血判
一五二九年(享禄二年) 四月中旬 尾張国 勝幡城
尾張国勝幡城。その城の城主である織田弾正忠信秀は小姓に用意させた玉露の茶を啜りつつ、手元にあるしわくちゃの血判状に目を落とす。八畳ほどの私室には信秀とその父である信定が向き合っており、血判状の中身について頭を悩ませていた。
「服部党がこうも易々と陥落するとはな」
「……武をもって支配したものは武をもって裏切る、か。身をもって思い知らされたわ」
信秀は皮肉気に口角を吊り上げ、血判状を折りたたんでいく。畳み終わると私室の書棚にあるクリアファイルに挟み収納した。
「それで? 織田弾正忠家の若殿は長島をどう扱うつもりだ?」
「どうもこうもなかろう。降ると言ったものを跳ね除ければ誰も我らを相手にしなくなる。長島を迎え入れて開発し銭を生ませる、これ以外に方法はない」
なにを当然のことをと言わんばかりに鋭い目つきを信定に飛ばす信秀だったが、返すように信定はそれを笑い飛ばして。
「もうひとつ手があるぞ」
「……なに?」
「十川様に寄進地として譲る」
なにをバカなことを! と叫びそうになった信秀であったが、一瞬のうちに冷静になり、
「……手段としてはありだな。もとより奴らは十川様の恩恵に縋って一揆を起こした連中だ、道理としてはむしろそちらのほうが通っている」
顎に手を当てて、自分を納得させるように軽く頷く。信定はお茶請けのカステラを竹楊枝で小さく切り分け口に運び、一度二度と咀嚼して飲みこむ。そして、納得する息子に対して、
「だが、その手は諸刃の剣だ。掃除をして渡した新天神領はともかく、降ってきた長島をそのまま渡すのは治められないから譲ったようにしか見えんからの」
そう補足して自身の玉露を飲み干し、小姓におかわりをもってくるように命じる。信秀は信定の言葉に深く頷き、
「親父の言いたいことは理解しておるが、俺に妙案がある。津島衆の手も借りることになるのだが、手を貸してくれるか」
真剣なまなざしで自らの父をジッと見つめた。信定はその様を見てニッコリと笑い、「好きに使え」と軽く返答したのだった。
◇
一五二九年(享禄二年) 四月中旬 尾張国 天神領十川屋敷 十川廉次
なんか、津島の商人と長島の代表が屋敷に押しかけてきて困ってる廉次です。
いや、朝起きたら突然自来也に客人が待ってるって言うので屋敷階下の食堂に降りたらさ、いるんですよ戦国の世を生き抜いたであろう偉丈夫たちが。思わず部屋に引き返しかけた俺は悪くない。
自来也にコーヒーを用意させている間、十人近くいる彼らが自己紹介をするが、いかんせん名乗りが長すぎて覚えられない。一緒にやってきていた大橋さんに適宜話を振ることで誤魔化そう。
「して、本題は?」
俺は腹をボリボリと掻きながら彼らに尋ねる。
「先日お話させていただいた長島の件でございます」
「あぁ、結局弾正忠はどうするんだ? おそらく併合するんだろうが」
俺の言葉に一同はコクリと頷き、いそいそと懐からなにかを取り出し始める。数秒の行動の後に食堂のテーブルへ広げられたのは書状の山であった。
「この文の山は?」
「長島の民たちからの嘆願書でございます。彼らが織田家に降るにあたって弾正忠様と十川様、両名による統治がもっとも重要な条件のようで。服部党の主だった首と共にこれらの文が送られてまいりました」
「……あー、ちょっと待て。今の長島って、もしかして」
「はい、統治者はおりません。我らが拾わねば支配者層が散り散りになり荒れるでしょうな」
困ったものですと笑顔で言う大橋さんに眩暈がしながら、なんとか言葉をひねり出す。
「あれだろ、服部一族は殺されたとして、だ。坊主とかいるだろ」
「悪評の目立った坊主はみな根切り。残った少数の民に寄りそう坊主は十川様の教えならば間違いはないだろうと静観する模様です」
「……坊主なのにか?」
「仏門に生きるものとて神に縋りたいときはございましょう」
別に上手いこと言ったって納得はしないよ?
「……ふぅ、わかった。弾正忠はどういったスタンス……立場で動かしたいのだ? 直接的な統治者としてか、それとも俺に寄進地として譲り渡して適宜手を貸すか」
「弾正忠様としては直轄地として開発を行う故、十川様にはひとつ用意をしていただきたいものがあるとのことです」
「用意して欲しいものだぁ? だいたいの物は売ってやってるだろうに」
俺のその言葉を聞いた大橋さんたち一行は、一斉に椅子から降りて床に平伏し、
「十川様には是非とも、あの大海を渡る船をご用意いただきたく存じます。これも織田家と津島が大きくなるため、伏して、伏してお願い申し上げます」
そういって、頭を下げ続けたのである。




