『幻想』とはすなわち『現実』である
暗闇が支配する街、下層。無数の建物と入り組んだ路地で構成されるそこは権力の支配が及ばず犯罪の温床となり、中層、上層の人々から敬遠されている。
きっちり舗装された道は中層との境に途切れ、そこからは地獄の始まり。持たざる者は生きて帰れると思うな。よい子は回れ右しておウチに帰りな───なんてキャッチフレーズが似合いそうな場所だ。
暗闇の中、黒いコートにスーツ姿の青年──ササミヤアラタは慣れた手つきで右へ左へと曲がること数回、目標の場所にたどり着く。
建物は廃屋一歩手前と言ったところか、と言ってもこれは偽装で中身はしっかりと迎撃システムがあるのだろう。彼には引っかかっているが自分が『見えている』。
これは彼が持つ『先見視眼』の力。キッカリ5秒先を見ることが出来るが、インターバルも5秒と長い。一瞬一瞬が命の駆け引きとなる戦闘の場面でそう何度も使える便利な能力ではない。
「……強行突破は無理か。となると裏口になるか」
建物の裏手に回るとライトが照らされた裏口にサングラスと黒服を着た獣人の男がいる。モデルはカンガルーといったところでガタイはよく背も2mほどある。要するに見るからに武闘派だ。
アラタはさっと見渡すが仲間は──いない。そして例えコイツを倒しても応援が来ないことが彼の目には『見えた』。
「行けるな」
アラタは手を合わせ、深呼吸をして意識を整えて目を瞑る。イメージは手のひらとの間に魔力の門を作るイメージ。門から出た魔力は追衝突を起こし倍増、漏れ出た魔力は紅き光となりまるで炎のごとくゆらめく。
「───夢想展開・闘、解放」
目を見開き、払ったその両掌は紅き光に包まれている。光は猛々しく掌を覆っているが、縁に乱れが生じて、安定しているとは言えない。
彼は肩をすくめながら、現状を理解する。この幻想の自分を現実の自分に合わせる技、《夢想展開》はまだ使えこなせていない。概算で出力60%、コンクリートを通常の打突で貫けるかと言った程度だ。そういっても武器は持参していないため、これで突破するしか道はない。
アラタは深いため息の後、プランを行動に移す。
アラタは両手を隠しながら不敵に嗤い、ゆったりと近づく。その姿はまるで幽鬼、あるいは道化師に似ている。
「さぁて、獣人のお兄さん。少し時間をもらえないか? 何、一つだけ質問に答えて欲しいだけだ」
「……なんだテメェ。ふざけてるのか」
「いいや、ふざけてなんていない。───誘拐した子供たちはどこだ?」
本来の獣人の彼であれば、そんな不振な男は問答無用で殴り飛ばしているが、明け方に舐めた質問をされたせいで冷静な判断よりも怒りが先に出てしまって、反応が遅れた。それが敗因だった。
アラタは獣人の鳩尾を《夢想展開》で強化された掌底で貫き、下に俯いたところで見えた延髄に肘を入れる。そして獣人が倒れる隙に足を払ってやって、完全制圧。この間僅か五秒になる。
もう勝敗など明白だった。
「で、さっきの続きだ。こんなとこで死にたきゃねぇだろ? なら吐け、キリキリ吐け」
アラタはドスンと仰向けになっている獣人の上に乗って尋問する。
獣人の彼は痛覚で苦しむ一方で、思い出した。こいつは『不振な男』などではない。五年前の惨劇を終わらした──
「……『英雄』か。俺なんかが勝つことなんて……万に一つもねぇ。地下2階の奥に……ある倉庫にいます。キーは後ろのズボンの……ポケットにあります」
「……英雄なんて知らねぇよ。俺はただの『探偵』だ」
『英雄』という言葉を聞いて胸糞悪くなったアラタはケッと唾を吐く。彼は『英雄』なんて言葉に価値がないことを知っている。そしてその言葉は今朝の夢を想起させた。それと連動するかのように、両手の光が点滅する。
こんな言葉で感情の波が出来る自分に少し苛立ちを覚えるが、すぐに切り替える。
「それと……俺には……インプラント……が仕込まれて、襲撃が……バレています」
獣人はその言葉を最後におそらく気絶したのだろうか事切れた。アラタは扉の方を睨んで言う。
「あぁ、『知ってる』よ。クソッタレ」
アラタの瞳には無数の攻撃を受けてそこの獣人と同じように事切れる自分が『見える』。タイムラグはキッカリ五秒。
『見えた』ものが現実になるまでに、再び目を閉じる。
〈願いは成就せず、希望は消える。
全ては無に帰り、あるのは己の身体のみ。
さすれば世界は己の中のみにありて、世界で起こり得る夢幻は終ぞ現実となる〉
「《夢想展開》─鳳凰炎陣─」
次に彼が目を開いた先は───正しく地獄だった。
放たれた業火は全てを燃やし尽く。彼に歯向かうものは阿鼻叫喚や怒号が響きわたるが、やがてそれも霧散していく。そして彼の歩みを邪魔するものは誰もいなくなった。
ただ殺すところまではいかず、気絶させただけである。彼らは『幻想』を見せられただけ。所詮『幻想』は『現実』には優ることはないということだ。
「概ね一掃出来たか……、ウッ」
アラタが《夢想展開》を解いた瞬間に反動が襲い、血反吐を吐く。本来は幻想の自分の体を憑依させて身体強化を行う程度のもので、こういった事象の上書きは完全にオーバーワークでその分の反動が解除後に襲いかかってくる。
彼は笑えない激痛を堪えて、前に進む。突然の襲来に皆驚いて裏口に来てしまったのか、中に動ける人員はいなかったが行幸か。アラタはそう思いながらほとんど意味をなしていないトラップを避けて、地下に向かっていく。
そして地下二階を下りきった後にソイツが現れた。
