やっぱり獣は匂いに敏感です!
「聖獣シファ様、この娘が新しいヒューディットの婚約者です。」
国王が第二王子の新しい婚約者を、国を守護する聖獣に紹介する。
紹介された娘が俯いていた顔を上げ、挨拶を述べようとしたが、聖獣の顔を見て言葉を失う。
機嫌が悪い。そうとしか思えない顔をしていた。
王も不機嫌な様子に気づき慌てる。いつもは穏やかな気質で冗談さえいう聖獣のこんなに機嫌が悪いところなど見たことがなかった。
本来は大きな体躯を持つ獣なのだが、今日は人型になっているので、集まっている人間達にも聖獣の顔色がわかる。
王国民には存在しない、いつもなら好奇心に満ちキラキラと輝く色を放つ紫水晶の瞳が、今日は昏い色をたたえている。
「シファ様、どうかなされたのですが?」
ヒューディット王子も心配になり、恐々と問いかける。何度か式典などでお会いした時に暖かいものを感じた聖獣の、今日の雰囲気は恐ろしい。そして、その視線は冷気を感じるほどに背筋が凍りつきそうだ。
「それはなんだ?」
「え?」
「それ・・・?」
王と王子が聖獣の視線を向ける先をたどる。
紹介した王子の新しい婚約者がいた。娘は聖獣の視線に耐えれず、頬の色も唇の色も真っ青になり、目からは涙がこぼれそうになっていた。そして、両腕を体にまわし、震える己を抱きしめていた。
「ヴィオラ!大丈夫か!」
ヒューディット王子は愛しい少女の震える姿に驚き、彼女を抱きしめる。困惑した思考の中、聖獣に顔を向ける。聖獣が汚いものをみるように視ていたのは自分の腕の中の少女だった。
「シ、シファ様・・・。」
聖獣の視線が自分に向けられたわけではないとわかっていても、恐怖で震えそうになる。
―――なぜ?なぜだ?どうして?
何もわからず、父である王へと救いを求める。
「シファ様、彼女はダグリアス子爵令嬢ヴィオラと申します。何か、何か問題がございましたか?」
本当なら王の紹介の後、彼女が挨拶する予定だった身分を口に乗せ、王は聖獣の様子を見る。
「ルーファリアはどうした。」
「罪を犯しましたので、修道院へ送りました!」
元婚約者の名前に、ヒューディット王子は憎しみの篭った感情のまま、聖獣に言い放つ。
「罪とはなんだ?」
聖獣は無表情のままだ。人間の姿になると誰もが見惚れる容姿になる。だが、いつもの優しく暖かい笑顔が鳴りを潜めた顔は、恐怖でしかない。
「・・・・嫉妬に狂い、ヴィオラを暗殺しようとまでしたのです。」
学園でのことだ。ヴィオラに好意を持つようになったヒューディット。それに嫉妬し、ルーファリアは取り巻き達とヴィオラを虐めた。それがだんだんと酷くなり、最終的には暗殺まで計画していたことが発覚したのだ。
事前にヴィオラが恐怖で泣きついてきて調べなければどうなっていたか。本当に信じがたいことだ。
そして、調べた結果をルーファリアに付きつけ断罪し、修道院に追放したのは、一ヶ月前だ。
それから、国王や王妃、重鎮達にヴィオラを紹介し、子爵令嬢ということで少々揉めたが、第二王子という身分でならと許された。
第一王子である兄が、隣国の王女を妻とし、すでに子もいることで王家としては世継ぎに対する心配がなかったことも大きかった。
正式に婚約者と認められた子爵令嬢は、結婚すれば王族になる。子爵令嬢という身分から、王子妃の教育は受けていない。卒業まではまだ半年ほどあるが、学園は休学という扱いになり、王宮で専属の教師をつけて勉強することとなった。
ヒューディット王子もヴィオラを心配して、同じく王宮で執務などをこなすことに決まった。
そして、ヴィオラは王宮で暮らすことになる。
王族が暮らす王宮に住むのだから、「聖獣様にも挨拶を」ということになり、謁見が叶った。気に入られれば、加護も授けていただけるだろう。
謁見の場に集まった王族や重鎮達は聖獣の人柄を知っている。暖かく迎えていただけるだろうと、楽しみにしていた。
「ほう。リアがなぁ・・・。」
ルーファリア嬢の愛称を呟き、目を細めた聖獣には暖かく迎える空気など、何処にもなかった。
「シファ様。はっきりおっしゃっていただきたい。皆が混乱しております。」
聖獣と長年の付き合いがある国王は、皆の気持ちを言葉にした。
「ルーファリアは罪など犯しておらぬ。」
「なっ!?ですが、私達もいろいろ調べた結果でございます!」
王子が叫ぶが聖獣は落ち着いた口調で話つづける。
「それが嘘をついている。どす黒い嫌な臭いがする。」
それ。王子の腕の中で震える可憐な少女を指した。
腕の中の涙をはらはらを流す少女。
ウソヲツイテイル。
―――何に?
