アブナイ医者は偉大な医者という証
中層の端の淵にある植樹により造られた森に通る道を古き良き排ガス時代の赤色小型車が走っていく。運転するのは白シャツにベスト姿のアラタ、そして助手席には紐リボンが似合うブレザーを着たヒナノ似の少女がいる。
昨今ではエルフの魔術や機械人の科学技術により操作が一切不要の空飛ぶ車などが開発されているが、アラタ曰く『自分で操作せずに何が車か。あれに乗るぐらいなら三輪車に乗った方がマシ』らしい。もちろんきちんと特殊な免許を取った上でアラタは運転している。
そしては紺のスーツ姿で純白の髪をなびかせながら、漆黒のいかついバイクで追随するのはレオノーラ。こちらは完全電気駆動で、常に彼女の思考コンピューターと連動して最適走行を行なっている。無駄なことが極端に嫌いという性格がこういった所でも見え隠れしている。
そして向かう先はこの道の先にある洋館『アルフォート孤児院』になる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そこは森の最奥にある壁に蔦がつたう古びた二階建の洋館、正しくは『古びたように見える』洋館になる。洋館の前にある広い庭には幾つかの遊具が置いてあり、いくらかの子供達が楽しそうに遊んでいる。あの子供達は大戦の戦災孤児でここの家主が引き取った子達だ。
終戦時に起きた数多くの問題の一つ、大量の戦災孤児の行き先だった。
なんせ人間以外の種族は突然の大転移でこの世界に来てしまった。それにより親と離れ離れになった子、そのほかにも偶然その場にいて転移してしまった拠り所のない希少種族の子供達などが大勢いる。そのほかにも人間が使った核は人間にも多大な被害を被った。
そして取り残された子供達は路頭に迷った。政府も手をあぐねているその時に手を挙げたのがここの家主のレイア=アルフォートだ。彼女は医師として従軍していて、類稀なる医術によって『彼女なくして今日のこの国なし』と言われるほどの偉業を成し遂げていた。その彼女は終戦次第、即座にこの洋館と敷地を要求しこの孤児院を設立。そしてこの運動を展開した。
初めは皆も渋っていたが、今日ではほとんど解決したといっても過言ではない。ちなみにアラタが助けた子供の半数はこの運動で助かった子供たちだ。親との再会の様子を見ていると本物の親子との差異はなかった。
アラタたちは車を玄関につけて、扉の横にある呼び鈴を鳴らす。
数秒後に出てきたのはブレザーの制服を着ている丸メガネをかけた少女。茶髪を三つ編みとそばかす特徴の少女、アリシアだ。彼女も先の大戦で親を亡くしていて、ここの家主の保護の元暮らしている。そして彼女は現在18歳、五年前の大戦にも最年少の13歳で最後方の支援で参戦していて二人とも面識がある。
「あ、アラタさんにレオノーラさん。お久し…ぶ…」
彼女は笑顔が真顔になっていき、挨拶がスローダウンしていった。その目線には例の少女がいる。アラタたちと面識があるということは、笹宮緋奈乃にも面識があったということだ。いやそれ以上といってもいい親友関係だった。
彼女はアラタの後ろにいる少女の震える手で、少女の顔に触れようとする。しかし少女は驚き、身を引いてしまった。少女のその行動にアリシアの手がピタリと止まる。
「アリシア、この子はヒナノにそっくりだが他人だ」
「え? でも……」
「ただそういった自信家のアレも判断に迷いがあった。俺もその方向でいってるが、正直な所確証が欲しいところなんで、『センセー』に診せに来たところだ。だから『少し待って』くれるか?」
「……はい」
アリシアは何か言いたそうだったが頷いた。彼女も少女が何者なのか知りたかったのだろう。玄関を通された一行はアリシアと共に主人がいる診療室に向かう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
診察室の扉を開けると充満したアルコールの匂いが鼻をツンと指す。白い壁にリノリウムの床、ベッド一基に聴診器などの医療器具と書類が乱雑に置かれた机が一つある。
そして回転する椅子には膝立ちで立つ小柄な女性が窓の外を覗いている。彼女は体型には似合わない大きさのカメラを持ち口笛を吹き、楽しそうにこう呟く。
「あぁーちっちゃい子は可愛いなぁ。もう食べちゃいたい!」
「仮にも孤児院の院長やっている人間が犯罪者スレスレの発言はやめとけ」
庭にいる子供たちを盗撮し、挙句惚けた顔でアブナイ発言をしていた白衣を着た女性。ショートヘアの黒髪にこの世界にはいないはず赤い瞳の人間、それがここの家主にして医者、そしてアラタの主治医でもあるレイア=アルフォートだ。
彼女は趣味の『ロリ・ショタウォッチング』を邪魔されたに憤慨して、レンズを覗きながら椅子の回転と共に来訪者であるアラタたちがいる扉の方に振り向く。しかし彼女はアラタたちの方向で止まることはなく、一回転してからカメラを窓際にそっと置いてゆっくりとアラタたちの方向を向く。
「……マジで?」
「マジじゃなかったらここにいる全員ここで入院することになるな。……マジだよ」
その時のレイアの顔は先ほど変質者のソレではなく、まごうことなき大戦時の時の稀代の医者の顔だった。アラタは常にこのような顔だったらアリシア達も苦労しないのに内心思いながら、少女の一件とタヌ吉の見解を伝えた。
彼女はメモを取りながら、事実に齟齬がないようアラタに質問する。それは事象だけではなくアラタがそのとき思った感情まで全てを。そしてペンを置く。
「さて、今度は彼女の検診だよ。患者以外はさっさと出ていって〜」
