伊蔵
子供の頃から誠一郎は闇には救いがあることを知っていた。それは常に祈りという形で心の中で繋がっている安心感だった。それは時として親子の絆以上の繋がりを彼に与えた。幼い頃、自分の力ではどうにもならないという場面によく出会った。それは父と母の差異から起きる口論と不一致、そして衝突の小さな渦巻きの日常だった。その小さな渦巻きが時として重なりより大きな乱気流になり、それらが手のつけられぬ嵐になる夜、幼い誠一郎は家の外壁と勝手口近くにあるボイラータンクへの狭い通路に身を隠すことをいつしか学んだ。そこでは室内で繰り広げられる諍いや衝突もどこか遠くの喧噪として聞こえた。その通路はボイラータンクの横にある幅75センチ、全長10メートルほどの狭い通路だった。その通路はコンクリートブロックの外壁に沿っていて、その壁には椎茸栽培用のクヌギのほだ木が二十本程立てかけられていた。幼い誠一郎は丸太のほだ木から生えている椎茸を眺めるのが好きだった。なぜ切り取られた丸太から椎茸が生えてくるのか理解できなかったが、その椎茸の香りに微かな灯油の匂いが混じり合い、ボイラータンクの見えないバーナーが発する一定の加熱音と生暖かさが彼の心を落ち着かせた。一時蔓延していた絶望やら脱力感が遠のくような気がした。そしていつもほとんど行方をくらましているシャム猫が、そのほだ木をくぐり抜けて誠一郎の前に現れた。その柔らかく温かい飼い猫を抱きながら、ボイラーのバーナー音に耳を傾けていると、心の中に広がる無限の闇に自分を解き放し緊張を解くことが出来た。そこは屋内の騒ぎさえも届かない場所で、しばらくすると闇から抜け出る一瞬が必ず用意されていた。その一瞬の変化を誠一郎はなぜか救いと考えていた。祈り続ける限りその一瞬の変化の先に広がる場所は、驚きと魅惑に満ちた別空間を幼い誠一郎に提供した。そこへの移動へ身を委ねることは、彼にとっては現実逃避であり、救いを求める祈りの恵みだった。その経験は子供心ながら必ず絶望から脱する事が出来るという自信に繋がり、自分は見知らぬ力に守られているという自負になった。そしてそれは一度ならず、誠一郎が成長しこの家を出るまで幾度となく体験した祈りへの信頼だった。そしてやがて成長するにつれ、その祈りは痛みを伴うものに代わった。
世界が終わりを告げる。そういった言葉がこの世に存在する。それは世界に終わりを告げるのではなく、世界が終わりを告げるのだ。その言葉を口にすると、この世に終わりが訪れるという。そんな言葉を誠一郎は九歳の時、近所のある男から伝えられた。その言葉はなぜか説得力に富み、小学生の心にすとんと落ちた。あたかも暗い井戸の中に投げ入れられたこぶし大の石のように、その言葉は一度水を大きく跳ね沈んでしまった後、井戸の一部として存在し続けた。その石は誠一郎の心の奥深くで思念の影として息を潜めていた。
何度も父と祖母にその言葉を伝えようと試みたが、誠一郎はいつまでも伝えられなかった。そう躊躇している間に、誠一郎も大人になり祖母も父も他界してしまった。その言葉を心の奥底に抱えたまま、仕事を始め結婚しそして子供が生まれた。誠一郎の母親は彼がその言葉を受け取って六年後に自死した。彼は母親の最後の姿を知らなかった。母は自宅で焼身という手段で自らの命を絶ち、自宅を半焼させた。一年後その家に再び移り住む頃になっても、誠一郎は母親が今もどこかで生きている様な気がしてならなかった。そのためか母親のいない寂しさは感じても、失った悲しみはなかった。その気持ちとは裏腹に本当に亡くなったのだと頭で認識せざる終えなくなったのは、少し年月が経ってからのことだった。
