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第1章 彼女は崖っぷち

 あれから十年後、十六歳になった歩夢が身に纏っているのはキラキラとしたスポットライトでも月の光でもなく砂と土であり、味わっているのは喜びではなく、砂の苦い味と自分の血の痺れるような味であった。


 見えているのは華やかな舞台や観客ではなく、地面。それもダメージで映像がちらついて見えるような状態だ。


 歩夢は舞台に立つのではなく、今まさに、舞台に、地面に倒れ伏していた。


「立たなくちゃ、頑張らなくちゃ、ダメ……」

 自分にそう言い聞かせ、足に力を入れる。治癒の魔術を自身に使っている余裕はない。


 相手の男がにやりと笑う。正確には歩夢からは顔が見えないので口元しか見えないが、おそらくは勝利を確信した笑みなのであろう。そしてその確信はおそらく間違ってはいない。歩夢にはここから自分が勝利する未来がまるで見えなかった。


 すでに歩夢の体は限界だ。防御魔術で守られているとはいえ、身体に蓄積したダメージがあることに変わりはないし、なんとか立ち上がったものの、足にはまるで力が入らず、自分でも何故立ち上がれたのかがわからないくらいだ。


 嘘だ。立ち上がった理由が、立ち上がれた理由が歩夢にはよくわかっていた。負けるわけにはいかないのだ。夢のために、夢にほんの少しでも近付くためには、ここで倒れるわけにはいかないのだ。それを頭は勿論のこと、歩夢の全身が理解していた。理解はしていたのだ。

 しかし体はそんな歩夢の想いに応えきることができず、今にも意識は飛びそうで、到底動き回ることができるようには思えなかった。


「悪いな、仁科」

 対して悪いとは思っていなさそうな声で、男が言う。当然だ、勝負なのだから。悪いと思う必要などない。それに自分はまだ負けてはいない。自分にひたすらそう言い聞かせ、ふらつく体を叱咤し続ける。しかし結局のところ、身体は歩夢の意思に応えてはくれなかった。


「負けないよ、頑張る、から……」

 男の手から放たれた雷が歩夢の体を貫いたのが先か、それとも体が完全に歩夢の制御から離れたのが先か。どちらにせよ歩夢の意識はぷっつりと途切れ、その体は再び砂と土の味を噛みしめることとなり、そして。

 歩夢はこの瞬間、退学にリーチがかかった。



 電気のついていない部屋の中で、歩夢は膝を抱え一枚の紙をじっと見つめていた。スカートから大胆に白いすらりとした足が覗いているが、ここは個室であるから気にする必要もない。そもそも今の歩夢にそんなことを気にする余裕自体がなかったが。


 歩夢は必死に自己嫌悪と戦っていた。弱い自分、夢をかなえられない自分、もっと頑張ることのできない自分。大嫌いな、自分。

 歩夢は、マジック・ウォーのスターとなるべく、出場する選手を育てる学校であるアカデミアへと通っていた。合格したのはまぐれとしか思えなかった。成績は合格者の中で最下位、つまりギリギリでの合格であったし、魔術の才能があるとは自分でも思えなかった。


 それでも、小さい頃からの憧れに近付くために、この学校に入る以外の選択肢は歩夢にはなかった。


 アカデミアは主にマジック・ウォーの選手を育てるための学校であるが、魔術研究のメッカでもあり、将来の研究者を育成する場でもある。

 それでも選手育成がメインではあるから、競争は激しい。定例的に学内で生徒、つまりは魔術師見習い同士が対戦し、その成績が芳しくないものは学園を追われる。


 ランクでクラスが決まり、ランクはA、B、Cランクと分かれている。入学したばかりの者はCランクに割り振られるが、1年間の修練後、約四週に1回行われる年15戦の学内試合での成績が悪ければ通称退学点とも呼ばれる降級点が溜まっていき、それがCランクの状態で三点溜まった時点で放校となる。


 そして今まさに、歩夢はその退学要件にリーチがかかっていた。すでに降級点は二点溜まっているし、今期の対戦成績は二勝九敗である。周りの成績によって多少は変わるが、概ね十敗した段階で降級点がつくことが決まる。つまり次に行われる試合で負ければ、歩夢の夢は断たれることとなる。


 勝てる自信はまるでなかった。今年度に限った話ではなく、今まで歩夢が勝てた試合は、相手が体調不良であった時や、魔術の行使で失敗をした場合だけだ。力のぶつけ合いで勝ったことは一度もなかったのであるから、歩夢が自信を持てるわけもなかった。己の力不足は、常に歩夢が感じているものであった。


