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好きになったのは、空に一番近い塔の猫  作者: アレクサンドラ・シュロート


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12/21

12*銀の娘のクリスティーネ

 クリスティーネの手を引いて、旅人はゆっくりと塔の階段を降りていく。

 塔の階段は、明り取りの窓から降り込んでくる雨で一部が濡れていた。そこだけ注意すれば、滑って転落することはない。もちろんこの階段は手すりがないからとても危険なのだが、住人であるクリスティーネは言葉どおり慣れた感じで降りていく。ここは旅人の杞憂で終わった。


 残すはあと数段となったときである。

 塔の最下層となれば明り取りの窓の光量は期待できなくて、旅人の持つランプの明かりだけが内壁を照らし出す。

 朝なのに、まるで日暮れのようだ。

「もう大丈夫です。エスコートをありがとうございました」

 クリスティーネがそう礼を告げた。

「いえ」

 転落回避のための手であったのだが、エスコートといわれて旅人は照れてしまう。育ちの違いから、そんな表現が出てくるのだと感心し嬉しくもなる。まるで自分がクリスティーネの恋人であるかのような気分だ。

 ひとり勝手にそんなことを思う旅人だが、もちろん現実は違う。ありがとうございましたといわれて、クリスティーネのほうから手を離したのだから。


 手を離したクリスティーネは、旅人の後ろで階段を降りずにいた。残り二段となったところで立ち止まると、クリスティーネの視線は、ちょうど旅人のものと同じ高さになる。

 猫であったときはもちろん、人間のクリスティーネのときも、旅人はクリスティーネのことを見下ろしていた。こんなふうに階段を使えば、彼女の顔をみるのに首をかしげなくてもいいのだと気がついた。

 同じ目の高さでクリスティーネと見つめ合っていれば、彼女の表情が少し陰る。何か思いつめたような、そんな顔。

 これからのことを心配しているんだなと旅人は思い、元気よく告げた。


「大丈夫ですよ。すぐに戻ってきます」

「はい。そうですね。あなたさまはとても旅慣れていますから」


 このクリスティーネのセリフかから、表情が曇ったのは気のせいだったんだと旅人は思い直す。

 これで、そのままさっさと出発してもいいのだが、何故かそうしてはいけないような気がする。すっかり後ろ髪を引かれる旅人となっていた。

 ここは話題を変えるのがいいと、旅人は昨日の続きの質問をした。別のことに気を取られて軽く笑いが起こり雰囲気が明るくなったときに、出発するといい。


「ひとつ、いい? 猫になったときって、記憶はどうなっているの? 猫のときは人間の記憶はあるの? 逆はどうなの? えっと、なんていうのかな~、君の話だと猫と人間を行き来しているみたいだけど、そのあたりはどうなの?」


 猫になったときには、人間の記憶はあるだろう。そうでなければ魔法をかけたライナルトが大変そうだと、旅人は思う。

 逆に猫のときの記憶は、人間になれば残っていないような気がする。あっても、なにかと邪魔だろう。

 昨晩、クリスティーネは旅人の部屋にこなかった。猫のときの記憶がないとすれば、猫のときの習慣をおぼえてなくて、それが消えていることと辻褄があう。そんなふうに旅人は推測していた。

 ところが、クリスティーネの答えは旅人の考えていたのとは違っていた。


「猫のときも、人間のときも、記憶はあるわ。でも、完璧じゃないの」

 記憶は残っている、でも……

「完璧じゃない?」

「覚えていたり、覚えていなかったり。お兄さまの魔法が強く働くときは私は完全に猫になっていて、そのときのことは、ほとんど覚えていないの。はじめて猫の私と会ったときのことを、覚えている? あのときの状態が、それよ」


 はじめて猫に会ったときのこと、それは塔の階段を登り切って扉を開けたときだ。

 その猫はひどく愛想の悪い猫であった。自分に向ってフーフーと威嚇し、毛を逆立てた。そこまで怒ることはないだろうと敵意むき出しのその姿に、びっくりしたことを旅人はよく覚えている。

 だから、数日後に別猫になったみたいに夜な夜な自分のところへやってきて一緒に眠ってくれるようになったときには、ひどく感激したのだった。


「人間のクリスティーネもそうだけど、猫もやはり非力だわ。体が小さいから、簡単に連れ去ることができるでしょ」

「確かに、そうだね」

「だからお兄さまは“愛想の悪い猫”になるように、強く魔法をかけるの。無愛想な猫をわざわざ連れて帰ろうとする人はいないから」

「!」


 このクリスティーネの話が本当だとしたら、ライナルトは、魔法は魔法でもとんでもなく高等な魔法を使うことができるとわかる。姿かたちだけでなく、魔法をかける対象者の心までコントロールできていることになる。

 もともと魔法を信じていない旅人である。信じていないうえに魔法の技量について云々と語られると、不信感が増すばかりだ。

 そう、不信感が増すばかり……通常なら。

 でも、目の前には兄の魔法によって猫になるクリスティーネがいる。きれいな青の瞳を輝かせて、かけられた魔法の真実を告げるその姿勢に、旅人を騙そうというようなやましいものは全く感じられない。

