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好きになったのは、空に一番近い塔の猫  作者: アレクサンドラ・シュロート


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8/21

8*兄と妹

「あ、ごめんなさい。私ったら、お客さまをお兄さまと間違えてしまったわ」

 旅人の絶叫で、銀の娘はしっかり目を覚ました。今ふたりは、ベッドの上で向かい合って座っていた。

「あの、僕としては、あの……一体、どうなっているのか、わけがわからないので、その……」

 旅人から出てくる言葉は、支離滅裂だ。言葉と同様に頭の中もぐちゃぐちゃで、考えがまとまらない。


 何からはじめればいいのだろうか?


 目の前の銀の娘は、ニコニコ顔で旅人の言葉を待っている。健康成人男子にどれだけ罪なことをしていたのかなんて、ちっとも自覚していない。

 悩んだ旅人が見つけ出した話題は、娘についてのことでなく猫にした。「クリスティーネは、どこへいった?」であった。




「クリスティーネは、私よ」

「え?」

 この答えに、旅人の目が丸くなる。猫の居場所を訊いたのに、娘は自分がその猫だというだなんて。

 人間と猫が同一人物、いやここは同一動物なのかもしれない、なわけがない。混乱する頭でひねり出した旅人の解釈はこうだった。


「君は、猫と同じ名前なんだね?」

「違うわ。猫が私なのよ」

 美しい娘はひどく頭の悪そうなことをいう。人間と猫が同じだなんて、これだけきけば“ただのキチガイ”だ。


「え? いっていることが、よくわからない」

 遠まわしに旅人は、娘が猫であることを否定した。人間が猫になるなんてこと、あり得ない。起こるとすればおとぎ話の世界でのことで、魔法や呪いにかかったときだろう。


 この世界に魔法なんてものはない――それは旅人の信念である。すべてのものは科学的に説明がつく。説明がつかないものは、まだ科学がその領域まで追いついていないだけ。

 そう、こんな考え方の旅人だったから、“迷いの森”へ恐れることなく大胆に入っていったのだ。


「そうね、魔法なんて信じている人はもうほとんどいないから」

 旅人の否定にむきになることはなく、ただ残念そうにいう娘はいう。

 常識から考えれば魔法なんて存在しないと、頑として旅人は思う。でもこの娘の落胆ぶりをみれば少しの罪悪感が湧いてくる。

 かといって、主義を変えることはできない旅人は念押しした。

「人間が猫なわけ……ないだろう」

「そうね。信じられないわよね。でもどんなにこの塔の中を探しても、猫はいないわよ」

 旅人の言葉を肯定しながらも、娘は同時に否定もした。


 ――どんなにこの塔の中を探しても、猫はいない。


 この言葉がちくりと旅人の胸を刺す。現に目の前には猫のクリスティーネでなく、人間のクリスティーネがいる。

 銀の娘は青い瞳を旅人に向ける。向けられたきれいな空色のこの瞳に、旅人には既視感があった。

 その青色は、猫のクリスティーネと同じ色ではないだろうか?

 それに、銀の髪をまとめているそのリボンは、旅人が猫のクリスティーネにあげた土産物のリボンである。


 旅人の視線が青色のリボンにくぎ付けになっていることに気がついて、娘はそっとそのリボンを解いた。

 一本にまとめた銀の髪が自由になって、さらさらと広がっていく。肩先で軽く跳ねて波打てば、また涼しげに輝いた。


「はい、どうぞ」

 青色のリボンを両手に乗せて、旅人へ差し出した。

 目の前にあるリボンは、手に取るまでもなく旅人が猫のクリスティーネにあげたものだった。


 旅人は困惑する。娘と話せば話すほど、娘と猫の共通点が増えていくばかりだから。

 ここは“迷いの森”だ。

 “迷いの森”なんて、地理的条件のことについてのことだと思っていた。だが今は、地理的条件についてでなく、超常現象らしきものに自分は遭遇しているようだ。


 ひとまずここは、素直に娘のいうことを信じたほうがいいのかもしれない。


 いくら考えても猫と人間が一致する仕組みはわからないし、見つかりそうにない。

 そうこうする間にもライナルトの容態は一進一退のままで、捜索隊へ助けを求めに出る時間だって迫ってくる。


 旅人は決めた。

 まずはこの娘の主張を受け入れよう。受け入れることで害があると決まったわけではない。むしろ受け入れて物事がスムーズに運ぶことになれば、それがずっと建設的だ。なにせ時間がないのだから。

