058話 アルテルの慈善活動 後編
「ずずっ。ありがと。でも、違うんだ。オレは肉が食いてぇんだ」
ラブロスとデクシアが差し出したお菓子は、効果があったようです。
男の子はお菓子を受け取ると、右腕で涙を拭き取り、徐に話し出しました。
「オレ、今年に入って、まだ一度も肉を食ってないんだ。だから、すごく食いてぇ。夢に出てくるくらいに食いてぇ……」
もしかして、これもクロワセル杯の弊害なのでしょうか。
男の子の身なりにしてみても、継ぎはぎだらけの服で、裾はほつれています。
きっと、税が高くなったせいで生活に困っているのでしょう。
「お前、両親はいないのか? あ、別に今回の件を両親に報告するわけではない。その、両親がいないから肉を食べることができない、ということなのかどうか知りたいだけだ」
世の中には、小さな子供でも、両親と一緒に過ごしていない者がいます。もしもそうなのでしたら、保護することを考えないといけません。
「いる……。父ちゃんも、母ちゃんもいる。それでも肉を買えるような金はないんだ」
「そうですか……。分かりました。その肉は私が買い取りましょう。しかし、あなたには店員に謝ることはしてもらいます」
「いやだ! これはオレの肉だ!」
男の子は肉を強く握り締め、先ほどよりも勢いをつけてじたばたと暴れだしました。
腕を掴んでいるデクシアが力を込めてそれを押さえ込もうと試みていますが、痛くならないように配慮しているようで、男の子の揺れは大きくなる一方です。
「おい坊主、勘違いするな。お前の肉など取ったりはしない。アルテルがお前の代わりに支払ってやるって言っているんだぞ」
「姉ちゃん、本当か?」
男の子の手足がピタリと止まりました。
その瞳は丸く見開いて私を凝視しています。
「ええ。その代わり約束よ。あなたは金輪際、盗みはしない」
「しない。約束するよ。オレ、盗みはしない」
「坊主。約束を破ったら、今度こそ両親に報告だ。そのこと、肝に銘じておけ」
「ほら、立ちなさい。謝りに行きますわよ」
ラブロスが男の子の手を引いて立たせ、その背中の汚れをデクシアが払ってあげました。
それから店先まで戻り、店番の女性に代金を支払いました。
「おばちゃん、ごめん。もう悪いことしないから許してくれ」
「おば……? ごほっ。お姉さんは悪い子は許しません。でも、ちゃんと悪いことをしたと認める子は許してあげます」
赤ちゃんを抱いた状態で男の子の頭を撫でる店番の女性。
「坊主、良かったな」
「うん。……これは?」
「心を入れ替えたご褒美です」
もう一塊、燻製肉を購入し、男の子に手渡しました。
今年に入って一度も肉を食べていないなんて、不憫で仕方ありませんでしたので、ぜひ、家族の方と一緒に食べてもらいたいと思ったのです。
「あなたの家族にも、ちゃんと食べさせてあげるのでしてよ」
「マジかよ。姉ちゃん、優しいんだな。ありがとう」
男の子は背中を見せて家路へと向かいました。その途中、二度、振り返って手を振ってくれましたから、喜んでもらえたのではないでしょうか。
「助かりました。一品でも盗まれると、今日の儲けがすべてなくなるところでした」
「いえいえ。赤ちゃんを抱いて店番をしているあなたが追うことはできませんから。私たちが追いかけて当然でした」
赤ちゃんは、生まれて間もない感じに見えます。
それなのに抱いて走ったら、きっと何か悪い影響が出るに違いありません。
「本当なら、私は家の中で子守りに専念しないといけないんでしょうけど、あいにく人を雇う余裕がなくてね……」
どうやら、ここでもクロワセル杯の影響が出ているようでした。
町の中を少し見て回るだけでも、クロワセル杯の影響というのはすぐに見つかります。苦しんでいる人が多いのです。
かといって、すぐに止めてもらうこともできません。
クロワセル杯によって、この国が発展してきたことをよく知っていますから。
その明と暗をこの目で実際に確かめるために、私は国内を行脚しているのです。
「おお。あんたら、外の盗賊を追い払ったんだってな。衛兵に聞いたぞ。そんなあんたらに、ちょっと相談したいことがある」
