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好きになったのは、空に一番近い塔の猫  作者: アレクサンドラ・シュロート


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7/21

7*青い瞳のクリスティーネ

 いざ決意を固めてしまえば、旅人が気になるのは塔に残すライナルトとクリスティーネのことだ。

 ライナルトは調子が悪いとはいえ寝たきり状態というわけではない。ベッドから起き上がり、ゆっくりではあるが階下に降りてくる。調理はできないが、食事はできる。

 これなら、ベッドそばにを携帯食料を置いておけばいい。


 問題はクリスティーネだ。猫は自分で食事の用意などできない。

 彼女は柔らかい餌しか食べないし、こんな“なま物”をあらかじめ作って置いておくことは衛生的に難しい。


「…………」


 何日も留守にしてしまうわけではないのだ、運が良ければ数時間、長くても二日で戻ってくると旅人は算段していた。

 数時間ならクリスティーネもライナルトと同じようにしておくことができる。はじめはそうしようかと思ったが、二日もかかるとなると……


 ここで旅人は、また決める。クリスティーネは連れていくと。


 小柄な猫だから、バックパックに入れて背負っていこう。

 救助を求めにいくとはいえ、念のために二日分の食糧を持っていく。それ以外のものはすべてここに置いていく。捜索隊を連れて戻ってくるのだ、それに必要ないものを敢えて持ち出すことはない。


 旅人は観測部屋隅に置いてあった自分の荷物の整理をはじめた。

 ライナルトとクリスティーネの土産物を渡したあとのバックパックには、主あるじに頼まれたものや自分のための土産物がぎっしり詰まっている。

 自分がほしくて買った本はすべて抜き取った。

 主の御用に関するもの、これは書面なのだが、については、今の旅人の一番大事なものである。ないとは思うが念には念を入れて、塔に置いておくことはやめてジレの内ポケットに収めることにした。

 こうして旅人は、バックパックの中にクリスティーネのためのスペースを作ったのだった。



 準備が整って、旅人は床に就いた。ライナルトはもう休んでいるだろうし、救援要請のことは明日の朝食の席で話せばいいだろう。出発は明後日なのだから、そこまで急がなくてもいい。

 雨の中の歩行について考える。赤いリボンの目印をつけてあるといっても、こう連日雨であれば、かなり傷んでしまっているに違いない。歯抜け状態になった道しるべの可能性が高い。捜索隊を探して旅人もかなりの距離を歩くことになるかもしれない。

 その場合に備えて、旅人は早々に眠りについたのだった。




 そうして、猫はやってくる。

 ライナルトの看病がはじまって三、四日ぐらいしたたった頃だろうか、クリスティーネは深くライナルトが眠ったあと、夜な夜な旅人のいる観測部屋へやってくるようになっていた。


「にゃ~ん」


 扉の外で「開けて」と催促する。これはもう、ここ数日の習慣となっていた。この時間帯になると旅人のほうも自然と目を覚ますようになっていた。

 自らジャンプしてドアノブを回すことができるのに、猫は甘えて旅人にお願いする。夢うつつの状態で旅人がベッドを出て薄く扉を開けた。

 するりと猫は観測部屋に入り込み、さっさとベッドに飛び乗った。そして、すっかり定位置となったベッド中央部、そこは横になった旅人の胸元から脇腹付近だ、にて丸くなった。


「ちょうどよかったよ、クリスティーネ」


 猫の横に寝そべって、旅人は救援要請のことを説明した。猫に人間の言葉がわかるとは思えないが、このクリスティーネはバックパックに入れて連れていくから、きかせておくほうがいいと思ったのだ。


「ライナルトさんの容体がよくないから、助けを求めにいくよ。その際に、君を連れていく。君はひとりでご飯を食べることができないからね」

「…………」


 丸まっていた猫が顔上げる、空色の瞳で。それは、旅人があげたリボンと同じ色。リボンを首につけたクリスティーネは、不思議そうな顔をしていた。

 旅人のいっていることの意味がわかったのだろうか、猫はその後、少し難しそうな顔になる。

 じっと旅人を見つめる空色の瞳に、ふと気がついた。


(あれ? クリスティーネはオッドアイじゃなかったか?)


 昼間に食事を与えるときも、ライナルトのそばで控えているときも、彼女の瞳は空色とオレンジ色のオッドアイであった。空色とオレンジ色という、極端な色目が印象的で旅人は意図せず覚えていた。


 だが、いま自分のそばにいるクリスティーネは、どうだろう?

