罪(1)
妖・丹胡と対決し深手を負って川に転落した佐平次。僧・呪洞と影のある少女・伽世に命を救われ、意識を取り戻した。
ふっと会話が途切れた。しきりに鳴きわめく蝉の声が三人の隙間をうめた。
「妖に出喰わした」佐平次は褥に目を落としたまま、ぼそりと言った。「橋の上で」
「ほう」
呪洞はさも興をひかれたように目を丸くした。伽世も真剣なまなざしで佐平次を見ている。
「俺は妖に襲われたんだ」
雫をうける水盤の水が、こぼれだしたような口ぶりだった。
「怖ろしい‥‥驚くほど、強く速かった。俺が今も生きているのは偶然に過ぎない」
「偶然など、ありゃせん。今、生きているということには、然るべき理由がある」
呪洞がいかにも坊主らしいことを言うのが、佐平次はすこし意外な気がした。
「で、どんなやつじゃった。その妖というのは」
呪洞はさほど驚いた様子もなく訊いた。
「童さ」
その言葉を耳にした伽世のまなざしが、一段ときびしさを増した。
「童‥‥?」
「人形のように美しい童だった。橋のたもとに佇んでいた。名を尋ねると『丹胡』だと答えた。俺はその童をしょって橋を渡ったが、その最中に背中から襲われた」
そういって佐平次は包帯に隠れた右耳を指差した。「最初に耳をかまれた」
「かまれたのか」
呪洞の相槌に佐平次はそうだ、と頷いた。
「次に顔を見ると、蛇のような猫のような‥‥人にあらざるモノの顔になっていた。爪が異様に長くて鋭かった。その爪で二発喰らった。それだけだ」
佐平次は口元を歪めたまま言った。
「俺は奴の肉に一太刀もくれてやれなかった」
「そうか‥‥」
呪洞は腕をくみ、あごを拳にのせて思案げにうなずいた。
「爪は斬りおとしてやったんだ。奴め、少しすっきりしただろう」
気休めにもならんか、と言って佐平次は大きく息を吐いた。
「間違いない。近頃うわさの妖であろう」
「耳を切り落とすってやつだろう。話は聞いていたが‥‥。あんな童だとは」
*****
「この剣が俺を救ってくれた」
そう言って佐平次はかたわらにあった剣の鞘をつかんだ。剣は一本しかなかった。落とした方は失われたのだろう。
佐平次はすらりと剣を抜いて見せた。
呪洞の目つきが変わった。三尺ほどの長さのその剣は鋭く、そして夜の闇を閉じこめたように黒かった。柄も鞘も黒かった。刀身が厚く、金属でできたものではないように見えた。
「なんと‥‥漆黒の剣‥‥」
「不思議な剣だ。光のようなものを放って妖に一撃をくれた」
「ほう、光とな?」呪洞は素っ頓狂な声をあげた。「その剣が光を放ったのか」
「そうだ、剣を振ったら光があの妖めがけて飛んでったのさ。あれがなかったら俺は本当に死んでいた」
ふぅむ、と呪洞が興味深げにうなった。
「その剣は何かの石でできているのか」
「わからん」
「その光というのはなんだ」
「知らん」
「何にも知らんのか。その剣はおぬしのものであろう」
「‥‥うん、まあ」
「受け継いだものか、借り物か」
呪洞がじれったそうに問いを重ねる。
「どちらでもない」
「では、おぬしはそれをどこで手に入れたのだ」
しびれを切らしたように呪洞が剣を指差す。
佐平次は観念したように小さく笑った。
「盗んだのさ」
「盗んだ?」
「相州の蔵でこれを見つけた。どうしても欲しくなったのさ」