 努力をしている自信はあった。様々な文献を日夜読み、魔術の力を高めるための修練も欠かしたことはなかったし、資本となる身体の鍛錬もしていた。頑張るということについては、負けていない自信があった。光り輝く舞台に立つために、手を抜いて来たつもりはない。


 しかし現実は、非情にも歩夢に敗北という結果を叩きつけてくる。同じような修業をしても、学友たちは歩夢よりもずっと大きな成果をあげていく。


「才能、ないのかな……」

 ずっと思っていたこと。湧き出すたびに頭に浮かんだその考えを打ち消し続けてきたが、今日ばかりはその考えを、打ち消すことができなかった。


 どんなに努力をしても、魔術の力はほとんど上がっていない。魔術には火属性や水属性など様々な属性というものがあり、アカデミアでは属性ごとにどれくらいの力を持っているかを測定し、ある程度の目安として数値化していた。魔術師として十段階評価がされており、標準的なものが5、最大が10のこのパラメータで、歩夢の数値はすべてが4であった。すべてが平均以下という格好だ。


 アカデミアのほとんどの生徒は得意な属性魔術というものがあり、その数値の高さや種類の多さはもちろん人それぞれであるが、得意科目であれば7という数値くらいは出ていた。不出来と言われている子でも、得意魔術なら6位の数字は出す。


 得意な魔術がない。それは歩夢に決め手がないのだということを指し示していた。つまり、戦いにおいて利点がないということとも言い換えられる。


 自分の後の試合に出た、クラス一、いや、遠からずアカデミア一位になるのではないかと言われている通称“氷の姫”と呼ばれている少女は、ほとんどの数値で10の評価を出しているらしい。同じ平均的な数値データでも雲泥の差だ。再度己の非才という現実を見つめる格好となり、歩夢は自分の白い足に顔をうずめる。


「ごめんね、お父さん……。わたし、全然輝けてないよね……」

 思わず漏れでる弱音。それに応じたわけではないだろうが、静寂が支配していた室内に、別の音が混ざる。


 暗い部屋の中に響くのは、電話の呼び出し音だ。この音は学園からの呼び出しだろう。出なくてはいけないということはわかっていたが、それでも歩夢の手は伸びない。いや、伸ばせないといった方が適切か。自分がこのままだと退学処分になるということくらい、歩夢にもわかっている。それを現実のこととして認めたくなくて、歩夢は学園からの電話に出られなかった。出てしまえば、他人から現実を突き付けられることになる。今の自分がそれに耐えられるような気が、歩夢にはしなかった。


 体が重い、いや、重いのは心だろう。歩夢は自分の膝小僧を眺め、震えることしかできなかった。

 電話の呼び出し音が止まる。それは一瞬だけ歩夢の心に静寂をもたらす。それが現実逃避による静寂でしかないということはよく分かっていたが、それでも歩夢にとってはありがたかった。


 父にどのように報告すればいいのだろうか。母を亡くしてから、一人娘である歩夢を男手一つで育ててくれた父。歩夢が魔術師になりたいという夢を改めて語ったときにも静かに頷き、優しく送り出してくれた父。その父になんと報告すればいいのか。きっと責めたりはしないだろう。だからこそ、かえって歩夢には父に報告することができそうにもなかった。自分と同じくらい、いやきっと自分以上に悲しんでくれるのがわかり切っていたからだ。


 どうすればいいのか。答えの出るはずもない自問自答を歩夢はただひたすらに部屋の中で続けた。


 やや時がたって、再び電話の呼び出し音が鳴る。しかし今度の音は違う人物が電話をかけてきたことを示している。ふらふらと歩夢は電話に手を伸ばし、受話ボタンを押す。


「おつかれ~いっ!」

 能天気と表現して何ら差支えない明るい声が響く。その声だけで歩夢は救われたような気持ちになる。


 電話をかけてきたのは、友人である白西秋香であった。開口一番の言葉は、秋香のいつもの挨拶だ。

「うん、お疲れっ」

 声に出さないよう努めようと思っていたが、それでも隠しきれないものがにじみ出ていたのであろう。秋香の声のトーンが一つ下がる。


「大丈夫なの、歩夢?」

 秋香の質問はシンプルだ。いや、質問というよりは確認に近い意味合いだろう。秋香は歩夢が嘘をついたところですぐに見抜く。歩夢がわかりやすいのか、それとも秋香が聡いのか。おそらくは両方なのだろうが、どちらにせよ秋香は歩夢の心をよく読むタイプだ。絶対に聞かれたくないことについては尋ねてこない。話を聞いて欲しいという歩夢の奥底にある心を、秋香はしっかり見抜いているということだろう。

