享禄説教・後
「さて、ひとつ言っておくか。ここより先、聞きたくないものは外に出てよい。聞きたくもない話なぞ無理矢理聞いても身にならんからな。退席したとて何も不利益は生じさせぬ、これは試しなどではなく事実だ」
十川はそこまで言って言葉を軽く切り、広間に集まった全員をゆっくりと見渡す。数瞬ののち、誰も退席しないことを確認した十川は口火を切る。
「まず、説明しておく。この天神領では原則、来るもの拒まず去るもの追わず。他に親類などの伝手があるならば他の地に向かうことは阻まぬ、好きにしろ」
十川の言葉に左斜め後ろで控えている孫三郎が深く頷く。
「だが、武田に復讐をしたいのならば、この地に残ることを勧める」
聴衆は高潔な神の使徒が復讐を容認したことにざわつく。孫三郎が低い声で、静まれというとそれはすぐに収まった。しかし、真田次郎三郎が困惑した口調で、
「ふ、復讐を容認されるのですか」
そういって、十川に問う。帰ってきたのは答えではなく、孫三郎の射貫くような視線であったが。
そんな孫三郎を「まぁまぁ」と十川は宥め、次郎三郎を柔らかい笑みで見つめる。
「おかしいか? 俺の上司は復讐の神だぞ。清涼殿に雷を落とし、憎き藤原を焼いたこともある。それに――――」
「それに?」
黙っているつもりであった孫三郎が思わず十川に続きをうながす。
「復讐は我慢するよりもやっちまったほうが健康にいい」
「もうちぃと言い方があるじゃろ」
「取り繕っても復讐は復讐だ。お為ごかしな言い方になるのは好かん」
ふぅ、と息を吐いて、十川は次郎三郎を指さし。
「ここでひとつ、次郎三郎よ」
「は、はい。なんでございましょう」
「俺の言う復讐とは何かわかるか?」
十川からの問いに、次郎三郎はごくりと生唾を呑み、周りの信濃衆を見渡した後に背筋を伸ばして堂々とした風体で。
「決まっております。憎き武田信虎の首をこの手であげることでございます」
「はい、模範的誤答をありがとう。もちろん、外れだ」
「ええっ!?」
自信満々に答えた次郎三郎がなんとも情けない表情を晒し、それを見た孫三郎が鼻の穴を膨らませて笑いを我慢する。
「他に答えの分かった者はいるか? 遠慮はいらんぞ」
十川は言葉と同時に室内の信濃衆を見渡すが、誰も彼も十川から視線を逸らす。ただ、一人を除いて。
「そなたは分かっているようだな」
その一人を十川はジッと見つめ、その名前を呼ぶ。
「華厳院」
一斉に部屋の中の視線が華厳院へ向かう。呼ばれた当の本人は涼しい顔をして十川の顔を見つめ続け、数十秒ほど視線を組み交わしたのち観念したのか嘆息をし、
「はい。理解しております」
そういって、しらっとした態度をとる。それがおかしかったのか、十川と孫三郎が顔を見合わせて面白そうなものを見つけた邪悪な笑みを浮かべ、
「ならばいうてみよ。なぁに、遠慮はいらん」
華厳院に解答をうながす。華厳院はもぞりと身体を揺すって体勢を直し、
「十川様のおっしゃる復讐とは、この地に我ら信濃衆が根付くこと」
「然り。理由も言えるな?」
「それが我らの幸福につながるからでございましょう。我らの幸福こそ武田への復讐になります故」
次郎三郎を筆頭にした信濃衆や十川の背後に控えている孫三郎にあえて分かりにくい言葉運びで、華厳院は答えた。十川は苦笑を浮かべ、こらこらと彼女を諫める。
「華厳院よ、真に賢きは万人に理解できるように言葉を操る者。皆にわかるように説明してやれ」
十川の言葉に華厳院は再び、大きな大きな溜息を吐く。彼女のその態度に十川は苦々しい表情を出さずに理解した。華厳院は次郎三郎たちを立てていたのではない、矢面に立つと面倒だから一歩引いた位置で行動していたのだと。
