ねぇ、ロザリー
「ねぇ、ロザリー。今日もとても良い天気だよ」
そう言って、私はベッドサイドのテーブルの薔薇に口づけてから鉢植えを窓辺においた。
ガラス窓からは燦々と朝陽が射し込む。窓を開けるとカーテンを揺らしながら気持ちのよい風が舞い込んできた。
王宮の中庭では働き者のメイド達が忙しなく動き回っており、こちらに気がつくと皆笑顔を向けてくれる。
「皆、おはよう」
「ベルナデットさまー!結婚おめでとうございますー!」
「やぁ、ありがとう」
そう答えたのはいつの間に起きていたのか、私の結婚相手であるアンベールだ。「きゃー!」とメイド達の黄色い悲鳴が聞こえるが様子を見る間もなく抱き寄せられると部屋の中に引き込まれる。
「僕のベルは今日も美しい」
「ありがとう、アン。…アンは一段とかっこいいな」
私もにっこり笑顔で返す。すると彼は「そうだろう、やっと念願のものを手に入れることができたからね」と頬にキスをくれた。
私は昨日、結婚した。
相手はこの国の王太子のアンベールだ。私がロザリーを愛していると知ってなお、それでもいいと求婚してくれたのが彼だった。
「…ロザリーも、美しく咲いているね」
「あぁ…」
窓辺のロザリーは赤色の小さな薔薇をたくさん咲かせ今日も美しく咲いていた。それを新しくできた夫の腕の中で目を細めながら眺めた。
私が本当に好きだったロザリーはすでに死んでいる。
薔薇を育てるのが好きなだけの何の変鉄もない男爵令嬢だったロザリーは、ある日突然聖女の神託を受け、世界の汚れを払う旅にでた。
そして、女でありながら腕のたつ騎士であった私は、王太子の近衛から異動になり、その旅に随行した。
ロザリーはもともと私のファンで、私に恋愛感情を抱いていたらしい。
その事実は私にとって少し重たく感じたのだが、ロザリーは私になにかを求めるわけでもなく、薔薇に水を与えるように、汚れを浄化するように、私の有りのままを愛してくれた。
彼女はまさに聖女だった。
旅のいく先々で笑顔を振舞い浄化を施し、貴族の不正を正し、その土地の問題点すら解決していった。私は、彼女が私のファンで、私が彼女の騎士であることがとても誇らしかった。彼女から向けられる感情が嬉しくなっていった。私も彼女を愛し、女同士でありながら恋人という関係に落ち着くまで時間はそんなにかからなかった。
だけれども、現実は残酷で…彼女は次第に衰弱していった。
世界の汚れを払う浄化の力は、彼女の生命力を変換して得ていた力だったのだ。
世界の汚れを払いきって、城に帰還した彼女はすでに寝台から出れない身体になっていた。
「ねぇ、ベル。わたしね、貴女との関係が許されないこの世界が憎かったのよ、救いたくなんて無かったのよ。貴女と死んでしまえたら、なんて何度でも考えた」
「良いよ、ロザリー。君が望むなら一緒に逝こう。…私を置いて、逝かないでくれ」
ロザリーは首を横に振ると笑った。私は寝台に腰かけていた彼女にすがり付く。優しく髪を撫でられる。
「いいえ、貴女は生きるの。わたしが救った、わたしのいない世界を、わたしだと思って愛してちょうだい」
「ロザリー…」
「そうね…世界が美しいと感じる度に、わたしのことを思い出して。ねっ、そうしたら、貴女は独りじゃないの」
彼女の柔らかな手のひらに私の頬が挟まれて顔をあげる。
腰にすがり付いたまま彼女を見上げる。
彼女は笑っていた。
「愛しているわ、ベル」
美しい笑顔だった。
「世界も貴女を愛している。だから貴女も世界を愛してね。どうか、ベルが、幸せになりますように・・・」
最後の力をふり絞って、祝福をかけたのだろう。
彼女はそのまま逝った。
私を残して。
私を置いていって。
