061話 戦争したらいけないよ! 後編
クロワセル王国、新都セレーネ。その高台にそびえる王城の中の廊下。
私たちは、赤い絨毯の上に立っている。
「着いたのです」
「こ、ここは!? どこかの城の中?」
タオルを外し、周囲を見ることができるようになったマイルド王子は、首を動かし、それから体を大きく左右に回して、ここがどこなのかを知ろうとしている。
「クロワセル王国の王城の中なのです」
「クロワセル王国!? さっきまでカレア王国にいたはず!?」
「嘘じゃないよ。さ、行こ、行こ」
謁見の間に入る。扉は開いたままで、ルナちゃんはまだそこで待ってくれていた。
「ここは……?」
マイルド王子の背中を押し、赤い絨毯の上を歩いて進む。
「お待たせ~」
「その方、カレア王国のマイルド王子殿下か?」
まだ歩いている最中に、女王様から声が上がった。
驚いているようだね。
「はい、そうですが……、その、本当にここはクロワセル王国なのでしょうか?」
「ここは真にクロワセル王国じゃ。余の後ろにある国旗を見れば疑う余地もなかろう。秘匿の魔法でそなたをカレア王国から連れて参るとルナから聞かされてはいたが、やはり、にわかには信じられぬ……。その方、何か身分を証明する物は持ち合わせておらぬのか?」
「そうですね。こちらならいかがでしょう?」
マイルド王子は、「秘匿の魔法」って辺りで、チラリとレティちゃんの顔を見、すぐに女王様のほうへと顔の向きを戻した。
そして魔法収納から一振りの剣を取り出し、両手で差し出すようにして女王様に見せている。
「その紋章……。確かにカレア王国の王族の物。疑った無礼、謝罪する」
「こちらこそ失礼しました。突然のことですから、疑って当然です」
知らない人を連れてきて成りすますこともできたからね。
マイルド王子の身なりにしてみても練兵所にいたときのままで、一般兵よりは高そうな服を着てはいるんだけど、いかにも王族って感じに着飾ってはいないし。疑って当然だよ。
「ふふふ……。お互い、顔を合わせるのは初めてだな。余はクロワセル王国の女王、リディアーヌ・クロワセル。今後は、その方の義母となるであろう」
婚約って、顔も見ずに決めちゃうことなんだね。話の流れからなんとなく、そうなんだろうとは思っていたよ。
「改めまして、僕はカレア王国第二王子、マイルド・カレアです。今後ともよろしくお願いいたします。いずれはリディアーヌ女王陛下のことをお義母様とお呼びする日が来るかと存じます」
びしっと背筋を伸ばし、格好良く胸に拳を当ててから軽く礼をしたマイルド王子。
「ぅふふ。その方が『お義母様』と呼ぶようになるのは、今すぐだ」
「今すぐ!?」
「マイルド王子、緊急事態なのです。今すぐ結婚しないとクロワセル王国がやばいのです」
そうだよ、やばいよ、やばすぎるよ!
早く結婚しないと間に合わないよ!
「結婚することに異論は一切ありません。しかし失礼ですが、僕にはここに急ぎ参った理由がまったく見えないのです……」
「……マイルド王子、初めてお顔を拝見します。私はルナ・クロワセル。あなたの婚約者です」
ルナちゃんが、私とレティちゃんを順番に見たあとで、マイルド王子に顔を向けた。
あの顔からは、「どうして事情を話していないのかしら?」って言っている感じがしたよ。
「現在、クロワセル王国はベーグ帝国といつ戦争になってもおかしくない状態にあります」
「そのような状態だとは露とも存じておりませんでした。では、僕にできること、カレア王国への援軍要請を、大至急……」
「それには及びません。あなたが私と結婚することで、戦争を止めることができるのです」
「?」
マイルド王子の口がぽかんと開いちゃった。
そうだよねー。
普通、理解できないよねー。
「私は女王としての権限を使い、国境付近に展開するクロワセル王国軍を撤退させます。まだ戦端は開いていませんから、兵さえ退けば、両軍がぶつかり合うことはなくなるのです」
「ふふふ。余が条件を提示したのだ。ルナとマイルド王子殿下が結婚すれば、ルナを女王に即位させると」
「なるほど、承知しました。それが貴国における平和への最善策なのでしたら、僕は従います」
マイルド王子は開いていた口を閉じ、キリリっとした態度で返した。
