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ヒーローは孤高である

作者: 野黒 鍵

オレンジ大賞 1次通過作品

2次落ちが確定したので、投稿します!

 転校という言葉からは出会いと別れを思い浮かべることが多い。

 その転校を経験することになった俺は、その出会いを期待している。

 別れを期待する方が少ないと思うが、それでも自身の過去をリセット出来るというのは人によっては魅力的に感じることもあるだろう。

 俺の別れというのは味気ないもので、小学生の転校であれば授業の時間を使ってお別れ会なんてものが開かれるだろうが、高校生にもなると学校でそんな催しは開催されない。そうなれば必然的に放課後や休日に仲の良い者達で集まって自主的にお別れ会を行うことになる。

 俺のお別れ会は開かれることはなかった。

 何故か。友達がいなかったからである。

 前の学校で友達が出来なかったのは、もちろん俺が悪い。俺も友達なんて要らないなんて思っていた訳じゃないが、俺の振る舞いを周りは理解出来なかったのだ。

 価値観の違いってやつだろう。それなら仕方ないと友達を作ることを諦めていたのだ。

 だからこそ、転校という過去をリセットする機会を得て、俺は今度こそ友達が出来るのではと胸を躍らせているのだ。

 たった数分の間、廊下で待っているだけで過去の人生を振り返ってしまったのは、やはり緊張からだろうか。

 人間関係において初対面というのは重要だ。初めての印象が最悪な相手とは近づこうとは中々思えないものだ。

 自己紹介も昨日からずっと考えていた。

 早く呼んでくれないかと教室の中にいる担任に念を送る。こんな生殺しのような状況では身が持たない。

 期待している状態を続けるのは思いの外辛いのだ。期待と同じくらいの不安が生まれてしまうからだ。

 「おい、転入生。入って来い」

そんな俺の念が通じたのか、ようやく担任からお呼びが掛かった。

 一つ大きな息を吐き、意を決し教室の扉を開ける。

 入り口から見えるクラスメート達の視線が恐ろしい。

 そんなのに一々怯えていては教室に入る事すらままならない。視線を担任にだけ向け、クラスメート達の顔が見えないように意識して教壇を上がる。

「あー、じゃあ、転入生。自己紹介しろ」

俺が担任の隣に立つと、担任はぶっきらぼうにそれだけを口にした。

 もういきなり自己紹介か。なんか担任が俺について簡単な説明とかをしてくれることを想定していたので面食らってしまった。

「あ、はい。えっと一心(いっしん)正義(まさよし)です。一つの心に、正義(せいぎ)と書いて正義(まさよし)と読みます。名前の通り、正義を愛する男です。変な時期の転入となりますがよろしくお願いします」

 想定外の流れにバタバタとした自己紹介になってしまったが、準備していた通りの自己紹介が出来た。

 俺の自己紹介を聞いたクラスからは拍手が聞こえて来た。

 さてクラスメート達の反応はいかがなものかと身構えていると、クラスメート達は全員真顔で拍手をしていた。誰も談笑もせず、笑顔見せることも無い。ただ真顔で手を叩いている。

 そんなクラスメート達はシンバルを叩く猿の玩具のように見えた。猿の玩具も自分の意志でシンバルを叩いているのではないという点もクラスメート達が猿の玩具に見えたのだろう。

 クラスメート達は自分の意志ではなく、この場は拍手をする場だという理由だけで叩いている。

 確かに俺も拍手をする時に感情を込めて手を叩いていることの方が少ない。だけども、クラスメート全員が真顔というは一種の恐怖である。

 歓迎でも拒絶でもない。それはただの無関心である。

 「転入生の席は……ああ、そこだな。そこの空いている席がお前の席だ。じゃあこれで朝会は終わりだ」

 そんな光景を見て呆気に取られていると担任が俺の席を告げるだけで告げて、教室を後にしてしまった。

 教壇に立っている訳にもいかないので、そのまま指示された席へと向かう。

 席に向かう途中にいる生徒に「よろしく」と声を掛けられたが、やはりその言葉に感情は感じられなかった。

 俺は間違ってロボットの学校に転校して来てしまったのかと錯覚する程、クラスメートからは人間味を感じられなかった。

 こんな学校に出会いを期待したのは大きな間違いだったと考えを改めさせられた。

 転入生がやって来るというのは、もっと大きなイベントのように感じないのだろうか。中学の頃に転入生がやって来た時は違うクラスの生徒がやって来る程の大騒ぎさったのに、この学校ではただの報告で終わってしまった。

 朝会が終わっても他のクラスはもちろんだが、クラスメート達が俺の席までやって来て質問攻めみたいなイベントも、もちろん起きなかった。

 クラスメート達は筆記用具を持って教室から出て行き始めていた。

 時間割を確認すると次の授業は化学となっていた。

 念の為、隣の席のクラスメートに声を掛けてみる。

 「次は移動教室で良いんだよな?」

「ああ、そうだよ。そうか転入生は知らないのか。化学、生物、物理は全て実験室で授業なんだ」

声を掛けて無機質に返答されたらどうしようと心配していたが、どうやらロボットではないらしい。というより、声を掛けてみると普通の対応に少し安心していた。

「そうだったのか。助かるよ」

「いや、気にするな。俺は(となり)(ゆう)(すけ)だ。お隣さんってことでよろしくな、転入生」

「ああ、よろしく頼む。あと、俺は正義(まさよし)って呼んでくれ」

「それもそうか。俺は友介で良いからな」

お隣さんが親切で助かった。教室が分からないので、このまま友介に実験室まで案内して貰うことになった。

 廊下に出てみるとクラスメート達も実験室に向かっているので、案内は必要なかったかと思ったが、話せる相手が出来たというのは俺の学校生活も幸先が良い。

 もしかしたら先程の自己紹介の時、友介は真顔じゃなかったかもしれない。視界に映った生徒の表情が真顔だったので呆気に取られてしまったが、全員の顔をちゃんと確認した訳じゃない。

 出会いを期待したのは間違いだと思ったのは訂正する必要があるかもしれないな。

 新しい学校生活に希望が見えて来た。


 「これ、結構ギリギリにならないか? というか特別教室が遠過ぎないか?」

 この学校に着いてから思っていたことを口にする。

 昇降口から俺の配属となったGクラスまでは当然のように遠かった。昇降口が学校中央にあり、そこから向かって右側に生徒が普段授業を受ける教室が配置されている。

 教室はアルファベット順に配置されているため、Gクラスは最も昇降口から遠い位置にある。

 その反対となる昇降口から向かって左側に特別教室が配置されているため、一番近いクラスの往復距離がGクラスの片道距離と等しくなるのだ。

 しかも購買や食堂は昇降口の真上に位置しているため、明らかに中央に近いクラスの方が優遇されているように感じてしまう。

 そのことに文句は無いが不満が出る生徒もいるのではないか。

 正義的には不平等というのは見ていて気持ちが良いものではない。

 こちらを立てればあちらが立たぬ、ということでもあるかもしれないが……。

 そうだ、Gクラスとして数カ月は生活して来た友介に感想を聞いてみよう。友介のことだけじゃなく、クラスメート達の感想も聞けるかもしれない。

 「――Gクラスなんだから当たり前だろ?」

 予想外の事を友介は口にした。

 多少の不満なり、仕方ない事などの諦めの言葉が出て来るとは思っていた。

 Gクラスなのだから当たり前。その言葉をもう一度自分の中で発してみても意味が理解出来なかった。

 俺が聞いた質問は「教室が遠くないか?」という内容である。その問に対して俺が解釈した意味で答えるのなら「アルファベット順だからGクラスが最後になるのは当たり前」というのが正しい。これに関しても質問の意図を理解出来ていないような気がするが、友介がクラスの配置について受け入れているとすれば、まだ納得は出来る。

 だが、「Gクラスだから」というのは理由として意味不明である。しかもそれについて友介は全く疑問を抱いていない。

 友介との会話にはクラスメート達から感じた変な距離感を感じていない。だが、今の答えはそれに近い違和感を覚える。

 「ああ、そうだな」

 様々な疑問は浮かぶが、とりあえずは同意しておこう。今の発言が悪であるのならば同意することは決してないし、敵として戦う必要があるが、そうでなければ否定する必要はない。

 正義やヒーローは好戦的ではない。平和で平等で悪が存在しなければ正義の出番は無いのだから。

 友介と早足で特別教室に向かっていると前を歩いていたクラスメート達に追いついた、いや追い越そうとしていた。

 クラスメート達は何故か立ち止まり、廊下の隅に寄っていた。

 疑問に思いながらも授業が始まりそうだったので、クラスメート達を横目に見ながら歩みを進めようとした。

 だがそれは友介によって阻まれた。

 「おい、ヒーローは遅刻したくないんだ」

 「いいから! お前も端に寄っておけ」

 そう言う友介の顔に表情は無く、真顔で語気荒く俺を止める

 友介の態度に言い知れぬ何かを感じ、気圧されるようにして従った。

 一体何の為にこんなことをしているのかと不審に思っていると、進行方向からこちらに向かって歩いて来る集団が見えて来た。

 それは普通の生徒で上級生ということも無さそうだった。気になって良く目の前を歩く生徒を観察してみると、首元に付いているクラス章に「S」と書かれていた。

 Sクラスの生徒達が目の前を通り過ぎ、クラスメート達も再び特別教室へと向かって歩き出した。

 「おい友介、Sクラスってなんだ? アルファベット順なら一番最初はAじゃないのか?」

「なんでアルファベット順なんだよ。まあS以降はアルファベット順だから一概に間違いとも言えないけど。うちの学校はアルファベット順じゃなくて貢献度順。ランク制みたいなもんだな」

「貢献度?」

 クラス編成において一度も聞いたことがない単語を友介は口にした。

 学力順とかなら聞いたことがあるし理解も出来る。

 スポーツ特化のクラスもあるみたいだし、運動能力順も理解出来る。

 生徒の能力に応じたランク制というは多くは無いが一般的である。

 だが貢献度制とは? 思い返してもやはり一度も聞いたことが無い。

 「貢献度って学校に対してってことか?」

「それ以外にないだろ。なんだ、国に貢献してる順とかってか?」

友介は噴き出して笑った。

 俺は笑えなかった。

 そんな俺の態度を見てか、友介は不思議そうに聞いて来た。

「貢献度制って他ではあんまり無いのか? 小学校から一貫で高校まで上がれる学校だから他の学校事情は良く知らないんだよな」

「少なくとも俺は聞いたことが無い。他のクラスメートも小中高一貫が多いのか?」

「ほとんどがそうだな。というか高校から入って来る方が珍しい。入って来るとしても正義みたいに転入とかが多いんじゃないか? どんな時期でも入れる空きさえあれば転入出来るからな」

 そうなのである。親の転勤が急に決まり、何処の高校も転入は難しいと言われていたが、この高校だけは二つ返事で了承してくれたと親が言っていた。何の問題も無く試験を受けてそのまま転入となったのだ。

 考えてみれば、その時から変わった高校だなとは思っていた。

 「まあ貢献度ってのはそのままの意味で、学力でも芸術でもスポーツでも何でも良いから学校に貢献している生徒から順に配属が決まるって訳で、俺達は最底辺」

 「その貢献っていうのは能力が高ければ良いのか?」

 「正確には違うな。能力が高いだけじゃ駄目だな。必要なのは実績だ。いくら能力がオリンピックに出られるレベルの運動能力を持っていても大会で結果を残せないなら上位のクラスには入れない。学力に関しても授業での成績が良くても模試の結果が悪かったら下位クラス行きって感じだな」

 「なるほど。貢献度制という意味は理解出来た。だが目的が分からないな。これって何の為なんだ?」

「貢献度が学校に対してって言っただろ? だから学校の為だよ。結果を残す生徒が多くなれば学校の評判が上がる。その評判につられて優秀な生徒が集まる。その循環の為って感じだろう」

 友介の説明を受けて感じたのは単純な不快感。生徒を学校の評判を上げる為に利用しているように感じられる。

 それは正義として許せないことのように思える。

 ……だが、少し落ち着いて考えてみる。

 言い方は悪いかもしれないが、広い分野で生徒の能力を評価しているとも考えられる。それが向上心へと繋がって更に生徒達は努力する。

 これはお互いに取って悪い事では無いかもしれない。

 貢献度という単語に不信感を覚えたが、これが能力制とか別の名称だったら気にならないかもしれない。

 それに転入する時に貢献度なんて話しは聞かなかった。もしかしたら生徒間で使っている通称のような物の可能性もある。

 これを悪と断ずるのは行き過ぎた正義かもしれない。正義は間違った使い方をした途端に悪にもなるのだ。

 気持ちが良い物では無いが問題にする程のことでも無いと考えをまとめた。

 授業開始の鐘が鳴ったため、俺達は急いで特別教室へと向かった。

 変わった学校なので変わった授業かと思っていたが普通の授業だった。前の学校より少し進んでいたので、分からない所が多かったなというのが感想だった。

 本日最後の授業も終わり放課後となった。教室の様子を見てみると残って談笑している生徒は一人もおらず、残っている生徒は全員がノートを広げ勉強していた。

 友介はどうしているのだろうと隣の席に視線を移してみるが、いつの間にか帰ったようだった。

 ちょっと友達っぽくなれそうだな、と少し期待していたのだが、何も言わずに帰るとはつれない奴だ。

 ヒーローがいかに素晴らしいかを語って聞かせてやろうと思っていたのに。

 もしかしてそんな気配を感じ取って逃げたか?

 まあそんな疑心暗鬼は置いておくとして、友介が居ないとなると話せる相手がいない。というより、残っているクラスメート達は全員勉強しているのだから話し掛けるなんて友達であったとしても邪魔にしかならない。

 ……大人しく帰るか。

 

 帰り道を一人歩きながら考える。転入する事で環境が変われば何かが変わるかもしれないと期待していたが、結局は何も変わらなかった。

 友介とは気軽に話せたとは思うが、その位の関係であれば前の学校にも居た。その相手が何を思って俺と会話していたのかは分からないが、少なくとも友達では無かった。学校という社会の時間は共有出来ても、個人の時間を共有はしていなかった。

 あくまで学校でのお付き合い。良くて仲の良いクラスメート。

 考えてみれば仲が良いのに友達なれなかったというのは面識の無い生徒より遠いのかもしれない。

 面識の無い生徒は友達になる可能性はあるが、仲の良いクラスメートはそれ以上発展することが難しい。

 きっと学校で一緒に居るくらいが心地よい関係で、お互いがお互いに相手を利用していたのかもしれない。必要な時だけ一緒に居て欲しいという考えで、そのタイミングがお互いに学校に居る間だけだったのだろう。

 「……腹減ったな」

 考え事をしながら歩いていると腹の虫が鳴いた。

 運動と思考にエネルギーを使い過ぎたか。ダイエットするなら走りながら考え事をすれば二倍痩せるかもしれないぞ、と無意味な事を考えつつ、帰り道にあるコンビニへと向かう。

 買い食いは悪か? と一瞬思ったが、俺が買い食いをする生徒を見て許さないと断ずるかと問われれば否だ。気にせず食べなさいと言うだろう。というか空腹は良くないので、むしろ食べる事を推奨する。

 これは言い訳か? いや、違う。

 自問自答の結果、正義のお許しが出たのでコンビニへ入る事にした。


 パンを買うかおにぎりを買うかを悩んでいると同じ制服を来た生徒が二人コンビニに入って来るのを視界の隅で捉える。駅まで続いている道なので同校の生徒が良く利用する店なのかもしれないなと思いつつ、目の前の問題に意識を戻す。

 パンというよりはアンパン、おにぎりというよりは鮭おにぎりの二択で悩んでいた。甘い物が食べたい気分なのかと聞かれれば違う気がするし、ならば塩っぱい気分かと言われても違う。アンパンか鮭おにぎりという明確に決まった食べ物が食べたいのだ。

