106話 ベルトランの過去
今から五年ほど前。
私、ベルトランは田舎を出て、とある小さな町の教会に入門しました。
最近、この教会に同郷のダニエル氏が司祭として赴任したと聞き及んだからです。
聖クリム神国では聖職者は人気の職で、その中でも教会を持てる司祭にまで上り詰めたダニエル氏のことは、田舎では大変持てはやされています。
私も、そんな彼に憧れて聖職者の道を進むことにしたのです。
「ベルトラン君。今日も聖書の写経に精が出ていますね」
「ダニエル司祭、ありがとうございます」
私は日々、聖書を書き写すことで聖書の理解を深め、さらにその内容を暗記しようと努力していました。
聖書は章立てで区切られるほどの長編で、この世界の成り立ちや神々の存在についての説明を始めとし、私たち人としての在り方に至るまで、多岐に渡って記述されています。ですから、一朝一夕ではすべてを覚えることなどできません。毎日新しいページを書き写し、時々数ページ戻ってやり直すこともあります。
「ベルトラン君。今日はクリム神様について、知見を広めましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
ダニエル司祭は、手の空いている時間にいろいろなことを教えてくれました。それは聖書を理解するうえでとても大切な知識でした。
充実した修行の日々を送っていたある日。
連夜遅くまで写経していたこともあり、つい、写経の途中に意識が遠のいたり戻ったりを繰り返し、知らぬ間に意識を手放してしまいました。
「痛っ!」
左頬に得も知れぬ痛みを感じ、居眠りをしていたことに気がつきました。
燭台を倒し、左頬がろうそくの上に被さっていたのです。
熱いを通り越して痛みを感じたのは、顔を浮かした後も溶けた熱いろうが頬に張りついていて、それはほんの短い時間でしたが頬を焦がし続けていたからです。
「せ、聖書が!」
大事な聖書に火がついています!
私は必至にはたいて炎を消し去り、白い煙へと変えました。
ふう……。まだ燃え始めたばかりのようで、ページの端の部分を少々焦がすに留めることができました。
火災にならなかったのは不幸中の幸いといったところでしょうか。
私は夜中にもかかわらず、すぐにダニエル司祭のもとに謝罪に行きました。
それを受け、ダニエル司祭は私の部屋まで出向き、状況を確認するだけして、
「まずは、これを塗ってやけどの手当てをしなさい。それから一度窓を開けて換気をしたら、すぐに寝るのですよ。朝の務めに支障をきたしますからね」
とだけ言いました。
怒られると思っていた私は、優しい顔で寝るように指示を出したダニエル司祭の心の広さに感銘を受けました。これこそが神に仕える者の愛。私はダニエル司祭を今まで以上に尊敬し、一日でも早くダニエル司祭の役に立てる助祭になると決意をしました。
当時の私は、まだ一介の修道士であり、教会からは何も認められていなかったのです。
「ベルトラン君。隣町で助祭の試験があります。どうですか、受けてみませんか?」
「はい、ぜひ受験させてください!」
約一年の修行を経て、私は隣町の教会で助祭の試験を受け、見事合格しました。
これでダニエル司祭の役に立てる、そう思っていた矢先。
「ベルトラン君。助祭となったあなたは教会の立派な構成員です。聖都ルレミ・ルクの教会本部から、クリム大聖堂への転属の辞令が届いています」
ダニエル司祭から渡された一枚の書面。
それにはクリム大聖堂で研究職に就くよう指示されていました。
「そんな……。私は、私はダニエル司祭のもとで働きたいのです」
「ベルトラン君、いいですか。クリム大聖堂で働けることは大いなる名誉です。望んでも、まず採用してもらえない狭き門なのです。当教会の助祭が抜擢されたとあっては、私もとても鼻が高いですから、ぜひ職務を全うしてください」
私は働きの場を聖都のクリム大聖堂に移すことになりました。
研究職とは、聖書について見識を改めたり、聖遺物や神具などについて知見を深めたり、あるいは、寄付を効率よく増やすにはどうするか調査したりして、教会の発展に努める職となります。
私は前者の研究を担当することになりました。
「聖書における預言の章。これを単純に未来に起こる出来事としての警告だと捉えるのか、またはクリム神様が私たちに行うべき手順として示した物なのか。古来、論争が絶えない章についての研究ですか……」
聖書の成り立ちは古く、一度古語から現代語に翻訳されています。その段階で言葉がいろいろ入れ替えられていて、現代の私たちには正確な意図が伝わらない部分が多々あります。それを研究で補うのです。
「預言の章に記載されている出来事が行うべき手順だと捉えている教導派は、自らの手で預言の章における一言一句を順に実現しようと動いています。たとえそれが危険な行為であっても……」
預言の章に記載のある出来事……。
魔物の集団によるスタンピードを人為的に発生させ、村を壊滅させた記録が残っています。教会としてはこれが教導派の仕業だと認識しながらも罪に問わず、表向きには自然現象だったとして黙認した歴史が極秘資料として残されています。
