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好きになったのは、空に一番近い塔の猫  作者: アレクサンドラ・シュロート


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6/21

6*伏せるライナルト

 旅人が御用の帰りの道でライナルトの塔に到着してから、天気は崩れた。到着時は曇り空であったけれど、夕方には雨になったのだ。

 その雨は翌日もやまず、猫のクリスティーネとの邂逅に成功した夜も降り続け、その翌朝も雨音の勢いは変わらない。

 雨は降り続く、ざんざんと。

 翌日も雨だった。その翌日も雨だった。その次の日も。もうそれは雨季のよう。

 こうして、旅人は塔での滞在を余儀なくされた。



「客人にこのような真似をさせてしまうなんて……」

 申し訳なさそうに、ダイニングテーブルについたライナルトが客人のようにいう。キッチンでオレンジを剥きながら、旅人はこの家の主人かのように答えた。

「いえ。宿代みたいなものですよ。それに、調子が悪いのだから、休んでください」

 ひと口大に切ったリンゴの皿を、旅人はライナルトへ差し出した。


 雨で旅路につけないことは、旅人のせいではない。天候なんて、どうともできないもの。滞在が長引くことについては、端からライナルトに了承を得てあった。

 だがそこに、予定外のことが起こった。

 なんと、塔の主のライナルトが体調不良となってしまったのである。


 飼い主の不調を知らせたのは、クリスティーネである。明け方に「にゃあにゃあ」と鳴いて、眠る旅人の腕に爪を立てる。

 無愛想な猫であったのに、これには遠慮がなかった。少しずつ旅人に心を開いてくれていた最中であったことが幸いして、ライナルトの異変に猫はなんとか助けを呼ぶことができたのだった。


「本当に申し訳ない。雨で偏頭痛になるのはよくあることなのだが、どうも今回は体にも力が入らない……あまり年は取りたくないものだよ」

 風貌は青年に違いないライナルトが、今の体調不良を年寄みたいに訴える。雨で外が暗い昼間であれば部屋の中も同じで、彼の顔色もいまひとつ冴えない。


 予期せぬ非常事態となってしまい、旅人はライナルトに断って、この家の家事仕事を行うこととなった。

 到着直後の夕食の手伝いでは、ライナルトは旅人の申し出に遠慮した。だが今は、そうしない。いや、そうできない。自分だけのことならどうとでもなるが、旅人と猫の世話を放棄することは彼の性格からはできなかった。


「困ったときはお互い様ですよ。そうだ、ホットワインを作りましょう。気つけになるでしょう」

 旅人は小さな鍋にワインを入れて、火にかける。くつくつと煮える前におろして、カップに注いだ。ふわりとアルコールの香りが広がった。


「ぎゃ!」


 ライナルトの膝の上でくつろいでいたたクリスティーネが、敏感にアルコールの匂いに反応した。上体を起こし、ライナルトの持つカップからだと気がつけば、一目散に逃げだした。

 そのはずみで、カップがライナルトの手元から滑り落ちそうになる。

「おっと! 危ない、危ない」

 くすくすとライナルトが笑う。

 でもその笑いに力がない。先日までの歓談と比べると、覇気がない。

「すみません、濃かったみたいで刺激が強すぎたかな」

「いや、気つけだから濃くないと」

 ライナルトは両手でカップを包み、暖を取る。そのまま持ち上げて、ゆっくりと飲み下した。

「ありがとう。偶然にも君がいるときでよかったよ」

 しみじみとライナルトは謝意を述べるのだった。



 こんな事情で旅人の滞在は、雨がやむまでだったのがライナルトが回復するまでに変わった。

 天候に体調が左右される体質の人は、まぁまぁいる。この塔の地理的条件を考えれば自分がここにいるときでよかったと旅人も思う。

 ライナルトの急病というハプニングに見舞われたが、先を急ぐ旅人ではない。ライナルトのことを心配はしても自分の心配はしない。そこはのん気な旅人であった。


「にゃ!」


 階上の寝室に戻るライナルトに付き添ったのち、再び旅人が階下のリビングに戻れば、ダイニングチェアの座面にクリスティーネが控えていた。さっきライナルトの気つけのワインの香りに逃げ出したくせに、いつの間にか戻ってきていた。


「にゃ、にゃ!」

「ああ、ご飯だね。待ちぼうけさせたね」

「にゃ!」


 塔に滞在してから五日、ライナルトのキッチンの主となってから二日、もう旅人はクリスティーネの世話の仕方をすっかり覚えてしまった。

 旅人は干し肉を小さくちぎって鍋に入れる。ひたひたの水を加えて、火にかけた。しばらくすれば硬い干し肉がふやけて柔らかくなる。湯を切り、粗熱を取って、クリスティーネの皿に盛りつけた。


