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GOOD SAVAGE  作者: 慈音邸良
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洞窟(1)

 上司を殺し、都から逃げ出そうとしていた佐平次に、呪洞は「妖を捕らえたい」と協力を求める。強く拒否する佐平次に、呪洞は「見せたいものがある」と告げ……。

「散歩に行かんか」


 昼餉のあと、休んでいるところに呪洞が言った。


「散歩?‥‥かまわないが」


 呪洞は見せたいものがあると言っていた。おそらくそのことだろうと佐平次は察した。


「どこへ?」


「何、この寺の裏山じゃよ」


 呪洞が方向を指してあごをしゃくった。


「裏山?」


「体はどうだ」


「すっかりなまってるさ。動かさなくてはならん」


 佐平次の言葉に、呪洞は満足げに微笑んだ。


「伽世どの、ちょっとの間、留守を頼みたいのだが‥‥」


「承知しました」


「それから、佐平次に上に羽織るものをやってくれんか」


 呪洞に頼まれると、伽世はこくり、と頷いて部屋を出ていった。


「着物など無い方がいいかもしれんが」



 *****



 伽世が持ってきてくれた素襖すおうを、手伝ってもらいながら着た。藍で染められた仕立ての良いものだった。


 玄関まで歩く間、佐平次は寺の中の様子を見ることができた。造り自体は他のいくらでもある寺と大して変わりない。

 庭に面した廊下に出ると、左隣に室中(本堂)があった。階段がついていてそこから庭に降りることもできる。古びた広間に、古い、こじんまりとした仏壇。さらに隣に礼間があって、突き当たったところを右に行くと土間があり、玄関に続いている。


 別にどうと言うこともない、古寺だった。しかし佐平次はひとつだけ気にかかることがあった。


 ――小僧の姿がひとりもない。


 佐平次は訝しく思って、玄関まで来たところで訊ねた。


「呪洞どのはここにひとり‥‥いや、伽世どのとふたりで住まっているのか」


「そうじゃ」


 呪洞は振り返って答えた。


「伽世どのが来たのも、ついこのあいだのことだ。それまではわしがひとりでここにおった」


「弟子をとらないのか」


「とらん」


 若い僧を育てることも仕事のひとつだろうに、とは思ったが口にしなかった。


 佐平次にしたって、人のすることにとやかく言えるような立場ではなかった。


 呪洞は一度奥に入って、何やら荷物を詰めた袋を背負って来た。


 ふたりは草履をはいて表に出た。


 呪洞が、使え、といってじょうを一本手渡してくれた。自分でも一本持っている。


 草木の匂いが溶けた、熱い、むせかえるような空気を佐平次は吸い込んだ。


「夏だな」


「いいか、いくぞ」


 呪洞が先を歩き出す。佐平次は裏山を見上げた。山は緑なす木々につつまれて、仏閣のすぐ後ろまで迫ってくるようだった。

 ずいぶん急なようで、裏山と気楽に呼ぶには険しいように見えた。



 寺の裏の茂みに踏みならされてできた小道があって、ふたりはそこから山に入っていった。


 道とはいっても、知っている人でなければ気づかないようなもので、ふたりは育ちきった夏草を、頬をひっかかれながらかきわけて進み、やがてクヌギやコナラの木々が立ち並ぶ森に入っていった。


 森は暗緑色の翳に沈んで風がなく、湿気がひどかった。きつい傾斜を四半刻ほども互いに黙ったままで歩いた。佐平次が呪洞に話しかけても呪洞が答えなかった。だから黙って歩くしかなかった。汗が衣を濡らし、衣が吸い切らない分が体にまとわりついて佐平次を難儀させた。


 なにより、右耳をかばうために巻かれた包帯がうっとおしい。


「きついか」先を行く呪洞が、ふと立ち止まって訊いた。


 佐平次は袖で汗を拭くと、包帯をはずして髪をほどいた。


「ああ‥‥すっきりした」


「飲め」


 呪洞が、水の入った竹筒を放る。ありがたい、と言って佐平次は水を口に含んだ。



 *****



 だいぶ登ってきた。振り返ると緑の葉をつけた梢のむこう、北東の方向に都が広がるのが見える。それで寺が都の南南西の際に位置するのだと佐平次は知ることができた。市中に入るまで徒歩で半刻ぐらいはかかりそうだ。

 ふもとの寺のあるあたりと都の間を川が蛇が這うようにうねりながら流れている。あの川を流されてきたんだ、と佐平次は思った。どのあたりで拾われたのか、運んでくるのは一苦労だったに違いない。


 地から突き出すようにそびえ立つ七重の大塔が見える。こんなところからでも見えやがる、と佐平次は忌々しげに笑った。一町《109メートル》ほどの高さがあり、靄のかかった大気の中でうだるように揺らいで見える。近くで見ると空を突き破らんばかりの威容だった。

 五十年ほど前、将軍家が仏への帰依と国家の平安をねがって建てたというが、雷に打たれたせいで二度も焼け落ちて、今見えているので三代目だ。あれを見るたびに佐平次は唾を吐きかけてやりたいような気がする。


 ――なにが信仰心だ。建てるたびに焼かれて莫迦みたいじゃないか。いや、権力者なんてまごうかたなき莫迦に違いない。雷が落ちるのも仏とやらに嫌われているせいに違いない。あんなものを建てるくらいなら、飢えた連中に稗でも粟でも芋でも配ってやればいいものを。


 それはあの塔を見るたびに佐平次が思うことだ。いちいち口にするわけじゃない。印に刻みつけたように頭の中にぱっと浮かんで消えていく。同じことをあの塔の下に暮らすものはみな思っている。そんなこと思っていることも忘れてしまうほど、当たり前にいつも思っている。


「そろそろいくぞ」


 景色を眺めながらとりとめもなく考え事を巡らせていると、呪洞の声がした。


「一体、何があるんだ」


 答えは期待していなかったが、佐平次は訊いた。


「もう少しだ。もうすぐそこだ」


 そう言うと、呪洞は疲れた様子も見せずに登りはじめる。


 やれやれと言った顔で、佐平次もついていく。


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