 昨日と同様に葛藤しながらも、旅人は了解したふりをして先を促した。

 その際にふと、クリスティーネの瞳の色に気がついた。視線の高さが一致したことで、それに気がついたのだった。


「あれ? そういえば、君はオッドアイじゃないんだね。猫のときはオッドアイなのに」


 旅人の記憶によれば、愛想の悪い猫のクリスティーネは青とオレンジの瞳を持つ猫だった。

 オッドアイの猫は珍重されていて、下町には滅多にいない。格上の家で大事に飼われていれば我がままにもなって、人見知りが激しいのだろうと、なんとなく最初にそう思っていた。


「瞳はね、お兄さまの魔法が強く効いているときにオッドアイになるの。はじめはそうじゃなかったのだけど、魔法の効き具合がわからないからって、お兄さまは瞳にも工夫することにしたのよ。だからオッドアイのときの私は完全に猫になっていて、そのときの記憶はないというわけ」

「え? 記憶がない?」

 こくりとクリスティーネは頷いた。

「自分でもびっくりなのだけど、まるで覚えがないの。お兄さま曰く、見知らぬ人に愛想を振り撒かないように、これでもかって性格の悪い猫にしたんだけど、そのときのことを私が覚えていればショックを受けるだろうから『ない』ほうがいいと」


 このクリスティーネの告白に、旅人は息をのむ。

 そういえば、夜中に自分のところへくるようになった猫はオッドアイではなかった。青一色のきれいな瞳の猫だった。昼には優雅にしっぽを振って、ふてぶてしく部屋を出ていったオッドアイの猫に間違いなかったのに。

 とすれば、夜にやってきた青色の瞳の猫は、魔法の効き目が弱った猫になる。効き目が弱いということは記憶が残っているということで、自分にすり寄ってきたあの猫は人間のクリスティーネと同じ記憶と感情を持つ猫になる。

 ここから得られる結論は……


 旅人は、混乱する頭を必死になって落ち着かせようとする。ひどく自分の都合のいい想像をしてしまい、悶絶しそうになる。

 そんな旅人をみて、そっとクリスティーネは自分の人差し指を旅人の唇に当てた。「これは秘密よ」といわんばかりに。

「?」

 これは一体、何の仕草だろう、そう旅人が思ったときであった。

 ふわりと空気が揺れた。とんと、自分の胸元に柔らかい衝撃がくる。クリスティーネが二段上の階段から、旅人に抱きついたのだった。

 不意のことで、さっきまでの思考が飛ぶ。でもしっかり足を踏ん張って、旅人はクリスティーネを受け止めた。

 クリスティーネの腕が旅人の首周りにあった。支える旅人は、必然的にクリスティーネの背中へ腕を回していた。

 そう、旅人にしっかり抱きついて、またしっかり旅人に抱き包まれるクリスティーネができあがっていた。


「ひとつだけ、願いを叶えてくれる?」

「え?」

 至近距離で、クリスティーネが問う。すぐ近くでみる青色の瞳は、やはりここでも美しい。

「私、好きな人とキスをしたいの」

「え!」


 真っ直ぐなクリスティーネの告白に、旅人の心臓が飛び跳ねる。「好きな人とキスをしたい」といったクリスティーネは、今はすっぽりと旅人の腕の中にいるのだ。

 すぐそばにきれいな空色の瞳がある。遠くの国の王子が是非にと妻に求めたクリスティーネはとてもきれいな顔をしていて、その美しい顔が旅人の息がかかるところにある。

 青色の瞳が、銀色の睫毛に縁どられた瞼の裏側に隠れていく。目をとじて、愛しい人に身を任せ、キスを待つ銀の娘がいた。


 抱きつかれて、「好きだ」とささやかれて、腕の中でキスを待っているクリスティーネがいる。

「ちょっと、待って! 僕なんかでいいの?」

 はじめてクリスティーネを見つけた朝と同じ焦る旅人がいる。

 魔法のことも、猫のことも、クリスティーネの告白のことも、何ひとつ解決していない。しっかりとクリスティーネを抱きしめてはいても、旅人の頭はパニックのままである。

 心は「もちろん!」の旅人だが、時間が迫っていれば余計な理性も邪魔をして、あたふたとするばかりだ。


 美女の誘いになかな乗らない旅人にしびれを切らして、クリスティーネは目を開けた。

「私のこと、嫌い?」

「え、いや、そうじゃなくて……」

「そうじゃないのなら、なに?」

「いや、お姫さまの相手が僕なんかでいいのかなって……」

 クリスティーネのことは、嫌いではない。銀の猫と同じくらい、もう旅人はクリスティーネのことは好きになっている。

 ただ旅人は姫と釣り合うような身分ではなければ、これから救援隊を探しにいく任務もある。ここでいちゃついて時間を食うわけにはいかないのだ。


「私、もう王女じゃないわ」

「え、そうなの? いやいや、そうじゃないだろ!」

 一度は肯定しても、旅人は次には否定した。

「でも、王女クリスティーネは輿入れの途中で行方不明になったわ。ここにいるのは、ただのクリスティーネよ」

 混乱する旅人のことを、クリスティーネは可笑しそうにみている。

 初夏の空と同じ色の青い瞳が、旅人の至近距離でキラキラと輝いている。薄暗い塔の内部だけど、旅人にはそうみえた。



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