イヤナニオイ。
女性らしい柔らかい感触がドレスごしに伝わってくる。まだ結婚前で手を出してはいないが、彼女に触れるたびに抗いがたい甘い匂いがする。
この愛しい少女から、嫌な臭い?
ヒューディット王子には聖獣が何を言っているのかわからなかった。しかし、長年の付き合いがある王には聖獣の「嫌な臭い」の意味に気づく。
王宮など魑魅魍魎が蠢く、醜い権力の巣窟だ。そこで、穏やかに過ごせているのは周りの皆のおかげと、何より聖獣が友人のように接してくれるからだ。
たまに聖獣がこっそり、苦笑しながらいうのだ。
『あの者は、嫌な臭いがするからあまり身近に近づけるなよ。』
人間という種族は、多かれ少なかれ見の内にそういう嫌な部分を持っているそうだ。国王である自分にもあるという。それでも、その嫌な臭いと同じぐらい良い匂いの者もたくさんいるのだと、笑っていた。
聖獣と友人になったという何代か前の王がとても良い匂いで、側にいるのが楽しかったと言っていた。それから、この国の王族は良い匂いの者が多いらしい。聖獣にとって、その匂いが途絶えぬ限り、私たちの守護についてくれるそうだ。それが友人との約束だと。
その聖獣が嫌な臭いがする。そういう者は、こっそり調べると裏で酷いことをしている者達ばかりだった。
王国で禁止されている奴隷売買をしていたり、領地で民に重税をきせていたり、難癖をつけては他領を脅していた貴族もいたな・・・。
反対に聖獣がいい匂いだという者は、皆、優秀で今ではいなくてはならない存在になる者ばかりだ。
一度、聞いてみたことがある。
自分はどんな匂いなのかと。
『お前は、優しい匂いだな。好きな匂いだぞ。ロゼリアもいい匂いなんだよなぁー。お前、いい嫁さんもらったな!』
ロゼリアは王妃の名前だ。いい嫁。そう言われてとても嬉しかったのを覚えている。
聖獣が「どす黒い嫌な臭い」と最大限の忌避を見せる娘。国王はめまいがして倒れそうになった。
その娘を溺愛する息子。
そして、聖獣は「嘘」だといった。
では、ルーファリアには罪はないのではないか?