「……真っ先に逃げたと思ってたんだが、意外に骨があるやつだったんだな」
「そのようなことをしても、上に消されるだけなんでね。ならば僅かでも死なない方にかけるのが生物としての性だろう?」
階段の踊り場で似合わない銃を持つソイツ。事前情報の写真で見たここの管理者のエルフの男だった。写真を見た限りではエルフ特有のヒョロイ風格に優男だった。狡猾には見えなかったが、こういう仕事を請け負う以上部下を見限る上司というのは多い。
しかしこの男は残ったということは、コイツもそれなりの覚悟があるってことだ。だから両手を上げながらアラタは彼に告げる。
「生憎、今の俺の体はボロボロだ。だからお前は俺を簡単に殺すことができる。ただお前が生きたいのなら
───『動くな』」
その瞬間、『何か』がエルフの男の首あたりを掠めた。その瞬間エルフの男がバランスを崩した。踊り場でよろけたので彼の体が空中に放り出され、慌ててキャッチする。───まではよかったが、体がよろけて後ろに倒れてしまった。
その時、首に巻きつけられたデバイスから着信音が響いた。おそらく今の現象を引き起こしたやつからだろう。アラタはやれやれと気絶しているエルフ男を適当に寝かしてから、壁にもたれかかるように座り込む。
「すっげぇナイスだ、レオノーラ。正直詰んだかと思っていたが助かった」
『ここは素直に『どうも』と受け取っておきます』
通話先の相手はアラタのパートナーの機械人の女性でスナイパー、レオノーラ。
風切り音が聞こえるあたり外からの通話であろう。そしてエルフの男が気を失った原因は彼女の魔力の『弾丸』。彼女は俺のデバイスを通して、エルフの男の位置を正確に特定し、外から壁を貫通させ、エルフ男の頚椎を圧迫するように『狙撃』した。
この離れ業は彼女が機械人だからこそ為せる技なのだ。いや、機械人であってもそういない。故に、彼女『だけ』が為せる技だ。
「それはそれとして、誘拐された子供達と俺の回収頼めるか? このまま子供達を引率は……」
『───嫌です。勝手に帰って来てください』
プツ、ツーツーツー……。一方的に切れた通信にアラタは驚き、苦笑する。これはアラタに対する感情の表現が苦手な彼女なりの罰なのだろう。
アラタは壁を使って立ち上がり、子供がいる部屋にたどり着く。鍵は先ほどのエルフ男からくすね取ってある。そしてキーをゆっくり開けた。
子供達が閉じ込められていた部屋は暗闇だったようで、皆うめき声をあげ、目をギュッと閉じている子もいる。商品として置いていたためか、怪我もなく健康状態もいい。これなら依頼して来た親御さんも一安心だろう。
「……誰?」
子供がオズオズとアラタに尋ねる。子供たちには大人全てが自分たちに害を為す者に見えるのだろう。そんな子供達を元気にさせるためにアラタはサムズアップと笑顔で言う。
「お前たちの……正義の味方だ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんて言って、このザマはなぁ……」
時刻はちょうど昼ごろ。アラタはオフィスで一人苦笑していた。
あの後、足を引きずりながら子供達を中層まで引率していった。下層との境界では警察の方々と親御さんが今か今かと待っていた。アラタが手を挙げた時には感極まった親御さんたちが次々と自分たちの子供と抱き合って、「ありがとうございます、ありがとうございます!」と繰り返しアラタにお礼を述べていた。
そのあとは警察に引き継いでもらって、アラタはそのまま知り合いの医院に直行。結果は肉体の『ズレ』による内出血多数。アラタ自身もその状態を見て吐きかけた。
原因は明らかに〈夢想展開〉、特に他人にもその影響を与える『鳳凰炎陣』だった。そしてついに医者からの技禁止を言い渡されてしまったのだ。
「イテテテッ。今回も中々ハードだったなぁ」
アラタは言いながら、机の上に飾ってある写真立てを眺める。
写真には黒髪の青年アラタと同じく日本人特有の肌と艶やかな黒髪をツーサイドテールにしている快活そうな少女がピースサインしている。
彼女はアラタの妹、ヒナノ。もう彼女はいない。
5年前の運命の日に彼女の魂の灯火は消えた。そして吹き消したのは間違いなく俺だった。しかしアラタはあの日の記憶がスッポリ『消え去っていた』。
「なぁ、お兄ちゃんはあの日ヒナノが守ってくれた世界、ちゃんと守れているのかな……?」
返答など帰ってくるはずもない。それが刈り取った命すら忘れた『メッキの英雄』に課された『咎』だった。彼にとって探偵なんて職業をしているのも贖罪に過ぎないのだ。あの時『正義のヒーロー』を騙ったのは心のどこかで子供達を救えなかった妹に投影して、許しを乞うようなものだったのだ。
自分の罪を再確認したアラタはきちんと寝ようとソファーで横になる。やがて微睡みが意識を支配し始めるころ、チリーンとチャイムがなる。アラタはタイミングの悪いと悪態をつきながら扉に向かう。
「スマンが今日は休業なんだ。明日にもう一度──」
「助けて……!」
その時アラタから眠気など消し飛んだ。決して『助けて』という言葉に反応したというわけではない。そんなことよりもっと重要なことだった。
『声』
声が同じだったのだ。5年前、二度と聞くことはないと思っていたあの少女の声。心の底から欲していた声が今、外から聞こえた。
アラタは扉を開けたら幻が消えそうで怖くなったが、震える手で扉を開けた。
───そこには五年前に死んだはずの少女、アラタの妹の笹宮緋奈乃が立っていた。