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黄昏の勧誘

夏の日は黄昏時が長い。

甲突川に沿って伸びる歩道、並木道を一人歩く。

彼女は近くの高校に通っていて、ここをいつもの通学路としている。

本来は別のルートが近道なのだが、帰り道だけはこの道を通ることにしているのだ。

彼女が通い続けて一年と半年になる。

なんとなくふと、帰り道に寄ってそれが続いている。

川の流れ、そのゆったりとした情景をぼんやり見ながら帰るのが日常になっていた。

ビルの山々に差し込む橙の光、それが極限に引き伸ばされた影を作り出す。

そういう不思議な景色は、この河川の現実さをあいまいにする。

いつもの帰り道である。

彼女はその光景をぼんやりと見つめながら、今日のこと、帰ってすること、そして明日のことについて思いを馳せる。

今日は特に水泳の授業があった、夏場のプールはひんやりとして気持ちいいが、水泳は体力を使うからそこは苦手だ。特に荷物もかさばってしまうのも難点だ。

そして帰ったらお母さんの手伝いをしなきゃならない、特に部活をしてない身としては、家の手伝いをして小遣いアップの機会を増やさなきゃ。

小遣いといえば、そろそろ夏休みが迫っている、この機に短期アルバイトもいいかもしれないが、ウチの高校は申請を通さなきゃいけないのがめんどくさい。

ああ、明日は国語、数学ときて――何だったかな?

そうやって明日のために準備するものを考えて、ふと後ろを振り返る。

(ああ、聞いときゃよかったなぁ~…)

先刻別れた友達二人、すでに大分経つため追いかけるのも億劫だ。

しまったなと思うが、家に帰れば時間割があるため大して困らないのだが、しかし一度気になったらなかなか頭から離れないものだ。

「はぁ…帰るか…」

気落ちした風にため息を一つ、そしていつもの帰宅道へと歩を進めた。


ビルの影は延々と伸びるかに思われた――

彼女の影は斜陽にあって、なお影を濃くしていた――

等間隔で植えられた木々は、どこまでも続くかに思われた――


――そして世界は反転した――


「――えっ?」

一瞬、ほんの一瞬だが、寒気がした。

日は翳りを見せるが、夏の夕日はなお暑さを振りまいている。

じっとりと汗をかく気温、その中で彼女は確かに寒気を感じた。

不気味な感じだ。

いつもの見慣れた帰り道、しかしそれは見たこともない異世界にも見えて、彼女の心をざわつかせた。

(まさか、ね)

気のせいだ。

そう言い聞かせて帰り道を行く、特に変わったことはない、今日も学園生活に埋没する日常の一ピースでしかない。

そうして歩いていると、並木道にある茂みがガサガサと動いた。

おっ、と彼女は驚く、ここら辺は野良猫も多く、こういう所から飛び出してくることがままあるのだ。

しかしそれにしても茂みの揺れが大きい、まるで大型犬程の物体がいるかのようだ。

そうしてなんとなく足を止め、注目していると、その物体が飛び出してきた。

――ぶい。

豚である、英語ではピッグだ。

「はぁ?」

間の抜けた声が出てしまった。いやまあ飼い主から脱走した犬かと思ったら豚だった、予想外の生き物に面食らってしまった。

しかし最近は豚をペットにしているという話も聞く、もしかしたら飼い主がいるか、ペットショップから逃げ出したか、まさか養豚所から逃げ出したというオチはあるまい。

――ぶいぶい。

それにしても大きい、おそらく体長八十センチくらいであろうか、大型犬並みの体格でこう、なんというか迫力がある。

あまり詳しくないが、だいたい平均的な豚ではないだろうか、こうまじまじと見る機会がないので何とも言えないが。あ、この豚――

――ぶいぶいぶい。

耳が欠けてる?