 猫は喜んで食べだした。昨日と違って勢い良くがっつく。かなり空腹だったようだ。

 その様をみて、今まで旅人から食事をもらうことを遠慮していたとわかる。このことからライナルトの体調不良は、ひとりと一匹にとってはじめてのことなのではと思われた。

 クリスティーネは夜になれば旅人のところ、残念ながらこれは毎晩ではないのだが、にやってくるが、完全に心を許したわけではない。機嫌がよければ相手をしてやる、まだまだそんな感じのクリスティーネである。


「ここに水を置いておくよ」

「にゃ~ん」


 クリスティーネは空色とオレンジ色のオッドアイを旅人に向けて、「わかった」と返事をしたのだった。




 †††




 奇妙な看病生活が始まった。そして、雨もやまない。

 ガラス窓の向こうは鉛色の空のままで、日中でもランプを必要とする時間があった。


 依然ライナルトの容体は一進一退で、本人は休んでいれば治るというが、そんな兆しが感じられない。

 猫のクリスティーネは旅人と大分打ち解けてきたが、日中は原則ライナルトのそばにいる。猫なりに主人のことを心配して、離れられないのだろう。

 旅人のほうとしては雨だから外には出れず、ただ家の仕事をし、クリスティーネの世話をし、ライナルトの看病をするばかり。

 さらに一週間ほど過ごした頃だろうか、ふと旅人はあることに気がついた。


 必要なものは運ばれてくるといっていたが、こう雨が続いていればその運搬が滞っているらしい。補給されない食料庫では、在庫の減りが目にみえてわかるようになってきていた。

 もともと「ひとりと一匹」の食糧事情のところが、「ふたりと一匹」のものになってしまった。単純に考えて、食糧の減るスピードは二倍である。

 これに、旅人は思う。


 一度、森を出て食料調達しなくてはならないな。ライナルトさんのことだって、医者を呼んだ方がいいだろうし。医者が無理でも薬のひとつぐらいは……


 緊急で家の管理を任された旅人は食事の用意と後片付けはできても、それだけだ。食料のありかは見つけても、未だに薬を見つけることができなかった。

 薬のない家なんて、赤貧の生活を送っていればわからないこともないが、ライナルトの生活はそうではない。本人は謙遜して金目のものはないといっているが、宮殿のお抱え学者であれば配給品は質も量も上等である。

 なのに、探しても薬が見つからない。これはどういうことなのだろう?


 一日の家仕事を終えて、旅人がごろんとベッドに横になったときだった。何気に旅人はカレンダーをみた。

 ライナルトは、宮廷から派遣された天文学者だ。天文学者よろしくで暦がきちんと観測部屋に貼ってあった。その観測部屋は今は旅人の寝室で、暦が旅人の目に入ったのだった。


「…………」


 旅人は、“迷いの森”の手前の宿屋の主人と約束した。森に入った旅人が二週間しても戻らなかったら、捜索隊を出してもらうと。

 森の手前の宿屋を出発した日、“迷いの森”で塔を見つけた日、塔から都に向かい御用を済ませた日、都からここに寄り雨で足踏みすることになった日、そして雨が続いてライナルトが寝込んでしまってから今日で……

 そんなふうに日数を数えたら、宿屋の主人と約束した期限が、なんとあと二日にまで迫っていた。


「!」


 遭難したわけではないが、町では旅人のことが行方不明者になっているだろう。

 偶然が重なったとはいえ偽の遭難者になってしまった。このままでは捜索隊が派遣される。旅人の真実は行方不明とは程遠いがゆえに、これは極めてはた迷惑な行為となる。


「あ、そうか!」


 同時に旅人は気がついた。捜索隊なら、きっと薬を持っている!

 この捜索隊にライナルトを診てもらうというのは、どうだろう?


 旅人は仮説を立てた。時間を計算して、捜索隊と鉢合わせるようにこちらも塔を出る。森の中で出会えたなら、そのままこの塔までライナルトの元まで彼らを誘導するのだ。


 はじめは都に戻って……と考えていたが、出動されることがわかっている捜索隊に助けてもらうほうが、ずっと早くて確実で安心だ。

 それに、ここまでの道しるべとして赤いリボンをつけてある。自分も捜索隊も迷うことはない。

 ここから都までのルートにも目印があるから、これを辿ることで都にもスムーズに移動できる。これなら最悪の場合にも対処できる。


 ふとしたこの思いつきが、旅人にはとても素晴らしいものにみえた。

 自分の安否確認だけでなく、ライナルトのことも助かり、町と都を結ぶ道もできるのだ。一石三鳥ではないか!


 そうとなれば旅人は、決める。

 明後日にはここを出ると、そして捜索隊を連れてここまで戻ってくると決めたのだった。

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