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好きになったのは、空に一番近い塔の猫  作者: アレクサンドラ・シュロート


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9/21

9*旅人とクリスティーネ

「あ、痛っ!」

 旅人の後ろでリンゴを剥いていたクリスティーネが小さく声をあげる。慌てて旅人は振り返った。

「大丈夫?」

「ええ。でも、少し、切れちゃった」

 と、クリスティーネは左手の親指をみせる。指の腹に縦に一本、切り傷ができていて、血が滲みだしていた。


 旅人はクリスティーネの手を掴み、即座に切れた親指を口に咥えた。彼は迷うことなく、ちゅうちゅうと傷口を吸う。毒虫に刺されたときの毒素を抜くかのように。旅中の癖で、彼の行動はとても早かった。

「え、あの……」

 これに対して、クリスティーネは目が丸くなる。こんな原始的な治療法を施されたことなんて、もちろんない。

 クリスティーネの驚きをよそに、旅人のほうは真剣であった。


 手当てされる指先が、とても温かくなる。ときどき触れる旅人の歯や舌先、ずっと指を咥えている旅人の唇の感触にもクリスティーネは言葉を失う。

「そこまで……深くないと思うから」

 治療されているクリスティーネには、恥ずかしさしかない。

 しどろもどろにクリスティーネが治療を遠慮すれば、はっと旅人は気がついた。

 旅での怪我や病は、早期発見、早期治療の旅人である。恩人の妹に家事仕事を手伝わせて、あまつさえ怪我をさせてしまった。そのことばかりに気を取られた旅人の失態であった。


「あ、ごめん!」


 真っ赤になって旅人は、クリスティーネの指はもちろん、手も放してしまう。さらに一歩後ろへ下がり、両手を上げた。


「いえ、悪気があったわけではないでしょうから」

 馴れ馴れしい旅人の治療の仕方に、クリスティーネは一定の理解を示す。

「おっしゃるとおりです。誠に、その、失礼しました」 

 ギクシャクと旅人は謝った。そのまま、しょんぼりとなり小さくなる。


 それをみたクリスティーネも同じように、しょんぼりとなる。

「私、こんな手になってしまいましたから、後ろでみていますね」

 少しでも役に立てばの気持ちでキッチンに立ったクリスティーネであったが、普段しないことはうまくできない。そこは素直に認めて邪魔にならぬようキッチンの隅へいき、佇んだ。


 少し、ばつの悪い空気がふたりの間に流れる。

 どちらもが良かれと思ってしたことだけど、どちらもが裏目に出ていた。

 この空気を破ったのは、旅人だった。


「調理は僕ひとりで大丈夫ですので、あの……味見をお願いできますか?」


 ぱっと、クリスティーネの青色の瞳が輝いた。

 これは、クリスティーネにできること。いや、クリスティーネだけにしかできないこと。旅人の味付けよりも、彼女のほうがずっとライナルトの好みを知っているから。


「はい、よろこんで」

「では、そこに座って待っていてください」

「はい」

 キッチンのダイニングテーブルに、クリスティーネはついた。そこから旅人の様を見守るクリスティーネが出来上がる。

 背後からクリスティーネの可愛らしい興味の目を感じながら、少しこそばゆい気分でではあるがご機嫌で調理を続ける旅人がいたのだった。




 出来上がった食事を持って、ふたりでライナルトのベッドサイドへいく。

 外は相変わらずの雨。今日は特に雨降りがひどくて、昼の時間帯であるにもかかわらずランプが必要となっていた。

 昨日よりも薄暗い部屋だからだろうか、ライナルトは眠っていた。ふたりが部屋にやってくる物音で、彼は目を覚ました。

「お兄さま、お食事です」

 クリスティーネに手伝われて、ライナルトは身を起こす。そして妹に手伝われて、昼食を食べはじめた。


 一連のこの流れをみて、旅人は思う。ライナルトの衰弱の仕方が尋常でないと。一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と、どんどん弱っていっている。

 塔の主であるライナルトに覇気がなければ、この塔もひどく寂れてみえるのは気のせいか?


「同じものになりますが、二日分用意してあります。明日は夜明けと同時に出発して、捜索隊とコンタクトを取ってきます。妹さんと一緒に待っていてください」

「天候が悪くても、いくのですか?」

「はい、もちろん。タイミングを合わせないと、無駄足を踏みますから」


 雨の悪路を警戒して雨が上やむまでこの塔に逗留することになったのに、雨天決行の救助要請に出ることになってしまった。明日の旅人は、ひどく矛盾した行動をとることになる。


「本当に……こんなことになってしまって……」

 体が弱っているところに、ライナルトは心労が重なる。不可抗力とはいえ落ち込むライナルトをみると、旅人は胸が痛む。

 でも、天気が良くて早々に自分がこの塔をあとにしていたら……と思うと、雨による足止めは正解なのだと思う。今ここで自分ができることは、必要以上に悲壮感を出さないこと。だから、明るく旅人はいった。

