19*公爵アルヴィン
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「おかえり、はるばるご苦労だった」
金の髪を輝かせて、執務中の公爵アルヴィンが己の部下を労った。
大きな主の執務机を挟んで向かい合うのは、”迷いの森”を通って都で御用を務めたあの旅人である。
御用を済ませても、しばらく旅人は町と都を往復して”迷いの森”のライナルトの塔を捜索をしていた。だが、塔を発見する前に路銀が尽きた。先立つものがなくなってしまえば、捜索どころか帰郷にも支障が出てくる。泣く泣く捜索を打ち切って、旅人は主アルヴィンの元へ帰ってきた。
そして今、その主にあの御用の報告を行っているのである。
「アルヴィンさま、お気遣いありがとうございます。こちらが、所望されておりました文書となります」
と、旅人は自分のジレの内ポケットから、少し汚れた書類を取り出した。
これは、ライナルトの塔の最上階でバックパックから取り出して、荷物とは別に保管してあった書面である。雨の迷いの森の中でバックパックの荷物はすべてなくってしまったが、これは残っていた。鞄の中でなくジレポケットだったからなのか、紛失しなかったのである。
そう、旅人がこの公爵家に持ち帰ってくることができたのは、空っぽになったバックパックと捜索隊と出会ったときの服、そしてこの主への報告書だけ。都で買った土産物などはライナルトの塔においてあったので、塔もろともすべて消えてしまった。
優雅な仕草でアルヴィンはボロボロの文書を受け取ると、その場ですぐに確認しはじめた。
しばらくの間、執務室に沈黙が落ちる。
窓外はどこか憂いを含んだ空気であれば、秋の陽ざしとなっていた。旅人がライナルトの塔を探していたのは初夏の終わりであったが、路銀が尽きて帰郷する間に、ひと夏が過ぎ去っていた。それだけここの公爵邸とあの都までの距離は遠い。
文書はぴらりとした一枚の紙きれで、アルヴィンはすぐに読み終わった。土色に染まった紙片を窓に向けて陽にかざす。何か隠し文字でも見つからないかなといわんばかりに。しかし、何も見つからない。
力なくその証明書をデスクにおけば、執務椅子に深く凭れてふぅと複雑なため息をつく。そして、
「ここのクリスティーネも、普通に死亡か」
と、アルヴィンは落胆を露わにした。
「はい。あの都の大聖堂では、歴代の王家一族全員を埋葬しておりました。ひとりたりとも弔い損ねたことはないと、大司教様は仰られておりました」
都で旅人は、あの地区を治めていた王家の系譜を、すべて確認した。事前の調査でその地の王族の中にクリスティーネとライナルトの名を見つけてあって、その真偽を見極めるべく現地調査に旅人は派遣されたのだ。
そう、旅人の御用とは、クリスティーネという姫とライナルトという王子の末路を確認することである。
都の大聖堂は、現在の王家の墓所であれば政権交代して滅亡した王家の霊廟でもある。表は観光地、裏は資料館となっているのだが、その奥所にて旅人は埋葬記録を閲覧したのだった。
もちろん滅亡してしまった王家といえども、その系譜を覗くのだ、憚るものがある。ただの一般人では大聖堂から許可は下りない。そこで旅人は歴史学者と名乗り、学術目的で閲覧申請したのである。
「一般公開されていない墓標も確認しました。記録の系譜に間違いはなく、没年月日もしっかりと刻まれていました」
大聖堂管理下の系譜では、クリスティーネが十八で不注意による転落死となっていた。ライナルトはクリスティーネより約四十年後に病死。ふたりの遺体はこの大聖堂にて埋葬された。三百年前の話である。
「クリスティーネだけでなくライナルトもその墓所に眠っているとなれば、先々代公爵が探しているクリスティーネではないんだろうな~」
旅人の報告と大聖堂が発行した死亡証明書を吟味して、そうアルヴィンは断定した。
「かと思います」
主の判定に、部下の旅人も同意したのであった。
「では、次の王家を当たってくれ」
迷いの森の「クリスティーネ」と「ライナルト」については終止符が打たれた。旅人には次の「クリスティーネ」と「ライナルト」の調査がいい渡される。
この大陸では「クリスティーネ」も「ライナルト」も王家では人気のある名で、その名を冠する姫や王子は過去にも現在にもとても多い。旅人が迷いの森に到着する前にも、どれだけの人数のクリスティーネとライナルトを調べたことか!
