都合の良い男は、もうやめることにする。
『君のこと、大好きだよ!』
そう言ってくれた彼女は、笑顔の可愛い人だった。
天真爛漫で、感情が何でも表に出る人だった。
別の高校だったけど、友達の紹介で知り合って、一目惚れだった。
アタックしたけど、付き合ってくれと自分から言い出せなくて、結局彼女の方から告白された。
それでも、付き合うことが出来て、俺は嬉しかった。
そんな彼女とのデートは、だいたいウィンドウショッピング。
俺にはオシャレとか何も分からないし、正直服とかに全然興味なかったから、あまりそういうのは楽しくなかったけど。
『ねー、これ可愛いよね!』
『君には、こういう格好が似合うと思うな!』
そう言って彼女がはしゃぐから、一生懸命楽しいフリをした。
服にお金を使うのとか勿体なかったけど、彼女に少しでもよく見られたくて、その服を買ったりした。
たまに映画を観に行ったり、遊園地に遊びに行ったり。
基本は彼女の希望を優先して、彼女がいいならいいか、と思っていた。
笑顔が見られるだけで、幸せだと思っていた。
でも、結局どこか無理をしていたんだろうな。
受験の時。
俺は自分の学力よりも高い大学を目指していたから、結構勉強はしんどかった。
でも、彼女に呼ばれたらすぐに会いに行って、その分睡眠時間を削って勉強してた。
良いよ、良いよ、と言ってるうちに、それが当たり前になって。
ある日、疲労が溜まったのか、俺は熱を出した。
そんな時に、彼女から連絡があったけど。
『ゴメン、今日は熱があるから行けない』
どうしてもベッドから起き上がれなかったし、彼女も同級生だから風邪を移すわけにはいかない。
だから初めて、ラインで来た彼女の誘いを断った。
次に会った時、謝ったけど、中々許してくれなかった。
俺の体調を、心配することすらなかった辺りで、薄々気づいていた。
そこから、徐々に連絡が減っていった。
たまに会っても、あまり笑顔を見せてくれなくなった。
『この後友達と用事があるから、今日はもう帰るね』
理由は様々だったけど、そんな風に言われて会ってもすぐに彼女が帰ることが増えた。
ーーー俺は何か悪いことをしたかな。
そんな風に思ったけど。
『いや、いいよ。来てくれてありがとう』
俺は、彼女を引き留めなかった。
なんかダサい気がしたから。
今思えば、どっちにしたって俺はカッコよくはなかっただろう。
その時にはもう、彼女を引き留められるような、行動に口出しできるような関係ではなかった。
対等な関係なんかじゃなくて、ただのイエスマンで居続けることしか出来なかった。
そうして、ある日ラインで別れを切り出された。
涙は、出なかった。
ーーー結局、俺は彼女にとって都合のいい人間でしかなかったんだろうな。
そんな諦めを覚えた。
俺も悪かったんだろう。
無理をして合わせて、嫌われるのが怖くて、話し合おうともしなかったんだから。
自分で自分を納得させるように、気持ちを押さえ込んでいた。
やる事もあった。
受験のための勉強に集中できるようになり、どうにか成績を伸ばした俺は志望校に受かった。
嬉しかったけど、家族と友達以外に報告する相手もいなかった。
でも。
『おめでとう!』
そう言って一番喜んでくれたのは、たまに話すくらいの関係だったクラスメイトのメガネ女子だった。
聞くと、クラスメイトも同じ大学に受かったらしいと分かって、一緒に喜んだ。
クラスメイトといるのは気楽だった。
似たような趣味を持っていて話が合ったし、決して美人ではなかったけど、愛嬌のある性格をしていた。
どこかドジな一面があり、話すうちに世話を焼くようになって。
クラスメイトは、そのたびにお礼を言ってくれた。
たまにからかうと、少しふてくされていたりもしたけれど。
全然、それで関係が悪くなることもなかった。
俺は、彼女のことが徐々に気にならなくなっていった。
『どうしてあんなに喜んだの?』
大学入学してしばらくしても、なんとなく一緒にいることが多かったクラスメイトに聞くと、彼女は少しうろたえてからはぐらかした。
意味がよく分からなかったけど、同じサークルにも入って、一緒に買い出しに行くことになったある日。
買い出しを終えてクラスメイトがトイレに行っている間、外で待っていると、ラインの着信音が鳴った。
ーーー何気なく見ると、彼女からの連絡が入っていた。
『久しぶり、元気?』
そんな文面を見て立ち竦んでいると、肩を叩かれた。
『偶然だねー。何してるの?』
別れる前と変わらない笑顔を浮かべた彼女は、俺を見て言った。
『なんかすごくカッコよくなったねー。大学入ったの?』
『うん』
大学の名前を口にすると、彼女は目を丸くした。
『国立なんだ』
『そうだよ』
私立に行くより学費が安いし、家から近い。
そんな理由で選んだだけだけれど、それなりの大学であることは間違いなかった。
『ふーん。……ね、あのさ』
そのまま世間話を続けようとした彼女の後ろからクラスメイトが出てきた。
『誰? その人』
クラスメイトの問いかけに、元カノ、と答える。
そこでズキリ、と胸が痛んだけど、その痛みはどこか鈍いものだった。
『友達?』
彼女が一瞬、敵視するような目をクラスメイトに向けた後、俺にそう問いかけてくる。
その顔に、なんだか違和感を覚えた。
ーーーこんな顔、する子だったっけ。
まるで、独占欲を剥き出しにしたような表情の後、まるでクラスメイトを馬鹿にしたような笑みに変わり、すぐに昔好きだった可愛い笑顔を浮かべる。
でも、その顔がどこか、作り物のように、俺には見えた。
『ね、私君と別れたのちょっと後悔してたんだー。君みたいに私のこと一番に考えてくれる人、他にいなかったし。……やり直さない?』
そんな風に言われて、俺は息を呑んだ。
心が揺れた……のではなく。
今、この場でそんな事を言うのが、非常識に感じられたからだ。
ーーーあれ……?