 二個買うか? と両方手に持つが夕飯の事を考えるとどちらか一つだけしか食べられないだろう。

 ――決めた、アンパンだ。

 強い決意のもとにアンパンを手に取りレジへと向かう。

 この苦渋の選択に時間を掛け過ぎたのか先程の二人組はカゴ一杯に商品を入れ、既にレジの列に並んでいた。

 友達と帰り道に買い食いか。少し羨ましく思っていると空いた隣のレジに促された。

 「じゃあ会計はよろしくな!」

 「う、うん」

 隣のレジに向かう途中、二人組の一人が肩を軽く殴って笑いながら店を先に後にした。

 今日の出来事があったからか、無意識にクラス章に目が行っていた。

 ――Fクラスか。

 もしかしてSクラスの生徒かと思ったが、そうではなかった。

 肩を殴るという行為が正義レーダーに反応したが、仲の良い二人の悪ふざけだろう。俺もやったことはないが見たことはある。

 何でも正義フィルターで見てしまうのが友達の出来ない原因なんだろうなと一人反省しつつレジにアンパンを置く。

 ただふと気になって残された生徒のクラス章を見てみた。

 こちらはGクラス。どうやらクラスメートらしい。

 友介以外のクラスメートは個人個人に対して印象が無いからか気付かなった。

 あんなに機械的な優しい歓迎をしたクラスメートとは思えない人間味のある交友関係を見せられ、少し傷付いた。

 普段から距離を取っているのではなく、他所から来た人間に対しては冷たいのかもしれない。

 友介も言っていたが、転入した高校は小中高一貫の高校なので小学生から一緒の生徒とは仲が良いに決まっている。

 直感的に距離を感じた朝だったが、それは当たり前だったのだ。機械的とかじゃなくて、単純に出来上がった輪に入れないと感じただけなんだろう。

 初日からげんなりして来た。

 転校は二度目だが、一度目の転校は中学の頃でクラスメート達も物珍しさか、声を掛けて来ることも多かった。

 だが、今度は高校で中学生よりは落ち着いて来た頃で騒ぐこともないのだろう。

 しかも小中高一貫の高校だから新しい玩具というよりは異分子のように見えるのだろう。

 別種の孤独がこれから待っているようで憂鬱な気持ちになって来た。

 「百八円になります」

 店員の声で我に返り、慌てて財布から丁度のお金を出してコンビニから出た。

 目の前には先程の二人組が会話をしていた。見ていても胸が苦しくなるのでゴミ箱の隣へと移動する。

 歩き食いは正義には反さないが行儀が悪い。ヒーローは素行良くあるべきなのだ。

 袋から三分の一程出してかぶりつく。柔らかい触感にパンの甘い香りが鼻を抜ける。そして少し遅れこしあんの甘みが舌を包む。

 この幸福感。やはりアンパンを選んで正解だった。甘い物を食べると幸せな気持ちになるのはなんでだろう。

 悲しい気持ちをアンパンが包み癒してくれているようだ。パンに包まれ、あんこの上で眠る。

 ――俺は幸せだ。

 「じゃあ貰ってくわ。ありがたく思えよ」

 「うん……」

 そんな幸福感を壊すような会話が聞こえて来た。Fクラスの生徒が購入した商品を全て持って行こうとしていた。

 しかも奢って貰った方が感謝しろと言っている。しかもクラスメートは笑っているが、何処かぎこちない。

 これは正義レーダーが正しく反応していると見える。

 かつあげならば止めなくてはならないと思い、食べかけのアンパンを袋に戻し二人に近付くが、Fクラスの生徒はさっさと行ってしまった。

 追いかけようかと思ったが、ある考えが浮かんだ。

 かつあげではなく、賭け事の可能性は無いか? それなら勝った方が偉そうなのは変ではないし、浮かない表情をしたクラスメートにも納得がいく。ここで変に俺が入る事によって二人の交友関係にヒビが入ってしまうかもしれない。

 友達の居ない俺には二人の関係を直ぐには判断出来ない。

 ――正義は振りかざすものじゃない。

 昔、唯一友達と呼べるであろう人に言われた言葉が頭を過る。行き過ぎた正義にならないかと俺の行動を止める。

 そう考えている内にFクラスの生徒は何処かへ行ってしまった。

 クラスメートはその場に残って居たので声を掛けてみよう。もし状況を聞くなら被害者だけに話しを聞く方が良い。

 そう思ってトラウマを振り払ってクラスメートに接触する。

 「今のかつあげか?」

 「え?」

 直接的過ぎる問いにクラスメートは困惑の表情を浮かべていた。コミュニケーション不足の弊害が出てしまったが、ここまで来たら後には引き返せない。

 「さっきから見てたんだけど、買った商品全部持って行かれたんだろ?」

 「あ、えっと……。ああ、なんだ転校生か」

 クラスメートは困ったように動揺していたが、クラス章を見て更に話し掛けて来たのが俺だと分かると安心したように溜め息を吐いた。

 「いや違うよ。かつあげとか、そういうんじゃないよ」

 苦笑いを浮かべながらクラスメートは答える。イジメの被害者的な心理が働いて隠そうとしているのか?

 「なんだ。なら賭け事とかか?」

 そう笑って逃げ道を提示する。誤魔化すなら俺の逃げ道に乗って来るはずだ。

 だがクラスメートは苦笑いを浮かべたまま何を言っているんだという口調で答える。

 「上位の生徒と賭け事なんてする訳無いだろ? ルールだよ、ルール」

 「は? ルール?」

 「そうだよ。これも学校のルール。まあ転校生は詳しく聞いてないのか、Gクラスだしな」

 「奢るのが学校のルール? いやいや、そんなルール無いだろう。ええ、じゃあなんだ。イジメとかじゃなくてルールだから奢っただけってことか?」

 「そうだよ」

 クラスメートはルールだから当然だと呆れながら答えた。奢るのが学校ルール、つまり校則ということだろうか。そんな訳がない。となると考えられるのは曲解か定められている事が違う場合である。

 例えば校則に「困っている人は助けなければならない」と定められていたとして、お腹が減って困っていると言われれば奢ってあげなければならないとなるだろう。これは極端な例だが、「奢らなければならない」とルールにあるよりは納得出来る。

 ふと廊下での出来事を思い出した。Sクラスの生徒達が廊下を通る時にGクラスは隅に避けていたのはルールに関連するのではないか?

 「もしかしてGクラスだからか?」

 「ああ、そういうことは知ってるのか? そうそう、俺達がGクラスだから仕方ないんだよ。嫌なら上位に上がれって話しだからな」

 少しルールが見えて来たかもしれない。クラスがSから始まっていること、今日見た出来事から学校が順位によるカーストを設けている可能性がある。

 それ自体には問題は無い。だが、そのカーストによって下位の生徒が嫌な思いをしているのは許されないことだ。

 心の中にある正義の炎が燃え上がって来るのを感じる。それと同時にブレーキが働く。

 本当にそんなカーストが存在するのか? ルールを曲解して悪用する生徒が一部存在するだけで学校は認知していない可能性もある。

 行き過ぎた正義にならないように冷たい俺自身が正義の炎に水を掛ける。

 正義の心は間違いではないが、誤ってはいけない。しっかりと悪を見極める必要があり、今の情報だけでは不十分だ。

 今は悲しげなクラスメートを慰めよと熱い俺と冷たい俺が言っている。

 悪を倒すのも大事だが弱気を助けるのもヒーローの仕事だ。

 「まあ半分食えよ」

 食べかけのアンパンを袋の中で二つに分け、口を付けている方を手に取り、残った綺麗な半分を袋ごと渡す。

 「……ありがとう」

 クラスメートは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、小さく笑ってアンパンを受け取った。

 「アンパンも意外にいけるな」

 「だろう?」

 それだけ口にして黙々と二人でアンパンを食べた。

 友達ではないがクラスメートと買い食いをするという人生で初めての経験をした転校初日だった。

 教室には昨日のクラスメートが確かにいた。廊下側の一番前という出入りする際には必ず目にするクラスメートの顔を覚えていなかった。

 クラスメート達が距離を取っていた訳でなく、俺自身が距離を取っていたのか。ここに居る生徒達とはどうせ友達にはなれないのだと諦めていたからクラスメートの態度を素直に受け入れられなかったかもしれない。

 アンパンのクラスメートは俺が登校して来たのに気付き、

「よ、おはよう」

と軽く挨拶をして来た。それに合わせて近くの席のクラスメート達も同じように挨拶をして来た。

 それに答えて自席に向かう途中に居る生徒全員に挨拶をされた。

 これが輪に入れないようにする生徒の取る行動だろうか。いや、俺が考えていたこととは違い、純粋に俺という転入生を歓迎してくれているように感じて来た。

 席に着いてアンパンのクラスメートに視線をやると、楽しそうに近くの席の生徒と談笑していた。

 イジメられている生徒はあんなに明るく笑えないはず。もしかしたらイジメの加害者が他クラスだから、という可能性も捨て切れないが、昨日と今日の態度を見るに、それは無いように思う。イジメの被害者は何処かで加害者の影に怯え、卑屈になって行くことが多いからだ。

 それにイジメというのは本人だけでなく周りを巻き込むことが多い。だから助ける気が無い生徒はイジメの被害者とは進んで交友を持つことは少ない。イジメの対象が自分に向かいないとも限らないからだ。

 その視点から見ても、やはりアンパンのクラスメートはイジメられていないと判断出来るだろう。

 だが、それでも奢ることを「ルールだから」と言っていたのは気になる。

 それにSクラスの生徒の為に廊下の隅に寄っていたこと。これも「ルール」だと言っていた。

 俺が転入する際に説明された内容には、そんな校則やルールは無かった。

 そもそも俺は校則の全て把握している訳ではない。ならばまずは校則を確認することから始めるべきだろう。

 生徒手帳を開き、校則の内容を確認しようとした時、朝会前の予鈴が鳴った。

 もうそんな時間だったかと思いながら隣の席に目をやった。友介はまだ登校していなかった。

 友介は悪を崇拝する悪者だから、普段から遅刻等しているのだろう。いや、決めつけは良くない。

 体長不良などの正当な理由による遅刻や欠席だった場合、俺の正義が疑われてしまう。

 そう考えを改めたと同時に、友介は教室へと入って来た。

 ――危ないところだった。

 友介が登校してから考えを改めたのでは、ただの言い訳になってしまう。間一髪のところで俺の正義は守られた。

 友介は自席に向かう途中の生徒全員と挨拶をしていた。

 それは俺の時と全く変わらない対応で、やっぱり俺自身が壁を作っていたのだなと考えを改めさせられた。

 「よう、いやあ危ない危ない。遅刻ギリギリだったわ」

 席に着くなり友介は俺に声を掛けて来た。

 自省していたので視線を向けるまでは、友介の異変に気付かなかった。

 制服が土で汚れ、顔にも小さい傷が出来ていた。

 頭の血がスッと引き、思考は正義モードに切り替わっていた。

 「夜更かしでもして寝坊したか? まるで転んだみたいだな」

 こちらから逃げ道を提示する。勿論、本当に遅刻して転んだ可能性も無くは無いが、十中八九有り得ない。

 転んだのなら汚れは正面に付くか、後ろだけに付くだろう。だが友介は両方に土の汚れが付いている。倒れた時に転がらない限り、こんな汚れは付かない。

 それなのに手に怪我は無く、顔にだけ傷が付いている。これが本当に転んだのだとしたら、手を付かず体を転がすことで受け身を取った以外には少なくとも俺は考えられない。

 もしそれ以外のことで付いた汚れならば友介本人の口から語られるだろう。

 そう思いながら友介の返事を待った。

 「……そう、寝坊して慌てて登校したら転んだ。まさか高校生にもなってすっ転ぶとは思わなかったよ」

 「気を付けろよ? 顔も怪我してるし、後で保健室行って来いよ。ギリギリになったってことは走って来たんだな? 体力あるな」

 「まあ運動には自信があるからな。とは言ってもGクラスの実力だけどな」

 そう言って友介は力なく笑った。

 俺の中ではほぼ決定した。友介はイジメを受けている。

 返答と答える友介が俺を見ていないことから判断出来る。

 ただ、一つの考えが浮かんでいた。

 ――俺には誤魔化したが、もしやこれも「ルール」なのではないか。

 友介は俺がルールの存在を知らないと思い、茶を濁したのかもしれない。

 なので少し探りを入れることにした。

 「なあ、本当は遅刻しそうになったのってルールだろ? 実は昨日聞いたんだよ」

 友介は一瞬目を大きく開き、小さく溜め息を吐いた。

 「なんだ、知ってたのか。そうルールだよ。いつもって訳じゃないんだが、運悪くって言うと語弊があるけどFクラスの生徒と廊下ですれ違ってな。それでって感じだよ」

 傷が気になるのか指で触りながら痛そうに顔を歪めていた。

 「そうか。それはその、なんだ。災難だったな」

 どう声を掛けていいのか分からず無難なことしか言えなかった。

 ここでも出て来たルールの存在。

 今、俺が聞いた情報から推測出来るのはGクラスの隷属化である。

 道を開け、物を奢り、殴られても文句を言えないのは、まさに奴隷のようだった。いや、奴隷なのかもしれない。

 学校内のランクが本当のカーストのように機能している。

 それが事実ならば許されざることだ。校則を確認する必要があるな。


 生徒手帳を閉じ、溜息をこぼす。

 休み時間に確認した結果、そんな校則は無かった。

 それに友介の言っていた貢献度という言葉も校則には書かれていなかった。

 クラス編成は年に三度実施し、学力、芸術、運動の観点から評価を行う。その結果を以てクラスの配属を決定する。

 校則にはそう書かれていた。

 やはり生徒達の間で呼ばれている俗称が貢献度なのだろう。

 そうなるとルールというのも学校が設けた制度ではなく、生徒達の間で浸透している暗黙の了解と考える方が自然だ。

 他に気になる校則は素行の悪い生徒は退学に処すと書かれていたことだろうか。

 普通は退学の他に停学について定められているものだが、それは一切記載されていなかった。しかも罰則についても、退学についての記述一つだけである。

 基本的には咎めないが、悪い事したら一発で退学ということだ。

 その判定が明確に記載されていないため、何をしたら退学になるか分からない。

 そこは生徒達の良識に任せるということなのだろうか。

 今までの情報を整理した時に気になったのはクラス編成の際の評価を貢献度と俗称で呼んでいるにも関わらず、ルールに該当しそうな校則が存在しないことだった。

 ルールは生徒達だけで生み出したものなのだろうか……。

 「おーい、ヒーローさん。次は特別教室での授業ですよー」

 腕を組み、目を瞑っていて気付かなかったが、クラスメート達は特別教室への移動を始めていた。

 そうか、二限は化学だったか。そう言えば昨日の授業で明日は実験を行うと先生が言っていた。

 ただでさえ遠いのだから初動で遅れたら授業開始に間に合わなくなってしまう。

 慌ててノートと教科書を手に取り廊下で待つ友介のもとへ向かった。

 

 廊下を歩き特別教室へ向かう途中、昨日と同じくクラスメート達が廊下の隅へと寄り始めた。

 Sクラスの生徒が向かってくるのかと思い、廊下の先へ視線を向けると見覚えのない生徒も廊下の隅に寄っていた。

 目を凝らしてクラス章を確認するとEクラスの生徒達だった。そして廊下の中央を歩いて来たのはBクラスの生徒達だった。

 この光景を見て先程の仮説が間違いであると判断した。

 Gクラスを奴隷だから道を譲っていたのではなく、下位クラスが上位クラスに道を譲っていたのだ。

 最下位のクラスを人間として見ていない、といったことではなく単純にランクが上の生徒を優先しているだけのようだ。だけ、ということでもないが、少なくともクラスのランクによって差別をしている訳ではなさそうだ。

 それならまだ許せないと憤ることもない。優遇されたいのなら努力して上位のクラスに上がれば良いのだから。

 学校が最上位のクラスをSと定めたことによって生徒達の間で上位クラスを優遇するという暗黙の了解が出来上がったのかもしれない。

 それに関して正義的に悪かどうかを判断することはない。生徒達が自主的に行っているルールならば、この学校に通う生徒として守るべきだろう。

 「これもルールってことだな?」

 「そう。これもルール」

 静かに頷く友介を見ながら自分の中でルールというものに対する考えが整理され、廊下の隅に立つことも納得出来た。

  ただ気になることはまだ残っている。

 昨日のアンパンのクラスメートと友介のことだ。二人とも上位のクラスにイジメまがいの被害を受けているのにも関わらず、それをルール内のことと認識していた。確かに上位クラスを優遇しているのかもしれないが、それは歪んだルールの使い方だ。

 この裏ルールとも呼べるルールは間違いなく悪である。優遇されるからと言って何をしても良い訳じゃない。

 上下関係を学校が設けているから生徒達の心もそれに合わせて歪んでしまったのかもしれない。

 そんな裏ルールを利用している悪を俺は許せない。放課後に友介の後をつけ、犯人を見付けて止めさせよう。

 学校が終わり放課後になるやいなや友介は教室を慌てて後にした。

 もしかしたら朝しかイジメが行われていないとすると、犯人探しは困難となるが友介の様子を見るに放課後も犯人に呼び出されている可能性が高い。または犯人に見つかることを恐れて逃げるように帰路に就いた可能性もある。

 後者であれば明日の朝から友介の家の付近で待ち伏せして後を付ければいい。

 ストーカーみたいだなと少し思うが、正義の為の追跡なのだと俺自身を納得させた。

 見失わないように、そして友介に気付かれないように後を付ける。

 だがそんな心配は必要無いようで友介は後ろを一度も振り返らずに歩いて行く。

 駅に向かう大通りから直ぐに横道に外れ、更に細い路地へと進んで行く。

 先に進むにつれて人通りも減って来ていた。

 友介がこの近辺に住んでいるならまだしも、そうでないのなら間違いなく人気の少ない場所に呼び出されているだろう。

 まだ夕日が落ちるには早い時間なのに辺りは建物の影で暗く、人気の少なさも相まって不気味さを増して来ていた。

 無意識の内に強く握っていた両手が汗をかいている。

 ――俺はヒーローだ、ヒーローに怖いものなんてない。

 そう自己暗示をかけながら友介の後について行く。

 また友介が路地の角を曲がった。

 見失わないように早足で後を追おうとした時、女生徒の声が聞こえて来た。

 「ねえ、ちゃんと一人で来たよね?」

 「ああ……」

 「まあ一緒に来るお人好しなんて居る訳ないか」

 友介を呼び出したのはこの声の主のようだ。

 盗み聞きになるが、これは正義の為だからと聞き耳を立てる。

 「今朝は授業が始まっちゃうからって直ぐに戻っちゃったからね。あんなんじゃ全然物足りなーい」

 何を欲しているのか分からなければドキドキしそうな発言だが、犯人の女生徒は殴り足りないと言っているのだ。

 友介をここ呼び出した理由は今朝の続きをするためで間違いないようだ。

 それなら友介も逆らえばいいのにと思うが、この学校に根付くルールによる縛りは小中高一貫だった生徒には抗えない絶対的な物のように感じているのかもしれない。それにイジメの被害者は理解していても行動に移せないことも多い。

 ――だからこその俺だ。

 弱きを助け、強きを挫く。あの女生徒が強き者かどうかは不明だが、自分の強い立場を利用しているのは事実。

 それに転入生である俺にしか出来ないことのようにも感じるのだ。

 輪に入れないことに寂しさを感じない訳じゃないが、輪の外から見れるからこそ分かることもある。

 こんなルールは間違っている!