それに気づくと同時に、豚が接近してきた。

その動きは緩慢ではあったが、彼女の足にすりつくように――否、その股下をくぐる様な動きだった。

「ちょ…ま、待って!」

あわてて後ずさる。こんなところで突然出てきた豚である、しかもこちらにのそりと近づいてくるのだ、いくら向こうに悪意がなくとも、これはかなり恐怖だ。

そして豚がその身を完全に茂みから脱した。

今はまだ夕刻である、周りの木々も、彼女の影も、延々と伸びていた。

だが豚には影がなかった。

「――あ」

気づいた。

彼女がどこでその記述を見たかは思い出せない、しかしその情報は彼女の意識を別のところへとシフトさせた。

片耳豚かたきらうわ

片耳のない豚の姿をした妖怪であり、人の股をくぐることで魂を抜き去る妖怪――

恐怖。

それのみが彼女を支配した。

「え…ナニそれ…マジで…?」

誰にともなくつぶやく。

しかし見たままである、片耳のない豚、影のない豚、川辺に潜む豚、そして女性の独り歩きに出現する豚――妖怪である。

妖怪、片耳豚が出現してきた茂みが、さらに揺れる。

今度は先ほどのとは違う、多くのナニカが蠢動するそれだ。

――ぶい、ぶい、ぶい。

鳴き声の合唱が木霊する。

「ひっ!」

恐怖に駆られた彼女は翻り、元来た道を駆けた。

後ろからナニカが追いかけてくる気配がする。

しかし振り返る余裕はなかった、思い出した文献にはこう記していたからだ。

『片耳豚はウサギのように飛び跳ね、ウサギのように素早く動く』

彼女は逃げる途中、どこかもの悲しいフルートの音を聞いたような気がした。


彼らは駆けていた。

街中を猛スピードで疾駆する人物は二人。

坂口一貴と花園優紀。

二人は対抗者カウンターだ。

「ふざくんなぁ、ただの勧誘じゃなかったの!」

足は止めずに叫ぶ優紀、それに先行する一貴が答える。

「これも任務じゃっど」

そっけない返事である。

だが彼女、花園優紀は分かっていた、一貴は先行しているため表情は伺えないが、絶対笑顔である。

「ああぁぁぁ~…」

今にも消え入りそうな声を上げる、せっかく勧誘という楽な仕事を久々に割り当てられたと思ったらコレだ、マイティオールド妓坐姫の陰謀を疑いざるおえない。

発端としては簡単だ、勧誘という任務を補習と代替で受けることになったが、勧誘するための道すがら緊急の連絡が入ったのだ。

『怪異発生――現場は甲突川Fブロック周辺――』

そこは任務対象がいつも通っている道である。

頭を抱える優紀、元々のり気でなかった一貴だが、彼はこの一報で急にやる気を出し始めた。

そして二人は駆けだした、学園から目的地までにある市街地、繁華街を抜けていく。

(あいかわらず早っや!)

優紀はそう内心でひとりごちる、もともと前衛役は体力の出来が違う、後方支援担当もそれなりに鍛えてはいるが、その差は歴然である。

すでに十メートルもの差が付き始めていて、その差はぐんぐんと伸びている、対抗者としての神秘が身体を強化し、自動車並みの速度を出す一貴、それに何とか追い縋ろうとするが、差は広がる一方である。

