地を這うもの(1)
呪洞に連れられ、寺の裏山に登る佐平次。たどり着いたのは結界によって封印された洞窟だった。佐平次たちは暗い洞窟の奥へと進んでいく……。
照らし出された洞穴の最奥部は、人がふたり寝起きするのにも十分なぐらいの広さがあった。奥は岩が棚のようにせり出している。入り口の左右に打たれた木杭の間に注連縄がはられ、その向こうに『地を這うもの』はいた。
「なんだこれは‥‥‥?」
佐平次が吐き気を堪えるように袖を口にあてがった。
それは蜥蜴だった。すくなくとも蜥蜴としか言いようのない何かだった。泉で水浴をする女のように岩棚にもたれかかって、濡れた岩肌を見つめながら喉を鳴らしていた。呼吸が大きく、息を吸い、吐くたびにすきま風のような音がした。蝋燭の光の中に、瘡蓋のようなみにくい鱗に包まれた体が照らし出される。背を覆った鱗は硬く黒光りして、腹は白く、岩棚に押し付けられてやわらかく潰れている。
気配に気づいたのか、ゆっくりと、眠りから覚めたように『地を這うもの』がふたりの方を向いた。
「‥‥‥‥‥!」
佐平次は思わず一歩あとずさった。見開いた目に、おどろきと怖れが露わになっていた。
ふたりに向けられたその顔は、まぎれもなく人間の顔だった。蝋でつくった面のように表情がなく、目は佐平次たちのその奥の闇を見ているようだった。
『地を這うもの』は、やおら岩棚をおりると、ひた、と足音をさせながら近づいてくる。
「妖っ‥‥‥!」
佐平次は剣の柄に手をかけた。
「待て、佐平次」呪洞が冷静な声で言い、佐平次の腕を抑えた。「此奴はここまで来れん」
『地を這うもの』は注連縄の手前まできて、それ以上進まなかった。注連縄の下を潜るのは容易いことのように思えた。
「見ろ」
呪洞が燭台をかかげ、洞窟の左右を照らす。注連縄を張った木杭の足元に、入り口にも置かれていた石積みの山が見えた。紙切れが敷かれているのも同じだった。
「この図象は結界を作るのじゃ」
「結界‥‥‥?」
「これは地を這うものを退ける結界じゃ。蛇やトカゲを寄せ付けん。二つの図象で結ばれた結界は『境界』と呼ぶのが正しいのだろうが。おそらく境界が壁になって此奴にはわれわれが見えてもいない。これが効いているということは、此奴はもう人間ではないのであろう」
「もう人間ではない‥‥」
「元は人間だったのだ‥‥名を黒拉と言ってな」
「名前があるのか」
「せがれじゃ」
「なに!?」
佐平次は驚愕した。
呪洞は『地を這うもの』を見つめたまま言った。
「黒拉は、わしの息子じゃ」
*****
春のある日、まだ夜も明けないうちから使いに出た黒拉が寺に帰ってきて、ひどい目にあったと話を始めた。
道すがら、渡りかかった橋で童女に出会い、手を噛まれた、と言うのだ。
その童女は、耳をくれ、耳をくれとつきまとい、黒拉があたりまえのように拒むと突然手を噛んだという。
見目麗しい童ですっかり油断した、といいながら黒拉が差し出した手には、蛇か獣かと思われるような牙の痕がついていた。
それから三、四日経った後だ。黒拉の様子があきらかにおかしい。目があきらかに濁り、肌は苔のような緑色をして瘡蓋ができている。脂汗をかき、息が荒い。あげくに吐き出してしまう始末。
その夜、決定的な異変が黒拉に起こる。