店先を離れ、中央広場で一休みしていると、壮年男性が話しかけてきました。
「オラの両親が住む村の近くにある山にな、盗賊の親玉らしい者が住み着いたんだ――」
数年ぐらい前、山に住み着いた者がいて、月日を経るごとにその人数が増えていったそうです。
そして最近になると、村の周辺をいかつい男どもが行き来するようになり、この男性は両親のことが心配でならないとのこと。
「両親をこの町に避難させたいのも山々なんだが、今は移住もできねえ決まりだしな」
クロワセル杯が開催されるようになってから、移住は特別な場合を除き、禁止されています。とくに、領地間をまたぐ移住はほぼ不可能で、できるとすれば、新都で兵士になるなど、働くための審査を通った場合に限ります。
今聞いた話だと、この男性の両親が兵士に応募できるような年齢だとは思えませんし、その他の労働の審査も通りそうにありません。
「言いたいことは分かりました。両親の村の近くから、その盗賊を追い払って欲しい、ということですね」
「理解が早くて助かる。領地が違うから、この町の衛兵に頼むわけにもいかねえしさ」
いくら訴えても、領地が違えば、この町の衛兵は動いてはくれないでしょう。
男性から問題となっている山の所在地を聞き取り、ラブロスとデクシアの顔を窺います。
「確約はできませんわ。親玉となると連れている手練れも多くてよ」
「まずは近くまで行って情報を集め、それから善処することになるだろう」
私たちは、まだこの町に来たばかりでしたが、問題となっている領地を目指し旅立つことにしました。
数日後。
盗賊が巣食っている山の見える村にやって来ました。
家の数は三十軒ほどでしょうか。
まずは望遠鏡で盗賊のアジトを観察します。
「これは……! 山全体がまるで要塞のようになっています」
至る所に門が設けられ、見張り矢倉が建てられています。
これでは、侵入することすら困難を極めそうです。
「想像していたよりも遥かに規模の大きな盗賊団だ」
近くの畑で仕事をしている老婆、老爺に、盗賊についての話を聞きました。
それによると、あの盗賊団は、この村から物を盗むことはしていませんが、近くの街道上を、頻繁に荷車や荷馬車で何かを運んでいるとのことでした。
「盗賊団は物資も豊富なようですね。あ、手伝います」
「おおきに。助かるわぁ」
老婆と老爺は、収穫時期の過ぎた畑の植え替えの作業を行っていました。
私たちは他の村々で、何度も畑仕事を手伝ったことがあります。そのため、これは腰を痛そうに摩っている老人が行うには過酷な作業だと知っています。
盗賊団のアジトに今すぐ乗り込めるような状況ではありませんので、目先の老人の手助けを優先しました。
「ラブロス。もっと手際よく抜き取れ」
「この棚、結構深く刺さっていて、力が要りますの。大変ですわぁ」
うねを囲うように長い木の枝を交差させて設けられている棚。
これまで野菜を支えていたその棚をすべて崩し、株を抜き取ります。
それが終われば一帯を耕し、うねを作って鶏糞などを散布し、土をかぶせます。
「息子も娘も、新都に行ってもうたからのう。ほんに助かるわあ」
「お婆さんの子供さん、新都で働いているのでして?」
この村に限らず、大抵の村では年寄りばかりが住んでいて、若者や働き盛りの大人はそれほど多くはいません。
それは、新都セレーネに割のいい仕事が多くあり、そちらに流出したからです。
「ああ、そうさね。子供も孫も、みーんな、新都さ。でな、孫から手紙が来たのさ。なんでも、戦争を始めるんだとか。本当かねえ?」
「え? 戦争ですか?」
まさに寝耳に水です。
私たちは年に二回以上、新都セレーネに帰っていて、そちらの状況は大まかに知っています。たしかに兵の増強が進んでいることは知っていましたが、戦争になるなんて聞いてもいませんでした。
「ほれ、読んでみるか?」
自慢の孫からの手紙はいつも肌身離さず持ち歩いているようで、少々泥で汚れていますが、ポケットの中から取り出して見せてくれました。
『ばっちゃん、オレ、初めて兵隊らしい仕事をすることになったよ。新都を出て、これからお隣さんに侵攻するんだ。戦果を期待しててくれよな』