「おーほほほ。婚姻の儀はこちらで用意し後日執り行うこととするが、そなたには、今この場で結婚成立宣言をしてもらおう。今は宣言だけでよいぞ。ルナへの誓いの言葉は婚姻の儀で聞かせてもらう」
モコモコの毛のついた扇子を口元に当てて笑い、途中でその扇子を閉じて話し始めた女王様。
「今すぐ即位しないと、戦争が始まってしまうのです。どうか、ご協力ください」
「……。僕、マイルド・カレアは、ルナ・クロワセルを妻とすることを、ここに宣言する」
この場に居合わせている数名の文官と、絨毯に沿って並んでいる兵士が拍手を送っている。
もともと、ここでルナちゃんが結婚する予定なんてなかったから、通常の謁見業務に携わっている人たちだけだね。
「ふむ、見事な宣言。今この時をもって、そなたは余の義理の息子。ではルナよ、こちらへ」
女王様が玉座から立ち上がり、その前でルナちゃんが跪いた。
その頭に、ティアラが載せられる。
あのティアラが、女王様を引き継ぐ証になるんだね。
「余は宣言する。本日この時をもって、クロワセル王国の女王にはルナが即位する」
「「「ルナ新女王陛下、万歳!」」」
「ルナちゃん、おめでとう」
元女王様がルナちゃんの手を引いて、玉座へと誘う。そしてマイルド王子は玉座の隣に立った。
ルナちゃんは玉座に腰を下ろしてひじ掛けに腕を置くと、一度目を閉じて深呼吸。それからすぐに目を見開いて立ち上がり、
「即位のことを国民に広く知らしめるのは後日です。さあ、シュ・ガートの町に行きましょう。お母様、マイルドさんを頼みます」
マイルド王子の背中を押して元女王様に預けた。あ、王子様じゃなくって王様?
「おーほほほ。結婚初夜からお出かけか。新王配殿下はさぞかし寂しかろう」
扇子で顔半分を覆うようにして話す元女王様。イタズラっ子みたいな顔をしているよ。
「……表向きには、まだ婚姻の儀を済ませていませんから」
頬を染めたルナちゃんって、可愛いね。
そんなルナちゃんに乞われる形で、私たちはシュ・ガートの町に転移した。
「あなた、タイコラル上将軍がどちらにいるかご存じないかしら? ここに呼んできて欲しいのですが」
町の中を巡回している二人一組の兵士に声をかけたルナちゃん。
「お前、勇者様だよな? そうだとしても、タイコラル上将軍閣下を呼び出すとは失礼だと思わぬか?」
「こちらにおわす方をどなたと心得ていまして?」
兵士は立ち止まり、腕を組んで答えた。
すると、ラブロスちゃんとデクシアちゃんがルナちゃんのやや前方に立ち、ルナちゃんに片腕を差し伸べるようにしてラブロスちゃんが声を上げた。
えっと、近衛騎士の二人は偽名を使っていたから、本名はたしか魔法剣士のマリエルちゃんと盾担当のドミニクちゃん。
「勇者アルテル様だろ?」
うん、アルテルちゃんだよ。でも、今はルナちゃん。
私でさえついさっき知ったことだから、兵士が知っているはずがなかった。
「女王ルナ様でしてよ。目を凝らして女王陛下の証をご覧になってくださいまし」
「……!!」
兵士はルナちゃんの頭の上にあるティアラ、そして手にする杖を順番に見、目を丸くした。
「し、失礼しました! 直ちに上将軍閣下をお呼びします!」
二人とも急いでどこかに駆けて行った。
しばらくして。
「会談のためのお部屋をご用意しました。上将軍閣下はそちらでお待ちです。それでは、ご案内いたします」
兵士は胸に手を当ててやたら丁寧に腰を折ってから説明し、ルナちゃんを宿屋へと誘う。
宿屋の三階、豪華な一室。その扉を開けると。
やたらガタイのいい壮年男性が、ソファーセットを背後に控える形で立って待っていた。
「タイコラル上将軍。久しぶりね」
「はっ。殿下のお顔を見るのはどれだけぶりだろうか……。おっと。臣下として殿下に立ち話をさせることは無礼に当たる。どうか、おかけに」
タイコラル上将軍の勧めでルナちゃんは三人掛けソファーの中央に座り、その後ろにラブロ……、マリエルちゃんとドミニクちゃんが立った。上将軍様はルナちゃんの対面に座った。こちらも三人掛けソファーの中央。
私とレティちゃん、マオちゃんは、どこに行けばいいのか分からず、入り口付近でおろおろ。そうしていると、マリエルちゃんが目線で「あちらに座ってくださいまし」と窓辺にあるテーブルセットへと誘導してくれた。ソファーは接客用、こちらは事務用って感じで、書類仕事とかに使う物なのかな?