九歳の夏、母の長期入院の為、父親と誠一郎は祖母の家で一夏を過ごした。祖母はその小さな片田舎の地主と言われ、明治時代の骨太の木造家屋に独り住んでいた。その広大な敷地にはいくつもの長屋があり、祖父が亡くなった以降も祖母は一人でその長屋を運営していた。その長屋の子供の密度は、新興住宅地にあった誠一郎の自宅の周りではあり得ない高さだった。誠一郎にとってある日突然、自分の周りが賑やかになった。彼にとって学校以外で同世代の子供達と遊ぶことは、とけ込むまでのぎこちなさはあったものの新鮮な経験だった。その子供達の物言いやら快活さは、その頃の幼い誠一郎の心に芽生え始めていた薄い柔らかな殻をいとも簡単に溶解させた。誠一郎はそれまで一人で本を読むことが好きだった。だが長屋の子供達と遊ぶことは本の世界と比べると、圧倒的なスピード感と、共鳴がもたらす爆発的な感情共有で本のものと格段に次元が異なった。その時期の彼には本よりも肉体的接触が必要とされていた。
その夏、長屋の男の子達の間では戦艦作りと、近くを流れる肝属川での海戦が人気だった。毎朝ラジオ体操の後、昆虫採取と共に木々に蜜を塗り翌日の採取に備えた。各自朝食をとりに一旦解散後、空き缶や厚紙を使った戦艦作りに勤しんだ。何気ない笹舟競争があっという間に進化した海戦遊びだった。ある子供の突然の発想からフルーツ缶や歯磨きペイスト等の箱が材料に使われた。それは子供達にとって最新鋭の戦艦だった。戦艦が一斉に完成すると川縁に集まり、敵味方の陣営に分かれ手持ちの小石の数を決めた。毎日新しい発明が加わり最新鋭の戦艦は次々に川に浮かべられた。限られた数の小石で川縁から敵戦艦を撃沈する。その石が直撃しても沈まないヘチマの浮き袋付き戦艦まで登場した。川の緩やかな流れと共に晴れた日は、毎日土手歩き三キロに及んだが、誠一郎にとってこの海戦はものの五分の決戦に思えた。小石の集中砲火をくぐり抜け、最後まで生き残った戦艦だけに名誉と賞賛が与えられた。長屋の子供達はその夏この遊びに嬉々乱舞した。この結果川にはゴミが散乱し、後日町内会で問題になった。誠一郎の戦艦は三度生還を果たした。
この長屋には子供達が恐れる男がいた。その日は朝から雨が降っており、ラジオ体操も川での海戦も中止となった。誠一郎は母屋の縁側で、庭に咲く紫陽花とどこからともなく聞こえてくる蛙の鳴き声に心囚われていた。祖母の庭には池は無く、近所に広がる田んぼからいつしか紛れ込んだ蛙がそこには住んでいた。部屋には仏壇から立ちこめる線香の煙が、その湿り気を追い払おうとしていた。誠一郎はうたた寝の際、まどろみの水面を上下するちょっとした時間が好きだった。それはあのボイラータンクの隣で闇の中の一瞬を待つ時に似ていた。眠りに落ちてしまうと、心地よい移動の過程が途切れてしまうことも知っていた。眠りに落ち入らないよう、まどろみに留まるよう意識をためた。そんな静かな戯れをしていると何かが心を掠めた。それは誰かから見つめられているような感覚、親密さを欠く視線だった。そこは誠一郎がまどろみの意識を通じて知覚できる現実で、場所は慣れ親しんでいる祖母の母屋にも関わらずその異物の気配は誠一郎を少し警戒させた。この意識を通じて知覚される一帯で、異物の気配が自分に向けられているのを感じることは誠一郎にとって初めての経験だった。薄暗い部屋に人影はなく、何かが動く気配もない。しかしながらその心にはしっかりと自分以外の二人目の気配が映り込んでいた。彼の視界は日蝕のような薄暗い空間のままだった。