 女生徒が友介を殴ろうとして振り上げた手を掴む。

 「え、なに?」

 女生徒はまさか誰かが止めに入るとは思っていなかったのだろう。慌てて手を振り払い、俺から距離を取った。

 マズイ所を見られたと思ったのか、女生徒は顔を引きつらせて俺に捕まれた右手を擦っていた。

 だが俺のクラス章を見たのか片方の口角だけを上げて不気味な笑顔を浮かべていた。

 「上の生徒に見付かったと思って焦ったわ。あんたもGじゃない。緊張して損した。何? あんたもこいつと一緒に殴られたいの?」

 「それなら止めたりしないだろ。ヒーローがお前を止めに来たんだよ」

 俺の言葉を聞いて女生徒は一瞬、目を大きく開いた。そして手を叩いて笑い始めた。

 「はあ? ヒーローとかウケるんですけど。何、正義の味方ってやつ?」

 「その通り。俺は正義の味方で、お前は悪だ」

 女生徒を指さして悪だと宣言する。

 「お、おい。正義、何してんだ。ルールについて聞いたんだろ? 俺は良いからお前はどっかいけ」

 俺の登場に固まっていた友介が我に返り、慌てて声を掛けて来た。

 「聞いたって言っても部分的だがな。上位クラスを生徒達の間で優遇してるんだろ? それはまあ良しとしても、こいつのようにルールを悪用する奴は許せん。こいつの行いは間違いなく悪だ!」

 女生徒を指さしつつ友介を横目に見て答える。

 だが、俺の言葉聞き女生徒はお腹を抱えて笑い出した。

 「何言ってんの? ルールを悪用してるんじゃなくて、これが正しいルールなの。そんなことも知らないって……ああ、あんた最近来た転入生か」

 「何……?」

 「そうかそうか。じゃあ特別にあたしが教えてあげる。あんたが言うように上位クラスを優先するっていうルールは間違ってないわ。だけどね、生徒達の間でってのは大間違い。このルールは学校が決めたのよ」

 「嘘を吐くな。俺は生徒手帳で校則を全て確認したが、そんなことは書かれていなかったぞ!」

 「あんたヒーローとか言ってる通り馬鹿真面目なのね。生徒手帳に書く訳ないじゃない。生徒の誰かが落として外部の人間に拾われたら問題になるんだから」

 「それなら学校が決めたルールにはならないじゃないか」

 「ああ、もううるさいなあ。話は最後まで聞きなさいよ。一応、ルールの一部は生徒手帳にも書かれているのよ。罰則の所」

 俺も罰則については気になっていた。処罰が退学のみで明確な基準が書かれていない。

 「そうね、今日のあたしの行動を担任でも校長でも誰でも良いから教師にチクってみるといいわ。それで退学になるのはあんたよ」

 「は?」

 イジメを報告した人間が退学になる。そんな嘘で俺を騙そうっていうのか?

 「信じられないって顔ね。ならそこのお友達に聞いてみなさいよ」

 腕を組み鼻で笑いながら顎で友介のことをさした。

 「おい、友介。そんなのデタラメだよな? そんなことを学校がする訳ないだろ?」

 女生徒の態度に不安を覚え、すがるような気持ちで友介に問いかける。

 そんな俺の希望を打ち砕くように、ゆっくりと首を横に振った。

 「彼女の言うことは本当だ。俺達Gクラスの生徒とFクラスである彼女を比較した場合、学校に貢献しているのはFクラスである彼女だ。そうなれば罰則を受けるのは下位クラスの俺達だ」

 「そんな馬鹿な……」

 「頭堅いわね。学校にとって役に立つ方を守るってだけよ? 守られたければ学校に貢献しろっていう単純なルール。あんた廊下で上位クラスの生徒の為に道を譲ったことあるわよね? あれは生徒達が進んでやっている行動じゃなくて、防衛としてやっているのよ。上位クラスの生徒が下位クラスの生徒を気に入らないって一声教師に言えば即退学なんだから」

 「そんなの横暴だろ! 許される訳ない」

 「許さないって誰が? 世間? 学校なんて隔離された社会で世間が介入出来る訳ないじゃない」

 「そ、それでも退学になった生徒が誰かに告発でもしたら学校だってただじゃ済まないだろ」

 「うちの学校は超一流大学に行ったり、プロスポーツ選手なる生徒がゴロゴロいるのよ? そんな上位クラスの生徒が退学になる訳ないし、退学になった底辺の生徒の話しを誰が信じるのかしら? 言っておくけど、うちの学校の評判はメッチャいいのよ? Sクラスのおかげでね。つまり学校に貢献さえしていれば好き勝手しても許されるってことよ。生徒が貢献して学校の評判が上がれば入学希望者を増えるし、優秀な生徒も集まって来るって訳。底辺なんて退学にしても評判の良さから転入希望者なんて無限に湧いて来るからね。あんたもその口だと思ったけど違うんだ」

 「俺はただ親の都合で転校しなくちゃいけなくなっただけで、こんな変な時期に転入出来たのがこの高校だっただけだ」

 「じゃああんたの前の誰かが退学になったばっかりだったのね。一応定員があるから何時でも転入可能って訳じゃないし」

 「じゃあ本当にお前の行動を学校が許しているってのか?」

 「だからそうだって言ってるでしょ? 信じられないなら教師にチクりなさいってば」

女生徒はしつこいなあと文句を言いつつ面倒臭そうに手を振って不機嫌さをあらわにしていた。

 「特別講義はもうおしまい。授業料としてあんたも殴らせてもらうから」

「そんなことを許す訳ないだろ?」

「話し聞いてた? あたしがあんたをウザいって教師にチクれば、あんたは退学になるのよ?」

「それならお前をぶっとばして友介を助け、退学になった方がマシだ」

 静かに息を吐き、拳を作って構える。ケンカは得意じゃないし、女の子を殴るというのは気が引けるがこれも正義の為だ。

 出来れば言葉で説得したかったのだが、それも無理そうだ。

 「へえー? 威勢がいいじゃない。そういうの嫌いじゃないわ」

 腰に手を当てて挑発するような目線をこちらに向けた。

 「なんだ、お前もヒーロー好きか? それに免じて友介に謝れば俺はお前を殴らないでおいてやる」

「あははは! ちょーウケる。優しくて涙が出そう」

女生徒は大声で笑いながら手を叩いて騒いでいる。

 「まあ、あんたみたいな奴が出て来ることも可能性としては考えてあるのよね……」

そして何処かに目配せをしたかと思うと、いきなり誰かによって羽交い締めにされてしまった。

 暴れて振り払おうとするが、もう何人か現れ俺の両手両足は抑えられてしまい、全く身動きが出来なくなってしまった。

 「仲間がいたのか。まあいいぜ、好き殴れよ。その代わり友介は見逃してやれよ」

「……あんた状況分かってる? というかそいつらは仲間じゃないわよ、奴隷よ奴隷。あたしっていうよりはあんたのお仲間」

 何を言っているんだと思いつつ、唯一動かせる首を使って俺を抑える生徒を確認する。

 首元のクラス章には「G」と書かれていた。

 「お、おい! お前達、クラスメートじゃねえか! 何してんだよ!」

 「……」

 俺の言葉には答えず、目も合わせず黙って下を向いて小さく震えていた。

 そうか、クラスメート達も女生徒には逆らえないのか。

 「そうか。いや、気にするな。全てはあいつが悪い」

 顔を上げ、歪んだ笑顔を浮かべる女生徒を睨みつける。

 「優しいのね、ヒーローさん。じゃあそろそろ時間よ」

そう言って女生徒はゆっくりとこちらに近付いて来た。そしてニヤリと笑顔浮かべ手を振り上げる。殴られると思い目を瞑る。

 だが、殴られた音が聞こえても痛みはやって来なかった。目を開けて女生徒を見ると、殴られたのは友介の方だった。

 「おい! 俺を殴れって言っただろ!」

 女生徒に向かって怒鳴り声を上げる。

 「誰が聞いてあげるって言ったのよ。あんたみたいな正義感の強い奴は自分が殴られるより周りが殴られる方が辛いでしょ? あんたはそこで何も出来ず友達が殴られるのを黙って見てなさい」

 女生徒はそう言うと殴られて倒れている友介の背中を思い切り踏みつけた。

 「あはははははは! 踏み心地の良いゴミね!」

 高笑いをしながら何度も何度も友介を踏みつける。

 それを友介は黙って耐えていた。

 「くそ、お前達! とっとと離せ! 友介を見捨てるのか?」

 「……」

 俺を抑えるクラスメートに抗議するが、黙って力一杯に俺を抑え続けていた。クラスメート達も耐えているのだろう。

 そんなクラスメートを俺は非難しない。だが、邪魔だ!

 「くそ、離せってんだよ!」

 俺も力一杯体を揺すって抜け出そうとするが、男子生徒五人に抑えられては抗えない。

 「いい? そいつを逃がしたらあんた達全員退学にしてやるからね?」

 女生徒にそう言われ、俺を抑えるクラスメートも必死になっていた。

 「チクショウがああああああ!」

 俺に力が無いばかりに弱気を救えない。こんな俺はヒーロー失格だ……。

 『――そんなことはありません!』

 何処からか聞いた事の無い声が響いた。だが、その声に反応しているのは俺だけのようだった。女生徒は変わらず暴力を続けているし、クラスメート達は俺を離さないように抑えている。

 呆気に取られる俺の視界は光に包まれ真っ白になっていた。

 真っ白な視界が回復し、目に映ったのは目の前で起きている理不尽だった。突然の光に思考が停止していたが、俺がすべきことはこの悪を止めること。だから俺はとっとと拘束を解いて友介を助けなくては、ならな、い?

 ――拘束されていない?

 身体を揺さぶった時、五体が自由なことに気付く。拘束していたクラスメート達はいつの間にか消えていて、ここにいるのは女生徒と友介、そして俺自身の三人だけだった。

 身体が自由になったのだから急いで女生徒の悪行を止めようとしたが、既に女生徒は止まっていた。いや、正確には物理的に停止している。

 「お、おい、あんた」

 悪は許せないが、この状況は尋常ではない。女生徒の肩に軽く触れてみるが、まるで石になってしまったようにビクともしない。女生徒は今まさに友介を踏みつけようと足を上げたまま停止してしまっていた。

 理由は分からないが、ここから離脱する好機である。状況の理解より、この異常な現場から友介を連れて離れるべきだ。

 「おい、友介。ここから逃げるぞ!」

 友介の両肩に手を掛けて揺すってみるが、女生徒と同じく石のように微動だにしなかった。

 「時間が止まってる訳じゃねえよなあ……」

 二人から視線を外し、辺りを見渡すことにした。二人だけが異常な事態に巻き込まれたのか、それとも世界自体に異変が起きたのか。

 こんな異常事態に冷静でいられるのはヒーローであろうと意識し続けた恩恵だろうか。冷静に状況を確認しようとしている自分を客観的に見てそう分析する。

 だが、後方を確認した時、俺の思考は停止した。

 ――俺がいる?

 後方には、今もなおクラスメートに拘束され怒りを叫ぶ自分自身の姿があった。

 恐る恐る自分自身に触れてみる。やはり友介や女生徒と同じようにビクともしなかった。

 「意味も訳も分からん。俺はどうなっているんだ?」

 あまりにも意味不明な状況に脳がギブアップ寸前だった。

 ――俺自身に手が負えない状況ならヒーロー的思考で考えてみるか……。

 思考を切り替えて、この状況をもう一度確認してみる。

 まず、俺の周りにいる人間が全て石のように固まってしまって動かない。この状況から俺が推測出来るのは二種類。本当に石化してしまったか、時間が停止しているか。時間が停止する理由や方法は思いつかないが……。

 そしてどちらかというと、こちらの方が問題であり理解出来ない状況である。俺が二人存在していること。こちらに関しても俺が導き出せるのは二種類の推測である。俺が幽体離脱しているか、今認識している自分が一心正義ではない。

 石化していることと俺が二人存在していることを関連付けて考えるとしたら、何も浮かんで来ない。原因も理屈にも心当たりが無い。

 ――いや、待て。本当に心当たりは無いのか?

 俺がこの異常な現象に見舞われる前兆があった。視界が無くなる程の眩い光に襲われた。この異常事態に忘れ掛けていたが、あの光だって尋常では無い。というか十中八九あの光が原因だ。

 この俺自身に問題が無いか身体を確認することにした。そして視線を手に向けた瞬間異常に気が付いた。

 真っ白の皮手袋を着け、全身はライダースーツに覆われていた。

 「は? なんだこれ?」

 そうなると気になるのは顔だ。鏡が無いから確認するには触れるしかない。そう思い顔に触れようとしたが、何かによって阻まれた。顔を球体のような物で覆われている。だが、呼吸は全く苦しくないし、視界も悪くない。

 ポンポンと顔を覆う球体に触れて正体を確認する。

 「フルフェイスのヘルメットか?」

 皮手袋にライダースーツ、そして顔を隠す為のフルフェイスのヘルメット。これはまるで……。

 「ヒーロー?」

 「その通りです!」

 何処からか聞き覚えのない声が響く。いや、光に包まれる寸前に俺は一度この声を聞いたか?