「大丈夫ですよ。僕は嵐の中で山登りをしたことがあります。ここは高低差の少ない平地の森です。そうであったとしても無茶はしません。では僕は、明日の準備にかかります」

 クリスティーネをライナルトのそばに残し、旅人は部屋を出た。



 ***



 階下のリビングダイニングに戻り、旅人は明日の用意をはじめた。

 用意といっても昨晩に一度作ってしまっていたから、ほとんどできている。その自分のバックパックをみれば、ぽっかりと猫の・・クリスティーネのスペースがある。

 バタバタしていたが、ここで本格的に猫のクリスティーネについて考える時間ができた。


 猫のクリスティーネは、人見知りのひどい猫だ。この塔が辺境にあれば訪れる人はほとんどなく、人馴れしていないのは無理もない。

 でも「私が猫のクリスティーネよ」という銀の娘のクリスティーネは、そうではない。とても人懐っこい娘だ。

 この猫と娘が同一人物というのは、やはり理解ができない。

 でも、銀の娘のクリスティーネが現れて、ライナルトの容態が急変し、猫のクリスティーネは行方不明になり依然そのままである。

 いくらさがしても、猫は見つからない。

 そして、ライナルトは銀の娘のクリスティーネに、まるでずっと前からこの塔にいるかのように接している。


 あっと、旅人はライナルトとクリスティーネの最初の会話を思い出した。


 ――お兄さま、おはようございます。

 ――ああ、クリスティーネ、おはよう。その様子では、私の魔法は解けてしまったようだ。

 ――はい。解けてしまいました。


 そのときは、クリスティーネをみて全く動じないライナルトの姿にびっくりして、ふたりの交わす会話の中身にまで旅人の意識は向かなかった。

 同時に、この森に入る前に都できいた噂話も思い出した。


 ――昔、この国のお姫さまが年頃になって縁談が決まった。けれど、その縁談相手が遠い国のとんでもない『好色じじい』だったから、姫さまは嫌で嫌でたまらなかったそうだ。


 これはよくあるおとぎ話のパターンのひとつだ。

 だいたい縁談を嫌がる姫の前に都合よく王子が現れて、王子の機転によって姫は助かるというもの。最後にふたりは結ばれて、めでたしめでたしだ。

 不幸な政略結婚の犠牲になる姫は、不思議なことにたいてい『美しい姫』と決まっている。でないと、王子だって外交問題に発展する事態に首を突っ込んだりしない。


 あれ? 都での噂話には、もっとバリエーションがあったような……確か……


 ――「国のために」と我慢していたが、兄王子も妹姫の縁談が不満だったらしく、身代わりを立てたらしい。身代わりにされた娘のほうは有無をいわさず国から送り出されて、思いつめて花嫁行列の途中で首を吊ったらしい。

 ――俺が知っているのは、兄王子が魔法使いに命じて、姫さんを殺してしまうほうさ。花嫁死亡ということにして、縁談消滅を狙ったんだ。もちろん姫さんは死んでいない。でも、死んだことになっているから、大っぴらに表は歩けない。こっそり森に隠れているんだ。

 ――あれ? 魔法使いが姫さまを鳥にしたっていうのは、違う国の話だったのかなぁ~?


 どれも銀の娘のクリスティーネに重なりそうで重ならない。

 そもそもが、姫を助けたのは彼女の兄であり、通りすがりの王子ではない。


「…………」


 でもどうしたことだろう、あの噂話が妙に旅人の頭に染みついている。

 あの噂をこうしたら、どうだろうか?

 こんな仮定を旅人は組み立ててみた。


 まずライナルトが兄王子で、銀の娘のクリスティーネがその政略結婚を嫌がった王女とする。

 ライナルトは王女死亡のうわさを流し、彼女に魔法をかける。噂では鳥であったが、ここでは猫とする。人間の姿の王女であれば、どんなに隠れていても完全には隠しきれない。でも、人間でなくて動物の姿であれば、人の目を欺き続けることができる。

 ライナルトは宮廷天文学者といったが、これも王子の姿を隠すための隠れ蓑だとすれば、定期的に食糧が運ばれてくることに辻褄があう。

 さらに、この森を‟迷いの森”といって人を遠ざけておけば、王女を隠すのに完璧とならないか?


 そんなふうにライナルトとクリスティーネのことを当てはめていけば、ぴったりと状況に一致する。

 まさかなと、旅人は思う。魔法なんて非科学の極みと思っていたから、偶然の一致だと思いたい。

 でももしこの仮説が正しければ、今の世界に魔法はまだ存在していて、クリスティーネは猫となって逃げている王女となって……


 かちゃりと階段室の扉が開いた。

 クリスティーネがライナルトの寝室から降りてきたのだった。手にはトレイを持っている。

「お兄さまは、おやすみになりました」

「具合は、どう? 一向に……」

「そうね。でも、苦しんでいないわよ」

 寂し気にクリスティーネは微笑んだ。


「お兄さまから許可をいただいたので、お話しますね」

 クリスティーネはダイニングテーブルに着けば、旅人もその正面に座ったのだった。



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