しばらくして顔の見えないひどい汚れと垢まみれの黒ずんだ男が、庭の木々の間に佇んでいるのを見つけた。その男は身動きひとつせず誠一郎のことを長らく眺めていたらしかった。誠一郎はその時、この男は長屋の子供達に恐れられている伊蔵だと思った。なぜその時伊蔵だと決めつけたのか分からなかった。庭に佇む伊蔵の姿は見れば見るほど異様だった。いつの間にかその容姿に見入った。頭からぼうぼうと伸びた長い髪で顔は全く見えず、荒縄で糾われた隙間だらけの藁筵は肩から足下まで覆いつくしていた。その藁筵には「モズのはやにえ」に似た黒く干からびたカエルやらトカゲの串刺しが多く垂れ下がっていた。その手足は藁筵でほとんど見えなかったが、垣間見える肌は乾燥し亀裂の入った真っ黒な垢に包まれていた。そしてその手足の先には、異様に伸びたいびつな亀の甲羅のような爪があった。そんな容姿にも関わらず、その男から悪臭はなかった。軒先に生えているヨモギがしとしとと降り続ける雨の中、その青臭い微かな匂いを漂わせていた。容姿を観察しながら、その青臭い匂いに気づいた時、再び薄気味悪さを覚えた。そして誠一郎は誰か家人を呼ぼうと身動きした。その瞬間その男が、すでに庭先にいないことを知った。伊蔵は高千穂の峰、ミヤマキリシマが咲き誇る山の頂に立っていた。そこでは雨は降っていなかった。くぐもった日蝕のような暗さはあるものの伊蔵の背後には火山湖が見え、そのターコイズブルーの水面は空の分身の様に思えた。誠一郎はこの山に母と登ったことがあった。標高千五百七十四メートル。複合火山の一つのこの高千穂峰に、登山入り口から二時間をかけて二人は登った。頂上にはこの国の神話に出てくる青銅製の天逆鉾が存在した。誠一郎の母親精子は、その昔ニニギノミコトがこの国を統治する為この頂に降臨し、その際この鉾を山頂に突き刺したと誠一郎に話した。その記憶が蘇ると共に、誠一郎の心の中に突然寂しさがこみ上げた。母親が入院し、初めて精子と離れて住む悲しさが実感として溢れてきた。
日暮れのソファーの中、泣きながら目覚め、祖母が暗い居間の電灯に明かりをつける瞬間、誠一郎の心に差し挟まれたその言葉は姿を現した。誠一郎は居間のソファーからあの高千穂のミヤマキリシマが咲き誇る頂きに再び立ち戻り、伊蔵の言葉を受け取りソファーに戻ってきた。その言葉の持つ思念がその時初めて誠一郎の中で鮮やかに蘇生した。その突然の感覚に驚き、それまでの悲しみは和らいだ。誰にも説明することの出来ない感覚だった。
田上伊蔵は誠一郎の父親敬宇より五歳年上で、両親はとても貧しく戦前は布谷家の馬丁やら小作農を行っていた。戦後になっても両親は日雇いやら長屋の手伝いを行って生計を立てていたが、その貧しさは変わることがなかった。唯一の子供だった伊蔵は知恵遅れで、学校もほとんど行かせてもらえなかった。その人生のほとんどを両親のいる小さな長屋の家で過ごした。長屋と時折酒乱で一晩抑留される派出所までの距離二キロが、伊蔵の人生における全行動範囲だった。伊蔵の人生は長屋に軟禁された状況に等しかった。その閉塞した環境で、伊蔵の父親が酒乱だったように、伊蔵もいつしか酒の味を覚え、時たま手に入れる生活費を全て酒に費やし必ずと言っていいほど暴れた。そんな伊蔵を両親含めて長屋の住人はあきらめと共に嫌悪した。だれからも愛されることはなかった。素面の時には全くその姿を長屋から見せず、酒が入ると人が変わったように顔を赤く腫れ上がらせ狂ったような面持ちで、七十近くになる両親を庭先で殴った。