 いつも頼ってしまうことを申し訳なくも思うが、秋香は笑い飛ばしてくれる。それが本当にありがたい。


「大丈夫じゃないけど、ありがとね。秋香の声聞けて、ちょっと元気でたかも」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの~。結婚する? あたしのところに嫁に来る?」

「駄目だよ~。わたしは魔術師になるんだから、まだ秋香のお嫁さんにはなれないよっ?」

 話しているだけで元気をくれる。歩夢にとって秋香は本当に大切な友人だ。電話越しでも明るい晴れやかな笑顔が脳裏に蘇り、元気をくれる。

「おっとー、またフラれちゃったわね。でも多少は元気っぽくなって良かったわ~。やっぱアンタはそうじゃないとね。頑張りますっって言って、ぽわぽわしてないと」

「ええ、そんなに言ってるかなぁ? それにぽわぽわって!」

「代名詞みたいなもんだしねぇ。ぽわぽわはまあ、自覚がないならいいわ~」

 話しているだけで元気をくれる、明るい色に染めた髪の色と同じく明るい秋香に、歩夢は今日も元気づけられた。


「負けんなよ、仁科歩夢。あたしはアンタのファン第二号なんだから」

「うん。次は勝つよ。絶対に」

 次の試合までは一カ月ある。今まで以上に修練を重ねて、絶対に勝たなければいけない。そう思える程度には歩夢の気持ちは立ち直っていた。


 おそらく秋香は自分の試合日程を知っていて、そしておそらくは結果を知っていたのだろう。学園の試合といっても、アカデミアは国内で唯一の魔術師養成を行う場所だ。その試合ともなれば国内の注目度も高く、試合自体は一般人でも見ることができるし、目玉の試合ともなればテレビ中継もされる。もちろん後者の話は、歩夢には縁の無い話ではあったが。


 秋香とそれからしばし雑談を続け、小一時間ほど経過して電話を切る。部屋の中が暗いままだったので、電灯をつけ、鏡に映る自分の顔を歩夢は見つめる。

「うわぁ……」

 思わず自分でもそう呟いてしまうほどにひどい顔だった。目は腫れぼったくなっており、髪はぼさぼさだ。それでも、自分の瞳に力が戻ってきていることを、歩夢は確信する。

「今日は寝て、明日からまた特訓。仁科歩夢、頑張ろうっ!」

 歩夢はそう宣言してベッドに飛び込むと、あっという間に眠りに落ちた。



 次の日、切り替えたはずの歩夢の足取りは重かった。朝一番にアカデミアから連絡があり、事務室へと来るようにとの連絡があったのだ。気持ちを切り替えたとはいえ、いい話が来るわけではないとわかっていれば、足取りが重くなるのも仕方がないところだ。


 言われることはおそらく、次に負けてしまえば降級点がつき、放校処分となる可能性があることについであろう。昨期も降級点がついてしまっている歩夢はありがたくないことにどのようなことを言われるかについては、よく理解していた。


「弱気になったらダメダメ。せめてやる気を見せないと!」

 力強く自分に言い聞かせ、それでもどこか具合が悪い感覚のまま、歩夢は事務室の扉をノックした。見慣れた事務員の女性が歩夢の姿を認めると、すぐに応接間に通してくれる。落第寸前の生徒はここで面談を行うのだということを、歩夢は虚しい経験として知っていた。


 例年であれば、先に歩夢が待っていて、後から面談役の教師が来るはずだった。

 しかし今年はすでに先客がいた。男女の二人組、歩夢よりも少し年上であろう女性と、女性よりも一回りくらい年齢が上のように見える男性がソファーに座っていた。


 女性は目を見張るような美貌の女性で、透き通るのではないかと思うような金色の髪を肩のあたりまで伸ばしている。女性らしい柔らかな細身の体つきでありながら出るべきところ以外は引き締まっているという、同性から見ても羨ましくなるスタイルの良さだ。女性は青い瞳でじっと歩夢を見つめており、どことなく居心地が悪い気分になった。


