その男はとてつもなくアホな『猛獣』
「ミソラさん、すまなかった」
帰り道、アラタはハンドルを握りながら言った。
彼女は自分の名前を決め、アラタ達に『自分の名前は美空である。緋奈乃ではない』と宣言した。そのあとレイアから『タヌ吉との意見を合わせると美空は『笹宮緋奈乃』ではない』との見解を受けたアラタ達はミソラに対して懸命に謝った。彼女は「顔を上げてください!」と慌てて言うが、レイアが上げさせるまで続けた。
そして、アラタはもう一度車内で謝る。
「俺はヒナノの兄だった。だから意識しないでおこうと思えば思うほど、意識しちまってた」
「……アラタさん。一ついいですか?」
ミソラは真剣な顔をアラタに向けて聞いた。アラタは前を気にしながら、真面目に耳を傾ける。ミソラは一呼吸置いてから告げる。
「私はヒナノさんじゃないから、知らない彼女を重ねられるのは嫌です。だって私は彼女の『代わり』になれるはずありませんから」
「あぁ……」
「ただ彼女を嫌悪しているわけではありません。むしろ逆で尊敬の念すらあります。だって亡くなってもなお皆さんの心に居続けるほど、魅力的な方なのですから」
「だから教えてください。笹宮緋奈乃がどう言う人物だったのかを」
姿形は一緒であろうと、『笹宮緋奈乃』になることは出来ないと彼女は分かっていたし、なるつもりなんてさらさらない。ただ『見習う』ことは出来る。
同じ姿で生きてきたヒナノがどう笑い、泣き、人に影響を与えてきたのか。それを知ってまだ無色透明である『美空』に色を付けようとしているのだ。それが重ねられることになろうとも厭わない。それが彼女なりの『覚悟』と『決意』だった。
アラタは少し間を置いてから、返答する。
「いいぞ、教えてやる……だがその前に、『お客さん』だ」
車を止めると、黒いセダン型浮遊車が対面から来て止まる。そして中から事務所に襲撃してきたボロボロの黒服の男達と後から出てきた蛇頭のグラサン男。イヤリングや指輪、首から下げた鎖と悪趣味な格好しているが、雰囲気でわかる。──こいつは元軍人だ。
グラサン男は耳を小指でほじって、フッと飛ばしながら言う。
「『英雄』さんよー。こっちも仕事でやってんだから、そう言うことされると困るんだわ。だからソイツ、早く渡しな」
「それは出来ねぇ相談だな。そのままUターンしてくんねぇか?」
「それこそ出来ねぇ相談だ……な!」
グラサン男が取り出したのは大戦時、この国【イネイブ】で普及した魔道式オートマチック拳銃『ヴィンテンス』。従来の火薬による射出ではなく、魔術回路による射出のために今までの拳銃とは格段に反動や射出音が減った銃になる。それを容赦なく、三発放った。
対してアラタはただ一言。
「──夢想展開・纏」
《夢想展開》を発動させ、蒼いオーラを身体中に纏わせる。そして纏うオーラは両手に集中させて、放たれた弾丸にそっと触れる。高速回転する弾丸は彼の皮膚をえぐり取るはずだが、蒼いオーラによって手のひらの皮一枚すら剥がれない。そして弾丸の軌道を払うように逸らした。
そして二発目は指で挟むように、運動力を殺さないよう体を捻って弧を描くように回して相手側に放つ。放たれた弾丸は減衰しながらも三発目にぶつけた。
当たった三発目の弾丸は衝突したことで形が変形し、急激に勢いをなくしてアラタのオーラに当たっただけとなった。
「で、それだけか? じゃあこっちから行かせてもらう。展開変装──《闘》」
纏っていた蒼いオーラは紅いオーラに変わり、一瞬で間を詰める。グラサン男は後ろに回避しようとするが
「遅い」
──アラタの魔手から逃れられない。伸ばされた手はグラサン男の後ろ襟を乱暴に掴み取り、思いっきり下に引き落とす。路面に叩きつけられたグラサン男は脳震盪でも起こしたのか伸びている。
他の男達は何が起きたか分からず戸惑っている中、アラタは伸びている男の体を撫でる。
「なぜこんなの寄越して、ミソラを拉致れると思ったんだ。下に見られてるのか、それともクライアントがアホなのか。早く持って帰れ」
アラタはそう言って唾棄する。グラサン男が元軍人にしては反応が遅いから気になったが、弛みきっていた。つまりグラサン男が五年間あぐらをかいて、挙句よく分からないものに手を出した結果がこの『体たらく』ということだ。