それらはどれも不発に終わる。この迷いの森の向こうの都のクリスティーネとライナルトと同じように。
そして、まだまだ未調査のクリスティーネとライナルトがいる。
「御意。すぐにでも出発いたします」
帰郷してひと晩しか経っていないというのに、もう公爵令に取り掛かると旅人はいう。
「それは構わないのだが……おまえ、相変わらずセルジュと仲が悪いな」
セルジュとは、アルヴィンが公爵位を継ぐ前からこの屋敷にいる家令のことである。彼は先代公爵時代からこの家の采配を任されていれば、もちろん、現当主のアルヴィンよりもずっと年上だ。それゆえに優秀な家令であるセルジュは、若くして公爵に収まったアルヴィンのことを完全に自分の主人と認めていない。
「そんなこと、ありません」
主アルヴィンの見解を、さりげなく旅人は否定する。セルジュはきっと隣の自分の執務室で、この会話に聞き耳を立てている。不用意にしゃべって、家の中に波風を立てるわけにはいかない。
「そうか? まぁ、居心地の悪いところに無理強いをさせるつもりはないよ。好きにしろ」
「ありがとうございます。では、失礼します」
重厚な本棚が並ぶアルヴィンの執務室を、旅人はあとにした。
廊下に出れば、そのセルジュと鉢合わせた。いかにもこれから公爵さまのご判断を仰ぐといわんばかりに、老家令は書類の束を抱えていた。
「もうよろしいのですか?」
短時間の旅の報告に、セルジュが疑問の目を向ける。本当にご用件は終わったのかと。
「はい。今回の件は、完全終了しました。明日にも次の件に取り掛かります」
主の御用で旅人は世界各国を渡り歩いている。だが、この家令はその内容について具体的に知らされていない。
だからセルジュから見れば、旅人はただの風来坊で公爵家の財産を目減りさせるだけの使用人でしかない。家令にとって旅人の印象はよくないのだ。
そう思うのは無理もないと、旅人もアルヴィンもわかっている。わかってはいるが、家令にすべてを知らせるわけにいかない。なぜなら、それは先代公爵の御意志であるから。家のすべてを知るはずの家令がここの公爵家ではそうでないという、奇妙な例外となっていた。
「昨日お戻りになったばかりなのに、もう出立ですか? お若いとはいえ、大変ですな」
セリフとは裏腹に、セルジュの顔には喜びの色がある。家の采配の邪魔になる使用人がいなくなって助かると、わかりやすい家令である。
「若さだけですから、僕にあるのは。では用意をしますので、これで失礼します」
くどくどとセルジュが旅の費用についての講釈を垂れる前に、ここでも旅人は速やかに姿を消したのであった。
†††
翌朝、旅人が公爵邸裏庭で、ほかの使用人と出立の準備をしているときであった。
「あ、アルヴィンさま!」
使用人の声に旅人が振り返れば、眠い目をこすって見送りに出てきたアルヴィンがいた。ガウン姿のままで、輝く金髪をくちゃくちゃにした若き公爵である。
昨夜のアルヴィンは晩餐会に招かれていて、帰宅はかなり遅かったはず。それでも旅人の出立をきいて、朝早くに無理して起きてきたのだった。
「アルヴィンさま、その格好ではまた叱られますよ。品格が伴っていないと」
「そういうなよ。好きで公爵になったわけではない。セルジュにはそのうち、これが素だとわかるだろう」
先代公爵とこのアルヴィンは、実の親子ではない。先代公爵には子供がいなかったので、遠戚になるアルヴィンが指名されて、ここの公爵位を継承した。
現在の屋敷の使用人は、先代公爵時代からの者が半分、アルヴィンが公爵となって引き連れてきた者が半分という構成だ。もちろん旅人は、アルヴィンが引き連れてきた者のほうに入る。ついでにいえば、今ここに旅人を見送りにきている使用人もそれである。
「今度は海を渡るのか?」
「はい、陸路では倍の時間がかかってしまいますので、海の近道を使います。たまには船旅もいいかなと、少しワクワクしています」
「面倒なことを、そういってくれるお前は、本当にいい僕だよ」
アルヴィンがここでも旅人のことを労い、とある書面を手渡した。
「路銀に問題はないと思うが、今度の行先で困ったことがあれば、ここを頼れ。そっち方面に住む学友だ。それと……」
書面だけでなく、アルヴィンは小指からリングを抜き、これも旅人に手渡した。
「これをみせれば、信じてくれるだろう。念のために持っていけ」
それは、公爵が身に付けるにはややお粗末な指輪だ。学生時代に、アルヴィン自らが作ったものだろうか?
頼る先の学友とは、アルヴィンがただの末端貴族の令息であったときの友人に違いない。公爵となった今とは無関係の人物であれば、余計な気を回さなくていいというアルヴィンの配慮であった。
アルヴィンが先代から公爵位を譲り受けるのには、ふたつの条件があった。膨大な財産を引き継ぐ代わりに国境警備という国の重責も負う、なかなか悩ましい地位ではあるが、二代目公爵の親族の中に継承志願者はごまんといた。
しかし希望者はたくさんいても、継承のためのふたつの条件を満たす親戚はアルヴィンしかいなかった。アルヴィンは後継者に志願してもいなければ、一方的に指名された口である。好きで公爵になったわけではないというのは、こういう理由なのだ。
その条件だが、ひとつは実子を儲けないこと。アルヴィンの後継者には、親族の中で一番信頼のできる男子を指名せよとのこと。
もうひとつの条件は、輿入れ最中に行方不明になった先々代の花嫁のクリスティーネとその兄弟のライナルトを探せというものであった。