 声の主を探して辺りに視線をやるが、姿形は確認出来ない。

 「誰だ?」

 この異常な状況で普通に声を発せる存在が普通な訳がない。まあ、俺も異常側の人間かもしれないが……。

 「ここです!」

 その声は凄く近くから発せられているように感じた。身体の周りをキョロキョロと見るが、声の主を発見出来なかった。

 身構えてこれから起きるであろう異常に備える。

 すると首元から先程と同じ光が溢れて来た。そこはクラス章が付いている箇所だった。

 その光が目の前の一点に収束し、人の形を作り始めた。そして、光が人を形成し終えると飛び散るように発光して、光は消えた。

 光の跡のように一人の少女が立っていた。

 「初めまして正義さん。私は天使です」

 急に人が現れて自己紹介をし出した。しかも自称天使。

 「あーえっと、初めまして。天使ってのは名前ってか本名? それともあの天使?」

 俺自身が読み方は違うが、正義という名前なのだから天使という名前の人間が居ても変ではない。だが、その少女の背中に生える純白の翼が本物の天使であると誇示していた。だけど念の為、天使と名乗る少女に問いかける。

 「あのというのが何をさすのか分かりませんが、名前ではなく本物の天使です」

 やはり見た目通り、目の前の少女は天使だった。

 

 こんな状況に陥って一番に浮かんだのは白昼夢を見ているんだろうという感想だった。周りは固まっていて、自分は二人いる。しかも俺はヒーローの格好をして目の前には天使。これを現実だと認識する方が難しい。

 目の前で起きている悪事、理不尽に俺の心が耐えられなくなり、気を失って夢を見ていたという方がまだ現実味がある。

 俺は夢でしかヒーローになれないのかと絶望しそうになっていた。

 「……正義さん聞いていますか?」

「あ、えっと?」

一人考え込んでいると天使に声を掛けられた。正確には声を掛けられ続けていたようだが、自己嫌悪に陥っていて気付かなったようだ。

 「しっかりして下さい! あなたは正義の味方、ヒーローなのですよ」

「ヒーロー? 俺が?」

「そうです。あなたの姿はまさにヒーローではありませんか!」

 天使の言う通り、俺の想像するヒーロー像と今の自分の姿は一致している。だけども俺が憧れているのはヒーローのコスプレなんかじゃなくて正しくあるという精神だ。見た目だけヒーローになっても、身近なクラスメート一人救えない俺はヒーローを名乗る資格は無い。

「俺がヒーローなんておこがましい。現実の俺はこんな状況になっても、ただ見ていることしか出来ない……!」

これを見ろと、後ろで怒り狂う俺自身を指さす。強い言葉や正しい事を主張しても、結局口先だけで何も出来ない俺を……。

「いいえ。あなたは戦えます! 間違いを間違いであると糾弾し、正しくあろうとするあなたの心はヒーロー以外の何物でもありません。だからこそあなたはヒーローに変身し、これから現れる悪と戦えるのです!」

「悪が現れる……? 悪は既にいるじゃないか! 暴力を振るう悪魔のような女が!」

「確かに彼女の心には誰かを見下す傲慢さの種が潜んでいたかもしれません。それに花が咲くように仕向けたのは他ならぬ悪の仕業です」

「さっきから何を言って……」

 説明を求めようと天使に詰め寄るつもりだったが、異変を感じて動けなくなった。

 女生徒の影が膨らみ、形を作り始めていた。それは先程見た天使が現れる瞬間に似ていた。

 影は膨らむように大きくなり、そして弾けるように影は霧散した。

 影の中心には新たな人影は色づき、そして形を成して存在していた。

 真っ黒なドレスを来た女性が真っ黒な日傘をさして、そこに佇むようにして現れた。

 最初は真っ黒なウェディングドレスかと思ったが、今の印象は喪服のようだった。そして、女性の背中には真っ黒な翼が生えていた。

「悪魔みたいだ……」

 気付けばそんな言葉をこぼしていた。

 それに反応してか、女性は口元を隠して静かに笑った。

「ふふ、悪魔のようではなく、私は悪魔ですのよ。まあ背中の翼は悪魔の翼ではなく蝙蝠の翼なんですけどね」

そう言って女性は翼を見せるように、その場で一回転してみせた。

 確かに天使の翼は羽が何枚もある翼だが、女性の翼は一枚羽と呼ぶべきなのか、傘のように骨のような筋に皮が張られているような翼だった。

「悪は現れました。さあ、正義さん! あなたの正義を示すのです!」

 目の前に現れた悪魔が悪なのか? 悪魔は天使と比べたら悪かもしれないが、この状況だけで悪と戦えと言われても俺の正義の心は震えない。悪魔だからという理由だけで正義をかざすのは行き過ぎた正義で、それはただの独善だ。

「ちょっと待ってくれ。俺はこの状況を理解出来ていない。目の前の女性は確かに悪魔かもしれないが、それだけで悪と決めつけてしまうのは横暴じゃないか?」

そんな事を言われるとは微塵も思っていなかったのだろう。天使は目を大きく開き、両手を振って抗議し出した。

「な、何を言っているのですか! 悪魔は悪です! この世に存在してはいけない存在です!」

「いくらなんでも、それは言い過ぎだ。悪魔っていうのは確かに悪い事をすると聞いているが、俺はそれを見た訳じゃない。自分で確認もしていない事で他者を責めるのは俺の正義に反する」

俺と天使の言い合いを見て悪魔は再び声を抑えて静かに笑った。

「そうですわ。ただ悪魔だってだけで私を責めるのは止して下さる? 私は何もしていないのだから」

悪魔の言葉を聞き、天使は厳しい視線を悪魔へ送る。

「何もしていないですって? あなたがその子に取り憑いたりしなければ、ここまで傲慢さにはならなかったでしょう! その子だってあなたの被害者なんですから!」

天使の言葉には悪魔に対する真っ直ぐな怒りが込められていた。

「だから私は何もしていないと言っているでしょう? この子が傲慢に暴力を振るっているのは、この子自身の意志ですのよ? ただ話をしていただけ。毎日この子の辛さを聞いて同情して、そして提案をしてあげただけですのよ? そんなに辛いのなら下の立場の人間に当たってしまえば良いのではないかしら? とね」

「それが悪魔のやり方じゃないですか! 本当であれば表に出てこないような負の感情に栄養を与えて大きくさせる。そんな悪魔の囁きから逃れられる人なんていないです!」

 二人の会話を聞いて、何故天使がここまで悪魔を毛嫌いしているのかが見えて来た。そしてそれは俺にとっても同じことだった。

「天使。少し悪魔と話をさせてくれ」

「正義さん! 駄目です! あなたの正義といえど悪魔に取り込まれる危険があります」

「大丈夫だ。話しというか問いを投げるだけだ」

真っ直ぐに天使を見据えて答える。俺の意志を視線から汲み取ったのか、天使はゆっくりと頷いた。

「何個か俺の質問に答えてくれ」

「ふふ、強引な方ね。いいわ、内容によっては答えてあげないこともないわ」

「あなたがその女生徒を唆して、俺のクラスメートをイジメるように仕向けたのか?」

「いいえ。それは勘違いよ? 先程も言いましたが、私は上からのプレッシャーが辛いなら、下に逃げたらどうかしら? と提案しただけよ」

「下に逃げるというのは具体的にどういうことだ?」

「さあ、どうだったかしらね。上のクラスの方々に怯えて頭を下げることでプライド傷つけられるなら、同じことを下のクラスの方々してみてはどう? とは言ったかしら。具体的に何をしたら良いとは言っていないわ」

「同じことってことは、その女生徒も上位の生徒からイジメを受けていたのか?」

「それもいいえと答えるわ。彼女は別にイジメに遭っていた訳ではないわ。皆と同じく上の方々に頭を下げていただけ。それに少しだけ不満を持っていたってだけよ」

「それをあなたが刺激したと?」

「それもいいえ。私はそんなことはしていないわ。ただ機会があった時に一言助言して差し上げただけですわ」

「……何を?」

「下のクラスの方々であれば何をしてもお咎めはありませんよ? と」

「……」

「こういう話を聞きませんか? 何かの選択を迫られた時、自分の中に天使と悪魔が現れると。それは悪魔である私達がその方の良心を試しているだけなのですよ? そう悪魔は私達で、天使は自身の良心なのですわ」

 今の問答から悪魔を悪と決め裁いていいのか判断が難しかった。確かに人道(悪魔なので人道と呼べるのか分からないが)に反するが、それだけでこの世に存在してはいけないという天使の主張はやはり行き過ぎた正義のような気がする。

 それだけなら自身のモラルで跳ねのける事が出来るのではないかと思ってしまう。そうなると、この状況においての悪は、やはり女生徒自身ではないか?

 腕を組み一人考えていると、天使が怒ったように声を上げた。

「そんな甘い誘惑ではないのです! この悪魔は取り憑いた相手に対して四六時中ずっと悪魔の囁きを繰り返すのです。機会があればとこの悪魔は言っていましたが、機会があればずっと悪を堕ちる提案を言い続けるのです」

「ふふ、そこのヒーローは回数や頻度は聞いていませんからね。聞かれたことにはちゃんと答えましたわ」

日傘を回し、静かに笑っていた悪魔の隠していた口元が偶然だが少しだけ見えた。

 ――口角が不気味なほど上がっていた。

 ニヤリという擬音が似合う不吉な笑い方をしていた。

 この悪魔は俺を手玉に取って楽しんでいるのだ。何もしらない正義正義と口にする愚かなヒーローを……。

「分かりましたか、正義さん! 悪魔というのはこういう存在なのです! 取り憑いた相手を堕落させ悪へと導く諸悪の根源。一度悪魔に取り憑かれたら、悪魔を倒すまで宿主である女生徒は会心出来ません! 彼女を救うためにも悪魔を倒すのです!」

 俺の心が折れそうになった時、天使の声が響いた。

 そうだ、俺は悪にだけは屈してはいけない。ヒーローを志す俺が最も負けてはいけない相手が悪なのだから!

「すまん、天使。目が覚めたわ。俺は確かにあいつを悪として認識した! 俺の心にある正義は悪魔を許そうとは思わない!」

 そう口にして決意を固めた時、右手に暖かくて力強い何かが宿るのを感じた。そして俺の右手は眩く輝き始めた。

「その輝きがあなたの正義です! その拳に宿る正義を悪魔に解き放つのです!」

天使に言われるがまま両手を握り構える。それを見た悪魔に動揺が走しったようで、日傘を放り出して両手の平をこちらに向けた。

「お、お待ちください。確かに私も悪い事をしたかもしれません。反省致します。ですので、どうかご勘弁願えないでしょうか。この子も直ぐに開放致しますので!」

高飛車のような喋りから一転して、俺に媚びを売るような口調に変わり命乞いをし始めた。その姿には傲慢さは感じられない。

「いいえ、悪を許してはいけません! 同情もしてはいけません! 一度人間に取り憑いたら、悪魔が消えるまで宿主である人間の悪意は決して消えません! 女生徒を救うには悪魔を倒すしか道はありません」

 悪魔を許してはいけない。天使はそう言って怒っていた。

 女生徒を唆し、友介に暴力を振るわせたのは許されることではない。だが、反省し許しを請う相手に制裁を加えることが本当に正義なのか。ヒーローと呼べるのだろうか。

 そんな疑問が俺の中で浮かんだせいか、右手の拳から光が失われ始めた。

「正義さん? 駄目です! 悪を憎む正義の気持ちを強く持って下さい!」

天使は俺の様子を見て迷いを感じ取ったのか慌てて俺に声を掛けて来た。迷いのある正義は振るえない。それは俺の大事なルールだ。

 俺の様子を見て苦しげに悪魔は頭を下げた。悪魔だって言えば分かってくれるのだ。

 ――歪んだ口元が見えた気がした。

 それは俺の幻覚だったのか。一瞬の戸惑いが判断を鈍らせた。

 悪魔はそのままこちらに向かって大きく飛躍して襲い掛かって来たのだ!

 何処から取り出したのか大きな鎌を今にも横薙ぎに振り抜こうとする悪魔が目に映った。

 俺は何かに強く押され、後ろに倒れてしまった。

 そして目に映ったのは俺の代わりに鎌の餌食となった天使の姿だった。

 一瞬にして怒りが頂点に達し、右手は俺でも見えない程光り輝いていた。

「てめええ!」

怒りに任せて拳を悪魔に向けると光の筋が悪魔へ向かって解き放たれた。

 悪魔はそのまま光に飲まれていった。そして目が眩むほどの光が辺りに満ちて俺は目を開けていられなくなった。


 瞼越しに光が収まって行くのを感じた。そっと目を開けてみると、俺はクラスメートに拘束されていて、友介は女生徒に踏みつけられそうになっていた。

 やっぱりさっきの出来事は夢だったのだろう。こんな現実から逃げたくて見た夢。なんて弱いヒーローなんだろうか。何も出来ない人間が悪を倒すなんて妄想をして現実逃避をしていただけ。そんなことをしている間にも友介は酷い目に遭っていたはずなのだ。

 現実から逃げるな、戦え!

 心がそう言っているのを感じ、どうにか現状を打破出来る術を考えないと。

 そう思った時、異変は起きた。

 今にも踏みつけようとしていた女生徒は自分が今からやろうとしていることを理解したのか、驚いて腰を抜かしてしまった。

 地面に座り込み両手を口に当て、友介の姿を確認する。

 土や足跡で汚れた制服に顔や手に出来た擦り傷。

 目を見開き、そしてゆっくりと辺りを見渡した。俺の姿も確認して大きく喉を鳴らしていた。

 さっきまでの態度が嘘のように感じる程、この状況に驚き、そして自分のした事に恐怖しているようだった。

 口元を押さえる手が微かに震えていた。そして目の前の現実を受け入れられなくなったのか、

「ごめんなさい!」

と一言口にして駆け足でこの場から逃げ出した。

 女生徒の命令で俺を拘束していたクラスメート達も戸惑っていたようだったが、逃げるようにこの場を後にした。

 俺も戸惑いはあったが、それよりも友介が心配だった。

「おい! 大丈夫か!」

「へへ、まあな。あの子軽いから、あんまり痛くなかったわ」

そう言って友介は苦笑いを浮かべた。

「すまん、何も出来なかった」

自分の無力さを友介に詫びる。

「何を言ってるんだよ。お前は俺にとってヒーローだったぜ」

今度は本当に笑みを浮かべ、俺の肩を軽く叩き一人この場を後にした。

 追いかけようとしたが、イジメられた相手になんて声を掛けていいのか分からず、ゆっくりと歩く友介の背中を黙って見守る事しか出来なかった。

 登校途中に昨日のことを思い返す。

 不思議な体験をしたが、あれは本当に夢だったのだろうか。光に包まれて、ヒーローに変身し、また光に包まれて現実に戻って来た。そんな体験を現実だと思う方が難しい。だけど、実際にFクラスの生徒は改心というよりは正気に戻っていた。それは夢のような出来事内で起きた悪魔との闘いが原因だとしか思えない。それについて詳しく聞きたいのだが、天使は悪魔によってやられてしまった。変質者上等でクラス章に声を掛けてみたが、当然のように反応は無かった。

 夢のような出来事が本当にあったと証明出来るのは俺の記憶だけになってしまった。本人が現実だか夢だか分かっていないのに、そんな記憶は当てにならない。

 でも、それが現実であれ夢であれ、友介が救われた事に変わり無い。

 自分の正義が示せたかどうかより、その方が重要だ。これでもFクラスの女生徒によるイジメが無くなればいいのだが……。

 そんな事を考えていると教室の扉を開ける手に力が入る。イジメが続いているなら、友介がこの時間に登校来ない可能性が高い。逆を言えば、教室に友介がいれば、今日のイジメは無いと言えるだろう。昨日より早い時間からイジメが起きて、もう戻っている可能性も捨てきれないが、経験上それは無い。イジメの加害者はいつだって自分勝手で、イジメの為に朝早く来るのなら、ギリギリまでイジメを楽しむ筈だからだ。

 大きく息を吐いて、ゆっくり扉を開ける。

 視線を自分の席の隣へと向ける。そこには友介が既に登校して来ていて、勉強しているようだった。

 再び大きな溜め息を吐く。今度は安堵からの溜め息だった。

 自席に向かう途中の生徒全員と挨拶を交わしていると、昨日の俺を拘束していたクラスメート達が目に付いた。

 だが、昨日のクラスメート達は悪びれる事もなく、友好的な挨拶をして来た。それには少し面を食らったが、一応挨拶をして自席へと向かった。

 

 俺が席に着いたのに気付いて友介もクラスメート達と同じように「おはよう」と言って来た。

 それに答えると友介は勉強を中断し、俺に話しかけて来た。

「正義、昇格試験は大丈夫なのか?」

 友介から昨日の事に触れて来ないのなら俺からも触れるのは止めておこう。

 ええと昇格試験というのは期末試験の事だったな。

「まあまあって感じだな。授業も真面目に受けているし、帰ってから復習を三十分程度やっている。これなら昇級するかもしれないな」

「……正義は上位のクラスに行きたいのか?」

そう口にする友介の顔に影がさした気がした。上位クラスの生徒からイジメを受けていたのだから、上位クラスに昇級したいという気持ちは下位クラスに対して好き勝手したいのか? と聞かれているように友介の表情から感じた。

「いや、特に上位クラスに上がりたいとかって願望は無いな。ただヒーローが上を目指さないってもの変だろう?」

いつものようにヒーローならという考えを口にしたが、昨日の事が頭過って少し後ろめたい気持ちになった。例え夢のような出来事が本当にあった事でも、現実世界の俺は無力で友介を救えなかったのだから。

 だが、友介は俺の答えを聞いて表情を和らげて笑っていた。

「そうかそうか。確かに最底辺のヒーローなんて格好がつかないからな」

軽く笑い、そして指を俺に向けてさして言葉を続けた。

「だけど甘い。昇格試験の内容を知らないから当たり前かもしれないが、授業の内容を理解しているだけではGからは絶対に上がれないぜ?」

「教科書の復習程度じゃ足りないって事か。なら問題集とかを」

「いや、それでも上がれてFクラスが限界だろうな。いいか? クラス分けは貢献度制って言ったよな。授業に付いていけているだけで小学校に貢献出来ていると思うか? 学力による貢献度の査定は模試によって行われる。つまり、大学受験を視野に入れないと上位クラスには上がれない。Sクラスなんて一年なのに三年の内容を理解していないと上がれないようなクラスだぞ?」

