知多の発展案
一五二九年(享禄二年) 二月初旬 尾張国 天神領 十川廉次
「よく来たなご両人、俺は十川。自在天神様が使いにして、織田弾正忠家からこの寄進地を譲り受けて統治している。まぁ、神様崩れと言ったところだ。長旅であっただろう、正式な挨拶は明日でよい、今は身体にたまった疲れを癒すがいい」
「はっ、かたじけのうございまする」
十川屋敷に臨時で作られた拝謁用の部屋で俺は来客と目通りする。俺の眼下にいるのは佐治駿河守宗貞と水野下野守忠政、知多半島の大半を抑えている豪族たちだ。抑えていると言っても、ほとんどが生活に向かない地なので知多半島の主に北ばかりを治めているんだがな。
俺の言葉を受けて応答しか返さない二人を部屋から退出させて、彼らの後ろで控えてクツクツと笑っていた孫三郎をちょいちょいとジェスチャーで呼び寄せて小声で問う。
「なんか奴さんたち元気なかったけど、そこまで南のほうの道って除雪できていないのか」
俺の言葉に、孫三郎は鼻を膨らませてヒクヒクと動かし、笑いを噛み殺しながら言う。
「アホが。心の準備もできずに神の使いの前に呼ばれてまともに対応できるものかよ。普通はな、目的地にたどり着いたら先に休ませて心を落ち着けさせるものだ」
「あぁ……そりゃ悪いことしたな」
「我らの決まりでは測れないと思わせるのには成功しておる、成果としては五十歩百歩だろうさ。奴らを風呂や飯で歓待するのだろう? 明日にでも織田に、いや、お主の下につくことを決めるかもしれぬ」
いや、きっとそうだろうと言外に示しながら孫三郎は腕を組んでうんうんと頷く。日頃俺に付き合っているだけあって、孫三郎は味気ない飯に戻る辛さをよくわかっているのだろう。同じレシピでもここで作る飯と城で作る飯とでは技術的に違いが出すぎるからな。
「贅沢という名の毒、か。生活水準は上げると下げにくいからな」
「よいな、それ。兄者が聞けば真似るかもしれぬ」
「大橋を巻き込めば尾張圏内はたやすく抱き込めるだろうよ。偉ぶった武士ほど民の底力を甘く見ているからな」
戦国武将は宗教での土一揆は重く見ても、自発的に生活を守るための一揆は簡単に鎮圧できるとでも思っている節がある。一揆なんてまとめ役がいれば関係なく起こるのにね。
「それで、知多まで抱き込めるとなると海が大っぴらに使えるわけだが、お主はどうするつもりだ?」
「筵の帆を木綿に替えて、ある程度の船は揃えるべきだな。領地の利益を求めるなら遠洋漁業を是非試してみたい」
「遠洋漁業? 聞いたことがない漁だな」
知識欲の強い孫三郎が目を輝かせ、さっさと話せと言わんばかりに鼻息を荒くする。
「……わかったわかった、説明してやるから。俺たちが普段漁と言っているのは沿岸漁業、日帰りで港に帰ってくる漁だな。これに対し遠洋漁業は大型の船で寝泊まりできるようにし、ある程度の魚を確保するまで帰ってこない漁だ。船の設備を諸々考えると、知多で遠洋漁業を行うならばおそらく捕鯨船にする。小さな魚を集めても保存が厳しいし、なにより鯨は捨てるところがないので金にしやすい」
「ほう、そこまでか」
「鯨は鯨肉と軟骨が食用だし、髭や歯は将棋の駒や櫛などの小間細工。網として毛は有用だし皮は鯨油になる、筋はお前らのよく使う弓弦などの武具、骨はこれまた鯨油や肥料に使える上に、糞までもが香料になる。どこまでも人の生活を楽にする生き物なんだよ鯨は」
そして、鯨の油からは戦の趨勢を簡単に変えることのできる物質が採取できる。まぁ、これをやるのは俺たちの進退窮まったときだろうけどな。簡単に何十人も殺せる武器はなるべく作るべきではない、進めた時計の針は戻ることはないのだから。
「……そんな生き物がおるんじゃな、一度見てみたいもんだ」
「弾正忠家がデカくなれば鯨ぐらい見る機会はあるだろうよ。なにせ、民に優しい政が広まれば、他領から民が逃げてくる。そうなれば食料が不足し、嫌でも田畑を広げて海から食い物を取ってこなければならん。それができねばなし崩し的に家が潰れる」
「あー、兄者なら大丈夫だろ」
軽いなコイツ。確かに弾正は歴史に名を遺した織田信長の親父だけあって物事の呑み込みが異常に早く、それを政治に活かすことを躊躇わない思考能力を持っているし、武士としての立場を持てば旗頭としての義務はキチンと果たすであろう男ではある。あながち孫三郎が大丈夫と決め打っているのも間違いではないのではあるが。
「他人事のように言っているが、その場合お前も親族衆として駆けずり回るハメになるぞ」
「はんっ! そのときは遊びまわっている親父に全部押し付けて天神領に逃げ込むわ」
「人の領地を避難場所にするんじゃねぇ」
コイツの場合、本当にやりかねないのが悩みどころである。