違和感が強くなって、返事に窮していると。
クラスメイトが、俺の腕を取って、普段見せないようなどこか冷たい顔で彼女を見た。
そして、ハッキリと言ったのだ。
『この人、今、私と付き合ってるから』
ーーーえ?
そんな事実はない。
でも、畳み掛けられる予想外の言葉に、俺の口からは疑問の声も出なかった。
『え、そうなの?』
彼女の疑わしそうな問いかけに、俺はようやく冷静な気持ちになる。
同時に、クラスメイトに目配せされた。
『うん、そうだよ』
『えー、なんか嘘っぽいな』
彼女の言葉に、俺はふぅ、と軽く息を吐く。
ーーーなんだかなー。
そう思いながら、それまでずっと胸の奥に燻っていた彼女への想いが、冷めていくのを感じた。
ーーー結局、そういうことだったんだろうな。
単純に、俺が彼女の外面しか見てなかったんだろう。
彼女が、俺の外面しか見てなかったみたいに。
『悪いけど本当に付き合ってるし、もし付き合ってなかったとしても、君ともう一回付き合うのはないかな。今はこの子のことが好きだから』
めちゃくちゃバカみたいだけど。
改めて彼女が目の前に現れたことで、俺はようやく、自分の気持ちに気づいた。
思い出を美化してただけで、とっくの昔に気付いてたんだと。
『君と付き合ってる時、結構無理してたし。だから、都合の良い男になってたけど、今付き合ってもそうなれないしさ』
だから無理、と告げると、彼女は絶句していた。
『でも、付き合ってた時は好きだったよ。ごめんね』
そう言って、なぜか彼女と同じように驚いているクラスメイトと一緒にその場を後にした。
ショッピングモールを抜けて、駅に向かうまで、俺たちは一言も喋らなかった。
「どっかで、飯でも食う?」
今までのことを思い返した後、そう問いかけると、クラスメイトは居心地悪そうにみじろぎした後、どこか恥ずかしそうな顔でこう問いかけてきた。
「い、いいんだけど。その……」
「何?」
「あ、あの、すす、好きっていうの、は……嘘?」
クラスメイトは少しうつむきながら、まるで蚊のようにか細い声で問いかけてくる。
「それは、えっと……本当だけど……」
答えるのも少し恥ずかしい。
改めて問いかけられるとは思ってなかったから。
するとクラスメイトは指先をこすり合わせながら、耳まで赤くなっていく。
「……それなら、本当に付き合ってよ……」
言われて、俺はぽかんと口を開いた。
「え? マジで?」
「マジで? って何……?」
「え、あ……」
そこでようやく……やっぱり俺って鈍い……俺は、気付いた。
クラスメイトも、俺のことを好きでいてくれたのだ。
「いや、あのさ、ゴメン」
「え……?」
「俺、君のこと好きだけど、君の言うこと聞くだけの都合の良い男にはなれない」
だから、とクラスメイトに誤解される前に、俺は早口で重ねた。
「付き合うなら、俺から言いたい」
「!?」
多分、俺の顔も真っ赤だ。
でも、クラスメイトと付き合うなら。
相手の言うことになんでもかんでもうなずく、都合が良い『だけ』の存在じゃなくて……きちんと、自分の意思で、言いたいことを伝えられるようにならないと。
驚いた様子で顔を上げたクラスメイトの、メガネの奥の瞳を覗き込んで、俺は心臓がバクバク言うのを押さえつけながら、なんとか言葉を絞り出した。
「ーーー俺と、付き合ってくれない?」