研究員は、教会の極秘資料に目を通す権限が与えられ、私は多くの暗い歴史を知ることになりました。
「こちらが宝物庫ですか……。神々しい物から禍々しい物まで揃っていますね」
ある日、聖書の研究の一環で、その時代背景となる証拠品を探すべく宝物庫を訪れました。
そこで目を引いたのは、手の平ほどの大きさの土偶です。
「宝物番号四十九。資料は……」
各宝物には番号札がつけてあり、部屋の隅の棚に、番号に対応した資料が収納されています。
土偶の資料を探し出して読むと、表題には破壊神系の神具と記されていました。
この世界にはいろいろな神が存在しています。それら神は大きく二つに分類されます。創造神と破壊神です。
資料によると、土偶は破壊神系の神に祈りを捧げる際に用いる神具のようです。「ひとたび祈りを捧げると、強力な魔人が現れ、すべての物を塵と化し、ことごとくを浄化する」と書いてあり、人知を超えたなんとも恐ろしい物が収納してあるものだと鳥肌が立ちました。
「それにしても、破壊神にまつわる神具を宝物庫に並べようという考えが理解できません」
私たちが信仰しているクリム神様が創造神に属していることもあり、教会本部は、破壊神については邪神として信仰することを禁止しています。
それにも関わらず、裏では邪神に関わる神具を収集しているのです。
研究を続けて一年ぐらい経過した頃。
「ここ聖都に邪神崇拝者の集会所があり、教会本部はこれを黙認しているのですか……」
とんでもない極秘資料を発見してしまいました。
邪神崇拝者の集会所の場所まで明記してあり、教会本部はそれを咎めることなく放置しているのです。
またある日。
人族と魔族との歴史についての極秘資料に目を通す機会がありました。
驚愕しました。これまで教会が町の民に広めてきた歴史は改ざんされたもので、魔族を完全な敵として扱っています。
ところが極秘資料によると、魔族の国に人族が侵攻したことが両者の諍いの始まりだったと記してあるのです。
つまりどういうことかというと、魔族の領土を人族がことごとく奪い取り、それを奪還しようとして魔族が南下したことが真実。先に手を出し、領土を奪い取ったのは人族なのです。
「しかし教会本部、いえ、人族の常識では、この魔族の領土奪還のための南下を『魔族による侵攻』として、魔族敵対の旗印にしています……」
最初は、人族の領土はここ聖クリム神国程度の広さしかありませんでした。現在のクロワセル王国とベーグ帝国の地は、魔族の領土だったのです。
それなのに、「ご神託を受けた勇士」により侵略が始まり、やがて魔族を不毛な北の大地へと押しやったのです。
他の極秘資料の内容と照らし合わせると、現在のベーグ帝国の皇帝が「ご神託を受けた勇士」の直系の子孫になるようです。それが何を意味しているのかまでは分かりませんし、「ご神託」とは何だったのか、その詳細を記した資料には巡り逢えていません。
「当時の教会本部は、魔族の国への侵攻を止めることも奨励することもしていません。あくまでも知らぬふりを貫いていたようですね。もちろん、表向きは、ですが」
人族が魔族の領土に侵攻を始める以前には、人族は魔族からいろいろなことを学んだとされています。
その中で一番重要なのが魔法の技術で、人族はそれまで魔法をまともに使うことができなかったようです。
また農業の技術も魔族から学んだようです。そのお陰で耕作地が広大となり、大幅に人口が増えたと記されています。
そんな魔族の領土に人族は侵攻したのです。
当時の人族は、恩を仇で返したのです。
しかも、その事実を隠蔽し、あくまでも魔族が先に人族の領土に侵攻してきたことにしています。
「人族は、なんてずるいのでしょう……。私は、研究を続けるうえで、多くの闇を知ってしまいました」
私は日々研究に没頭し、多くの発見をし、教会に貢献をしてきました。その功績が認められ、司祭試験を受ける権利を得、見事これに合格することができました。
そして、とんとん拍子で司教試験を受ける権利まで得ることができたのです。
司教試験は、いくら受験の権利を持っていても空き枠がないと実施されません。偶然、ある地方で司教席に空枠ができ、司教試験が実施されることになりました。
「司教試験……。ついに私はダニエル司祭よりも上位職になれるのですか……」
試験会場はここクリム大聖堂で、一つの空き枠に十人の受験者が集まりました。
私は、自身が合格することに何の懸念も抱いていませんでした。なぜなら、集まった受験者の顔を見て、いずれも能力的に取るに足りない者だと知っていたからです。教会本部に勤務していると、そういう情報が自然と流れてくるものですから。
筆記、口頭試問。私はいずれも完璧にこなしました。もう一度言います、完璧です。
試験を終えた翌日、筆記試験を行った部屋に受験者が集められ、合格者が発表される運びとなりました。
「司教試験の受験者諸君。聖職者としての日々の研鑽の結果、慈愛の心、とくと見せてもらった。いずれも一廉の者であり、優劣はつけがたいのだが、一名しか合格にできぬこと、理解してほしい。それでは、合格者を発表する。合格者はクレマン。以上だ」
発表を行ったのはセザール大司教です。
合格者はクレマン?
