憑りつかれているのです♪」
私の左肩の上に戻ったピオちゃんが説明をしてくれた。
ゆーれいみたいに見えるけど、ゆーれいじゃないんだね?
「それなら、そのスピリットデビルを倒せばいいんだね?」
「倒そうにも、幹ごと攻撃することになるぞ? それでもいいのか?」
「残念。そもそも憑依型のスピリットデビルには実体がありません。黒い人面樹を殺したら確かに消滅させることができるでしょう。しかし、うまく仕留めないと、近くの別の人面樹、あるいは皆さんに憑依するかもしれませんよ♪」
「マジなのですか!? マオリーに憑依させて持ち帰るのです」
「そのような土産物はお断りじゃ。とにかく悪魔が憑いておることが分かっただけでも進展があったのじゃ。ここは一旦退却し、外で対策を講じるのじゃ」
「うん、分かったよ。ここは一度逃げよう」
マオちゃんは近くの地面から突き出した根を蹴って後退し、続けて風魔法を発動して飛んで来る葉を巻き上げた。
私も伸びる枝を切り落とし、後ろに下がる。
みんなが徐々に後退し、ある程度根や枝葉の射程から外れたところで。
「いいですか? 一斉に逃げるのです」
私たちは後ろを向いて一目散に逃げ出した。合流予定地はボックキッキさんの前。とにかく急いで走る、走る、走る……。