「……真田次郎三郎様や矢沢源之助様は歳のほどを考えると知りませぬか、他の信濃衆も十五を超えるものはおりませんしなぁ。では、この尼よりひとつ甲斐の国について語らせていただきましょうか」
一拍置いて。
「甲斐という国ほど人が暮らすには難しい国もありますまい。甲斐の国中は山岳ばかりで碌に米を取れず、民は刃を握って周囲の信濃や武蔵に駿河などから奪わねば生きていけぬ不毛の地、産まれただけで負け犬の地です」
甲斐を扱き下ろした華厳院が、横座りしていた脚を逆に変える。ただそれだけの仕草で、周りの信濃衆は息を呑んだ。彼女の纏う雰囲気に気圧されているのだ。
「そんな彼らは此度の戦で信濃の地を奪いましたが、逆に聞きましょう。彼らが得たものは何か。お答えいただけますか次郎三郎様」
「そんなもの、我らが代々治めていた土地であろう」
そんな次郎三郎の言葉に十川が失笑を漏らし、馬鹿にされたと思った次郎三郎が顔を真っ赤にして十川を睨む。
「頭でっかちの次郎三郎、では土地とはなんだ」
「土地とは武士が治め、そこより米を取る場所のことです!」
「では、その米はどうやって作るんだ」
「農民に作らせるに決まっていましょう! 当然です!」
怒鳴るように叫び、次郎三郎が立ち上がろうとしたので横にいた源之助が肩を掴んで抑える。十川はケタケタとその様子を見て笑い、穏やかな言葉で次郎三郎の名前を呼ぶ。
「次郎三郎」
「なんでしょうか!」
「春に戦をして、その農民はどうやって生き延びるのだろうな」
「それは備蓄した米で……はっ!」
十川の言葉で答えに行きついたのか、驚愕の叫びを発した後に次郎三郎は黙りこむ。
「ただでさえ春は飢える、冬に作物を取ることは難しいしな。そこへ急な出兵だ、米を買い込むことなど無理だったであろう。ならば奪い取られた信濃にまともな食料は残っておらん。犠牲を払って奪った土地で念願の食い物が手に入るのはしばらく先、しかも血を吸った土地はそう簡単に農地にはできぬ。生活が楽になるために略奪した土地が負債になるな」
「それとは逆に、奪われた我らは十川様の庇護下に入り、肩身の狭い思いもせず一日に満足な食事を取れる。奪われたのに、豊かになる。武田に対する最高の皮肉でございましょう」
華厳院は邪悪な笑みを貼り付けた表情をし、
「十川様は故郷を追われた我らを幸せにしてくださるのでしょう? 愚かな信虎の指示で血まみれになって泥の入った水を啜る武田家と、賢者たる十川様の指導の下で飢えることなく子供たちを間引きすることもない平和な天神領。甲斐の者が話を聞けばどちらが勝者かわかりませぬ」
くつくつと噛み殺した笑い声を漏らす。
「これが幸福になることが最高の復讐になると言った本意。理解できたか?」
十川の纏めに、華厳院を除く信濃衆が平伏する。十川はそのまま平伏させた状態で、
「さしあたって、今宵は汝らの歓迎会だ。腹いっぱい食らい、存分に騒ぐがいい、散っていった者たちの分もな」
そういい残し、十川は退室する。孫三郎はその後ろ姿を見送り、頃合いを見計らって顔をあげさせる。
「今言った通りだ。今夜は十川様のご厚意で、この屋敷の周りに屋台を設置して好きなものを飲み食いしていいようにする。おまえらは遠慮なく存分にたらふく食らえや、十川様曰く、楽しむことが最高の復讐らしいからの」
孫三郎はぐるりと困惑する信濃衆を見渡して、犬歯をむき出しにした笑いを見せつけながらそう言ったのであった。




