082話 ミリアちゃんの故郷
東に向かうと、必然的に私の生まれ故郷に近づくことになる。
それで、若干遠回りになるけど、故郷の町グレンツに寄ることを提案した。
「全然覚えていないけど、それでも懐かしさを感じるぞ」
グレンツに入ると、私の胸はなんともいえない安心感と一体感のようなもので満たされる。
どこにでもあるような小さな町なのに、私にはほかとの違いをはっきりと感じることができる。ただ、昔のことを覚えていない以上、何がどう違うのかは説明できない。居心地が違うんだ。
「ミリアはここで生まれて、小さい頃に引っ越しでもしたのかえ?」
「そっか。昔のことを説明したことがなかったよな。私はこの町で生まれ、五歳になるまで母と過ごしたんだ。あの頃は幸せだったなあ……」
父親についての記憶はまったくない。
五歳で母を亡くし、身寄りのなくなった私は孤児院に入れられた。
孤児院で三年ほど過ごすと、強制的に帝都の諜報機関に連れて行かれたんだ。
そんなつまらない過去について、説明をした。
「悲しくなるような過去なんだね」
「過去は過去、今は今さ。今、お前らと一緒に旅ができて、とっても幸せに思っているぞ」
「いろいろあるものじゃのぅ。ふぅ……」
マオも暗い過去を持っているんだったか。思い出させてしまったか?
「過去は変えられないのです。今を、そして未来を幸せに過ごせれば、それが一番なのです」
「そうだよ。昔どんなことがあっても、今日が楽しければいいんだよ」
建物や石畳の道を眺めながら歩いている。
小さい頃に母と出歩いた、なんとなくの記憶しかない町並み。
家の中で過ごすことが主だったし、外のことなんてほとんど覚えていないんだ。
年月が経ち、いろいろ変わっているかもしれない。
それでもどこか懐かしさを感じている。
「明確に覚えているのは、この、右手の指輪。母はいつもこれを嵌めていたんだ」
右中指に嵌めた青い宝石の指輪をみんなに見せる。
「左薬指ではなかったのかえ?」
「そこまでは覚えていないんだ……」
当時は宝石ばかりが目に留まって、それが右手だったか左手だったかなんて気にしていなかった。
「あの泉は、なんとなく覚えているぞ」
話しながら歩いていたら、中央広場に差し掛かっていた。
中央広場には泉があって、今となって考えると、おそらく遠いドラゴンの領域の山々に降った雨が地中を通ってここに湧き出ているんだと思う。
幼い頃はそんなことを考えることもなかった。
「世の中は不公平じゃの。こんな所に湧き水があるのじゃからの」
「マオリーはここで水浴びをしたいのですか? 間違いなく、注目の的になるのです」
「汗をかいているのなら魔法で綺麗にすればいいよ。くりんあっぷ、だったっけ?」
「私にとって、この泉に母と遊びに来ることが、この上ない幸せだった……」
私はいつも母に甘えていた。
わがままを言って、何度も泉に連れてきてもらったんだ。
どんなに無理を言っても、母はいつも微笑んでいた。
貧乏で、辛いことがたくさんあっただろうに、いつも笑顔を絶やさなかった。
そのためか、私は母が病気で弱っていることにさえ気づかなかったんだ。
病気で立てなくなったその日。私に領主宛の手紙を渡すその瞬間だけ、泣き出しそうな顔をしていた。
母は自身の命がもう長くもたないと悟っていたんだ。
本当にあっけなかった。その日の夜には、息を引き取った。
幼かった私は、領主の館がどこにあるのかは知らないし、行ったこともなかった。
手紙と一緒に渡された簡単な地図を見て、私は領主の館に向かって走った。
涙でぐしゃぐしゃになりながら。
その途中、この泉を通り過ぎたことをなんとなく覚えている。
「ねえ、あの子、泣いてない?」
エムが顔を向ける先には泉があり、その傍のベンチには顔を両手で覆うようにして座る女の子の姿がある。肩が小刻みに揺れていて、泣いているように見える。
私の悲しい気持ちが伝染しちゃったのか?
ごめん。優しい母との最後の思い出だったから、一番鮮明に覚えていることなんだ。
とにかく、私は声にしていないから、伝染するようなことはないはずだよな?