 女性はこのアカデミアの学園長だ。遠目ではあったが、若さと美貌が印象に残っており、さすがに見間違うようなことはない。名前はリカ・フィッツロイだったはずだ。劣等生のためにわざわざ最後通牒をしに来たのかと思うと、歩夢は少し腰が引けそうになる。


 しかし、リカの隣にいる男性には、歩夢は見覚えがなかった。黒髪をオールバックにしてスーツに身を包んでいるという格好自体はサラリーマンのようであるが、それにしては室内でも外さないサングラスが異質だ。視線はどこを向いているのか、サングラスのせいもあってわからない。

 どこか得体のしれない人、というのが正直な印象であった。


「おはようございます、仁科歩夢さんですね。私はリカ・フィッツロイ。このアカデミアの学園長をしています」

 歩夢が緊張しているのがよくわかったのだろう、リカは柔和な笑みを浮かべて立ち上がり、握手を求めてくる。それにどうにか応じた歩夢であったが、視線は、リカと共に立ち上がった男の方に完全に奪われていた。

 おそらく百八十センチはあるだろう、すらりとした長身で、スーツがよく似合っていることが立ち姿から分かった。歩夢にスーツの価値はわからないが、しっかりとした仕立ての、良いもののように思えるが、そのスーツに着られているという感じではなく、しっかりと着こなしている。

「よろしくお願いしますっ!」

 気持ちで負けていてはいけないと、自分に言い聞かせ、歩夢はリカの手を握り返す。いったい何をよろしくするのかと自分でも思ったが、リカは柔らかく笑うだけで、特に何も言わない。


「ジェイクさん」

 ややたって、リカが笑顔をひきつらせつつしびれを切らしたように促すと、ジェイクは無造作に手を出す。

「ジェイクだ。よろしく」

 愛想も何も感じられないジェイクの様子に歩夢としてはややとまどうところもあったが、おずおずと手を出すと、意外なほどに優しくその手が握られた。ひんやりとしており、大きなその掌は、様々なものを掴み取ることができる手に感じられる。

「仁科歩夢です、よろしくお願いしますっ!」

 手の冷たさに負けないように、というわけでもないが、元気にそういうと、ジェイクは唇の端を小さく持ち上げて笑う。皮肉っぽい笑い方ではあるが、その癖嫌な印象を与えない、不思議な笑みだった。


「ジェイクさん、一応言っておきますけれど、彼女があなたの担当よ」

 歩夢にとってはよく意味の分からない言葉をリカが発すると、ジェイクは先程までの皮肉っぽい笑みを打消し、改めて歩夢の手を握りなおした。

「ジェイクといいます。仁科歩夢さんだね、よろしく」

 先程までのジェイクと同一人物とは思えないほどに穏やかにそういう彼に歩夢がとまどっていると、ジェイクの横でリカがやれやれと言わんばかりに肩を竦める。

「こういう人なの。仕事であればきっちりやるけれど、それ以外はサボりたがる本当にダメ人間。それを理解していれば腕は間違いないわ」

「仕事は仕事だからな。プライベートまでしっかりする必要はないだろう」

 何を当たり前のことをといわんばかりのジェイク。リカにとってはいつものことなのだろう、ぽかんと口をあけている歩夢の方に向き直り、仕切りなおすように小さな咳払いをすると、その強い光をたたえた瞳で、歩夢の方を見つめる。


「仁科歩夢さん、貴女自身も重々承知のこととは思いますが、貴女の成績は正直ふるっているとは言い難いです。次の試合に負ければ……」

 続く言葉はない。だが、何を意味するかは、そこにいる全員がよく理解していた。ジェイクだけは興味ないと言わんばかりに欠伸をかみ殺してはいたが。

「貴女を特別扱いするわけではありませんが、貴女に適した指導がされているのかということについて、私は疑問を持っています。そこで彼を呼びました。彼の指導の下、努力をしてみてください。そして結果を出してください」


 これが名実ともに最後のチャンスということなのだろう。おそらくは最後通牒がきた生徒へのせめてもの温情。

やるしかないのだ。そのことがかえって歩夢の心から迷いを消した。

「はい、頑張りますっ!」

 頑張るしかない。そう改めて、歩夢は確信した。

 勝つのだ。そして、夢をかなえるための一歩を、再度踏み出すのだ。歩夢のその決意に満ちた表情を、リカは優しげな瞳で、ジェイクは何の感情を感じさせることもない瞳で、見つめていた。


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