あまりにも早い疾駆は、通行人を振り向かせるが、しかしその注目は対抗者が持つ専用の携帯装置デバイスによって霧散し、気のせいだったと思い込ませる。

そしていくつかの角を曲がった先で――見えた。

甲突川を覆うようにして、薄暗くも不気味に空間を歪めるモノ。

怪異。

そのただなかに、覚醒前の対象がいる。

「っしゃあぁぁ!」

先行する一貴、雄たけびをあげて腰にある物を引き抜く。

「あっ、バカ――」

優紀が止めようとするももう遅い、上げられた切っ先は勢いよく振り下り押され、煌めく白刃は薄暗くも不気味な空間に亀裂を作る。

そしてその勢いのままに突撃、一貴は薄暗い帳の中に消えていった。

「っの…バカは…」

彼女は膝に手をついて荒く息をする、対抗者としての力を振るった刀は、デバイスの効果をも無効化する。

つまり、運悪く目撃者がいないとも限らないのだ。

本来なら怪異への通路は優紀が穏便に作るものなのだ、あんなふうに無理やりこじ開けることは禁止されているというのに。

「ああっ、もうっ」

悪態をつく、これから学園に連絡を入れて対処してもらわなければならない。この遅れが致命傷にならなければよいが。

「連絡はいらないです」

不意に声が掛けられた、知っている声だ。

「既に結界は張ってあります、いくら暴れても大丈夫ですよ」

黄昏時の斜陽が影を作り、誰だか判別はつかない。

しかし優紀はその声を知っていた。


彼女は駆けていた。

背後から迫るモノから逃れるため、懸命に逃げていた。

――ぶいぶいぶい。

それでも振りきれない、後ろを振り返って確認したい誘惑に駆られるが、それを必死に振り払う。

――どこかでフルートの音が聞こえる。

延々と続く並木道、川に沿って続くそれは既に十字路か、架かる橋が見えてもいいはずである、しかしこの道は、何故か永遠に続くように先が見えなかった。

――どこかでフルートの音が聞こえる。

どれだけ走ったか分からない、ただ疲労で鈍った思考が、ただならぬ違和感を感じ取る、黄昏が終わらない。

――どこかでフルートの音が聞こえた。

ぐらり、と彼女の視界が暗転する。

何かが、何かに精神をかき乱される。

触れた、何か得体のしれぬモノが、心に。

それは原始のモノに響く、支配する。

恐怖。

その本能に支配する。

「あっ」

と声を上げる間もなく、彼女は転倒した。

――ぶいぶいぶい。

迫る鳴き声、立ち上がって走らなければ、しかし彼女はつい振り返ってしまった。

豚の鼻が目の前にある。

彼女は既に追いつかれていた。

「――ぃや……」

か細く、蚊の鳴くような声で漏らす。

既に彼女の頭の中はグチャグチャだ、照りつける斜陽、現実味のない河川、影のない片耳の豚、そしてフルートの音色。

ゲンジツトオモエナイ――。

彼女の頭脳は許容量オーバーであり、それ故に何も考えていないのと同じ、いわゆる「まっしろ」な状態となり、既に危機感などとうに失せ、明後日の方向へと思考が飛ぶ。現実逃避だ。

(豚の鼻って大きいなぁ…)