「は? 一年なのに三年の内容を理解するって時間的に無理じゃないか?」

「無理じゃないからSクラスに生徒が居るんだろ? 大まかに分けてSからBクラスまでが三年の内容を理解しているクラス。CからEクラスまでが二年。そしてFとGが一年の内容って感じだな。もちろん理解しているだけじゃダメで、点数を取らないといけない訳だ」

「それを期末までの一週間で網羅するっていうのか? それは無理だろ」

「だからこうして朝から勉強してたって訳だ。俺は一応一年の内容ではあれば理解しているって感じだな。後は二年の内容をどこまで解けるかって感じだな」

「うわ、本当だ。気付かなかったけど、今勉強してたの数学二か」

「そういうことだ。まあ俺も上位クラスへの昇格狙いって事だ」

「なるほどな。確かに今のままじゃGクラスから上がれないな」

「まあ、Fクラスならまだ上がれる可能性はあるかもしれないな」

 一年から三年までの範囲の問題が出題されるというのは進学校ならあり得るのかもしれないが、一学期の期末試験とは思えない。

 それなら授業は何の為に行われているんだ、という疑問にぶち当たる。

 授業が始まって、友介を横目で見ると、やはり授業を真面目に聞いていた。

 その様子から答えは導かされた。

 授業自体が復習に使われているのだ。自分達で勉強して、その復習を授業で行う。

 確かに合理的といえば合理的なのかもしれないが、それは歪んでいると思う。ただ、勉強が進んでいる生徒が授業を聞かないで一人勉強するというのは良くあることなので、そうなることを予め見越しているというのは、やはり合理的だと感心するべきなのだろうか。

 内申点の制度が無く、上位クラスを優遇し学校の学力を高める。全ての制度が学校の評判を上げ、生徒はその為にも努力し、良い大学へ行ける。全てが無駄の無い合理的な制度。そこに人情は無く、ただ機械的な制度に寂しさを感じる。

 内申点という教師の主観による判定を学校自体が否定している。

 完全なる実力社会。生徒達もそれを求めてこの高校に集まったのだろうか。

 俺を拘束したクラスメート達が昨日の事を気にも留めていないのは、この機械的な学校が原因なのだろうか。

 やはり転入初日に感じた無関心さは間違いでは無かった。間違いといえば俺だけに無関心だと思った点だろうか。

 この学校の生徒達の人間関係はクラスメートという関係から進まない。

 俺が前の学校で築いてしまった関係をこの学校の生徒達は自分の意志で進んで築いている。

 やはり、上位と下位のクラスに別れた時、酷い目に遭わないようにと、生徒達が生み出した防衛手段なのかもしれない。

 次の期末でクラスメートが上位に上がったら、同じような事を元クラスメートに行うのだろうか。

 いや、やはり下位クラスに対する身勝手は起きにくいはず。何故なら自分が上位の時に働いた理不尽は下位の生徒が自分より上位のクラスに上がった時に返って来るからだ。

 クラスメート達が異常に感じる程友好的なのは、やはり防衛手段なのだろう。いつか下位の生徒が上位にあがるかもしれないからと、恐怖心から来る防衛。

 俺はやっぱりクラスメート達とは友人にはなれなそうだな……。

 昼休みになり、食堂へ向かおうと席を立った時、友介に声を掛けられた。

「えっと、正義は食堂か?」

転入してから昼休みにクラスメートから声を掛けられたのは初めてのことだった。

「ああ、そうだけど?」

「俺も今日は食堂なんだ。一緒に食わないか?」

友介の言っている言葉の意味は分かったが、何を言っているのか一瞬頭が理解出来ていなかった。

「え、一緒に食べるのか?」

経験の無いことなので思わず聞き返してしまった。

「ああ、いや。一人で食べたいならいいんだ」

言い方が悪かったのか、俺が一人で昼を取るのが好きな人間のように思わせてしまった。違うんだ、人見知りなだけなんだ。

 両手を広げて見せ、ちょっと待てと友介に伝える。誤解だと。

「そういう訳じゃない。転入してから初めてのことだったから、ビックリしただけだ」

「そうか。皆は弁当だもんな。食堂は上位クラスが多いから気を使うんだろうな」

なるほど、と友介は一人納得していた。

「別に嫌じゃないなら一緒に行こうぜ」

「あ、ああ。もちろん構わない」

改めて真っ直ぐに誘われたので戸惑いながらも、今度はちゃんと答えられた。

 二人で教室から出ようとした時だった。

『悪魔が近くにいます!』

何処からか聞き覚えのある声が聞こえて来た。ビックリして立ち止まり、辺りを見渡す。

「うん? どうかしたか?」

不思議そうに友介が俺を見ていた。やっぱり、この声は俺にしか聞こえていないようだ。

 それより天使の声がするということは、昨日出来事は夢ではなくて現実だったのだ。

 悪魔にやられて死んでしまったと思っていたが、無事だったのだろうか。

 天使には色々と聞きたいことがあった。ここでは天使と会話は出来ない。友介の目だけでなく、クラスメート達も近くに居るのだ。天使の声は周りには聞こえないから、傍から見ると俺は独り言を喋っていることになってしまう。

 既に浮いてしまっている気もするが、自分から進んで変人になろうとは思えない。

「ちょっと、腹が痛くなって来た。すまんが、トイレに行かせてくれ」

「なんだ、大丈夫か? 待ってるから行って来いよ」

「ああ、悪いな」

手刀を切り、急いでトイレへ向かう。

 個室に入ってクラス章に向かって小声で話し掛けてみた。

「おい、天使。そこにいるのか?」

『はい! 私はここにいますよ』

クラス章から声が出ている感じはしないが、確かに声は聞こえる。

 そうか天使は無事だったか。

「昨日、悪魔にやられたように見えたから心配してたんだが、大丈夫か?」

『大丈夫じゃないですよ! 正義さんが悪魔に対して情けを掛けるから今まで眠ってしまっていたんですからね!』

天使は昨日の行動に対して怒っているようだった。俺の所為で怪我を負ったのだから怒っていて当然だ。

「悪かった。俺は謝って来る人間は許すと決めているんだ。だから悪魔もと思って――」

『悪魔は人間じゃないです! 悪魔が素直に謝るなんて有り得ません。私の言葉よりも悪魔の言葉を信じるなんて酷いです!』

どうやら天使は怪我した事よりも、悪魔の言葉を聞いた事に対して怒っているようだ。

「いや、天使がちゃんと説明しないで悪魔は滅ぼせ、この世に存在してはいけない、なんて言うからだろう? それよりは悪魔の方がちゃんと会話してくれていたからさ」

『むう。それは私が悪いかもしれないですが、悪魔が目の前に居たんですから説明している余裕が無かったんですよ。まさか正義さんが理屈屋だとは思わなくて。悪は全て倒す! みたいな考えの持ち主だと思っていました』

「いやいや、そんな独裁的な正義は持ってない。何が悪で正義を振りかざす必要があるかどうかは慎重に判断したいんだ」

『悪魔なんて見た目から悪なんですから、見た瞬間から滅ぼして良いんですよ!』

「そんな横暴な……」

『それより正義さん! 悪魔が近くにいます! 早く変身して下さい』

そういえば最初に声が聞こえたと時も天使は悪魔が近くにいると言っていたな。

「悪魔は昨日倒したんじゃなかったのか? え、もしかして悪魔は無数に存在しているとか?」

『その通りです。昨日の悪魔はこの学校に巣くう悪魔の一匹にすぎません』

 ……悪魔の数え方は「匹」なんだな。そんなどうでもいい知識を得た。

「悪魔が複数いて他の悪魔が近くにいることは分かった。だけど変身ってなんだ。あのヒーローの姿に変身しろって言っているなら、俺には無理だ。昨日はいつの間にか変身していただけだし。というかあれは天使がやったことじゃないのか?」

『いいえ、私ではありません。私はヒーローにとってのベルトやウォッチのような存在です。あくまで変身するのは正義さんの意志によって行われます』

天使が意外と一般的なヒーローについて知っていることには驚いたが、言いたいことは伝わった。悪魔を見付けたからと言って天使が俺を変身させることは出来ない。俺が進んで変身しなければヒーローにはなれないようだ。

 天使の話しを聞いて、一つ気になることがあった。

「だけど昨日は勝手に変身したぞ? 俺はヒーローになったのだって昨日が初めてだったし、そもそも俺がヒーローになれることだっていまだに信じられないんだ」

『変身にポーズや合言葉は必要ありません。悪を倒したいという意志や、ヒーローをイメージさえすれば変身は可能です』

「じゃあ昨日変身したのはクラスメートが酷い目に遭わされ、許せないと思ったから変身したってことか」

『そういうことです。では変身を! 早くしなければ誰かがまた被害に遭ってしまいます』

やたらと急かして来る天使だったが、悪魔がいるということは宿主の悪意を増加させ、昨日のような出来事が起きる可能性があるということだ。クラスメートじゃなくともそんな目には誰にも遭わせたくない。

 ポーズや合言葉はいらないと天使は言っていたが、それはヒーローのお約束だ。

「正義の時間だ。変身!」

右手で拳を作り、それを左肩へと当ててヒーローのお約束を口にする。

 ――その瞬間、視界が光に包まれて行った。


 光が収まり、視界が開けてくるとそこには天使がいた。

自分の姿を鏡で確認するとフルフェイスのヘルメットにライダースーツ。昨日見たヒーローの姿同じだった。

「さあ、悪魔はこちらです! 急いで下さい!」

天使は無事に変身出来たことを見届けると、トイレから慌てて飛び出して行った。

 ここは男子トイレなのだが、天使は女の子じゃないのか? と思いつつも飛び出して行った天使を追いかけることにした。

 廊下を進み、昇降口を出て行く天使。天使は翼を使って飛んでいるからいいが、俺は地に足を付けているのだ。下駄箱から土足を取り出し履き替えようとしたが、既にブーツを履いていた。

 「しまった! 土足で校舎内を走り回ってしまった!」

上履きで外に出たことは避難訓練等であったが、逆はなかった。

「何をしているんですか! 早くしないと悪魔を見失ってしまいますよ!」

土足を持って固まっている俺を天使は見付けて声を掛けて来た。

「いや、校舎内で変身してしまったから土足のまま」

「大丈夫ですから! 正義さんはヒーローの姿をされていますが、今は精神体です。校舎を汚したりすることはありません!」

だから早く来いと天使は両手を振って呼んでいた。

 言われてみれば昨日も俺自身が二人になって慌てていたが、今の姿は俺の心の具現化だったか。

 それならこのまま外に出ても問題ない。

 一つ頷きを天使にしてから、俺も急いで昇降口から飛び出した。

 天使はそのまま校舎裏へと一直線へと向かっていた。校舎裏という人気の無い場所。既に嫌な予感がしていた。

 いや、そもそも悪魔がいるということは悪事は既に起こっているのだろうか。

 被害に遭っているであろう生徒の無事を祈りつつ、止まっている時の中を走って進んだ。

 天使に導かれるまま校舎裏へと辿り着くと両手を大きく広げ、男子生徒を踏みつけたまま高笑いしている生徒が目に映った。もちろん、その状態のまま二人の生徒は静止していた。

 やはりヒーローとしての存在になっている時、現実世界の時間は止まっているようだった。

 目の前の光景から既に悪魔は生徒に宿っていることが推測出来る。いくら人気の無い校舎裏だからといって、昼休みに生徒を踏みつけて高笑い出来るというのは人間味が無い。

 俺達の存在に気付いたのか、昨日と同様に踏みつけている生徒の影に変化が現れた。影は一点に集まり出し、そして何かの形を作り出そうとしていた。

 固唾を飲んで見守っている中、ある考えが浮かんだ。

「なあ、この状態で悪魔を倒したらどうなるんだ?」

「……なかなか酷いことを考えますね」

あんなに悪魔を毛嫌いしている天使にすら引かれてしまう発想だったらしい。いや、確かにヒーローが変身している間、怪人は攻撃してこないというお約束はある。でもそれは演出だったり、フィクションだからだ。こんな無防備な状態なら、安全に確実に倒せるのではないか、と思っただけである。

「もちろんですお約束で攻撃しないということではありません。影になっている間、悪魔は悪魔として存在しているのではなく、宿主の悪意と一体になっています。悪魔の姿になってから、初めて悪意はこの精神世界に具現化します。つまり悪魔が宿主から独立した存在として姿を現すのです」

「じゃあこの影の状態の悪魔を攻撃しても、宿主の悪意が減るだけで、完全には消滅させられないのか」

「そういうことになります。そして悪意の一部になっている悪魔もまた消滅させることは出来ません」

宿主の悪意の具現化が悪魔ということか。それなら俺の正義感の具現化がこのヒーローとしての姿ということになる。それなら一つの疑問が浮かんで来る。

 ――俺の正義感の強さは天使が宿ったことで強くさせられたのではないか?

 悪魔が宿った人間の悪意が増加させられるのであれば、天使が宿った俺も正義感が増加させられていても不思議ではない。

 幼い頃から正義感が強かったのは俺から生まれたものではなく、天使の力によるものなのか。

 そんな疑問や不信感が心の中で生まれていた頃、目の前の影は悪魔へと姿を変えていた。


 目の前の影はタキシードのような服を着た猿へと変化した。

「お前が悪魔か?」

「悪魔だあ? 見ての通りの悪魔様ヨ」

語尾のイントネーションが変なのが少し気になったが、猿の姿をした悪魔らしい。

 言葉を話して服を着る猿なんて悪魔しかないか。

「お前がその生徒に取り憑いて、そんな酷いことをさせていたのか?」

踏みつけて高笑いをしている生徒を指さして悪魔に問う。そんな俺の言葉を理解しているのかいないのか、悪魔は顎を擦りながら黙っている。そして俺ではなく隣にいる天使を見て、ようやく口を開いた。

「お前達、何様ダ? 俺が何をしていようがお前達にとやかく言われる筋合いじゃあねえだロ?」

「それはこちらの台詞です。そんな酷いことを誰が許してやっているのですか! 正義さん、もういいです。悪魔なんかと会話していても意味はありません。さっさと滅してしまいましょう」

悪魔の言葉を聞き、天使は一気に沸騰した水の様に怒り出していた。よほど悪魔が嫌いなのだろう。

 ただ悪魔の言葉を聞く限り、生徒に酷いことをさせている口にしていたので、目の前の猿はやはり悪魔で悪なのは間違いない。

 天使のように悪魔を憎んでいる訳ではないが、俺としても目の前の悪魔を許すつもりはない。

 俺が構えを取ると悪魔は足を叩いて笑い出した。

「天使にヒーローって訳ネ。いきなり滅するなんて物騒なことを言い出すなア。まあ、そこの天使よりは兄ちゃんの方が話しが通じそうだな。ちょっと話をしようヤ」

「話し?」

話しをしようと言われ無視して殴り掛かるようなヒーローではない。一度握った拳を解いて腕を組む。

 その様子を見た天使は慌てて怒り出した。

「何をしているのですか正義さん! 昨日もそれで悪魔に不意を突かれたのでしょう?」

天使の言うことはもっともだったが、目の前の悪魔から敵意のようなものを感じない。それでこちらだけ敵意を剥き出しにするというのもヒーローらしくない。話をしようと言われれば応えるのが俺の正義である。何も力だけで正義を示す必要なんて無いのだから。

「不意を突かれたってのカ? まあ話をしようって言われて構えを解いちゃうってのも人が好過ぎると悪魔の俺からも思うけどナ。でも俺にはそんな気はねえサ。話しというか一つ不思議に思ってナ。質問に答えて欲しいわけヨ」

「質問? いいだろう、何でも答えるぞ」

「正義さん、駄目です! 悪魔の言葉に耳を傾けてはいけません!」

俺に聞かれて困るようなことは何もない。昔に犯した小さな罪は何と問われても一切無いと答えられる。小学生の頃、万引きをしようと提案して来たクラスメートをそのまま店員に通報したり、弱い子や生き物をイジメたことも一切無い。むしろ進んで助けて来た俺に後ろ暗い過去など無い。……友達はいなかったが。

「そう構えるなヨ。さっきの会話から察するに、俺以外の悪魔を殺しているんだロ?」

「ああ。昨日一人の悪魔を滅ぼした」

「そうそう、そこなんだヨ。滅ぼすと滅するって言い方をしてるけど、結局は俺達悪魔を殺したんだロ? まあ俺達は人ではないから人殺しじゃないかもしれないが、悪魔殺しはヤったってことだよナ?」

そう言われ、俺の中に動揺が広がった。確かに昨日、悪魔を倒した。「倒した」と意図的に思っていたが、それはあの蝙蝠の悪魔を殺したことになるのではないか?