彼女はそういって少女以外を部屋の外に出し、少女を対面する患者用の椅子に座らせた。窓から差し込む陽光は安らかな笑みを浮かべる彼女の顔を照らし出す。そして聴診など一通り済ませた後に
「『大変』だったね。不安だったでしょ?」
そういって少女を抱きしめた。少女は最初体を強張らせたが、彼女の胸の中で肩を震わせながら嗚咽を漏らした。
彼女はずっと不安だったのだ。突然世界に放り出され、名前どころか自分が何者かも分からない。それなのに知らない人達に追われて、助けてくれた人も知らない自分を投影している。挙句突然現れた『友人』を名乗る少女は『他人』と分かった瞬間、触れようとした手を止めた。
『彼ら』が欲しているのは『私』なのに、それは『私』じゃない背後にいる『誰か』。
この矛盾が彼女のガラスのように儚い心に負担をかけ、ヒビを入れていた。そして思い出や拠り所がない彼女の『それ』が粉々になるのは時間の問題だった。
「大丈夫、今は私と貴方しかいないから思いっきり吐き出しなさい」
レイアは少女の頭をゆっくりゆっくり撫でながら言う。そして少女は言われるがままに泣く。そして数分後、充血させた目をさせた少女はレイアの胸が悲惨なことになっていることに気づいて謝り倒していたが、そこには先程までの暗い影は無くなっていた。
「さて、先にあなたに伝えとかなければいけないことがあるけど、いい?」
「はい」
少女は神妙に頷く。これから彼女が未だ『定義』がない自分がどういったものかという話だという簡単にわかったからだ。そして彼女は口を開く。
「覚悟は出来ていると思うから単刀直入にいうね。まず貴方は母親から赤子としてきて生まれた確率は限りなく『低い』。それは貴方も薄々感じていたでしょ?」
「……はい」
それは少女も何となくだが分かっていた。写真を見た時、笹宮緋奈乃と言われる少女と自分はあまりにも酷似していた。ただ『ドッペルゲンガー』なんてものはこの世界にあることは『知識』として知っている。しかしそのような都市伝説よりも目の前の技術の方が信憑性はある。
だから少女は前からたどり着いた回答に、自分で言うことを憚ってきた回答を口にする。
「……私は『造られた』のですか?」
「……その可能性が高いね。実際ヒナノちゃんが生き返ったとしても、幾ら何でも老化はしているはずだ。しかし君にはそれがなく、五年前のヒナノちゃんにソックリというのはおかしいからね」
レイアはそう前置きして、少女の手を握りしめてこう続ける。
「しかし貴方が生きてる限り、私はそんなことで軽蔑しない。『命あるものは全て医者の前では平等である』ってのが私の矜持だからね」
『偽善』とも捉えられかねないその言葉でも、今の少女にとっては言葉に言い表せないほどの安心感があった。少女の手を握る彼女の手にはその安堵を後押しする力強さがあった。
ただ彼女はこうも続ける。
「しかし現実は非情だ。人間とはどうやっても手に入らないものが目の前にある時、必ずそれに手を伸ばす。そしてそれが違うものだったら、隠しきれないマイナス感情が出てしまう身勝手な生き物だ。つまり『死人』とソックリである以上、今までの苦痛から逃れることはできない。その覚悟は出来てる?」
勝手に期待して、勝手に裏切られ、あろうかその責を負わそうとする輩が出てくるかもしれない。それに耐えうる覚悟はあるかとレイアは問うたのだ。少女に迷いがないといえば嘘になる。しかし彼女の出す答えに揺るぎなど存在しなかった。
「出来ています」
「よく言った‼︎」
レイアは満額回答を少女の口から聞けたことで、満面の笑みを浮かべる。彼女にとって少女が『造られた』存在であることなど些細なことである。
重要なことは『覚悟』。生きていく上で、避けることが出来ない茨の道を歩む『覚悟』。その障害を跳ね除けていくことを決意し、考え、悩み、そして突き進むことこそ最も『人間らしい』。その理論で言えば彼女は今、『モノ』から『人間』のスタートラインに移ったのだ。
「ならばこの宣言をしたこの瞬間、君は『誕生』した! ならば決めるべきものがある!」
高らかに宣言したレイアは紙と万年筆を取り出し、少女に差し出す。少女は受け取るが、何をすべきが見当もつかないようだ。そんな少女にレイアは言う。
「君を唯一たらしめるもの。『名前』だよ」
少女には記憶もなく、名前もない虚ろな存在だった。しかしその虚ろに形を与える。その儀式は尊いものである。
彼女は懸命に考え、何度も書き直し形にする。そして紙に一つの『名前』が浮かび上がる。
『美空』
「いい名前じゃない。それじゃよろしくね、ミソラちゃん」
少女はレイアに『名前』で呼ばれ、思わず涙ぐんだ。そして『ミソラ』は声を大にして言う。
「私はミソラ! ヒナノちゃんじゃない! 私の名前はミソラ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「俺はあそこまで『人間』出来ちゃいねぇよ……」
アラタはミソラが喜ぶ扉の向こうで何とも言えない気持ちになっていた。彼女を追い詰めている自覚なんてなかったのだ。それこそレイアが言った人間の独りよがりで傷つけていたのだ。
苦笑いしながら向こうの歓声に耳をやる。今も嬉しそうに自分の名前を連呼している。
「……ヒナノに似ている子だから助けるとか、事実が知りたいから助けるなんて、ましてや『依頼』だからなんてちゃちなお題目で行動するのは辞めだ」
アラタは宣言するように静かに言う。
「あんな嬉しそうにしてるやつの死に顔なんて俺は絶対に見たかねぇ。だから絶対に『助けて』やる」