こんな、押し付けられた世界なんて、私は要らない。
君がいなくちゃ、幸せになんか、なれないんだよ。
******
「君は美しいな、ベル」
ただ、ロザリーが亡くなってからは惰性で生きていた私にそう言い放ったのは幼馴染みで、ロザリーが神託を受ける前に仕えていた王太子、アンベールだった。ロザリーが亡くなった今、再びアンベールの近衛に戻るよう言われていたのだが、いつまでたっても出仕しない私に焦れてアンベール自身がこちらに来てしまったらしい。
「…いきなり何を言うか。今までそんなこと言ったことなかっただろう」
差し伸ばされた手を、振り払って言った。本来なら不敬罪だろう。でも今はそんなこと考えてる余裕なんてない。それでもなおかつ、彼は私に手を伸ばし、私の頬を挟んで顔をあげさせた。これは、最後の日、ロザリーが私にしたことと一緒だった。
「ロザリーを愛し、愛されたお前は美しかったよ」
私たちの関係を知っていたのか、とまず驚く。知っていて、黙っていてくれたのかと少し胸が軽くなった。愛し、愛された人がいなくなったと、誰にも分かってもらえなかった、言えなかったのは少なからず負担になっていたらしい。そして、アンベールの目には私を蔑視する色は見えない。
「それはそうだろう。…私はすごく幸せで、一番世界が輝いていた時だ」
「なぁ、ベル。僕を愛せとは言わない。だが、彼女に愛せと言われた世界くらい愛してみないか?これは、彼女を生み出し彼女が守った世界だ」
「だって…もう彼女はいないのに…」
「また、彼女が生まれる世界かもしれない」
「…!」
輪廻転生。それは未だ証明ができないが、ないとも証明できない現象だ。が、信じている人は結構多く、ちらほら前世の記憶を持つ人もいると聞く。
「彼女がまたこの世界に生まれたとき、彼女に顔向けできるようなベルでいてほしいんだ」
「だが…」
「まずは、嘘でも良い。騙しでも良いよ、顔をあげて、笑いながら、世界を愛していると言ってほしい。きっとそれが、君を愛したロザリーの最後の願いのはずだからな」
私は頬に添えられた手をとった。そして力を込めて握ると、立ち上がる。彼はそんな私を支えてくれた。
「弱ったベルも美しいけど、やっぱり僕は強い君のほうが好きだよ」
ロザリーも、強い私を好きだと言っていた。
「まずは嘘から、強くあろうと思う」
「うん、嘘もずっと続ければ、きっとそれが本当になるよ」
アンベールは私の表情を覗き込み、顔色を確認する。そしてベッドサイドのテーブルに置かれた水差しを手に取りコップに注いでくれた。
「ほら、水を飲んで。僕は今からメイドを呼んで、何か食べるものを持ってきてもらうから」
王太子にさせる仕事ではない。でも、この幼馴染みの優しさがなんとなく歯がゆくて、久しぶりに甘えたくなる。
「お腹すいてるから、がっつりステーキでも良いって言っといて!」
「…消化に良いものにしておきなさい」
そう言って彼は廊下へ消えた。
あの様子じゃ、お粥でも持ってきてくれるのかもしれない。なんて甲斐甲斐しい応対なんだろう。
おかしくなって私は少し笑った。
「ああ、ロザリー。私はまた笑えたよ」
久しぶりにカーテンを開け、窓の外を見る。
空は青かった。そして眩しかった。
******
「知ってるか?王都の女性陣の間でこんな小説が流行っているらしい」
アンベールから手渡されたのは、女騎士と聖女の愛を綴った大衆小説だった。名前や設定は少し変わっているが、ひと目で、私とロザリーのことだと分かる。
「女同士なのに…」
「ちなみにこんなものもあるぞ!」
再び手渡された本の表紙に吹き出しそうになった。
それは、女騎士と王女の物語なのだが…
王女の姿がどうみてもアンベールにそっくりなのだ。