 ここでも旅人の“リアリスト”の姿勢が現れたのだった。



 †††



「そろそろ鍋を下ろしたほうがいいかしら?」

 並んで立ったキッチンで、銀の娘のクリスティーネが訊いてきた。

「うん、いいよ。熱いから気をつけて」

「はーい」

 旅人のアドバイスに可愛らしく返事をして、クリスティーネは鍋をコンロからシンクへ移動させた。そしてゆっくりとざるに中身を上げていく。熱湯の中から現れたのは芋である。茹でで潰して形成して、少し塩で味付けをして、最後に焼く。これで留守にする間のライナルトの食事が完成する。

 ライナルトのものだといえば、クリスティーネは志願して、せっせと調理に勤しんでいた。



 朝の騒動のあと、旅人は人間のクリスティーネとともにライナルトの部屋を訪れた。

 ノックして入室すれば、ライナルトは目を覚ましていた。ベッドヘッドに上体を預けて、物思いにふけっている。その姿、ふたりがくるのを待っていたかのよう。


「お兄さま、おはようございます」

「ああ、クリスティーネ、おはよう。その様子では、私の魔法は解けてしまったようだ」

「はい。解けてしまいました」

 クリスティーネはライナルトの傍に腰を下ろし、間近で会話する。寝込んでから一層線の細くなったライナルトの額に手を当てて、クリスティーネは兄の具合を確かめた。

 雨の朝のほのかな明るさの中でのふたりの姿は、宗教画のようだった。静かで、厳かで、ほんの少し寂寥感がある。

 ライナルトもクリスティーネも美しい容姿であれば、とても仲のいい兄妹の絵が出来上がっていた。


 少し離れた位置でそのふたりを見守っていた旅人は、気がついた。

 髪色や瞳の色は違うふたりであるが、どことなく雰囲気が似ている。スレンダーな体格はふたりの共通点であるが、それ以外にも穏やかな口調、やわらかい物腰や纏う雰囲気にも同じような品格がある。

 猫の謎は依然解けていないけれど、このことからクリスティーネがこの宮廷天文学者の妹であるのは間違いないと旅人は思った。


「お兄さま、捜索隊がこちらにやってくるそうです」

「捜索隊?」

「ええ。お客様はこの塔にくる前に、そう手配してあったそうです」


 ライナルトはクリスティーネから視線を外して、旅人をみた。

 その表情、信じられないというもの。ひどく驚いているようにみえたが、同時にこの世の終わりのような顔にもみえなくもない。

 何かとてつもなく大きなものがやってきて、それが世界に終焉を与える。それを目の当たりにして最後の覚悟を決めたような、そんな硬直した顔であった。


 大げさだなと思いながらも、旅人は森に入るまでの経緯を話した。

「実はこの森に入ることをやめろと警告されたんです。そこは条件を付けることで納得してもらって、ここまでやってきました」

「その条件というのが……」

「はい。森に入って二週間たって僕が戻らなければ、捜索隊を出すというものです。行きは晴れだったし、帰りも曇りで難なくここまでこれました。だけど……」

「雨、だね」

「はい、雨です。長雨ですっかり足止めされて、明日で期限の二週間を使い果たすことになります」


 旅人から捜索隊が出される理由をきいて、ライナルトはいくぶんほっとしたような顔になる。この小さな変化を旅人は見逃さなかった。しかし、いまはそれを追究しない。もっと優先順位が高いものが他にあるからだ。


「お客さまの予測だけど、捜索隊の人はお薬を持っているんじゃないかって? 私もそう思うわ。お兄さまの魔法は完璧だけど、その魔法を使うお兄さま自身が弱っていては使えるものも使えないから、今回は助けてもらいましょう」

 クリスティーネが旅人に同意した。

 これを受けてライナルトのほうも、

「治癒人が自分に治癒魔法を使うことは、原則ありえないことだからね」

 と答える。体調が悪い魔法使いに魔法を強制するなんてことはない、ということだろうか?


 兄妹は頻繫に『魔法』を口にするが、依然、旅人は半信半疑のままだ。

 猫のクリスティーネは見つからない、食糧はあっても薬は見つからない。『魔法』の存在を認めれば、猫は「人間の娘のクリスティーネ」になるし、治癒魔法があれば薬はいらないという答えを導き出すことができる。魔法を認めることで、とても簡単に解けるパズルになるとしてもだ。


「何から何まで世話になってしまうけど、今回はその捜索隊にお願するとしよう。本当に、こんな事態に巻き込んでしまって……なんといっていいのか」

「いえ、お気になさらずに。これも何かの縁でしょう。いつかどこかで僕が別の誰かにお世話になるかもしれません。縁が廻りまわって、皆がうまくいけばいい」

 そうして、旅人の立てた計画が実行されることになったのだった。



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