国王も報告書を読んだし、独自に調べもした。
だが、状況は覆らなかった。閉鎖的な学園内部という事、過去に起こった事、そして学園の者達がヴィオラに同情的で、ルーファリアが悪いと決めつけており、調べが進まなかったのも口惜しかった。
止むを得ず、公爵令嬢を修道院行きとしたのだ。
聖獣の言葉。それだけで、信じるのかと問われれば、その発言が一番信用できるのだ。
「ヴィオラ嬢。私達に嘘をついたのか?」
「父上!ヴィオラは嘘などついておりません!私も調べたのです!証人もおりますし、現場を見たという者もたくさんおります!」
「ヒューディット。お前は見たのか?」
「いえ、私は・・・見ておりません。ですが!」
「その見たという者達は本当に信用できるのか?」
「・・・・・。」
口を噤んだ王子の腕の中から、か細い声が聞こえた。
「わ、わたしは嘘などついておりません。ルーファリアは様にいじめられていたのです。」
その姿と声は庇護欲を誘うのか、王子が抱く腕に力を込める。周りにいた貴族たちの中にも、絆された気配の者が数名見受けられる。
そんな中、聖獣がクツクツと笑う。
「何か勘違いしているようだが、ここは【ゲーム】の中ではないぞ?」
ビクリと反応したヴィオラは、目を見開き聖獣を見た。
「お前の元の加護も消えかけてるな。あと、もって一年ほどだ。その加護が消えれば【ヒロイン】ではなくなるぞ?」
ヒロイン。その言葉をこんなところで聞くなんて。
(加護が消えると、ヒロインじゃなくなる?なんで?意味わかんないんだけど!)
「どういうこと?!」
「気になるか?その加護はこの世界の神がつけたもんじゃない。お前の所の加護だろうな。」
「え?」
「お前、この世界で何をした?クックッ。加護が消えるなんてよっぽどだ。」
加護が消える。それがよくないことだとヴィオラにもわかるのだろう。先ほど聖獣に睨まれた以上に顔がこわばっていく。
「最初はその嫌な臭いで気づかなかったが、加護が臭いを押さえているな。加護の効力が薄れたから、強烈に臭ってきたわけか。あれだな、加護がなくなれば、誰もお前を愛さなくなるだろう。」
愛さなくなる。ヒロインではなくなるってことだろうか。
生まれた時から、皆にちやほやされてきた。学園に入ってからも、第二王子に侯爵子息、騎士団長の息子や大商会の息子、隣国の王子。
そして学園の皆。
みんな、みんな優しかった。
例外は【悪役令嬢】だけ。
そう決められていたから。
王子に見初められて、ゲームのハッピーエンドもあとちょっと!幸せまであとちょっとという時に、ゲームにない物がでてきた。
『聖獣』
何それ知らない。【ゲーム】にはなかった。
お助けアイテムにもそんなのなかったはず。
ハッピーエンド後のおまけ要素かなって思ってた。
その【おまけ】が、ここは【ゲーム】じゃないっていう。
聖獣が話すにつれて、王様も王妃様も周りも離れていく感じがする。
思わず、ヒュー様の服を掴んだら、ハッとした顔で見られた。何でそんな顔で見るの?!いつものように私に魅了されたような顔じゃないの?!
王妃は大変そうだから、隣国の王子は諦めた。
第二王子は優しくて、カッコいいからこの人にしたのに!