そんなどうでもよい、ただ目の前にある物に対する感想を頭の中でつぶやき、片耳豚は彼女へ接触するため一歩を踏み出す――


≪ 対抗者/古流剣術/示現流/主要行為メジャーアクション/先ノ先 ≫


――前に、片耳豚の首がすっ飛んだ。

代わりに現れたのは白刃、見慣れたようで見慣れぬそれは、日本刀の刀身であった。

「……は?」

思わず出た声。

それに応えるように声、日本刀の持ち主が言う。

「良か、間に合たぞ」

声につられて見上げると、そこには国守学園の男子生徒がいた。

その顔は目をギラギラと輝かせ、それでいて口元は下弦の月のような笑みを浮かべている。

彼は熱気だった。

その身体全体から吹き上がる闘気と殺気、それらが混ざり合い彼の周囲に陽炎を作る。異界だからこそ現れる個人の持つ資質、それが可視化しているのだ。

ゆらり、と彼――紅焔が立ちはだかる。

彼女と片耳豚の中間、彼は日本刀を構える。

その構えは独特だった。

まるで天に突き刺すが如く刀を掲げ、その姿は彼の放つ紅焔と合わさり、一つの巨大な火柱のようにも見える。

示現流。

そういう流派の構えだと、彼女は後に知ることになる。

彼の気迫に気圧されたのか、片耳豚はその場でたたらを踏み、しばしの静寂が訪れる。

「おい、お前」

いきなり呼びかけられたのでびっくりした、そのため「ひ、ひゃい」という間抜けな声を上げる。

目の前の紅焔は、ちらりと目線だけをこちらによこして問うた。

「立つっか、立つっなら逃げぇ」

あ――

そう言われて気づいた、この現実味のない異界に現れた彼は“味方”だ、片耳豚を屠り今も立ちふさがっている、私を守ってくれている――。

そうだ今のうちに逃げなければ、こういう異常事態は正義のヒーローに任せて、部外者で巻き込まれた私は早々に退散しなければ。

そう考え、それを実行に移そうとする、が。

「……あー、すみません」

「何ね」

「……ヒジョーに言いにくいのですが……」

「何ね、ないごちね?」

「……腰が抜けて立てません」

這って逃げるのも無理、だってこんなに震えて縮こまっているもの。

身体が全く言うことを聞きません。

そう言いたかったが、彼女の震える唇からは、さっきの言葉を放つのが限界だった。

彼の顔が、いかにも「困った」という風に歪む。

(ああ、こういうのを「苦笑」っていうのでしょうか?)

彼女は本日何度目かわからない逃避をし始めた。


(どげんすっかねぇ…)

坂口一貴は心の中でひとりごちた。

彼はこの窮地にあって、頭を抱えたい気分になった。

一対一なら負けは無し。

事実、戦闘力ならトップクラスの“破壊者”相手に真正面から、一対一で打ち勝つのは当然であった。

だがその反面、多対数一は苦手だった。

自身が生き残るのは容易である、しかし今回は護衛対象がいる、それを守りきらなければ勝利とはいえない。

どうにかして守らなければならない。

だが、それは難しい。彼の技能を鑑みれば、どうしても撃ちもらしは出る、それは護衛対象にとって致命的となるだろう。

自身が囮となって引き付け、その隙に逃げてもらうという案は、護衛対象――彼女の諸事情により却下せざるおえなくなった。

敵対者――片耳豚はこちらを窺うようにして足踏みしている。

数はおおよそ二十前後というところか、こちらに襲い掛からないのは、先の一撃で仲間が倒れたのを見て、躊躇しているのだろう。

(こいは…行けっか?)

そのまま対峙して事態が膠着しているのならば、パートナーである花園優紀が来る。

彼女が来れば戦術の幅が広がる、護衛対象をそちらに任せて、自身は敵をさんざんに打ち負かすということも可能になるだろう。

時間が経てばこちらが優位になる。

なるべく刺激しないように、じりじりと距離を置こうとするも、そこに新たな顔が現れた。

片耳豚の群れをかき分けて現れたそれは、潰れたヒキガエルのような様相をしていた。

のそり、のそりと二足歩行するソレは、不釣り合いに大きい手をしており、その手には笛と思われる楽器が握られていた。

そして一貴はその存在に心当たりがあった。

(さ、最悪じゃ…)

坂口一貴は一対一を得意とする。

それは搦め手なしの力勝負である“破壊者”相手なら十全に発揮され、他のパーティでは避けて通りたい獲物でも、彼にしてみればやりやすい相手である。

だが逆の場合、この場合は“搦め手を使う複数の敵”であれば、最も避けて通りたい苦手な敵となる。

つまり、アレが出てきた時点で一貴の勝ち目は無くなった。

(ツイとらん、よりにもよって『支配者』とは)

よく観察すれば、その特徴はあった。

そも、片耳豚がこうも集団で襲い掛かるというのもおかしな話だし、そもそもこの妖怪は大人しい部類の妖怪として確認されている、そんな存在がこうして対抗者と敵対している、

つまり黒幕がいるということだ。

そしてその黒幕が支配者というのも納得だ、この忌まわしい存在は搦め手と妨害、洗脳や精神汚染の専門業者エキスパート、力技だけですべてを台無しにする破壊者とは対極に位置する存在だ。