「ただ、それでも悪は許されないことだ!」

「そうかもしれないナ。でも人間達だって法を犯せば罰せられはするけど、即死刑なんてことはないだロ? 俺達悪魔を見つけ次第皆殺しってのはヒーローのすることなのかイ?」

「そんなのは悪魔の戯言です。耳を貸す必要はありません。悪を滅ぼすのがヒーローですよ!」

 天使の言うことは正しい。悪は許せないし、滅ぼすべきだと心の底から思う。

 ――だけど、悪魔の言うことも理解出来てしまう。

 正義というのは一か零じゃない。悪を正せるのなら戦う必要は無いし、説得出来るのならその方が良い。

 行き過ぎた正義にならないように、正義をひけらかさないようにするには自制が大事なのだ。

 感情ではなく理性で正義を行う必要があるのだ。

「正義さん! 悪魔は滅ぼさない限り宿主から消えることはありません! これは殺しではなく制裁であり正義の行いです。悪魔に掛ける情けも躊躇いも必要ありません。あの生徒達を救うには悪魔を殺すしか方法は無いのです!」

俺の戸惑いを感じたのか、天使は俺に説得するようにそう告げた。

 生徒を救うには悪魔を殺すしかないと。悪魔は宿主の悪意と同化しているのだから、独立して存在している今、悪魔を殺すしか助ける術はない。

「俺達悪魔はちゃんと自分のしていることを理解してヤってんのさ。だからこうして自分がヤられる時が来るってのも覚悟してるしナ。それが兄ちゃんにはあるのかイ? 俺が質問したかったことはそういうことヨ」

 正義を行う覚悟とそれを背負う覚悟。そして悪を殺す覚悟。

 俺にヒーローになる覚悟があるのかと悪魔は問いているのだろう。

 それは俺が向き合って来なかったヒーローとしての責任。ただ偶像としてヒーローを崇拝していた時と違い、本物のヒーローになった俺に必要な問いなのかもしれない。

 悪魔の言葉に答えるように拳を握り構えを取る。

「へへ、そうかイ。覚悟は出来てるって訳カ。無粋なことを聞いちまったナ」

「いや、俺の甘さを見つめ直させてくれる良い問いだった。ヒーローが悪に感謝していいのか分からないが、正義として感謝を」

「天使の使いが悪魔に感謝ってカ? ほら、隣の天使が怒っているゼ?」

そう言って悪魔は天使を指さして笑っていた。

「好きにやるにはそれ相応の覚悟と責任をって訳ヨ。俺達悪魔は契約にはうるさいから、そういうことには大事にしてんのヨ。じゃあ、さっさと俺を殺しナ」

「抵抗はしないのか?」

「まあ俺くらいになると実力ってのが分かるのヨ。どんなに抵抗したって兄ちゃんの輝きには敵わねえヨ。というかそんなに長い間輝き続けられるのかイ? その正義ってのは」

「もちろん、正義が輝きを失うことはないからな」

「そういうことじゃなくて、兄ちゃんの自身のことだったんだがナ。まあいいヤ。さア、来ナ」

悪魔は俺を歓迎するように両手を広げて、その時は待っていた。

 俺は悪魔に応えるように頷くと、右手が光に放ち始めた。

「気を付けて下さい! 相手は悪魔ですから油断させて、ということも考えられます!」

そう天使は忠告するが、きっと目の前の悪魔は大丈夫だろうと思えた。

 会話が出来るのなら話は通じる。それが悪魔だろうと。

 光輝く拳をそのまま悪魔へと解き放つ。それを悪魔は避けることなく受け止め、そして光包まれ消えて行った。

 光の強さに一瞬目を閉じ再び目を開くと、そこはトイレの個室の中だった。

 正義の時間は終わり、現実世界へと戻って来たようだった。

 先程の悪魔の言葉が頭から離れなかったが、宿主となった生徒達のことが心配だった。

 慌ててトイレから飛び出し、校舎裏の様子を陰から覗うと、宿主となった生徒がイジメていた生徒に頭を下げ謝罪していた。

 どうやら無事にあの生徒の心を浄化することに成功したようだった。

「よかった……」

二人の様子を確認して安堵の溜め息が漏れた。

『正義さんは人が好過ぎます。悪魔と会話しても良いことなんて一つもありません。しかもその悪魔に感謝なんて!』

クラス章に戻った天使から非難の言葉を浴びせられる。

「俺は間違ったことはしていない。天使も悪魔だからといって決めつけるのは良くないぞ」

『なっ! もう正義さんなんて知りませんからね。お腹弱い男の子って思われれば良いんです』

お腹? 天使が何を言っているのか一瞬分からなかったが、トイレに向かう前のことを思い出した。

「そういえば友介にはトイレに行くって言ってたな」

今頃友介は俺がトイレに籠り続けていると思っているのだろう。

 嘘を吐いた報いなのかもしれない、と反省しながら教室へと戻った。


 ――案の定、友介には腹の心配をされたのだった。

 今日の授業が全て終わり、帰り支度をしていると友介がノートを取り出しているのが見えた。

「友介は残って勉強か?」

今朝も早くから学校に来て勉強していた友介だが、放課後も残って勉強するようだ。

「やっぱり家だと色々と誘惑があって勉強が捗らないからな。図書館とかでもいいけど、逆に静か過ぎるのが気になってな」

「期末試験に向けてやる気十分って感じか」

「まあ、いつまでもGクラスってのもな。正義は昇格には興味無いのか?」

「うーん、どうだろう。そもそもクラス替えのことも今日細かく聞いたばかりで考えたこともなかったからな」

腕を組み考えてみるが、上位のクラスになることに対して興味は無い。

 俺にとって重要なのはどのクラスになるかより、正義を大事にすることだ。

 ヒーローとしての活動について考えてみても、今のクラスのままで支障はない。

 実際に正義を執行する時は、精神世界で行うわけで、現実世界の俺がどうであるかは関係無い。

 だが、そこまで考えて別の考えも浮かんで来た。

 ヒーローとしては確かに問題無いが、現実世界のこの学校で悪魔が関与していない悪が存在する場合はどうだろうか。

 その際の加害者は間違いなく上位クラスの生徒になる。そもそも友介がイジメの被害に遭った時も、相手は上位の生徒だった。悪魔に取り憑かれたとしても、上位のクラスに対して何かをするということは考えにくい。どんな理由があるにしろ、悪意を上位クラスの生徒にぶつけた瞬間に退学になってしまうからだ。

 悪魔が絡んでいるにしろいないにしろ、被害に遭うのは下位クラス、つまり弱者ということになる。悪魔が関係しているのであればヒーローとして戦えるが、そうではない場合は下位クラスに所属していると被害者を助けることが出来ない。

 友介がイジメに遭っていた時、あれが悪魔に取り憑かれていない生徒だったなら友介を救うことは出来なかった。

 俺が現実世界でもヒーローであるためには上位のクラスに所属している必要がある。

「それでもやっぱり昇格したいかな」

だから友介の問いにはそう答えた。

「……それは上位のクラスに所属して好き勝手って、そんな訳無いか」

「当たり前だ。そんなことのために上位クラスを目指そうとするか。正義は常に上昇志向なだけだ」

上位クラスに所属して下位クラスを守りたい、なんて少し自分勝手な正義というかおしつけがましい気がして口に出来なかった。

「まあ正義ならそう言うと思ったよ」

そんな俺の心情を察してか否か、友介は笑みを浮かべていた。

「それなら残って一緒に勉強しようぜ」

俺も家に帰ってから勉強しないといけないなと思いつつ帰り支度を再開しようとした時、友介にそう声を掛けられた。

「え、俺に言ってる?」

一瞬、他の誰かと会話しているんだろうなと思っていると友介は俺を見ていた。

 俺に話しかけているとは思わなかったので咄嗟にそう答えてしまった。

「いや、嫌なら良いんだが」

昼休みの時と同様に失礼な返答をしてしまったため、友介が「無理には言わないけど」と申し訳なさそうに言っていた。

「違うんだ。そういう友達みたいな誘われ方に慣れてなくてな。俺に言っているとは思わなくて」

複雑な表情を浮かべている友介に慌てて弁明を口にする。

「友達みたいって俺達友達じゃないのか?」

「ええ? 俺達って友達だったのか?」

友介の何気ない発言に驚いてしまった。

 俺はいつの間にか友達が出来ていたようだった。

「少なくとも俺は友達だと思っているよ」

「そ、そうなのか。俺にも遂に友達が出来たのか……」

「遂にって大袈裟だな。前の学校にも友達はいたんだろ?」

「いや、俺に友達がいたことはないぞ。クラスメートはいたけど」

「あー、そう、か。いや、変なこと聞いて悪かったな」

まさか友達が出来たことがないとは思っていなかったようで、友介は心底申し訳なさそうに頭を下げていた。

「いや、まあ、うん。気にするな」

こういう時に気の利いたことが言えればなあと自分の口下手さが悔やまれる。

 気にしていないわけじゃないが今の言い方では滅茶苦茶気にしているように聞こえないかと心配になった。

 二人の間に気まずい空気が流れようとした時、数人のクラスメートが話しかけて来た。

「残って勉強するんだろ? 俺達もそのつもりだから皆でミニ勉強会でもやろうよ」

話し掛けられたのは勿論友介だった。俺が転入する前で友介がイジメに遭う前は、こんな感じでクラスメート達と仲良くしていたんだろうな。この状況で俺は邪魔じゃないかと思ったので、帰り支度をしようとした時、友介に声を掛けられた。

「俺は良いけど正義はどう?」

「え、どう? とは?」

「皆で勉強会しないか? ってこと」

「うん? 俺に何か関係が?」

「いやいや、当たり前だろ。俺がまず正義を誘ったんだから」

どうやら友介と勉強することは決まっていたようで、その中にクラスメートを混ぜてもいいか、という許可を俺に求めているらしい。

 そんなの答えるまでも無く良いに決まっている。

「もちろんヒーローは誰でも歓迎するからな!」

俺が友介にそう答えると、クラスメート達は笑い出した。

「そういえば正義君は転入初日にも同じようなこと言ってたね。それは持ちギャグみたいな感じ?」

普段の俺なら一瞬で怒る発言をしたクラスメート達だったが、友介の友達だろうし勉強会を今からやるのだから、ここで俺が怒ってしまっては場の空気が悪くなってしまう。

 そんなことを考えるようになったのは友介に友達と呼ばれたからだろうか。

 正義を馬鹿にされて笑っていてはいけない。

 そうでないと今まで貫いて来た正義がぶれてしまう。

「おい、そうやって茶化すなよ。人の好みを馬鹿にするな」

俺が口を開こうとした時、何故か友介が先に怒り出した。

「あ、いや。そういうつもりじゃないんだ。気分を害したなら謝るよ」

友介とクラスメートの間に重い空気が流れようとしていた。

 友介が俺を庇う理由は思いつかない。だけど正義を庇ってくれたことには報いなければならない。

「おいおい、友介も初日に似たようなこと言ってただろ?」

「それは内緒にしてくれよ。俺の立つ瀬がないぜ」

俺の意図をくんだのか、友介は軽い口調で返して来た。

「なんだ、友介も同じじゃんか」

一瞬重い空気が流れそうになったが、今のやりとりで和やかな雰囲気に戻った。

 クラスメート達は机をくっつけて勉強会が出来るようにしていた。

 俺もそれにならって自分の机を友介の机とくっつけた。

 机を移動しながら、友介が何故クラスメートに食って掛かったのかが少し気になった。

 その後の勉強会は特に揉めることなく、一人で勉強するよりも効率が良かった。

 分からない問題があれば互いに教え合うことが出来た。放課後に残って勉強するくらいの情熱があるクラスメート達だったので、学力のレベルは高かった。だけどもやはりGクラスだからか、一年の範囲が精一杯だった。

 その点友介は二年の範囲にも手を付けているらしく、勉強会の中で一番優秀だった。昇級することに一番意欲的なのも友介だった。

 やはり先日の上位クラスから受けたイジメが原因だろうか。

 最下位クラスでいるうちはクラスメートしか対等に話せる存在がいない。つまり、クラスメート以外から不当な扱いを受ける可能性があるのだ。Gクラスでいたいという生徒はいないだろう。

 勉強会を終えて下校する際、友介に声を掛けられた。

「お疲れ。一緒に帰ろうぜ」

念の為辺りを見渡し俺に言っていることを確信してから答える。

「ああ、いいぞ」

「……お前、どんな生活を送って来たんだよ」

友介は苦笑いを浮かべながら俺の行動を見ていた。

「いやいや、誘ってない相手が反応しちゃった時はお互いに嫌な思いするんだぞ? 俺が嫌な思いをするのはいいけど、勘違いさせちゃった側も被害者だぜ? 勘違いさせちゃった手前、俺も誘わないと悪いかなって顔をさせるのは俺も辛いぞ」

「あー、うん。何があったのかは聞かないでおくわ」

俺の力説に友介は目を閉じて掌をこちらに向けて、俺が悪かったと言っていた。

「勉強会も疲れたし帰りにどっか寄って行こうぜ」

友介は話題を変えて寄道を提案して来た。

 流石にここまで来ると違和感を覚えずにはいられなかった。昼食から始まって勉強会に寄道。昨日まではそんなことを言って来なかった友介がここまで親しくして来るのには何か理由があるのではないか。

「どうした? 何か困っていることとか悩みがあるなら聞くぞ? ヒーローは無償で動くものだからな」

「あー、いや。そういう訳じゃないんだ」

友介はバツが悪そうに指で頬を掻いて苦笑いを浮かべていた。

 どうやら俺の考えは外れたらしい。てっきり何か困ったことや相談したいことがあったから仲良くして来たのだと思ったのだが、そうじゃないらしい。

 俺としてはそれでも良い。ヒーローは頼られてなんぼだからな。……強がりではなく本心で。ただちょっと友達という言葉に舞い上がっていたのは否めない。

「そのなんだ。俺も人の事言えないんだけどな。俺もクラスメート達はクラスメートにしか思ってないんだよ。クラスなんて直ぐに変わるし、クラスが変わってしまえば関係も変わる。昨日の友達は明日の敵なんてことになっちまう」

それはこの学校にいる生徒達全員が思っていることだろう。俺ですら昇級制と学校の暗黙のルールを聞いただけでその発想に至ったのだ。一貫してこの学校にいた生徒なら、なおさらそのことを感じているだろう。

「それで昨日もいつものように上位クラスの奴に呼び出されて酷い目に遭わされそうになってたさ。もう当たり前のことだと割り切ってたんだけど、そこに正義が助けに来てくれただろう? 俺との付き合いなんて席が隣で少し話した位の関係だったのに。嬉しかったんだ、ありがとう」

友介の告白に嬉しいような恥ずかしいような感情が湧いて来て、体が少しかゆくなって来た。

 同性のクラスメートに感謝されるってのは初めての経験だ。しかもこんなにこそばゆいものだとは思わなかった。

 これも俺がヒーローとして未熟だからだな。

「いや、良いんだ。その、結局は友介を酷い目に遭わせてしまったしな」

ヒーローとして悪魔を倒せたが、俺自身は友介を救えなかったのだから、本来は感謝なんて受ける筋合いじゃないんだ。

 浮かれた心を戒める。俺は天使に力を貰っただけで、俺自身は無力なんだから……。

 それに俺の正義感も天使によって強くされただけかもしれないのだ。

 常に謙虚であるべきだ。

 ヒーローが浮かれてはいけない。

「助けに来てくれたことだけで嬉しいんだよ。そんな経験一度も無かったからな。まあ、そのお前とは仲良くしたいなって思ってるだけで他意はないんだ。俺に恥ずかしいこと言わせたんだから付き合えよ?」

照れ隠しだろうか友介は俺の背中を思い切り叩いて笑っていた。

「よし、どこでも付き合ってやる」

「じゃあ気晴らしにボーリングでも行くか!」

「任せろ! ボーリングは一人で出来るスポーツだからな。俺はかなり上手いぞ?」

ボーリングの素振りをしながら決め顔をして友介に答える。

「……なんか、悪いな」

「いや! なんで謝るんだよ」

湿っぽい話しになっちゃったな、と友介は手刀を切って謝っていた。

 全然湿っぽい話しじゃないんだが。

 期末試験までの放課後は毎日残って勉強会に参加し、その後は友介と寄道をする日々を送っていた。

 初めて出来た友達との生活は経験のないことばかりで楽しい。

 やっと俺にも友達と放課後を過ごすという学生らしい生活を送ることが出来たのだ。

  ここ数日は悪魔の反応も無いようで天使も大人しくしていた。

 天使は悪魔絡みの時にしか自主的に活動しないので、ここ数日は勉強に集中していた。天使も勉強の邪魔にならないようにと気を使ってくれたのかもしれない。それか初めて出来た友達との時間を邪魔しないようにか。

