表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
GOOD SAVAGE  作者: 慈音邸良
15/15

薬師(2)

「もうひとつ、おぬしに見せておきたいと言ったろう」


 ひとここちついて、伽世が夕餉の支度に厨に戻ると、呪洞は佐平次を土間に連れ出した。土間は厨とは反対側に設えられて隣の書院とつながっていた。


 呪洞がそこで何らかの仕事をしていることが、ひとめでわかった。書院は壁際いっぱいに書架が3段、4段と積みかさねられ、たくさんの本がのっている。

 佐平次はこの世にこれほど本があるのかと驚いた。



***



 佐平次は読み書きが辛うじてできるだけで、本などには興味がなかった。幼い頃、村の寺で和尚が漢籍を説き聞かせてくれたこともあったが、佐平次は大して興味を持たなかった。本を読んで腹がふくれるわけじゃない、と言って。


 都に出てからもそれは変わりなかった。仏だ老子だのと学のある者がもったいぶった講釈を垂れてくることもあったが、佐平次は人間の生き方についてとやかく言っても無駄だと思っていた。


 人間は死ぬまで生きるだけだ。そこに意味などないような気がしていた。息を止めるだけでも苦しい。三日も食えなければ飢えへの怖れが炎のように人を焦がす。そこからはどうしても逃れられない。知ったような口をきいても飢えてしまえば斬られてしまえばみんな同じだと思っていた。


 人生は空っぽのいれものだ。そこに各々が大切なものをつめて、大事にしてみたり、みせびらかしてみたり、足りないといってみたりしているのにすぎない。他人からみれば、なんの価値もない。入れるものがなければ、そもそも意味がない。



 ***



 土間には使い込んだ鍋をのせたかまどが置かれ、壁には乾燥させた草花の束や、ちいさな動物がつるされて、床には大小いくつもの壺や鉢、匙やすりこぎが整然と並んでいた。つん、と鼻をつく薬草のような酒のような、嗅いだことのない異な匂いがした。


「御坊は、薬師くすしでもあったのか」


「これがわしの本分といってもいい。坊主は‥‥言ってしまえば仮の姿にすぎん。そういうものがあると便利じゃ。世間の目を気にせず好きなことができる。弟子もいらん。一人の方が自由じゃ」


「商売でやっているのか」


「うむ。薬は量も数も限られておる。作るのに手間もかかる。持っている者を相手にして遠慮なく頂くほうがいい」


「坊主というのはどいつもこいつも」


 悪くないつくりの素襖にも書院に積まれた本にも、それで納得がいった。貧しい古寺と思わせておいて、呪洞はそれなりの利益を得ているのかもしれない。


「悪いか?まあ、坊主などというものは業の深い者こそがたどり着く務めかもしれんが」


 呪洞はつぎつぎ壺を開けては、様子を確かめるように中を見ていく。


「念仏もいいが、念仏では拭えん苦しみがある」


 あとをついてまわりながら佐平次も壺の蓋を開けてみたりする。いい香りのする干し草の壺、何かの蜜で似たらしい蟲が詰まっているものや、酸っぱい匂いのする汁に浸かった臓物らしきものと様々な壺があるが、佐平次にそれがなんなのか見当もつかない。


「生きているものは絶えず痛みに悶え病に苦しんでいる。それはそれで構わん。それが自然じゃ。人はいつも飢えを恐れ、死への恐れに苛まれている。それも自然じゃ。どうにもならん。業と呼ぼうが宿命さだめと呼ぼうが、どうでもかまわん。どれだけ説法をしてみても、苦しみはちくとも減らん。しかし、自然の中に分け入れば、痛みを取り除き、病を癒す方法が、手がかりがある。探せばいくらでもあるのかもしれん、ような気がするのじゃ」


 佐平次があまい匂いのする果実の蜜漬けの入った壺を見つけて摘もうとすると、呪洞が言った。


「それは馬の目玉を、酒と躑躅つつじの花蜜と土蛙の血に漬け込んだのじゃ。火がついたようになる、眠れんぞ」


 佐平次がげえ、とした顔で手を引っ込める。



「おぬしが飲んだ丸薬があろう。眠りたいならあれ以上のものはない。傷の痛みも臓物の苦しみも忘れて眠ることができる」


 佐平次は、伽世が飲ませてくれた丸薬を思い出した。伽世のしろい指がくちびるに触れた感触とともに。


「自然の中に問いと、そしてかならず答えがある。わしは知りたいのじゃ。この世とすべて死せる宿命の下にあるものどものなりたちを」


 佐平次が見たところ、坊主などというのは徒党を組んで権力を争っているか、そもそも僧ですらない食い詰め者がその日暮らしの糧を得るために念仏を読み聞かせているかのどちらかで、なにもありがたいことなどない、ごろつきとも乞食とも、サムライともかわりなかった。


 そう思えば呪洞の風変わりな研究など、よっぽどまともに見えた。


 丹胡をとらえて調べ尽くしたいと、呪洞は言った。その意味が、佐平次にもようやくのみこめてきた。


「知ってどうする」


 洞穴で、蝋燭の灯りに照らされながら頭を下げた呪洞の姿がよぎる。あれは子を思う親の心がさせたことではないのか?


「あの丸薬だが‥‥最期の床で、死を待ちながら苦しむ者に飲ませることもある」


 佐平次はその言葉の意味を考えてぎょっとした。それが正しいことなのかどうか、にわかには判断がつかなかった。困惑した表情を見て取った呪洞が言った。


「わしは択びたいのだ。人間などという、泣きわめき威張りちらし欲しがり見下し嘘をつきくだらん理屈をこねて殺し合う、この糞のつまった肉の塊に生まれた自分の生き方をな。求められたなら、人が択ぶ手助けもしよう。わしのしていることが正しいのかどうか、自然は答えを用意しているにちがいない。そのうちわかるであろう」


「俺の場合は正解だったようだ」


 そんなものを飲まされていたのかと思うと怖気が走ったが、言葉には出さなかった。


「普通は死ぬがの‥‥‥」


 呪洞はやけに嬉しそうに笑う。


「‥‥‥そうか」


 佐平次は答えようがなくて、ただ相槌をうった。


「もし黒拉を元に戻すことができるなら、さらに大きなことも成し遂げられるかもしれん」


「大きなこと、とは?」


 呪洞は佐平次の問いには答えず、壺のひとつを取り上げふたを開けると、みずあめのようなものを匙で掬いとった。


 佐平次が見ている前で、呪洞は匙を振ってみずあめを土間の床に投げつけた。


 ぱんっ、と派手な音をたててみずあめが炎を上げ、一瞬で燃え尽きる。


 佐平次は目を丸くする。


「こんなものができることもある」


「なんだ今のは、油か?」


「ただの油ではないぞ‥‥まあ、中身については秘密じゃ」


 呪洞はいたずらを楽しむ童子のような笑みを浮かべた。童子のいたずらがそうであるように、その笑みにはどこか残酷な影がさした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