「お隣さん? 魔族の国のことでして?」
「いや、そちらに侵攻しても何も得る物はなかろう? これは間違いなく、ベーグ帝国のことだ」
「そうとしか考えられません。南のカレア王国とは最近婚約を済ませていますから」
三人掛かりでなんとか畑作業を終えた頃には息が上がり、顔が泥だらけになっていました。目に汗が入って染み、何度も顔を腕で拭ったからです。
「おおきになあ。えらい助かりましたわ」
老爺が木のカップに井戸水を入れて差し入れてくれました。
私たちはそれを一気に飲み、
「すぐに新都へ向かいましょう」
「忙しくなりそうだ」
魔法で汚れを落とし、新都セレーネと向かいます。
まず第一の目的は、盗賊団のアジトへの派兵を依頼することです。
ここの領主の兵士では、あの要塞化したアジトを攻略できないと判断したからです。
そして第二の目的は、戦争の真偽を確かめることです。
手紙が届いたのは十日以上前らしく、その内容が真実なら、もう新都セレーネを発っているかもしれません。
手紙にははっきりと「侵攻する」と書かれていましたから、迎撃ではないと読み取ったのですが、念のためそれを確認し、場合によっては進軍を止めることも視野に入れます。
「新都のお菓子を補給しましてよ」
「ラブロス、それは後回しだ」
これほど新都セレーネに戻りたいと思うのは初めてかもしれません。
いいえ、戻らなくてはならないのです。
クロワセル王国が戦争を仕掛けようとしているのであれば、なんとしても阻止してみせます。
それは、私にしかできないことだから。行くしかないのです。
飛竜に乗って新都セレーネに戻り、高台の上の王城へと向かいました。
王城に入り、女王陛下に謁見を求めると、すぐにそれは叶いました。
「女王陛下、本日はお願いがあり、急ぎ参上しました」
「ルナ、面を上げよ……。その方、相変わらず堅苦しいな。人前につき、それはまあよいが。して、急ぎの願いとはなんだ?」
謁見の間。
赤い絨毯の上に跪き、女王陛下に謁見します。
「はい。奏上することは二件あります。まず一件め。新都の北西、この辺りにある村の近くの山が、盗賊団のアジトとして要塞化しています。まだ村には被害は出ていませんが、早急なる掃討をお願いしたい所存です」
地図を開き、場所を指し示して説明しました。
女王陛下は食い入るように地図を見ていますので、関心を持ってもらえたようです。
「ふむ。要塞化したアジトか……。それについては余も場所の特定を進めておったところじゃ。早急に兵を向かわせよう」
ふぅ。盗賊団のアジトは、女王陛下に任せておけば解決する運びとなりました。
「ありがとう存じます。では、二件め。ここ新都より、ベーグ帝国に向けて兵が進軍中と聞き及びましたので、その真偽の確認と、真のことでしたら、撤退をお願いしたいと存じます」
「出兵の真偽? ベーグ帝国に向けて出兵したのは真のことだ。それは撤回できぬ」
「どうしてですか? こちらから戦争を仕掛けることに意味などございましょうか?」
これまで、国境付近における領主間での争いには、両国は関与してきませんでした。
それは、関与すると大きな戦争になると分かっていたからです。
この暗黙の了解によって、危ういながらも平和が保たれていました。
それなのに、この均衡を崩してこちらから攻め入ることは、自ら戦争の混乱を引き起こすことになります。
「ふむ、詳しく話そう。恐れ知らずのベーグ帝国はこの新都にさえ諜報機関とやらを創設しており、余はその摘発に成功した。そやつらを尋問した結果、早々にベーグ帝国のほうからこちらに侵攻して来るとの情報を得たのだ」
「ベーグ帝国が、こちらに?」
「そうだ。それなら、攻め込まれる前にこちらから攻め込むほうが、被害が少なくなることぐらい、その方にも理解できよう? 先ほどのアジトの件も、おそらくはベーグ帝国の差し金。我が国の正規兵の物品を横流ししておる集団だ。既にベーグ帝国は、我が領土内でいろいろ工作を進めておるのだ」
「嘘、嘘です。その情報は偽報に違いありません」
「ほほほ。嘘だと思うのなら、その目で確かめてくるとよかろう。これまでのようにな」