 いずれにしても、ここ数日は充実した日々を過ごして、今日の試験を迎えることが出来た。

 睡眠もしっかり取れたし、体調も万全。今日を逃したら最高のコンディションは無いと言ってもいい。

 ただ勉強の方は二年の範囲を網羅することは出来なかった。試験に向けて勉強するのが遅すぎたのが原因だ。

 そもそも転入初日から勉強していても友介の学力には追いつけなかっただろう。おそらく学期のかなり初めの方から勉強していたのだろう。そのことからも友介の昇級に関する意気込みがうかがえる。

 登校し教室に入るとクラスは試験の緊張からか重い空気が流れていた。いつもなら近くの席の生徒同士で会話をしているのに、今日は皆教科書や参考書を開いて最後の復習をしていた。

 席に着くと既に友介は登校しており、クラスメート達と同様に最後の復習に取り組んでいた。

「おはよう、今日も早いな」

「おう、おはよう。今日が試験当日だから。緊張してあんまり寝れなくて、早めに登校しちゃったよ」

挨拶を返し手を止め、伸びをしながら友介は答えた。顔を見ると寝不足なのか目がいつもより開いていない気がする。

 今日の日の為に一番努力したのも昇級に対する意気込みも人一倍強かった友介だから、緊張もひときわ大きいのだろう。

「ここまで頑張って来たんだ。落ち着いてやれば結果は必ず返って来るさ」

「そうだな。正義も短い期間の内に頑張ってたからな。何個かは上がれるといいな」

「ああ。じゃあ俺も最後の足掻きと行こうかな」

そう言って俺も一限の試験科目の復習を始める。

 ――試験開始まで後僅か。


 「今日は期末試験だ。知っての通り試験の結果によって来期のクラスが変わるからな。全力で取り組むように。じゃあアンケート用紙を配るから記入して提出しろ」

 担任が教室に入って来るなりアンケート用紙を配り始めた。

 その内容を確認すると自分が受ける試験にチェックを入れるようだった。

 勉学、芸術、運動の項目が設けられているが、勉学にだけチェックを入れる。

 芸術は論外として運動は得意な方だが、それだけで昇級出来るような能力は持ち合わせていない。

 もしかしたらという淡い希望で運動試験を受験し、疲労してしまっては準備して来た勉学試験に全力で取り組めなくなる可能性がある。

 それならば勉学一本に絞った方が昇級する可能性が高いだろうという判断だ。

 友介も同じ考えのようで横目で確認すると勉学にのみチェックを入れていた。

 必要事項を記入しアンケートを提出する。

 生徒全員分を回収し終えると担任は再び口を開いた。

「よし、じゃあ勉学試験を受験する者は教室に残ること。非受験者は開始まで退出するように。運動試験希望者は午後から開始だからな」

それだけ告げると担任は教室を後にした。

 もちろん俺は勉学試験を受けるので教室に残り、試験開始を待つことになる。

 友介を見ると大きく溜め息を吐いて緊張を緩和しようとしていた。

「お互い悔いの無いように頑張ろう」

「ああ!」

俺の言葉に力強く友介が答える。

 「さあ、試験を始めるぞ」

科目担当の教師が教室に入って来て問題用紙と回答用紙を配り始めた。

 ――期末試験の幕が切って落とされた。

 ――試験翌日の朝。

 学校に登校すると昇降口の掲示板前に人だかりが出来ていた。

 遠目に掲示物を確認すると期末試験結果表と書かれていた。翌日の朝には結果が発表されるということは学校側が試験を重要視していることが分かる。試験の内容はマークシートではなく記述式だったので機械的に採点することは出来ないはずなので、もしかすると職員達は徹夜で作業を行ったのかもしれない。それか採点用にアルバイトを雇った可能性もあるが、どちらにしても学校側のやる気を感じる。

 試験結果と書かれているので点数の順位付けだけされているのだと思ったが、新クラスの配属も記載されていた。

 右から順にSクラスの生徒が書かれているので、俺は左から確認した方が早いだろうと左端へと移動した。

 Gクラスの生徒を一人一人確認していくが俺の名前を発見することは出来なかった。同じように友介の名前も確認していたが、Gクラスには配属されていないようだった。

 俺と友介はGよりは上のクラスへと昇級することに成功したようだった。

 その流れでFクラスを確認していくと、そこには俺の名前が記載されていた。

 今の学力で一つクラスが上がっただけでも十分だろうと納得した。

 友介の名前も一緒に確認していたが、Fクラスには名前は無かった。そのままEクラスを見て行くと、そこに友介の名前があった。

 俺がFクラスで友介はEクラスか。クラスは別れてしまったが、お互いに昇級出来たことを祝おう。

 クラスの確認も終わったので、そのままGクラスへと向かうことにした。

 新しいクラスが今期に発表されたが、編成が行われるのは来期だろうと判断したからだった。

 教室に入り自席に着く。隣の席を見ると友介はまだ登校していないようだった。昨日寝不足みたいだったので、今日はゆっくりしているのだろう。

 俺の姿を確認した勉強会メンバーのクラスメートが声を掛けて来た。

「なんだ、正義もGクラスか。まあ勉強会も遅かったしな、来期の昇格試験で頑張ろうぜ」

俺が喜んだりしていないことからGクラスのままだと思ったのだろう。クラスメートは慰めるようにそう言って来た。

 ふふふ、俺は一つ昇級しているのだ。だが、この口ぶりからクラスメートは昇級出来なかったようなので、あまり自慢にならないように気を付けながら答える。

「いや、何とか一つ昇級出来たんだ。来期からはFクラスだからお別れになっちゃうか」

俺がそう答えると目の前のクラスメートは血の気が失せ、顔を強張らせていた。俺がその態度に戸惑いを見せるとクラスメート慌てて答えた。

「あ、そ、そうだったんですね。おめでとうございます」

勉強会で親しくしていたクラスメートが急に余所余所しい態度というより怯えた態度で祝福をしてくれた。

 気付けば談笑していたクラスメート全員が口を閉ざし、真っ直ぐ前を向いていた。

 この状況に関わりたくないと言った様子だった。

 違和感を覚え元クラスメートに確認する。

「もしかしてクラス替えって今日からなのか? 俺の荷物とか教科書は置きっぱなしなんだが。」

「心配いりません。荷物等は既に新しいクラスに配置されている筈なので新クラスで座席を確認して下さい」

「そうだったのか。すまん、そこら辺の説明はされていなかったんだ」

席を立ち、下ろした鞄を再び背負う。黒板を見ると確かに座席表が張られていた。

 今俺が座っている席は違う名前が書かれていた。

 後ろを確認すると俺に席を取られ困っている生徒が居た。

「席に座れなかったか、すまん」

「い、いえ。大丈夫です」

席の持ち主に謝罪をしてGクラスを後にする。俺が教室から出ても談笑の声は聞こえて来なかった。

 どの発言が上位クラスの生徒の癇に障るか分からないから、声を出せないでいるのだろう。

 Gクラスの生徒達、元クラスメートに悪いことをしてしまったな。

 あんなに仲良くとまではいかないが、勉強会をした仲なのにクラスが変わるだけで、あそこまで態度が変わるというのはやはりこの学校のクラス分けによる差別が酷いことを物語っている。

 どこにぶつけていいのか、正体も分からない胸のモヤモヤを抱えてFクラスに向かうことにした。

 やはりクラスメートはクラスメートであって、クラスが変わればクラスメートは元クラスメートになってしまう。

 それは前の学校で感じたクラスメートとの距離とは違った冷たい関係だった。前の学校では、俺は輪に入れなかっただけだったが、この学校ではそもそも輪が存在していない。

 クラスが同じというだけで結ばれた一時的な仲。好きでもなければ嫌いでもない。ただ相手が怖い。クラスが同じなら怖がる必要がないだけという悲しい関係。

 そんなことは転入初日に分かっていたはずなのに、友介に友達と呼ばれ勉強会なんて仲良しが行うイベントに参加して勘違いしてしまっていた。

 転入初日の暗い気持ちを再び思い出していると、目の前に慌てた友介が現れた。

「その様子だとGクラスに行ったな? 悪い、俺が伝え忘れてたから嫌な思いさせちまったな」

息を切らせながら友介は頭を下げて謝罪した。

「いや、友介は悪くないだろう。ただ、Gクラスの生徒達に悪いことをしてしまったよ」

「正義はやっぱり変わらないな。よし暗い話より、明るい話をしようぜ。Fクラスへの昇格おめでとう」

「お、おお。ありがとう。友介もおめでとう。Eクラスなんて凄いな。このまま勉強を続けていたらもっと上位のクラスも狙えるんじゃないか?」

「……どうだろうな。そこまでは俺も考えてなかったな」

上位クラスへの昇級に人一倍意欲を見せていた友介がEクラスよりも上を目指すことを考えていなかったのは意外だった。それに答える時に見せた友介の暗い表情が気にかかった。

「俺の方が上のクラスになっちゃったけど、前と変わらずに接してくれよ? でも学校にいる時は他のクラスメート達がどう思うか分からないから難しいか。放課後とか遊びに行こうぜ」

「ああ、友介がそう願ってくれるならこちらとしても断る理由も無いさ」

お互いにクラスが変わっても態度を変えない友介を見て安心した。友介とは友達でいられると思っていたが、先程の元クラスメートの反応を見てしまったからか、この学校のクラスの違いは絶対的なものだと思ってしまった。

 態度を変えない友介に心の中で感謝して、お互いのクラスへと向かった。

※ヒーローの記憶が消える話しをしているか確認

 教室の前に立ち扉を開けようとした時、転入初日のことを思い出してた。

 クラスが変わり見知った生徒が誰もいない状況になるというのは、転校した時と変わらない気がする。

 転校から「別れ」と「出会い」を想像していたが、今は「出会い」ということに期待は持てなかった。確かに友介という初めの友人は出来たが、それは悪魔の取り憑かれた生徒によって友介がイジメられるという稀なケースであり、本来であれば先程のクラスメート達同様にあくまでクラスメートで終わってしまう。クラスの終わりがクラスメートとの関係の終わりを示しているのは実証済みだ。

 それなら俺は正義の味方、ヒーローであろうと思う。

 ヒーローは孤高なのだから、友達が出来なくても寂しくは無い。むしろそれが当然で、今までもそうだったのだ。

 この学校に来て本当のヒーローになれたこと、友達が出来たことで俺の中に変化が起きているのかもしれないが、俺はヒーローで孤高なのだと改めて認識し、教室の扉を開ける。

 新たなクラスメート達は入って来た俺の顔をチラりと確認するが、それ以上の視線は感じなかった。

 俺もざっと教室を確認するがGクラスから昇級して来た生徒は俺だけのようだった。もしかしたらいるのかもしれないが、俺が分からないのであれば、それは意味の無いことだろう。

 黒板に書かれた座席表を見て、自席を確認する。窓際の後ろから二番目。友達のいない身としては窓際、しかも後列はありがたい。

 中央寄りの席だとどうしても周りの生徒達の存在が気になり、肩身の狭い思いをするが、端の後列であればそんな思いはしなくて済む。手持無沙汰になれば外を見ていれば時間は潰せるし、視線も気にならない。

 まあ、この学校であればそんな思いもすることは無いだろうけど。表面的な付き合いで浮くことは無いだろうし、生徒間で距離を取り合っているからだ。

 むしろ友達を作れない人間にとっては好都合な場所なのかもしれない。そう思いながら席に向かっていると、やはりすれ違うクラスメート全員に気持ちの良い挨拶された。

 この学校では深い関係にはなれないが、一人になることはない。それは良いことなのかもしれない。


 席に着き引き出しを確認すると、前日までの荷物が確かに入っていた。机をそのまま移動したのだろう。

 早速手持ち無沙汰になり外でも見るかと思っていると、挨拶がこちらに向かってやって来ていた。

 どうやら俺の後ろの席の生徒が登校して来たらしい。俺も周りに伴い顔を上げて挨拶をしようとした。

 ――蝙蝠の悪魔。

 いや、正確には悪魔の元宿主だった。

 友介をイジメ、俺を拘束していた女子生徒だった。

 一瞬、声を出すのが止まって顔を凝視してしまった。それを見た女子生徒は掌で顔を触り出した。

「何か顔に付いてる?」

あちこち触りながら顔を傾げて聞いて来た。

「あ、いや。挨拶って何て言えばいいのか忘れてしまって」

咄嗟にそんな嘘を吐いてしまった。

「何それ、変なの。今は「おはよう」だよ」

小さく笑って答えてくれた。どうやら俺のことは覚えていないらしい。

「そうだったな、おはよう」

「君、面白いね。えっと名前は一心正義君か。変わった名前だね」

女子生徒は席に着き黒板で俺の名前を確認していた。

「えっと、君は」

「初乃のだよ。宮本初乃(みやもとはつの)。これからよろしくね」

俺が名前を確認する前に名乗られた。悪魔に取り憑かれた女子生徒は初乃という名前らしい。

 イジメていた対象が友介だったから俺のことは覚えていないのかと思ったが、天使がそこで口を開いた。

『ヒーローに関する記憶は悪魔を滅した時、同時に消されます』

「どういうことだ? なんで宿主から俺の記憶が消えるんだ?」

周りに聞こえないように小声で天使に答える。

『二人目の悪魔のようにそもそも宿主と接触していない場合は問題無いのですが、彼女ように現実世界で接触している場合、ヒーローに危険が及ぶ可能性があるからです。そのための防衛機構だと思って下さい』

「これもヒーロールールの一つなのか?」

『そうです。ルールですので例外はありません。廊下ですれ違っただけとか、転入して来た生徒が居る等の小さなことでも、宿主に正義さんに関する記憶があれば消去されます』

ヒーローがフルフェイスなのも顔を隠す為だろうし、ヒーローを守るためなら何でもするということだろうか。

 だから俺を見ても初乃は初対面の反応をしているのだろう。困ることも無いし、むしろ助かる。

 後ろめたいことは無いが、俺のことを覚えていたら初乃は俺が近くにいることで気まずい思いをし続けてしまう。

 それが避けられるのなら俺の記憶が消えることは喜ぶべきことだろう。

 その人から俺の記憶が消えるというのは存在を消されるような気がしてゾッとしないでもないが、ヒーローならば受け入れるべきことだろう。

 その後、担任が来るまで外の景色を見ることはなく、近くのクラスメート達と当たり障りのない話をしていた。

 食堂で昼食を食べ終えて教室に戻ると初乃は席に居なかった。

 他の生徒達は既に席に着いているようで、初乃を除くと俺が最後だった。

 初乃が席にいないということが少し不安になった。悪魔に取り憑かれていたとはいえ、多少なりの悪意は持っていたのだ。

 今こうして席に着いていないのも、元クラスメートをまたイジメているのではないかと考えてしまう。

 その時ある考えが浮かんだ。

 腕枕をして顔を突っ伏して天使に問いかける。

「天使、聞こえるか? 一度取り憑かれた生徒はまた取り憑かれることってあるのか?」

もしそれが有り得るのなら、悪意が生まれやすい生徒は何度も悪魔に取り憑かれることになってしまう。

『もちろん何度でも取り憑かれる可能性はあります。ただ、悪魔を浄化したばかりであれば、可能性は低いと思います。正義さんが滅した悪魔は宿主の悪意の具現化です。つまりその宿主に存在していた悪意を全て浄化していることになります。悪意のない正義さんのような生徒には悪魔は取り憑けません』

それなら初乃に取り憑く可能性は低いということになる。それなら初乃がまた悪事を行っている可能性は低いか。

 悪魔についての知識を深めていると、前にも気になった疑問が再び浮上して来た。

 ――俺の正義は天使によって増加されたものなのか。

 今まで自分の正義を振りかざして歩んで来た人生が、天使によってもたらされたのではないか。

 もしそうなら俺は天使によって振り回され、友達のいない悲しい人生を送って来たことになる。

 ヒーローが孤高なのは仕方ないとしても、一言くらい文句を言ってもバチは当たらないだろう。

「……なあ、お前が俺に宿ったのはいつなんだ?」

率直に尋ねることが怖くて、咄嗟にそう聞いてしまった。

 ただ、咄嗟に聞いた内容にしては上手いなと我ながら思う。ずっと昔、俺が自称正義の使者として暴れ回っていた時期より前なら俺の正義感は天使による作用が大きいはずだ。

 『私が正義さんのもとを訪れたのは最近ですよ? あの蝙蝠の悪魔と対峙した時ですからね』

「あ、ああ。あの瞬間だったのか」

嫌な予感は外れ、天使は昔には俺に宿ってはいなかったようだ。

 でも考えてみれば昔の俺は正しかったのかもしれないが、それが正義かと問われると肯定することは難しい。

 あれは正義の名を使った独裁のようなものだったんだろうと今の俺なら思える。

 やはり俺の暴走した正義を止めたあの子は凄かったんだなあとしみじみと思う。

『そもそも私達天使はヒーローになれるほどの正義を心に秘めた方にしか宿ることは出来ません。理不尽な悪と対面して正義さんの心にある正義がヒーローになれるほど輝いたのです』