グラサン男は仲間に車に押しこまれ、一目散に走り去っていく。こんなことになるくらいなら、『アイツ』のところで働いている方がいいだろうに、とアラタは《夢想展開》を切りながらため息混じりに思う。
「アッくそ……。銃弾で触れたところ水ぶくれが出来てる」
どうやら銃弾の回転を防ぎきることが出来なかったらしく、アラタは悪態をつく。
そのとき『ピルルルル』とアラタのデバイスから着信音が鳴った。通信先は──『アイツ』からだった。通話ボタンを押すと野太い男の声が流れてくる。
『アラタ! 到着するまで5秒だ』
「あぁ? どこにだよ?」
『そこにだよ』
「は?」
次の瞬間、対向車線から猛スピードかつ轟音を鳴り響かせながら近づいてくる車が見えた。ただ止まるにしては早すぎる。
「いや待て、あいつアホだろ⁉︎」
意図、いや『やらかし』に気づいたアラタはすぐに運転席に飛び込み、ギアをバックに変えて全力で踏む。ミソラが突然のバックに悲鳴をあげるが、そんなことしている余裕は一ミリたりともない。対して向こうの爆走する車は横滑りさせることによって、『俺たちが止めていた場所』で止まった。
ギリギリで止まった小型車なんてものともしないほど大きさの黄色の4WD の排ガス車から出てきたのは、2m半ほどの赤い外套を着ている狼の獣人。名前は『ロウ』といい雰囲気はオッサンで少しつり目といかにも悪そうな顔をしている。今、面倒事に関わるまいと離れたところに突っ立っているレオノーラと同じく、大戦時からの友人だ。
「テメェ! もうすぐでウチの車がオシャカになるところだったんだぞ‼︎」
「ワリィ、ワリィ。つい興に乗っちまってな。どうだ、カッコよかったろ?」
「こっちはヒヤヒヤもんだわ。馬鹿野郎!」
アラタが本気で怒っているのを意に返さず、悪びれる様子もないこのオッサンはケラケラと笑う。しかし彼はアラタに一目置かれるほど『強い』。
事実アラタが再び全力の3割出せる『無詠唱』で《夢想展開・闘》を起動させるが、目で『見える』のはアラタのオーラを纏った掌底が獣人の強靭な肉体を使って腕でブロックされる未来。策を変えてオーラを足に集中させて、まだ守りが薄い顔狙いのハイキックを放つ。
「それは愚策ってもんだぜ、アラタよ」
しかしロウだって自分のどこが弱点かということぐらい分かっている。オッサンはギリギリのスウェーで躱し、お返しと言わんばかりにそのまま後ろに倒れながら全身をバネに使って、サマーソルトを放つ。それは音速──人間などが反応できる速度はとうに超えている。
見るものにとって、アラタは致命的な一撃に見えるはずである。
「それに気づかねぇほど、劣ってはねぇよ!」
しかしアラタにとってこれくらいの読み合いなぞ、《先見視眼》を使わなくても勘で分かっている。避けられた一瞬で《無詠唱・夢想展開・纏》を発動させて、『手のひら』でロウの蹴りを受け止める。しかし『無詠唱』の威力では《纏》があっても、獣人が放った蹴りが生身の人間が受け止められるはずがない。できる限り力は逃したが、暴力的な力はアラタを後方で吹っ飛ばす。
さながら西部劇に出てくる草玉が如く、後方に転がっていくアラタ。吹き飛ばされたボロボロのアラタだが……口は笑っている。
〈─願いは成就せず、希望は消える。
全ては無に帰り、あるのは己の身体のみ。
さすれば世界は己の中のみにありて、世界で起こり得る夢幻は終ぞ現実となる─〉
目を閉じ、両手を合わせ唱えた祝詞は夢想展開。つまり『全詠唱』──威力100%だ。不敵に笑うアラタはまるで狙いを定めた獰猛な獣のソレだ。
「きっちり鍛えた獣人相手なら、『これ』が打てる。いくぜ《夢想展開・流》!」
流──それは受けた衝撃を一時的に体内に留め、あらゆるベクトルで打ち出すというデタラメなカウンター武術である。本来なら相手の攻撃を受け流した時に受けた衝撃を使って返すというレベルだが、《夢想展開》が乗れば話は別だ。
受けた衝撃を放つ時に増幅し、相手の厚い防御を崩す技。それが《夢想展開・流》という技だ。
──しかしそんな技がノーリスクで打てるはずがない。
「おい待て! その技は……!」
アラタが一瞬で距離を詰め、ロウに零距離で撃ち抜こうとした瞬間、吐血して体制を崩した。理由は簡単──負担がアラタの体の限界を超えたのだ。《夢想展開》は幻想を事実にする技だが、厳密に言えばそれに至るプロセスを省いて無理やり『事象』として起こす技だ。故に本来過程で払うべき負担が発動時に一気にかかる。
