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好きになったのは、空に一番近い塔の猫  作者: アレクサンドラ・シュロート


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10/21

10*末姫のクリスティーネ

「私が十五歳になったとき、結婚のお話が出たの。お相手は、ここから三つ隣の国の二十二歳年上の第二王子さまだったわ」


 クリスティーネは一度は席についたものの、ティーを入れようと立ち上がった。でもその手つきは危なっかしい。先の包丁のこともあれば慌てて旅人は彼女の横に立ち、手伝った。

 コンロにポットをのせて、並んでふたりで湯が沸くのを待つ。その間にもクリスティーネの告白は続いた。


「私、その縁談がとても嫌だった。お母様も、お姉さまも、侍女もみんなが、望まれて嫁ぐのだから大事にされるわよと一生懸命にいうの。でも本当は断ることのできなかった縁談で、断れば攻め込むと脅されていたらしくて。三つも離れた隣の遠い国なのに恐怖するなんて、本当にお相手の国は強い国だったのね」


 ここで、あれ? と旅人は思う。姫がひとりしかいなければ、年の差の大きな婚姻が起こりうる。でもお姉さまがなんて、クリスティーネはいう。


「ちょっと待って。姉姫さまっていうから、他にも姫がいたんだよね? そのお姉さまを差し置いて、君が求婚されたってこと?」

「ええ、そうみたい。他にも独身のお姉さまはいたけど、書状には『末姫のクリスティーネ』を是非にと書いてあったらしいわ……」

 旅人に問われて、クリスティーネは目を潤ませる。なかなかセリフの続きが出てこない。思い出すだけでもおぞましいというのは、こういうことなのかもしれない。

「そう要求されて、国のためにお父さまは苦渋の選択をした、と」

 クリスティーネのセリフを先読みしてそう旅人がいえば、クリスティーネはこくんと頷いた。


「王女なんて国のために生まれてくるようなものだから、覚悟はしていたけど、あんまりだと思ったわ」

 年の差が二十以上もあるなんて、下手をすると父親とそう変わらない年齢かもしれない。クリスティーネの立場には、同情するものしかない。

「嫌だと思っても私に選択権はないから、どうすれば嫌いにならずにその王子さまとやっていけるかと、いろいろ考えた。でも年の差が大きくて、何を話題にすればいいかわからなかった。王子さまの趣味は観劇らしいのだけど、これってずっと部屋の中にこもっているってことだから息が詰まりそうなんて思ったり。これといった妥協策が全然見つけられなくて……」


 四十前の独身王子ということは、放蕩が過ぎて国内ではまともな貴族に相手にされなくなったか、もしくはとんでもない醜男か白痴だろう。遠くの国にまで花嫁を探しにくるのだ、大いにあり得そうだと旅人は思う。


「そうしているうちに、婚礼の準備だといって金品がたくさん贈られてきたの。その額といい量といい、王妃でなくて王子妃なのにとても段違いで、絶対にうんとしかいわさないのねって感じだった」

 これをきいて、先の自分の推測に間違いないと旅人は思う。

 遠くの小さな国の、王子の悪評判を知らない幼い姫を娶るのは、一族の醜聞を隠しておくには都合がいい。


「わかりやすい国の力関係だね」

「……そうね」

 沈黙が落ちて、目の前のポットからふつふつと小さく音がしてきた。

「湯が沸いたね、ティーを入れよう」

 一度、旅人はクリスティーネの告白に休憩を入れた。




 旅人とクリスティーネはダイニングテーブルにあらためて向かい合って座る。ふたりの間には、ティーポットとカップがふたつ。そのティーポットから温かな湯気がのぼっている。

 充分に時間をおいてから、旅人はカップに注ぐ。ふわりと華やかな香りが部屋に広がった。

 外はざんざん降りの雨。だけどティーのおかげなのか、この部屋だけはなぜか初夏の爽やかな感じがして、まるで青空の下の庭園での茶会にいるような気分になる。


「支度金のあとに肖像画が送られてきて、これにはびっくりしたわ」

「というのは?」

「そこには、とても素敵な殿方がいたから」

「え? 十五で二十二年上だと、お相手は三十七歳だよね? 中年男性だけど、素敵だったの?」

「ええ。その肖像画では二十歳ぐらいだったけど」


 素敵な肖像画のからくりに旅人は気づく。

 肖像画なんてお抱えの宮廷画家に描かせるのだ、いくらでもスポンサーの要求に従う。三十七の中年男性が二十の青年なんて、それが本人の若かりし姿であったとしても、真実から遠い肖像画に決まっている。


「ありのままの王子さまの姿であれば、逆に誠実さを感じることもできたかもしれないけれど、もう不信感しか湧かなくて……ますます結婚するのが嫌になってしまったの」

 両手でカップを包み伏し目がちになって、クリスティーネはいう。

 申し訳なさそうにしているが、この話には最初から最後まで暴論という空気しかない。


「それで……」

「それで?」

「お兄さまに、愚痴をきいてもらったの。国を発つ二日前ぐらいだったかしら?」

 直前の直前まで、クリスティーネは我慢していたとわかる。一度、国外に出てしまえば、もうそこにあるのは王子妃としての責務で、王女時代のようにはいかない。最後の我が儘として、本音を兄王子に伝えたのだろう。