「では改めて。勇者アルテル様、もといルナ王女殿下……、女王陛下!?」
上将軍様は目線がティアラに向くと、驚きの表情で「女王陛下」と言い直した。さっきの兵士、ちゃんと伝えなかったのかな?
「あなたには小さい頃からよく面倒をみてもらいました。勇者と呼ばれるように振る舞うことができたのも、あなたの指導があってこそです」
「もったいないお言葉……」
どうやら、上将軍様は勇者アルテルちゃんのことをルナちゃんが演じていると知っていたみたい。元女王様も知っていたし、ごく一部の上層部だけが知っている事実だったのかな。
「国民に知らしめるための表立っての戴冠式は後日行います。しかし即位そのものは既に済ませましたので、今は、私がクロワセル王国の女王です」
「よもやこんな早くに即位なされるとは……。リディアーヌ陛下に何かあったのか?」
「いいえ。お母様はいたって健康。即位については私のほうから懇願したのです。今後、お母様には王太后として国の行く末を見守ってもらいます」
「そうか……。新女王陛下の即位は、誠に目出度きこと。……なのだが、俺には話が見えないな」
上将軍様は目を閉じて大きく息を吸った。
その姿勢で何かを一生懸命考えている感じがここまで伝わってくる。
「ふふふ。あなたが危惧しているような、武力による簒奪ではありません。お母様には、きちんと話し合ったうえで条件付きで退位していただきました」
ああ、上将軍様はそんなことを考えていたんだね。内乱だとしたらルナちゃんにつくか、元女王様につくか。人生を左右する大きな選択になるもんね。
「それで、今はクロワセル王国の女王として、軍部最高位のタイコラル上将軍に命令を届けにきました」
「はっ。なんなりとお申しつけを」
上将軍様は手を腿の辺りに当てて背筋を伸ばし、あごを引いた。
「全軍即時撤退です」
「は? 今、なんと?」
前のめりになった上将軍様。耳の調子が悪いのかな?
「聞こえませんでしたか? 全軍即時撤退です」
「後続の部隊が集結すれば、必ずや国境のアイン砦を落とし、ベーグ帝国の領内に深く侵攻してみせる。俺にはその自信がある」
「その必要はありません。今後、こちらからベーグ帝国側に戦闘を仕掛けることは一切禁止します」
「……そうか。それが新女王陛下のご命令とあらば、従うしかあるまい。俺はここで失礼し、全軍に通達する」
上将軍様は立ち上がって部屋から出て行った。
「私たちも外に出ましょう」
宿屋から外に出ると、別の宿屋から少々高そうな鎧を身に着けた兵士がゾロゾロと出てきて、町の外へと向かって行く。
そのうち数名は赤ら顔で、お酒が入っているみたい。
さらに町の外に出ると、大勢の兵士がテントを畳んでいる。
でも、半分以上のテントはそのままで、手をつけていない。
「ルナ様。情報を得てきた。タイコラル上将軍閣下は、先ほど後続の部隊に向けて早馬を走らせたようだ。街道の広さの都合上、後続の部隊が後退するのを確認してから、ここの部隊は順次撤退する段取りのようだ」
宿屋を出てからすぐにドミニクちゃんがどこかに行ったと思っていたら、情報収集に行っていたみたい。ルナちゃんからお願いとかされてもいないのに、気が利くんだね。
「そうですね。街道は皆さんが同時に通れる広さではありません。ここで待機する部隊も発生することでしょう」
「ルナ様、どうなされます? 私たちも宿屋を手配しまして?」
「いいえ。私たちはこの先のブレッツ砦まで赴き、全軍撤退が遂行されるか見守りましょう」
「それはいけない。今のルナ様は、国家元首。ベーグ帝国軍が陣取る国境付近に、守る部隊も連れずに向かわれることは、近衛騎士として許容できない」
そっかー。女王様になったルナちゃんは、これまでのように勇者様として気軽に散歩できなくなったんだね。
「それなら、私たちが見に行こうか?」
どのみち、私たちはベーグ帝国に渡りたいから、国境付近に行くつもりだったしね。
「ルナ様、ここは甘えましょう。私たちは新都セレーネに戻してもらい、吉報を待つのがよろしくてよ」
「そうですね……。お願いしようかしら」
このような流れで、私たちは国境付近の部隊が撤退することを確認する任務を請け負った。
一日だけこの町で宿をとった朝。
周辺の部隊が撤退行動していることを確認の後、ルナちゃんたちを新都セレーネに戻し、私たちは東の国境付近に向かって旅立った。