「迷子に違いないのです」
「人助けかえ? 感心じゃのう」
レティが歩速を上げ、女の子に近寄って行く。
「どうしたのですか? 家がどこか分からなくなったのですか?」
近くまで行くと、指の長さや耳の大きさなどから、大まかな年齢を推測できた。この女の子は自分の家が分からなくなるほどの子供ではないように見える。私たちと同じくらいだな。迷子扱いは失礼だったかもしれない。
「ぐすっ。旅の方ですか? 心配、かけてごめん、なさい……。しくしく……」
両手をちょっとだけ下げ、目をこちらに向けて話し出し、またすぐに両手で目を覆ってしまった。
「これで涙を拭うのです。落ち着いたら、相談に乗るのです」
レティが刺繍入りの高そうなハンカチを女の子に差し出した。
「ぐすっ。ありがとう……。うぅぅ……」
身内の不幸とか、何か哀しいことでもあったんだろうか?
女の子はなかなか泣き止まない。
それに、こんな目立つ所で泣いているのに、どうして町行く人たちは誰も気にも留めないんだろう?
女の子をチラリと見て、気の毒そうな顔をする人がたまにいるんだけどな。もっと気にかけてやれよ。
「ずずっ。旅の方。実は、私、次の満月の夜に、生贄に出されるのです」
「はぁ? 生贄?」
「この町では、怪しい儀式でもやっておるのかの?」
「そんなことしたらダメだよ。すぐに止めさせようよ」
生贄って聞いたことがないぞ。
いくら小さい頃で記憶があいまいだといっても、生贄なんて事件がまかり通っていれば、どこかで耳にしそうなんだけどな。
母が隠していた可能性を捨て切れないけど、それでも大ごとだから、孤児院でも噂が広まっていそうだぞ。
「ぐすっ。違うのです。儀式ではありません。ずっ。あの、遠くに見える山に、生贄として出されるのです」
東のほうを向いて指差した女の子。その手にはハンカチが握られている。
「ほあ? 向こうに見える山脈はドラゴンの領域なのです。そこには、生贄をとるような下賤な魔物は存在しないのです」
なんだよレティ。その呆気にとられたような顔は。
ドラゴンの領域は、この町からもよく見える。
ただ、高い山が連なっているため、雲で山頂付近が見えない日が多い。晴れ渡って雲のない日に限れば、上空をドラゴンが舞っている姿を見ることができる。
ミスリル山も七合目から上は雲に覆われる日が多かったけど、ドラゴンの領域にはそれよりも高い山がたくさんある。
「ドラゴンのほうから、生贄を差し出せと要求してきたのです」
この女の子の話では、以前から、この町の領主はドラゴンに貢物をしていた。町がドラゴンに襲われないように、自ら進んで貢いでいる。
それは宝石類が主で、年に一回、山の麓の所定の台の上に捧げていた。
ところが、今年になって生娘の生贄の要求があり、その期日が次の満月の夜なんだとか。
「腐った奴が湧いたのです。許せないのです! 今すぐドラゴンの領域に乗り込むのです!」
「頭の硬い阿呆は懲らしめねばならぬのぅ」
「つい先ほど、兄さんたちがドラゴンを退治するって言って町を出ました」
「え、え、ええ~!? 止めに行かないと! すぐに行かないと追いつけないよ」
「ちょ、勝てる見込みはあるのかよ? 相手はドラゴンなんだぞ」
女の子の兄どころか、私たちでも勝ち目なんてない。
「兄の名前と特徴を教えるのです。見つけたら引き返させるのです」
そうだよな。戦わずに穏便に済ませる。それしかないだろ。
「兄さんですか? ホルストと言います。頬に切り傷の痕があって、剣士をしています。いつもの四人組で町を出て行きました」
「冒険者パーティーじゃな。一人でも四人でも、結果は同じじゃろうがの」
「よし、見つけて一緒に町に戻るぞ!」
「見つけた後も、我らはドラゴンの領域に向かって進むのです」
「生贄を止めさせねばならぬからの」
私が何かを言ったところで、正義感に燃えるレティを止めることなどできず、私たちはすぐに町を出ることになった。
用事が済んだら戻って来られるよう、町の城壁の傍に花を植えておいた。そのまま魔族の国ジャジャムに向かうかもしれないが、ここに植えておけば、踏破に失敗しても再挑戦できるからな。
そもそも、ドラゴンに啖呵を切るようなことをしておいて、ずうずうしくドラゴンの領域を突っ切って魔族の国に行くことなんて無理だと思うしな。突っ切るときは、目立たずこっそりと行かないとダメだろ。
「急いで町を出たから、ミリアちゃんの思い出の場所とか、あまり寄れなかったね。ごめんね~」
「いいよ。そこまでして見たい物でもないし、孤児院ぐらいしかまともに覚えてなんかいないからさ」
生まれ育った家なんて、どこのどれだかさっぱりだし、母の墓もあるのやらないのやらよく分からない。
今、歩きながらドラゴンの領域を眺めているだけでも、故郷に来たって気分になっている。だからこれで十分さ。