広範囲・高威力になればなるほど負担が大きい。それは今回の《流》や《鳳凰炎陣》が該当するもので、つまるところ朝に来ていた負担と重ねて今の技で再び限界値を超えたと言うことだ。
全速力で来たアラタをなんとか抱きとめたロウは、ジトーとした目でアラタに一言。
「アホだろ。お前」
「アホですね。この人」
気づけばレオノーラも蔑んだ目で覗き込んでいる。機械人特有の感情が読み止めない表情だが、明らかに『哀れみ』などの負の感情が混ざっている。アラタはうつ伏せになりながら、穴があったら入りたい気持ちになっていた。
そんな冷たい世界に暖かな光と美しい声が響く。
「大丈夫ですか⁉︎ アラタさん‼︎」
言わずもがな助手席から見守っていた少女、ミソラである。彼女は悲壮感あふれる顔でアラタの肩を揺さぶりながら聞いてくる。そこまで深刻ではないんだがとアラタは思いながらも、意識が飛びそうになる。
「ミソラさん。そこの方は自己責任ですが、一応けが人なので揺らさない方がいいと思います」
「あっ、すいません」
レオノーラに諭されて、ミソラは揺さぶるのをやめた。ギリギリで意識を保ったアラタはデカイ図体のやつの居場所を探そうと周りを見渡す。自分が乗ってきた車の陰から尻尾がはみ出しているのが見える。おそらく頭抱えて丸くなっているのだろう。
「……なにしてんだ、ロウ」
「ユウレイコワイユウレイコワイユウレイコワイユウレイコワイ……」
「幽霊ってどこにいるんだ?」
「いや、お前の横に!いる……いるだろ⁉︎」
プルプル震えながら指さす方向にはミソラがいる。指さされた本人はビクっとなり、事情を知っている二人はため息をついた。アラタは急所を突かれて震えているミソラを呼んで、耳打ちする。
「えっ?」
「いいからやってこい。誤解解くんだったら一番効果的だ」
ミソラはためらっているところを、アラタは背を押してやる。押し出されたミソラはタッタッタと数歩歩いてから、自分の意思で進んでいく。それを見たロウは「えっちょ、マジでヤメロォ‼︎」と手を前に出してワタワタし始めた。しかしミソラはついにロウの眼の前にたどり着く。
ロウはついに悲鳴にならない悲鳴を上げる。そこにミソラは
「えい!」
との掛け声とともに、ペシンとロウの頭を叩いた。ロウは自分の頭をさすってから、感覚を確かめ、目を丸くする。そして次にミソラの手に触れる。戸惑いを隠せない様子でロウは目の前の少女に聞く。
「ヒナノ……ちゃんなのか?」
「す…すいません。私はヒナノさんじゃなくてミソラです」
「えっでも……」
ロウは以前の知り合いが違う名前を名乗ったことに驚きを隠せず、事情を話すようアラタに視線を求める。その視線に応えるようにアラタは真剣な表情で話す。
「その子の言う通りだ。彼女は笹宮緋奈乃じゃなくて、美空。間違っても俺たちの身勝手で重ねんじゃねぇぞ」
最後の方に混ざった少量の自己嫌悪をロウは理解した。バツの悪そうに頭を掻きながら、どっこいしょと立ち上がり、手を差し出す。それは握手、友として一個人として認めるものだった。
「さっきは済まなかったな。ロウって言ってアラタの友人やってるやつだ。よろしくな」
「あ、ど、どうも。ミソラっていいます」
ミソラがオズオズと出す小さな手をガッチリとつかんで握手する。そしてロウは笑顔で、ミソラはぎこちない笑みだったが、お互いに嬉しそうな表情を浮かべている。
それに対して少し複雑な苦笑で見る二人がいた。
「私たちも最初からあのように接していれば、よかったのかもしれませんね」
「無茶言うな。俺たちがきっちり失敗したから、今こういう光景が見れたんだろ。そうとでも思わなきゃなきゃやってられねぇぞ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そしてロウとミソラがアラタ達の元に戻ってくると、快活そうに笑って言う。
「せっかく新しい友人が出来たんだ。ここはパーっと行こうぜ!」
「パーってどこへ……ってあそこか⁉︎」
驚愕するアラタに対して、ロウはさも当然かのように言い放つ。
「そりゃあそこ『BAR Fortune』に決まってるだろ」