 リボンと同じ青色一色だけの瞳だ。


 もっとクリスティーネの瞳をみようとしたら、彼女は大きなあくびをした。目を閉じてあくびをして、閉じたまま、こてんと身を伏した。あとはスヤスヤと眠る猫がいるのみだ。


 瞳を確認しそこなったけど、まぁいいかと旅人は思う。

 猫のクリスティーネはピタリと旅人にくっついていて、その触れたところがとても温かい。夏の雨の夜の高い塔の上は、快適な気温であると同時に人恋しさも湧きあがらせる。

 そっと手を伸ばせば、きれいなカーブをした猫の背骨に当たる。そっと撫でてやれば、さらに猫は旅人に寄り添った。

 心を許して寄り添うその様は、「可愛いな」のそのひと言に尽きる。

 小脇に猫を抱えるようにして、旅人も再び眠りについた。



 †††



 旅人が目を覚めれば、やはり雨。ここ数日のお馴染みである。

 だが、今朝は違っていた。

 何がどう違うのかといえば、違うのは雨ではなくて猫。小脇に抱えていた猫は、猫でなくなっていた。


 青色のリボンで束ねられた長くてきれいな銀髪が、緩やかな弧を描いてベッドシーツの上に広がっている。雨降りの朝で少々部屋が暗くとも、その輝きに曇りはない。

 その美しい髪の持ち主は、華奢な体つきをした娘であった。年の頃、十七ぐらいだろうか?

 目を閉じたその顔は、女神像のよう。すっきりとした輪郭、筋の通った高い鼻、整った形の唇は珊瑚色。銀髪と同じ銀色の睫毛が、閉じた瞼を縁取っている。

 この上もなく美しい娘が、旅人の横でスヤスヤと眠っていたのであった。


 しっかりと目を覚ました旅人は、隣の娘を見つけて息をのんだ。

 そりゃそうだ、目覚めて絶世の美女が隣にいれば、誰だって驚き、理解不能で、すぐには動けない。旅人も例外ではなく、ベッドに横たわったまま、硬直してしまう。

 硬直しながらも、そろりと首をかしげて、銀の美女をみつめた。


 最初にでた感想はこう、「こんなきれいな娘、はじめてみたかもしれない」だ。

 次に出た感想は、「まるでおとぎ話に出てくるような姫さまみたいだ」である。

 さらに出てきた感想は、「この子が目を覚ましたときには、その瞼の向こうからどんな瞳が現れるのだろうか?」

 目覚めたときの娘の瞳を想像する前に、はっと旅人は気がついた。


 クリスティーネは、どこだ?

 僕の隣にいたのは、猫のクリスティーネだ。

 クリスティーネはどこへいった?


 ううんといって、銀の娘が寝返りを打つ。けだるげに投げ出されていた細い腕が、寝返りのはずみで旅人の胸元に当たる。

 寝とぼけたまま、娘は旅人に抱きついた。「お兄さま」といって。

 さらに甘えた仕草で、旅人の胸元に頬をすり寄せる。気がつけば、旅人の腕の中にすっぽりと身を収めている娘が出来上がっていた。


「あの、その、待って!」


 あたふたと旅人は言葉を発する。この姿勢では、旅人がその気なればいくらでも娘を抱き包むことができる。そうそれは、愛する恋人にする抱擁のように。

 もちろんそんなことはしない。だって娘は「お兄さま」といって、抱きついているのだから。明らかに自分のことを兄と間違えていた。


「ああ、待って! や、やめて!」


 娘のほうは全然旅人の言葉が耳に入っていなかった。スリスリとさらに身を寄せてくる。朝の冷えた空気で肌寒くなったのを、温め直してもらうかのように。

 自分好みの美しい娘が、無防備に甘えてくる。そんな娘と部屋にふたりきり。こんな状況では、旅人の理性が破壊されるのは時間の問題だ。


 ――ここは旅の途中で世話になった人の家。

 ――本能のままに行動したら、主の評判にかかわってしまう!

 ――ここは、品行方正に振る舞うのが大正解なわけで……


 健康正常男子にすれば、とても耐えがたいシチュエーションだ。

 そうこう葛藤する間にも、銀の娘の寝息が旅人の首筋に当たる。温かくて、ふわりとしたその息は、羽根で皮膚を撫でられているかのよう。とても悩ましい。背筋に一筋の刺激が走り抜けた。

 もう、旅人は限界であった。


「すみません、僕はオニイサマではありません!」


 静かな静かな雨の朝の観測部屋に、焦る旅人の声が響いたのだった。



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