「普通に暮らしていれば、加護は生涯きえることなく続いただろうにな。だが、うちのに手を出したんだから、容赦はしねぇぜ。」
聖獣が上げた右手で何かを掴んだ。ゆっくりと握りこんでゆく。指が手のひらにつく瞬間、バシュッッー。と擬音が響き、ヴィオラの額が一瞬だけ光った。
ヴィオラが思わず、手で額を探るが何もない。
こちらを見ていたヒューディット王子と視線があう。
王子は驚愕に目を見開き、彼女から一歩離れた。
―――あれだけ溺愛していた彼女から王子が離れた。
そこにいたのは、先ほどの可憐な美貌の少女ではなかった。
ふわふわで皆の憧れだった、触ってみたくなる素敵な栗色の髪が何の魅力もない泥水のような色に。
ずっと見続けていたいと思うほど、キラキラとしていたエメラルドの瞳はくすんで暗い不気味な色に。
ぷっくりとした桃色の頬は病人のように青白く、口づけを誘う唇も色褪せ紫に。
「あ・・・、え・・・、」
小鳥のように可憐で魅惑的な歌を奏でていた声は、しわがれた老婆のように。
「纏う臭いと同じく醜悪な見目になったな・・・。」
ヴィオラは離れる王子を引き留めようとして出した声に驚いて固まった。自らの見た目が変わったのは知りようがないが、声が変わったことには気づいたのだ。
「リアはな、リルファの姪だからな。良い匂いがして気に入ってたんだ。」
前王フェルナンの妹、リルファーミア。ローズ公爵家に嫁いだ王家の姫である。聖獣にとても気に入られていて、聖獣のところに嫁にやるか?と冗談でフェルナン王が話していた逸話がある。
「ヒューの匂いも変な匂いになっちまってるし。」
国王は少しほっとした。変な匂いならまだやりなおせる。
「なぁ、もう帰っていいか?この臭いたまんねぇ。」
「ええ、あとはこちらで対処しておきます。」
もう早くこの場から逃げたいと全身で訴える聖獣に苦笑しつつ、あとは任せてくれといい国王は頷いた。
「じゃあな!」
混乱をその場に残して、聖獣は巣に逃げ帰った。
*◆*◇*◆*
学園でルーファリアの罪を証言した者達を再度問い詰めたところ、あっさりとヴィオラにお願いされたと白状した。ヴィオラの加護が消えたせいか、皆なぜあんなことをしたのかと反省し、しきりにルーファリアに詫びていた。
証言などに関わった者はみな進んで謹慎処分を受けた。
ヴィオラの加護にどっぷりつかっていた数名とヴィオラの両親および使用人達は、元には戻らずヴィオラを信じきっているので隔離して様子をみている。ほおっておくと、ヴィオラを脱獄させるか、ルーファリアに危害を加える恐れがあったからだ。
ヒューディット王子は王都から離れた辺境領の領主に命じられた。目が覚めたらしい王子は素直に王命を受けて旅立った。何年かそこで学び、再び兄を支える為に戻ると誓って。
加護が消えたヴィオラは、ルーファリアの悪事として広めた嘘を暴かれた。すべて自作自演だったそうだ。金持ちの子息達に貢がせていた物が大量にあり、またその加護の魅了を使い、裏町でいろいろしていたようだ。調べれば調べるだけ悪事が出てくる。子爵令嬢がなぜ裏町に?と、わからないこともあり役人達は嘆いているようだ。
本人は調べている間は騎士団の牢屋に入れられ、終わり次第よくて生涯幽閉。悪くすれば死罪だという噂だ。
相変わらず、私はヒロインなのよ!だの。聖獣はゲームのバグなんだ!とわめいているらしい。反省はしていないようで、調べにきた役人や騎士、牢番などに泣きまねや誘惑を試みているようだが、変わり果てた姿では成功するはずもない。
聖獣の謁見の場から、すぐに牢屋に入った為、まだ彼女は自分の容姿が変わったことに気づいていない。
ルーファリアは身の潔白の証明と名誉を回復され、王都に戻ってきた。
「シファ様!お逢いしたかったですわ!」
「リア、おかえり。」
令嬢にあるまじきことではあるが、ルーファリアはシファに抱きついた。幼子の頃はよくこうして抱きついてきていたものだが、第二王子の婚約者となってからはなくなっていた。
「シファ様、シファ様。お願いがありますの。」
「なんだ?」
「リアをシファ様の奥様にしてくださいませ!」
「?!」
「父も母も好きにしていいとおっしゃってくださいましたわ。陛下もシファ様が承諾なされたら良いと言って下さいましたし♪」
「いやいや、待て!」
「私は、ずっとシファ様が好きだったのです!王子の婚約者になることは決定していたことで、一度は諦めましたが今度は諦めませんわ!」
抱きついたまま、大好きですわ!と嬉しそうに笑う彼女に、シファ様がどうやって捕まるのかはまた別のお話。
読んで頂いたことに感謝を。