「……ヒーローは悪がいないと存在出来ないってことなのかもしれないな」

正す悪がいなければヒーローは必要ない。だからこそヒーローには悪が必要なのかもしれないと考えたこともある。

 だけど世界には望もうと望むまいと悪ははびこっているのだ。だからヒーローは必要なのだ。

 

 独りヒーローについて考えていると後ろから物音が聞こえた。

 どうやら初乃が席に戻ったらしい。

 天使の話では直ぐに取り憑くことは少ないらしいが、可能性はゼロじゃない。

 元宿主で、悪魔に取り憑かれていた姿を見ていたからか、初乃の様子が気になった。

 普段ならそんなことはしないのだが、ふと振り返って初乃を見てみた。

 ――初乃は顔に出来た傷を指先で触って痛そうに顔をしかめていた。

「あはは、顔になんか付いちゃったね」

今朝の流れをくんでそう言った初乃は痛々しかった。

 確かに悪魔に取り憑かれていたとは友介をイジメていたのは許せないと思ったが、女の子が顔に擦り傷を負う姿は見ていて気持ちの良いものではない。そもそも酷い目に遭って欲しいなんて思っていなかった。

 悪を憎んで人を憎まず。ヒーローとはそうあるべきだと思って生活していたのだ。初乃自身を恨んだことなんて無いのだ。

「……これ使えよ」

きっと何があったか聞いても答えてはくれないだろう。

 この学校は友達が出来ない人間には良い所かもしれないと思ったが、そんなことは無かった。

 友達にこんな酷いことはしない。誰であっても自分とは距離のある相手だからこそ、理不尽なことや酷いことが出来るのだ。

 そんなことは友介がイジメられていた現場を見て気付いていたはずなのに……。

「あ、うん。ありがとう」

俺が渡した絆創膏を見て一瞬驚いていたが、受け取って弱々しく笑っていた。

 ――その日の放課後。

 初乃の様子から上位クラスによるイジメを受けたとみて間違いない。

 「天使、近くに悪魔はいるか?」

初乃をイジメた加害者が悪魔に取り憑かれているかは天使にしか分からない。

 悪魔を倒せばイジメ自体が無くなったことにはならないが、これ以上の被害は広がらない。

 だが悪魔が絡んでいない上位クラスによるイジメの場合、俺に出来ることは少ない。

 友介がイジメられていた現場に突入したが、結局は見ていることしか出来なかった。

 だけど、もしまた見ていることしか出来ない状況になったとしても目を背けてはいけないと思う。

 見ることしか出来ないのなら、俺はそれをちゃんと見届けなくてはならない。

 『いえ、私の感じられる範囲内では悪魔は存在していないみたいです』

「そうか。そういえば天使の悪魔を感じられる範囲はどれくらいなんだ?」

『あまり広くはありません。学校全てを感知することは出来ません』

そうなると今も悪魔に取り憑かれているが、天使の感知範囲外という可能性もあるのか。

 ただ、昼休みには食堂に行ったりと色んな生徒達と接近しているので、範囲外ということは考えにくいかもしれない。

 「じゃあまた明日」

そう言って初乃はそそくさと教室を後にした。

 クラス替え初日にイジメに遭ったということは放課後にもイジメの被害に遭う可能性が高い。

 俺の初乃の後を付けて様子を覗うことにしよう。

 見失わないように急いで俺も教室を後にした。

 初日からイジメに遭ったということはクラス編成の前から初乃を狙っていたのか。

 その時、ある嫌な考えが浮かんでしまった。そのことを考えないように初乃を尾行することだけに集中することにした。

 女の子の後を付けるというのは、それはそれで悪のような気もするが、これも初乃の身を案じてと自分に言い聞かせた。

 あれ、ストーカーってこういう発想をしていたような気もするな……。

 今日だけ! 今日何も無かったら初乃の後を付けるようなことは止めよう。

 顔の怪我もただ転んだりしただけという可能性もある。

 だけど初乃の態度はイジメの被害者と同様のものだった。素直に助けてとも言えないが、辛いというのを隠しきれない。そんな態度だった。


 初乃の後を付けて行くと浮かんでしまった嫌な考えが輪郭を持ち始めていくのを感じる。

 ――この道は友介がイジメられていた現場に向かう道だった。

 やはり人気はどんどん減って来ていて、初乃がこれからイジメに遭うのだと予感させるものばかりだった。

 それにきっと間違った考えだと信じたいが、初乃をイジメた加害者はきっと――。

 正義の為なのに足が重くなって来た。こんな経験は初めてだった。

 制裁しなければならない相手が友達かもしれないというだけで、こんなにも気が重いのか。

 初乃が角を曲がると男の声が聞こえて来た。

 「おい、一人で来ただろうな?」

「うん……」

聞き馴染みのある声だった。

 初乃を人気の無い路地に呼び込んだのは、やはり友介だった。

 ただ、まだイジメの加害者が友介とは限らない。呼び出す理由は告白とか悪いものだけじゃないのだ。

 淡い希望に縋りながらも二人の様子を物陰からジッと覗う。

 そんな希望を打ち砕くように、友介は躊躇いなく初乃の顔に平手打ちをかました。

 やはり友介が……。

 「おい、何してんだよ。この大馬鹿野郎」

直ぐに飛び出し、友介を咎める。

 俺の姿を確認して初乃を睨み付けた友介だったが、俺の姿を確認して納得と諦めたように溜め息を吐いた。

「正義はFクラスだもんな。こんな悪事に気付かない訳が無いし、放っておく訳もないよな」

「当たり前だ。俺が正義の味方だってお前も分かっているだろう!」

友人の悪行にこんなにも憤りと悲しみを覚えるとは思わなかった。

 そして、そんな友介に気付けなかった自分が情けなかった。

「そうだな。そうやってどんな相手にも立ち向かう正義の心が好きで友達になりたいって思ったんだからな」

「待ってろ、今すぐ俺が浄化してやる。おい、天使! 悪魔が友介に宿っているんだろう?」

『いえ、この近くに悪魔は存在しません』

二人がいるのも気にせず天使に問い掛けるが、天使の答えは俺の想像とは違っていた。

「お、おい。いくら友介が初乃を恨んでいたとしても、こんなことをするわけがない!」

『……繰り返しますが悪魔は私の確認出来る範囲には存在しません。そして目の前のお二人は私の範囲内にいます』

つまり天使は友介に悪魔は宿っていないと言っているのだ。

 それなら友介は自分の意志で悪を行っていることになる。

 そんな訳がない。俺が正義の味方でヒーローを志しているのは友達である友介なら知らないはずがない。俺が悪を憎んでいることも知っているはずなのだから!

「友介、お前がこんなことするわけがないよな? 今朝言ってたじゃないか。クラスが変わっても普通に接してくれって。上位クラスになったからって下位クラスに好き勝手するような奴じゃないよな?」

「もちろん、そんなことはしないさ」

友介の言葉に安堵する。これは何かの間違いだったのだ。

 だが友介は俺の聞きたくない言葉を続ける。

「だけどコイツは例外だ。俺はコイツに一学期の間、ずっと酷い目に遭わされていたんだ! 俺にはコイツを好き勝手する権利があるんだよ!」

「そんな権利があるはずないだろ! 目を覚ませ! お前まで悪に染まって、俺と対立することをお前は望んでいるのか!」

「正義こそ、コイツと俺、どっちの味方なんだよ! 俺はただ仕返しをしているだけだ! それの何が悪いんだよ!」

そう言って友介は殴り掛かって来た。それを避けずに受ける。勢いが強く、そのまま倒れてしまった。

「俺達は友達で対等だ。殴り返して来いよ!」

「……俺は殴らない。友介の質問に答えるならどちらの味方でもない。俺は正義の味方で悪の敵なんだよ」

「なんでそこまで正義の味方なんだ! 友達の味方になってくれよ! それとも正義にとって俺は小さな存在だったのか?」

「そんな訳あるか。俺に出来た初めての友達だぞ」

「それなら」

「だからこそだ。友達だからこそ厳しくあるべきなんだよ、正義ってのは! 身内贔屓して悪を見逃すようなヒーローに俺はなりたくない! そんなヒーローに俺をさせないでくれよ」

俺の言葉にがっくりとうなだれる友介。

「じゃあせめて殴り返してくれよ。友達をただ殴っただけなんて、俺はいたたまれないよ……」

「いや、やったらやり返していたら相手と同じ立場になってしまう。正義は堕ちてはいけないんだよ。それに殴ったことは気にしていないさ」

頬は痛むが、俺よりも辛そうな友介を見れば責める気にもならない。

「どうしてそんなに正しくあれるんだよ!」

「正しくあろうと思っているからだよ。これは正義の行いかって何度も自問自答を繰り返して、常に正しくあろうとしているからだ」

「……その正義が殴ってくれと望む友達の願いを叶えることは許さないって言っているのか?」

「ああ、その通りだ。罪を許しても良いがそれを俺が罰することは友介の為にならない。悪いことをしたら、ちゃんと苦しむ必要がある」

「……」

俺の言葉を聞き、目を閉じて顔をしかめて口を閉じていた。

 そんな友介の姿は見ていられないし、友達としては殴ってやりたいとも思うが、正義を志す身として情けは許されない。

 俺が殴って友介の罪を軽くする権利は俺には無い。友介が負うべき罪なのだ。

 「……やっぱり正義が友達で俺は良かったよ」

友介は静かにそう呟いた。

 俺の言葉が響いたのだろうか? 俺は今度こそ友達を救えたのか?

 そう安心しかけた時、天使の声が響いた。

『――悪魔が現れました』

こんな時に悪魔か。天使の気持ちも俺としても直ぐに悪魔を倒しに行きたい。

 だけど今は目の前の友人が悪に堕ちるの止めたい。

 それは正義として間違っていないはずだ。

「待ってくれ天使。今は友介のことが」

『悪魔が今宿った相手が友介さんです』

「……は?」

悪魔のこの瞬間に友介に宿ったと天使は言っている。

 悪魔も空気を読んで欲しい所だが、逆に好都合か。悪魔を滅すれば友介の悪意も消滅するのだから。

 「分かった。さっさと悪魔を倒して友介と話しをするんだ!」

変身ポーズも取らない内に辺りは光に包まれた。

 「なあ、本当に今友介に悪魔が宿ったのか?」

精神世界で姿を現している天使に問いかける。いくらなんでもタイミングが良過ぎる。

「本当ですよ! それなら初めから悪魔を滅して友介さんを改心させればいいだけじゃないですか」

「まあ、それもそうか」

 天使は悪魔を滅することを一番に考えている節がある。天使が俺を騙しても天使に得はないように思う。

 疑ってもキリが無いし、今は友介に宿った悪魔を倒すことに専念する。

 今は一分一秒が惜しい。

 俺の正義の拳は既に眩しい程輝いている。

 「現れたら直ぐに悪魔を倒す。そして話の続きをする。きっと友介なら分かってくれる筈だからな」

「――それは出来ません」

「は?」

天使が意味不明なことを言い出した。友介が理解してくれないと言っているのだろうか。

「確かに友介は自分自身でイジメなんて悪事を働いたが、根は良い奴なんだ。人間、誰にだって魔が差すことはあるだろう?」

俺はそんなことは一度も無かったけれど。

「いえ、私が言いたいのはそういうことではありません。友介さんと会話することは出来ないと言ったのです」

「何でだよ。悪魔を浄化したら話しをするだけ……」

そこまで口にしてあるルールを思い出した。

 ――悪魔を浄化された人間からヒーローに関する記憶の全てが消去される。

 つまり俺の記憶が友介から消えることになる。友介から俺という存在が消える。

 それは俺から友達がいなくなることを意味していた。

 ヒーローは孤高だからと強がりを言いつつも友達が欲しいと願い、そしてようやく出来た友達が友達じゃなくなる。

 「悪意させ消えれば悪魔は消えるのか?」

「無理です。悪魔に取り憑かれたら、ヒーローとして悪魔を消滅させるしかありません。どんなに悪意を宿主から消しても、悪魔という悪意が消えることはないからです」

「じゃあ悪魔を倒すしか無いってことか」

そうでなければ友介の悪意はどんどん増加して、取り返しの付かないことになってしまう。それは友達としてもヒーローとしても嫌なことだった。

 それなら迷うことなんて無いはずだ。

 悪魔を倒して友介と初乃を救う。

 きっと悪魔を倒せば友介は改心してイジメを止めてくれるだろう。イジメられていたことによって生まれた悪意は悪魔ともに消えるのだから。

 それが正しいことだと分かっている筈なのに、躊躇いが生まれてしまうのは何でだろうか。

 そんな簡単な答えは分かり切っていた。

 ――友達を失いたくない。

 ただそれだけの理由だった。それだけの理由で拳の輝きが弱って行く。

 こんなことなら友達なんて作らない方が良かったなんて一瞬思いそうになったが、そんなことはない。

 勉強会も放課後の寄道も俺にとってかけがえのない思い出だ。

 そうか。友介の記憶は消え、友介から俺の存在は消えるが、俺から友介の存在と思い出が消えることはない。

 ならそれだけで十分じゃないか。

 孤高だと孤独を誤魔化して来た俺に、友達との思い出が出来たんだ。

 これ以上の何を望むって言うのだ。

 それに俺には正義がある。

 ヒーローになれる程の正義が。

 友介にも言ったじゃないか。俺は誰の味方でもなく、正義の味方だと。

 一つ大きな息を吐き、決心を固める。

 その決意を感じたのか悪魔は姿を現した。

 悪魔と会話することなく、俺は輝く拳を悪魔へと解き放つ。

「――さようなら」

 ――翌日の朝。

 廊下を歩いていると友介とすれ違った。

 友介は俺を見ることもなく、そのまま通り過ぎて行った。

 悪魔を倒した後、友介は初乃に謝罪をしていた。初乃にも友介にしたことの記憶があるからか、初乃も友介に謝っていた。

 その場に俺は必要なかった。二人に気付かれないようにそっと立ち去った。

 これで良かったのだと心の底から思える。

 だけどもやっぱり、心には穴が開いてしまったようにも思う。

 ヒーローとしてまだまだ未熟な証拠だ。


 教室へと入り、クラスメート達と表面上の挨拶を交わして席に着く。

 初乃はまだ登校していないようだった。

 誰とも会話する気にはなれないので、外を眺める。

 蝉の声が聞こえ初め、夏がもう直ぐやって来ることを感じさせていた。

 新緑からも活力を感じさせる。

 夏は明るく元気な季節なのだ。いつまでも落ち込んではいられない。

 だけども、まだ夏までは時間がある。

 せめてそれまでは静かに暗い気持ちで居ても怒られはしないだろう。

 「おはよう」

そう声を掛けられ、肩を叩かれた。挨拶の返事を求めるとは傲慢な奴だと思いつつ、無視をするには正義に反する。

 顔を声の主に向けて「おはよう」と答える。

 初乃はそのまま会話をすることもなく席に着いた。

 そんなに挨拶を返して欲しかったのだろうか。まあ、相手にされないということが悲しいとは知っているが、この学校なら無視なんてされないだろうに。

 ヒーローとしての義務を果たしたのだから、また独り黄昏ていても良いだろう。

 そう思い外へと視線を移すが、それを許すまいと今度は背中を突かれた。

 ……無視は正義に反する。

 少し憂鬱になりながらも振り返る。

 初乃は腕や手を忙しなく触りながら何やらモジモジしていた。

「どうした?」

何か相談事でもあるのだろうか? 友介は昨日浄化した筈だからイジメ等の心配はないと思うが。

 問い掛けても初乃は口を開かずモジモジしていた。

 そして意を決したのか目をギュッと瞑ってから、目を開けた。

「ありがとうね」

 その言葉で暗い気持ちが少し楽になった。

 失ったものばかりに目が行っていたが、救えた存在もちゃんとあったのだ。

 それなら俺はこう答えるしかないだろう。

「気にするな。俺は正義の味方、ヒーローだからな!」


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