救助(1)
ある夏の夜明け、サムライ・苦土佐平次は橋のたもとで童女に出会う。迷子になったと言う童女を背負って橋を渡る佐平次だったが、途中で童女が豹変、凶暴な妖となって佐平次を襲う。反撃する佐平次は辛くも妖を撃退するが深手を負って川に転落してしまう。
川べりの、淀みに茂った水草の中に佐平次は流れ着いた。さらさらと光をはじきかえす水面に、打ちひしがれた人のように背中を丸めて浮かんでいた。突き出した刀の鞘が、ここにいるぞと言っているようだったが、どこかむなしくみじめだった。
ふいに現れた一人の女が、川岸に近づいていく。若く、すらりとした姿をしている。
女は佐平次の姿を認めると、手近に落ちている棒を取り上げてつついてみるが、ぶざまな溺水人は応えない。
女は意を決したように水に入っていき、着物が濡れるのも構わないで佐平次を表にした。ひどい傷に気づいて顔を強ばらせながら、女はくちびるを引き結び、歯を食いしばって佐平次を岸に引きずりあげる。
佐平次は真っ青な顔をしている。女は佐平次の口元に耳を寄せ、まだ息があるかどうか確かめていたが、やがて口うつしに自分の息を吹き込みはじめた。桜色のくちびるが、黒むらさき色の佐平次の口にかさなった。それから女は、佐平次に跨ると両手を胸にあててなんども強く押した。
それでも佐平次はぐったりとしたままだった。
そこに頭のはげ上がった小男がやって来た。ふたりは顔を見合わせて二言三言申し合わせると、男の方が肩を、女が足を持って佐平次をどこかへと運んでいった。
***
佐平次は自分が目を覚ましていることに気がついた。
――ここはどこだ?
そう思っても、それ以上は考えることができなかった。頭がひどく痛んで、錘のようだった。厚ぼったい目をうっすら開けて、ただぼんやりとしていた。
そこは見知らぬ部屋だった。天井がわりと高くて、広かった。入ってくる風が心地よく、痛みを慰めてくれる。蔀があげられていて、その向こうは庭なのだろう、溢れる光で白く眩しかった。遠くに蝉の声が聞こえる他はやけに静かで、耳の奥で細く甲高い音が鳴り続けていた。
――光が動く音のようだ。
思いつくことをとりとめもなく巡らせながら、頭を戻そうとすると、上にしていた右耳のあたりが少し痛んだ。手をあてがってみて、初めて頭に包帯が巻かれているのに気づいた。
なぜ耳が痛むのか、少しの間、佐平次は思い出せなかった。左腕にも血のにじんだ包帯が巻かれている。
すうっと、橋上の出来事が浮かび上がってくる。
――夢ではなかったようだ‥‥。
佐平次は苦いものでも噛んだように、顔をしかめた。
自分を手当てしてくれた誰かがここにいるはずだ、話がしたい。そう思って佐平次が体を起こすと、頭痛がぐんと強くなった。めまいのせいで体をまっすぐにしていられない。ひどい吐き気がした。
佐平次は体を横たえてめまいが収まるのを待ったが、どんどんひどくなっていくばかりだった。何か大きなものに足をつかまれて、ぶんぶん振り回されているような心持ちだった。
苦しさのあまり、褥で体を丸めて震えていると、突然、だれかに肩を抱かれてかき起こされた。肩に感じる腕の細さと、目の前に迫った胸元で女だとわかった。顔を見ようとする前に、白い指が口に何かを突っ込んだ。やわらかくてやけに苦い、丸薬のようだった。口に椀があてがわれて水を流し込まれた。
「お飲みください」
女が言った。どこか聞き覚えのある声に視線を動かすと、そこにあの童、妖と化す前の丹胡の目があった。
――!
抗おうとしてもすでに遅かった。佐平次は溺れる者のように水を飲み下すと、何かを言いかけながら、どこか暗いところに吸い込まれるように意識を失い、眠りに落ちていった
***
目。夢の中でもあの目が佐平次に付きまとった。美しい黒水晶の目がいくつも現れて彼を取り囲むと、どこからか現れた大きな獣の爪が彼を突き刺した。佐平次は自分の血でできた血だまりを這い回る。あの歌が聞こえる。丹胡が口ずさんでいたあの歌。弔いの歌だと言っていた。佐平次は逃げまわることしかできない、みじめな虫けらだった。緋に染まった視界の中で、あの目が、冷たく嘲笑うように見ている。