俺はお風呂に浸かっている。
「被災地を巡る旅?」
先生から言われた、東北に行かないか? と。被災地に行く? インドア派の俺が行くはずがない。被災地に行ったところで、何か変わるはずもないし、なんの意味になるんだよ。
「行きます」
っと何故か俺は発言していた。決して嫌々じゃなく、この時の俺はアウトドア派になろうと努力していた。アウトドアになる第1歩に、否定的な自分の意見を押し殺して行くと言った。東北に行く1週間前にごめんごめん遅くなったねと謝罪顔の先生を見ながら、東北に関する資料を貰った。
2泊3日の旅。1日目は長野県から仙台市に行って、荒波小学校を見る。津波によって、荒波小学校の周辺の建物は全てなくなり、荒波小学校だけがその土地にポツンとある。
事前資料で見た文字に、自分は少し恐怖を覚えた。何か自分はいつもの——
自分ではない。
いつもは他人に優しくて、人を気遣えて、よく声をかけられる方の陰キャ寄りでコミュ力が高い方だった。そんな自分が自分ではない気がした。
東北見学初日。朝の8時に親の車で集合場所に着いた。誰よりも早くについて、携帯をいじりながら待っていると変な人が「かまさやさま」などと聞き取れないこと言ってきた。その女性の目は普通の人の目とは違くて、ただの変人の部類。また変な人に絡まれたという気分で俺の1日は始まった。
集合場所に集まったのは様々な人、20代の男性もいれば自分みたいな高校生の女の子。全然知らない人達との会話もなければ、静かな車の中。それを7時間かけて東北に行った。
東北に着き、荒波小学校の周辺へ辿り着いた。車の中で先生の説明を聞いた。避難者はまだまだ様々な問題を抱えて、孤独死する人がいる。外を見て、ここには家があって、被災当時は瓦礫でいっぱいで凄かったんだから。
————そこでまた『自分』が怖くなった
そこには10年経った今ではもう瓦礫もなく、ただ、小学校がポツンとあった。記録用に動画を撮りながら校舎を歩いて、学校の中に入ると1階はボロボロだった。まるでドラマのセット、誰かが意図的にそうしたかのような内装。
ここの学校には様々な人が避難して、助かった人がいっぱいいる。避難に至るまで”様々な出来事があって”生き延びたんだ。そしてまた『自分』が怖くなった。
悔しいけど怖かったんだよ。この地で人が死んで、様々な人が苦しい思いをしたのに、自分の中で何かが欠落しているって。
その日はまた違う資料館に行った。資料館には被災者が被災地に戻る映像が流れていた。被災者は全員、”笑顔”だった。その笑顔が怖くて、吐き気がした。なんだその笑顔は、今まで自分が見たことなんてない顔。
自分が小説で書いている、微笑、苦笑い、失笑、どれも違う。
彼らの笑みには”絶望”があった。その人にしか、その絶望を味わった人にしか出せない笑顔。俺はその笑顔を見て、心と体をフワフワしたものに取り憑かれながらホテルで一夜を過ごした。
次の日は石巻市立大川小学校
語り部の話を聞きながら、震災の日に何があったかを聞いた。津波がきているのに、先生達は対応が遅れ、気づいた時には学校は津波に巻き込まれていた。
自分の地面には人の命が埋まっている。人がここで死んでいる。
助けに来た人も津波に巻き込まれて、津波に巻き込まれた子供を探すために土を手で掘る人の気持ちがこの地面に篭っている。
悲しげに、涙ぐみながら語る語り部を見て、俺はまたフワフワな気持ちなって気づいたんだ。やっと気づいたんだ。
俺は何も感じてないって。
怖くなった。俺は昨日からずっと俺は何も感じてない。ここで人が死んでいる? ここに津波があった? 建物はあるけど、こんなに綺麗なんだよ?
“実感がないよ”
全てが体で、心で感じられるものがない。感じられないことを否定したかった。自分は良い奴だと思ってた。自分は人の痛みを分かる奴だと思っていた。だけど、違った。俺は平和な世界のお風呂に浸かって体の芯の中まで温まってしまったんだ。温かいから冷たいことなんて分からないんだ。肌から心から冷たさが伝わらないんだ。
抜け出せないそのお風呂から、多分被災しても、被災直後の世界を見ても否定し続けるんだ。
俺は有り得ない世界を全部否定する。俺の今まで生きてきた人生にはそんなものはないんだから。
平和で、戦争もなくて、全ては改ざんされたニュースで見てればいいことだった。だってもう、東北のことなんて忘れてる人がいっぱいるんだ。あったことは知ってるけど、小学校の見学の時にいた子供のように笑っているんだ。
子供は知らないから、感じ取ってないから笑ってるんだ。俺は君なんだ。純粋な笑顔で笑い続けてたんだ。
怖かった、本当に怖かった。
俺はこのお風呂から抜け出せない。一生かけても抜け出せない。栓を抜くことはもう出来ない、浸かってるほうが楽しいから、浸かってる方が楽だから。浸かってる方が温かいから。
————俺は平和のお風呂に浸かっている
これからも、ずっと