 ふと疑問に思い、旅人は訊いてみた。

「ちょっと待って、兄王子って王太子のことなのかな? 姉姫さまはたくさんいたようだけど……」

「えーっと、順番が狂っちゃったわね。私には兄が三人いて、弟がひとりいるの。お姉さまは五人。お話をしたのは、三番目のお兄さま。上で休んでいるライナルトお兄さまよ」

 静かにクリスティーネは説明をする。

 やはりライナルトは宮廷天文学者ではなかった。クリスティーネと同じ、王族であった。

 知識人ならではの品格がライナルトにはあったが、それとは別に高貴な雰囲気も感じられていた。あれは生粋のものだったと納得がいく。


 特にクリスティーネは口にしていなかったが、彼女の国はかなり小さな国らしい。そんな弱小国ならでは生存戦略なのか、クリスティーネの家には、王子が四人、姫が六人もいた。

 クリスティーネはそこの末姫で九番目の子供であった。皆が皆、縁戚外交の駒であって、幼少時から政略結婚をして国外に出るものだといわれて育っていた。

「それだけいればもう結婚してしまった兄弟もいて、確かに意に添わぬ結婚した兄弟もいそうだ。政略結婚が国策であれば、文句はいえない」

 こくりとクリスティーネは頷いた。

「でも辛くてお兄さまに話してしまった、というわけか」

 これにもクリスティーネは頷いて肯定した。


 明らかに噓の肖像画を送り付けて、多額の金銀と引き換えに幼い姫を要求する――他人事であっても、胸が痛む話だ。弱者には回避する手立てがなくて、本人のクリスティーネの心境は計り知れない。


 で、愚痴をきいたライナルトはどうしたのだろう?


 旅人は先までひとりで考えていた仮定を、ここで持ち出した。まさかと思うが、魔法使いを呼んできてクリスティーネに魔法を掛けたというのだろうか?

 魔法なんてどこまでも非科学的で、旅人はまだ信じられない。

 でも明日にも安住の地を発つ姫にすれば、どんなものでも縋りつきたくなるのも事実である。


 ここはカマをかけて、旅人は口にしてみた。でないと、会話が続かない。

「それで、猫になったの?」

 どんな答えが返ってくるのか? 半分以上その回答がわかっていても、あえて旅人は質問したのだった。

 にっこりとクリスティーネは微笑んだ。旅人の「猫」という言葉に、やっと信じてもらえたのだという顔で。

 あらためてクリスティーネは、ライナルトは魔法使いだとはっきり告白する。

「ライナルトお兄さまは、生まれながらにして魔力の強い子供でした。継承順位は三番目ということで、自分が王になることはないと早くに理解して、別の形で王家に貢献しようと考えていました」

 今までの話の流れからわかってはいたものの、あらためて魔法使いの存在が表面に現れたのだった。



 魔法の存在なんて信じていない旅人は、ひどく戸惑う。

 真剣な表情で告げるクリスティーネが、旅人のことを謀っているとは思えない。現にその魔法使いであるというライナルトは瀕死の状態だ。兄の命が危ないという場面でそんな茶番を演じる妹はいない。


 どうしたものかと、旅人は悩む。

 悩みながらも半分おふざけを混ぜて、いやこうでもしなければ旅人は冷静でいられないと思ったのだ、クリスティーネに確認を入れた。


「では、君が猫になったのはいいとして、その先は? もう翌日にも出発だったんでしょ? 身代わりがいなければ姫が消えたと大騒ぎだ」

 実際にあり得そうなことを、尋ねてみた。

「お兄さまは、私の分身を作りました。花嫁行列の花嫁とは限られた侍女しか接することができませんし、いやいやの結婚というのは皆が知っているから、そっとしておいてといえば必要最低限のお世話でしか私の元にはやってきません」

「分身?」

「はい。お兄さまの魔法のひとつです。お兄さまは、髪の毛から持ち主そっくりの人形を作ることができるのです。操るのはお兄さまの魔法で。動いて会話をすることができるから、本当に生きているようにみえるのです」


 とんでもないことをクリスティーネは口にした。

 ひどく信じがたい魔法である。だがこれは使いようによっては高度な「なりすまし」になると旅人はすぐに勘付いた。

 ライナルトのいう『王家の影となり、魔法を使って裏から家を支える』とは、まさにこのことかとも思う。分身があれば、身代わりだけでなく、影武者になり、囮になりと、ありとあらゆる工作に使える。

 もし自分が王であれば、ライナルトを絶対に国外には出さない。きっと父王もそうだったのだろう。ライナルトは多くいる子供の中で、特異であり特別でもあったかもしれないと旅人は思う。


「ああ、でも分身が嫁にいったとして、いつまでも誤魔化せるものではないと思うのだけど……」

「魔法が解ける」なんて言葉があるから、旅人は魔法の有効期限が気になってしまう。

「はい。お兄さまの魔法が届く範囲を超えれば、分身は消えます。出発して数日後に、花嫁のクリスティーネは行方不明になりました。両国から大々的な捜索が行われましたが、花嫁は影も形も見つかりません。分身は元の銀の髪に戻ってしまって散り散りばらばらになったから、見つけようもないのです」

 花嫁の蒸発の真実を、クリスティーネは曝露した。同時に魔法とは永遠ではないということも、証明された。

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