硝子窓という硝子窓を全て叩き割り、深夜刃物を持ち出しては、長屋の人々の扉を叩き奇声をあげた。長屋の人々はその醜態を嫌悪し恐怖した。警察沙汰になることもしばしばで連行されては派出所で一夜を明かし、長屋へ戻ると再び部屋に閉じこもった。この不定期な繰り返しは長屋の子供達の心の奥深くに伊蔵の奇怪な印象を植え付けた。それは理解しがたい何かしら大きな邪悪なもので、彼の背後に見え隠れする伊蔵の姿ではない人間とは思えない邪鬼として想像された。庭先と高千穂の峰で遭遇してから、誠一郎は昼間に伊蔵を一度だけ見かけたことがあった。あの峰の心躍る異様な姿ではなく、薄汚い腹巻きから白い下着が垂れ下がったさえない男の後ろ姿だった。それでもこの長屋の誰よりも誠一郎は伊蔵に魅了された。ゆっくりと散歩している伊蔵の後ろ姿を見つめながら、もう一人の伊蔵の姿を重ねることが出来た。老夫婦以外、長屋の狭い一室に閉じこもる伊蔵を見た者は居なかったが、誠一郎はその伊蔵の姿さえ想像することが出来た。声を潜めその小さな長屋の一室でその一角を見つめ続けながら、あの峰の経験を共有する力を持つという何やら秘密めいた魅力は今まで誠一郎が味わったことのないものだった。
しばらくして伊蔵は、肝属川の浅瀬三十センチで溺死した。その死体は川水を十分に吸収し、白く丸い風船のような姿に成り果てた。夏が終わり、母親が退院し、誠一郎も父親の家に戻りしばらくたった頃、祖母が退院のお祝いに訪れた。そして父に伊蔵の死を伝えた。誠一郎はあの日伊蔵が見せた異様な姿と、あの峰で授かった言葉を思い出した。あの峰で伊蔵が差し挟んだ言葉。その言葉が持つ呪術的感覚は再生され、世界が終わるというイメージはいくつもの幻視と共に繰り返された。それは永遠に閉ざされた闇に次第に姿を消す類の世界の終わりではなかった。その言葉は誠一郎にとって時として思念やら呪文、そして祈りとして捉えられることもあったが、結局の所それはそのどれでもなかった。「言葉」と誠一郎が呼び、同時にこの言葉は幼い誠一郎の中では雰囲気だけで存在し、まだ言葉としての輪郭を持ち得ていなかった。それは伊蔵の印象と行動、そしてその死を併せ持って、ようやくその言葉の姿を浮き上がらせることができた。それでもその言葉を知ろうとその手を差し伸べると、その言葉は彼の手の中で淡い雲が分散するように散り散りになり、彼の心の闇にまた沈潜した。
この言葉を唱えた者は、決して終わることのないイメージの連続を生きることになり、自分自身の肉体が滅びようとも、この言葉が伊蔵から誠一郎へと巣くったように、いつしか人の心に忍び込み、この言葉の能力はその人の心で蘇生し続けるのだと誠一郎は感じとっていた。誠一郎は伊蔵がその言葉を唱えた結果、彼の死が訪れたのかどうか知ることは無かった。しかしながら彼がその言葉を使用したことを後ほど思い描くことが出来た。誠一郎は自らこの言葉の輪郭を見出し、それを唱え繰り返した。そしてその後、相克する作用を生きることになった。その言葉の輪郭を知らずとも魅了され続け、そして同時にその不可解な力に怯えた。ボイラータンクの隣で幼い誠一郎が見つけた暗闇に潜む異空間移動への接点。伊蔵との出会いでそこに加わったのは、彼が誠一郎に与えたあの庭先での視線だった。異物の気配を漂わせ親密さを欠いた視線。伊蔵の言葉は誠一郎を接点への移動、その先の空間へ導く呪符だった。誠一郎は闇のどこかに存在し、視線や気配を誠一郎に送り続け、この言葉が発する世界が終わる空間を今まで以上にその先に感じ続けた。誠一郎はその接点、伊蔵の言葉をいつしか「闇蜘蛛」と呼ぶようになった。