享禄説教・前
白湯を飲み、ひと休憩したところで他に面白い話はないか高舜に尋ねる。すると、彼は顎をひとしきり撫でた後、ふと思い出したかのように目を大きく開き、
「そういえば、北条の若君がまもなく初陣だそうで」
「御大典があるから戦はやめろと言われておるのにか」
「これが今の朝廷の力というわけですなぁ」
呵々と笑う高舜のデコを突き、大きなため息を吐き出してから思案する。戦の是非はともかく、初陣を行うなら何か贈り物でもしないといけないか。
「贈り物なら具足などはいかがですかな」
「いちいち俺の思考を読むな高舜」
「申し訳ございませぬ、陰に生きるものの性分でして」
悪いとはひとかけらも思ってはいない邪悪な笑みを浮かべて白湯を啜る高舜に少しイラっとしながらも、彼の発した具足の一言に惹かれる。
「具足か」
「神の使徒たる十川様が他者を害する刀剣の類を贈り物として渡すのはよろしくありませぬ。そこで織田弾正忠様に刀を贈るようお願いし、十川様は身を護るための具足を贈られるのが角が立たぬかと。さらに、こちらから初陣前に贈り物をすれば諜報でも優れていると北条に知られます。今は味方ですが、こちらの怖さを教えておくことで戦に発展しそうになった時の壁になるやもと、拙僧としては愚考させていただきます」
うーん、理にかなっているな。氏康とは懇意にしておきたいし、贈るか。最高級の具足を。
「うむ、高舜の助言通りに具足を贈るとしようか」
「それでは、大橋殿に手配を……」
腰をあげ、早速行動に移そうとする高舜を俺は引き留める。
「いや、具足は俺が天上にて用意する。喜んで引き受けそうな奴を知っているんでな」
「ほう……それはそれは……」
どこか遠いところを見る高舜に疑問を抱きながら、白湯を一気に飲み干す。そろそろ時間である。そう考えた矢先、本堂の外から自来也の声が届く。
「孫三郎様が屋敷でお待ちしていると使いの者が参りました」
今日は以前約束した信濃衆との面会の日である。仮にも神の使いを自称する俺が寺で説教をするのは、まぁ、よろしくない噂を立てられるかもしれん。故に孫三郎に頼んでアイツの屋敷の広間を借りた。信濃衆は総勢七十名を超えるか超えないかぐらいだ、それぐらいの人数ならギリギリ孫三郎の屋敷でも収容できるらしい。
「それじゃあ、俺は行くわ。高舜、また来るときのために面白い話仕入れといてくれよ」
「ええ、是非に」
◇
一五二九年(享禄二年) 四月上旬 尾張国 天神領織田屋敷
天神領の南に位置する織田屋敷。そこには信濃からやってきた来訪者たちが孫三郎の命により集められていた。彼らはこの地を治める天神様の使いである十川の目通りが叶うと聞き、嬉しそうにするもの、不安がるもの、それぞれ様々な流れ者たちが織田家の所有する屋敷の大広間に着座させられる。
「真田殿、使徒様はどのような方でございましたんか」
「そうですな……己が眼で見定めるべき御方かと」
諏訪分家筋の嫡男となった男が真田次郎三郎に十川の印象について尋ねる。それを次郎三郎はゆっくりと首を振って自分で確かめろと誤魔化し、十川に対する明言を避ける。次郎三郎自身、十川の人となりを掴み切れていないからである。
そんな次郎三郎たちの会話を皮切りに、周りで緊張していた者たちもじわじわと雑談を始める。雑談の和が広がり、その喧騒がピークに達したころ、広間奥の襖が音を立てて開いて孫三郎が身体を現した。
「静まれ」
孫三郎の成長途中特有のまだ高さを残した声色で、一斉に広間に集まった者たちは静まる。赤ん坊はいないとはいえ、まだ幼児と言っても過言ではない子供まで黙り込む姿は、現代に生きる十川にとって引き気味になるのは仕方なかった。陰から覗いていた十川は、近くに控えていた林八郎左衛門に恐る恐る尋ねる。
「武家の子供ってだいたいこんな感じなのか」
「幼少の頃より教育されていますからな。差異はあれど武家の子は似たようなものでしょう」
「うへぇ……」
十川は現代では幼児虐待一歩手前の教育に改めてドン引く。だが、それを深く考える前に孫三郎の十川を呼ぶ声が響いた。
「自在天神様が僕、十川様の御成り~」
「お、行って来るわ」
「行ってらっしゃいませ」
八郎左衛門に送り出され、孫三郎と同じ襖から十川が姿を現す。十川は一段上がった上座に設置された座布団に胡坐を掻いて座り、面をあげよと信濃衆に命じる。平伏から顔をあげた、聴衆である信濃衆には真っ白な学生服が異様に見えたのか、おぉといった感嘆の吐息が漏れる。
「俺が自在天神様の使徒、十川廉次だ。俺に通り名はない、十川様でも廉次様でも好きに呼ぶといい」
その十川の言葉を皮切りにして、後に『享禄説教』と語り継がれる十川の演説が始まるのであった。




