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好きになったのは、空に一番近い塔の猫  作者: アレクサンドラ・シュロート


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13/21

13*愛しい人

 今のクリスティーネの瞳は、右も左も澄んだ青色。オレンジ色のオッドアイの片鱗など、全く見当たらない。完全に猫が抜けたクリスティーネがいる。

「好きな人が僕ということで、それはそれでとても光栄なんだけど……でも、いつから僕のことを好きになったの?」

「そうねぇ~、猫であったときからよ。多分」

「ちょっと待って、猫のときの記憶は全部はないって、いっていたよね」

「ええ。よくは覚えていないけれど、あなたとお兄さまの会話から、完全に猫であったときから私はあなたに興味を持っていたみたい」


 ここに泊まった最初の日のことを思い出す。

 眠っていたら腕にチクチクした刺激がして、何だろうと目をやれば、自分を覗き込んでいる猫がいた。あの刺激は、猫の髭が当たっていたものだった。

 目が合って、猫は逃げ、その後ライナルトにこう告げられた。

 ――せっかくのご訪問だったのに、目が合って、逃げられてしまいました。

 ――クリスティーネは人見知りが激しいからね。でも、どうやら君は違うらしい。逃げてしまったとしても、クリスティーネがそんなことをしたのは君がはじめてだよ。


「私は、お兄さまの魔法が弱まる夜に、あなたに会いたくて、会いにいっていたのよ」

 あからさまに、クリスティーネは愛の告白をする。

 素直な言葉に、旅人は嬉しくもあれば、今までの情報を大急ぎで整理した。魔法が弱まる夜にやってきた猫のクリスティーネはオッドアイではなかった。オッドアイでないあの猫は、自分にピタリと寄り添ったあの猫は、完全にクリスティーネの意識を持つ猫だ。

 ということは、意識して彼女は旅人の元へ訪れていたことになる。


 猫のことも、クリスティーネのことも、好きなっていた旅人にすれば、とても喜ばしいこと。

 だけど、時間が迫っている。

 だから、今度は旅人から、こう問うた。

「僕は、期待してもいいのか?」

 ぱっと、クリスティーネの顔が華やいだ。特殊な自分の事情が理解されただけでなく、純粋な恋心が実ったとわかったから。

 旅人の腕の中で、クリスティーネは少し頬を染めて、こう返した。

「ええ、いいわ。私、ここで待っているから、必ず戻ってきて」



 しとしとと雨は降っている。明り取りの窓からのほのかな光と足元のランプの光が、塔の内部の闇色を柔らかな色合いに変えている。

 そんな薄明りの中で、雨音だけが響く高い塔の最下部で、あらためて旅人は強くクリスティーネを抱きしめた。

 抱かれるクリスティーネも体の力を抜き、安心しきって旅人に身を任せる。

 触れ合う胸元から、回わし合う腕から、吐息のかかる頬から、互いの熱が伝わってくる。ふたりで一緒にいるということは、こんなにも温かで優しいものなのかと実感する。

 頬に充分な熱が満ちたころ、確認などなしに唇を寄せる。柔らかいクリスティーネの頬に、チュッと軽く旅人の唇が吸い付いた。

 頬にキスをもらうクリスティーネは、目を閉じて無言で首を傾げてもっとキスをねだる。

 そんな仕草で可愛らしくキスを要求されれば、旅人はもう自分を押さえることはできない。一度離した唇を、再びクリスティーネに寄せていく。

 旅人の唇が、クリスティーネの頬からはじまって、目尻を抜けて、額へ上がる。線の細いクリスティーネの鼻筋に沿って、旅人の唇が旅をする。ときにリップ音が派手になるのは、ご愛敬。

 深い深い迷いの森の高い高い塔の最下部に、ふたりだけであれば、ふたりのことを咎めるものは誰もいないのだ。


「クリスティーネ……さん」

 きれいな形の鼻の先端まできて、旅人はキスの行進を中断する。ここでこの先のことを確認をするわけなのだが、本人にはずっと『君』とか、『猫』とかと呼んでいたから、今さら『クリスティーネ』と呼ぶのが照れくさい。

「クリスティーネで、いいわ」

 旅人の心境を知ってか知らいでか、クリスティーネは許可を与える。名前だけでなく、その先のことも。

「では、クリスティーネ。恋人のキスをしても、いい? すぐに戻ってくるのだけれど、それがほんの数時間のことだとしてもお預けは我慢できない」

 ずっと閉じていたクリスティーネの瞼が、薄く開く。 キラキラとした青の瞳は、“Yes”だ。

「クリスティーネ」

 愛しい人の名を呼んで、旅人は珊瑚色のクリスティーネの唇にそっと自分の唇を重ねた。


 恋人のキスをする――そう宣言したものの、旅人はしっかりと唇表面だけをこすり合わせただけ。だって、今ここでもっと深い恋人のキスをしたのなら、救援を求めて出発するのが難しくなるから。