ベルトランの言い間違いではないのでしょうか?
私は自らの耳を疑いました。
合格したのは、私と年が近いクレマン司祭。
私は知っています。彼は司祭として資質に欠けていることを。しかし、縁者の後押しで司祭となり、さらに今日ここで司教となったのです。
そう、彼はセザール大司教の孫なのです。
「なんだ、茶番だったのですか……」
小声でつい漏らしてしまいました。
努力しても、結局は報われないのです……。
それは、この聖職者の世界においては、縁故、とりわけ血縁者が優遇されると理解した瞬間でした。
得体のしれない絶望感が私の心を黒く染め、これまで知り得た教会の闇が一気に頭の中を駆け巡りました。
私には自身が若くして司教試験の資格を得たエリートであるという自負があり、それがさらに眩暈を起こさせます。
「このような教会の慣習、間違っています……」
私は教会の慣習や制度、ひいては教会そのものを憎むようになりました。
どうやって慣習や制度を改変するのか、いや、いかにして慣習や制度を、教会を壊すのかばかりを考えるようになったのです。
数日の時を経て、やがて考えがまとまり、私は聖職を辞してクリム大聖堂から出ました。その際、セザール大司教などから考え直すよう説得がありましたが、それは逆効果でした。
「ここがダニエル司祭の教会のある町ですか」
私はシュクレルの町を訪れました。
ダニエル司祭がシュクレルの町へと栄転したことは二年前から知っていました。ここは町の規模が大きく、同じ司祭位でも序列が上位のほうになります。
私は、この町に邪神崇拝者の集会所があることも知っていました。ダニエル司祭にしてみれば、本部の意向なので邪神崇拝者の集会所を排除することができないのでしょう。
ダニエル司祭に会いに行きたい衝動を抑え、邪神崇拝者の集会所へと向かいます。
実は私は聖職を辞するよりずいぶん前から、聖職者でありながら、邪神崇拝者の集会所に通っていました。研究を続けているうちに、私の頭の中が教導派の考えに染まりつつあったからです。
聖書では登場する神々のことを創造神と破壊神とに明確に区分して記述していないこともあり、教導派の考え方が破壊神の存在意義と共通する部分が多いと私は感じていました。
「破壊欲求の強そうな者を教えてください。寄付金はこちらになります」
邪神崇拝者は破壊神系の神を崇めていますから、この町のならず者や不遇な者などの情報を集めています。
会員証と金貨の詰まった皮袋を提示し、情報の提供を求めました。
何名かの情報を得、私は実験台となる標的を決定しました。
「なるほど。仕事で失敗し、妻子に逃げられた男ですか。彼が被検者として適任でしょう」
私はまずここシュクレルの町で、大聖堂の宝物庫にあった土偶を試してみます。
宝物庫には、代わりにそれらしい人形と紙を置いておきましたので、まず、見つかることはないでしょう。
この実験がうまくいったら、これよりも凄いことを聖都で起こすのです。
「この土偶の神具がうまく作動するのでしたら、もう一方のとっておきの神具を作動できれば、この国さえも簡単に作り変えることができることでしょう」
とにかくシュクレルの町で土偶を使うことは、その後の大計のための予備実験にすぎないのです。
この町を選んだもう一つの理由として、土偶がこの地を浄化することによって、ダニエル司祭を教会という間違った制度から脱却させてあげたい、そういう思いがあったのも事実です。
私は被検者の行動を調査し、大体三から四日の間隔で食料の買い出しにいくことを突き止めました。その、食料を買い出しに行くと予想を立てた日、被検者の住居の傍で待ち伏せをしました。
「そこのあなた。朝から浮かぬ顔をしていますが、運勢をより良い方へと導く占いをして差し上げましょうか?」
怪しまれないよう、占い師のフリをして近づき、やはり被検者は破壊の欲求が強いことを確認してから、土偶と魔法陣を託しました。
「ああ、やってみる。この俺が国の命運を握っていると言われりゃあ、やらねえとは言えねえだろ?」
「では、あなたの幸運をお祈りします。またどこかでお会いしましたらどうぞご贔屓に」
被検者は食料を買い出すことすら忘れ、夢中になって住居へと戻りました。彼なら必ずやり遂げてくれるでしょう。
私はゆっくりと町の外に向かいます。
「おお、あれが神具から現れた魔人ですか」
途中、空から降るように大きな土の魔人が現れました。
魔人は見境なしに建物を破壊しています。
人々が遅れて逃げ出し始め、だんだんと喧騒が激しくなってきました。
「うまくいったようです。この地は綺麗に浄化されることでしょう。では、私はこのまま聖都に行くとしましょう」
私は聖都で神獣を降臨させ、腐った教会制度に染まったこの国を浄化するのです。
さあ、慈愛に満ちた国を興しましょう。




