バイトDAYS
二〇二二年(令和四年) 七月下旬 愛知県 喫茶スターホース 十川廉次
忙しい時間を乗り越えた店内では初老の男性がマスター自慢のコーヒーを満足気に啜り、有線放送で流れるジャズを楽しんでいるだけであった。そんなゆったりした午後の時間を送っていると、カランカランと入口のドアに備え付けられたベルが鳴る。新規のお客さんだ。
「いらっしゃいませ~」
「お、久しぶりだね廉次君」
「谷野さんじゃないですか、お久しぶりです」
そのお客さんは昔からの喫茶スターホースの常連であった谷野さんだった。以前来店されていた時はずっとスーツだったが、どういうわけか今日はラフな装いであるし、隣には妙齢の女性が立っているではないか。
この人が谷野さんの嫁さんかぁ、などと思いつつ、四人掛けのボックス席に二人を案内し、お冷とメニューを手渡す。
「今日の日替わりはなにかしら?」
「マスター特製チキン南蛮です。美味しかったですよ」
「なら、それにしようかしら。アナタは?」
「僕もそうしようかな」
「かしこまりました」
そういってメニューを引き上げ、厨房にいるマスターに聞こえる音量でオーダーを伝える。そして、そそくさとおふたりのもとに舞い戻る。
「それにしても、谷野さんって福岡に転勤になったんじゃなかったですか?」
「うん、今年娘が産まれてね、僕の両親に顔見せがてら帰省したんだ。そうしたら、子供の面倒は見ててやるから二人でたまにはゆっくりして来いって言ってもらってね」
「久々のデートなのよ。この後映画にでも行くつもり」
「へぇ、そいつはいいですね」
幸せそうな二人の顔を見ていると、こちらまでニコニコしてしまう。天涯孤独の身となってしまった俺にとっては眩しい家族やでホンマ。谷野さんたちと会話しつつ、マスターがアイコンタクトでできあがったと知らせてくれたので、チキン南蛮定食を受け取りに行く。そのついでに、
「マスター、谷野さんたちに新作ケーキをお出ししてもいいですかね。俺のバイト代から引いてください」
「おや、かまいませんが、どうしてまた」
「お祝いですよ」
俺がそういうと、マスターは一瞬黙り、こくりと頷き。
「そうですか、では準備しておきましょう」
といって、再び厨房に戻っていった。俺は二名分の定食をもって、谷野さんたちの元に舞い戻り配膳する。
「お待たせしました、チキン南蛮定食です」
「ありがとう、相変わらずおいしそうだ」
「そうね、本当においしそう」
笑顔でチキン南蛮定食に目を奪われる二人。俺もつられるように笑顔になり、
「食後にはコーヒーとケーキをサービスしますね」
「え、いいのかい?」
「俺からの出産祝いってことでひとつ」
ウインクをしてカウンターへ帰る。そして、コーヒーの準備をしているマスターの代わりにグラスを磨きはじめる。
「旅立つものもいれば、新たに生まれてくる子もいるのですねぇ」
「子供残して旅立ったドアホと比べるまでもなく家族してますよね」
「君の自虐は笑えませんよ……」
マスターの苦笑いを満面の笑みで向かえうち、グラスをひとつひとつ丹念に磨いていく。俺は磨くことに集中し、もとよりあまり口数が多いほうではないマスターも閉口する。少し離れた谷野さん夫婦の閑談が俺たちの耳に届き、そして消えていく。平和だ。
――どうしてだろう、不意に。自来也に、黙阿弥に、孫三郎に、志能便のガキンチョ集団に、会いたくなった。
今日のバイトが終わったら、あちらに行って馬鹿話でもしようかな。