 私、ここで待っているから、必ず戻ってきて――このクリスティーネのセリフが旅人の頭の片隅で、「さっさと用件を済ましてこい!」とわめきたててもいれば、恋人一歩手前のキスで踏みとどまることができるというものだ。


 重ねた唇は温かい。腕の中の中のクリスティーネと同じ熱だ。

 ふたつの唇が触れて、しばらくしっかりとお互いに押し付け合って、最後にはふたつの唇の間に雨の朝の空気が入り込む。キスの熱量をひんやりと湿った空気が奪っていく。

 腕の中のクリスティーネをみれば、ちょうど閉じていた目を開いているところであった。

 キラキラとした青の瞳は、澄みきったもの。雨の中でみる不鮮明な景色とは対照的だ。もしかしたら、とてもきれいなものを穢してしまったかもしれない。旅人はそんなことを懸念したが、そうはなっていなかった

 完全に開いたクリスティーネの瞳の中に喜びの輝きがあれば、本当にお互いの気持ちが通じ合ったのだと確信できた。


「クリスティーネ」

「…………」

 意味もなく、愛しい人の名を口にする。これに対するクリスティーネの答えは、無言だ。


「クリスティーネ」

「…………」

 きこえなかったのかと、もう一度、愛しい人の名を呼んだ。ここでも、彼女は沈黙したまま。


「クリスティーネ!」

 不安になり、三度、愛しい人の名を強く旅人は発す。

 今度はきちんと耳に入ったようで、クリスティーネはハッとした顔つきになった。

「あ、ごめんなさい。キスされてそのあとに好きな人に名前を呼ばれるのって、こんなに幸せな気分になるのね、うっとりしちゃった!」

 ばつが悪そうにクリスティーネは謝罪する。謝ってすぐに、くすくすとクリスティーネは笑った。


 好きな人に名前を呼ばれるのって、こんなに幸せな気分になるのね――拙い自分のキスで機嫌を損ねたのではない、感激して身動きが取れなかったとわかれば、旅人の心は跳ねた。まさに天にも昇る気分だ。


「私ね、あなたに出会えて、よかった」

「そういってもらえるなんて……嬉しい。主あるじの御用で根無し草生活の僕に、こんな幸運が舞い降りてくるなんて……神に感謝しないといけないな」

「そうね、出会わせてくれた神様にお礼をいわなくてはいけないわね」


 出会わせてくれた神様にお礼をいわなくては――魔法の存在を信じていなければ、神の存在だって旅人は信じてはいない。

 でも、そうクリスティーネがいうのをみれば、旅人の中で今までの信条が少しずつ揺らいでいく。神の存在を信じることで、魔法のことだって信じることができる。引いてはクリスティーネが猫になる魔法をかけられていたことも、ライナルトが稀代の魔法使いであることも、信じることができる。

 これは、頑なな理性が感情に敗北した瞬間かもしれない。

 今のこの瞬間も、実は旅先の宿屋での夢の中の出来事かもしれない。

 でも、腕にある温もりの塊は確かなもので、これは嘘でもまやかしでもないのだと告げていた。


「クリスティーネ」

「はい」

「もう一度、いい?」

「はい」


 少しはにかんだ顔をみせてから、クリスティーネは目を閉じた。

 離れていた唇が、再び、近づいていく。

 今度の触れ合いは、先よりももっと親密だ。お互いの心の確認が終わっているだけでなく、一度触れることで唇の在りかもその感触もわかっているから。

 愛する人とのくちづけはとても甘美なもので、脳幹が痺れる。理性が曖昧になれば、心だって蕩けていく。それは、媚薬ともいえるし、遅効性の毒薬ともいえる。どちらであっても抗いがたいものに間違いない。悩ましい。


 恋人のキスは戻ってからと、救援を取り付けたご褒美にと旅人は考えていたが、もうダメである。

 クリスティーネが大人しく腕の中にいれば、さらに力強く、彼女の体が折れんばかりに抱いてしまう。

 さらにきちんと結んである彼女の唇を強引に舌で割り割いて、欲望のままに己の舌を小さな彼女の口の中へ突っ込んだ。そのまま無我夢中になって、彼女の口腔内を舐めまわす。

 豹変したキスの内容にクリスティーネが腕の中で、びくりと身を震わせた。

 いけないと、クリスティーネを怖がらせてしまうと思いながらも、彼女の口の中がとても甘ければ、ずっとこのまま舐めしゃぶっていたい。

 そんな旅人の想いがクリスティーネに通じたのか、彼女の体からこわばりが消えて、先の柔らかさが戻る。

 クリスティーネの口の中で、二枚の舌が絡み合う。

 ここでも意思確認ができてしまえば、あとにあるのは戯れるふたりだけ。顔の向きを変えるのは、違うところに触れるため。ときに息継ぎで唇が離れるも、それはほんの少しの時間だけ。ずっとずっと唇を離したくないふたりがいる。

 雨は降り続く。ふたり甘い呼吸音を隠すかのように、しとしとと降り注ぐのだった。



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