「ちなみに、僕が受けだ!」
「ぶっ…!」
今度こそ吹いた。口にものが入っていなくて本当に良かった。
そして何故かドヤ顔をするアンベールを見やる。
銀糸の柔らかな髪は肩下まで伸ばしており、神経質そうな紫の瞳はまるで宝石のように輝いている。
王宮からほとんど出ることなく育った身体は頼りなく、私とくらべたらもちろん、もしかしたらロザリーよりも細いかもしれない。
「最近はどうも女同士の恋愛話が流行っているらしいらしい。…君たち二人の影響だな」
意外にも世間は私たちのことを知っていて許容してくれていたらしい。
ねぇ、ロザリー。世界は私たちが思っていたより、私たちに優しかったようだよ。
また、今度、君に会えたら教えてあげたい。
「なぁ、ベル」
「ん?」
「僕と君との本もあるわけだが…」
「アンベールは性別違うけどね」
茶化すとちょっと睨まれた。
こういう、冗談すら自然に言えるようになったよ、ロザリー。
「以前、僕を愛せとは言わない。とは言ったが…本当に僕じゃ駄目か?」
そう、ペットの小動物がご主人様に伺いをたてるような表情を向けられて、私は滲みだす感情を噛み締めるように目を閉じた。
あれからもう一年が過ぎた。
私は未だ、ロザリーを愛している。愛さなくなることなんてないだろう。
けれど、アンベールは、そんな私を美しいと言った。最近ようやく彼からの愛情を実感できるようになった。私の負担にはならないような見返りのない愛を与えてくれたのだ。
だからこそ、私は今では嘘でもなく世界を愛していると言えるようになった。彼が側に居てくれたから、私は再び世界を愛することができたのだ。
それでも、素直になれない私は、そっぽを向いて可愛いげのない言葉を返してしまう。
「私が愛しているのはロザリーだ」
「知っているさ、彼女を愛したお前を好きになったんだからな」
「私は、ドレスなんて着ないぞ」
「構わないよ、その騎士服の方がご婦人やご令嬢の支持を集めそうだしね」
男の視線集めるよりずっと良いと、アンベールは呟く。女性相手だとやきもちやかないのに男性相手には妬くらしい。
「…子供が生まれたら、女の子が生まれたら…ロザリーってつけても良いか?」
それは、すごく遠回しな、私の返答。
だって、やることやらなきゃ子供なんて生まれないんだから。
そして、もし、するならお前とが良いという気持ち。
それは伝わっただろうか。
恐る恐るアンベールを見やると、彼は笑っていた。目が合うと、思いっきり強く抱きしめられた。
「ああ、ロザリーとつけよう。絶対にだ。…生まれてくるロザリーのためにも、きっと僕は君を幸せにしてみせるからな」
君はまだ知らないだろう。
私はすでに幸せなんだよ。まだ、気恥ずかしくて口にはできないが。
「まぁ、とりあえず、これを受け取ってくれ」
アンベールがいそいそと窓辺のカーテンの裏から小さな鉢植えを取り出す。そしてよく見えるようにテーブルの上に置いた。
それは、ロザリーの髪の色に似た赤色の花弁をもった小薔薇が咲いていた。
「本当は求婚には花束なのだろうが…ロザリーの色をもった花が萎れていくのは見たくないからな。とりあえず、子供が生まれるまでは二人で薔薇を育てよう」
私はたまらなくなってアンベールに飛び付いた。ただでさえ逞しい私が力一杯抱きついたから、アンベールは勢いよくソファから転げ落ちる。それでも、アンベールは怒らず私を抱き締め返してくれた。
ねぇ、ロザリー。はやく、この世界に帰ってきてくれ。君にいっぱい話したいことがあるんだ。
世界がこんなにも輝いて見えるののがいっぱいあったんだよ。
end
聖女と女騎士の百合小説の作者は実は王子という設定。