≪ 支配者/盲目白痴の従者/自動行為オート/精神恐慌 ≫


「――ヒぁ――!」

声にならない悲鳴を上げる。そのおぞましい様相が、人間の精神を狂わせる。彼女にとってその存在そのものが非常識な存在であり、あってはならない冒涜的なモノであった。

「オイ、しっかりせんか、アレは見てはいかん!」

前方の敵からは目を離さず、彼女の視線を塞ぐように立ち位置をずらす。

一貴も直視をしない、視線をわざとずらし視界の片隅に置くように留める。

それは存在そのものが精神汚染デバフの塊、対策を怠れば搦め手のドツボに嵌る。

そしてその対策のために一手遅れる。


≪ 支配者/盲目白痴の従者/主要行為メジャーアクション/支配者の魔笛 ≫


その裂けた口でどうやって吹いたのか、盲目白痴の従者は持つ笛をかき鳴らした。

その旋律はフルートの調べに似ていて、されどその音に温かみはなく、何か無機質であり異質そのものであり、そしてそのおぞましさは美しいとも取れた。


――反転――


ぐるりと目玉が逆さになる感覚、この感覚を感じたならばもう遅い。

不幸なことは対抗者が一人だったことだ、もし仲間がいればフォローなりがあっただろう。

支配者と対峙している、それが刀を手放さない理由である。もし手放せれば後ろの彼女のように耳を塞げていただろうに。

ただ、あのフルートの旋律は耳を塞いでも五感にダメージを与える、耳を塞いだ彼女は、その狂った旋律をただ必死に耐えた。

だが、坂口一貴は違う。

抵抗は失敗した。

支配者は演奏を止めた。

静寂――

何も動かないし何も聞こえない。

痛いほどの静寂は、この状況に我慢の限界が来た一般人が打ち破った。

「あ…あのー…」

おそるおそる尋ねる。なにせ先の悍ましきフルートの音から、目の前の彼が全く動かないのだ。

大丈夫ですか? と聞こうとした。

だが聞けなかった。

振り返った彼、坂口一貴の貌は狂気に染まっていた。

恐ろしい、とか怖い、とかではない。

ただただ言い表すなら“狂気”そういう貌がそこにあった。

もはや人間ではない――

ここに人間の味方はいない。

狂人はゆっくりと振り向き、ゆっくりと刀を振り上げる。

標的は守るべき対象の女性、しかし狂気色の精神はそれを良しとする。

人体ならば唐竹割にする斬撃が今――放たれなかった。


≪ 対抗者/巫女/対象反応(ポイントカウンター)/障壁展開 ≫


不思議な力が凶刃を弾く。

何者か、などと言うのは野暮であろう、坂口一貴のパートナー花園優紀の神秘わざだ。

「あ、あ、あ、あっぶな~ッ!」

安堵の溜息。間に合ったのだ。

そしてその間隙を縫うようにして一つの影が立ちはだかる。

ひときわ小さいソイツは、素早い動きで長い長い棒状のものを一貴の顔面に叩き込んだ。石突きである。

「壊れたテレビは叩いて直せ、ですね!」

「あいたぁ~~ッ!!」

一貴、絶叫。

顔面を抑えて蹲るが、刀は手放さずに器用に抑えているあたりは流石である。

「ヒャア! 情けねぇ前衛だぜぇ!!」

新たに人影が一つ、ひょろりとした痩躯の男、その身長は実際のものよりもひときわ高く見える。

それはそうだろう、モヒカンだもの。

「「は――?」」

絶句。

初見の彼女は言わずもなかだが、狂気より復活した一貴はぶるぶると震える指をさして叫んだ。

「や、やんかぶいじゃ~~!!」

「ちがいます、師匠です!」

先ほど一貴の顔面に食らわせた人物、見たところ中学生の少女、それも似合わぬ学ランを着た子が抗議の声を上げる。

長身痩躯のモヒカン男と、学ランの少女。

後藤千代ごとうせんだい祁答院雪名けとういんゆきな

対抗者のパートナーだ。

当然、問題児である。


長身痩躯のモヒカン男と、それに反比例するかのように小さい学ランの少女が前へ出る。

妖怪、そして支配者と相対する。

それを一貴は膝をついて見ていた。

恥である。

保護対象を守ると飛び出したはいいが、状況は多勢に無勢な上に、最も苦手とする支配者がおり、しかも一時的とはいえ洗脳までされたのだ。

しかも保護対象に凶刃を晒した。

これを恥と言わず何と言おうか。

だからこそ道を譲る、それだけの理性と矜持を彼は持ち合わせていた。

「まぁまぁ、こんな日もあるって」

肩を気安く叩きながら優紀が言う、その顔は意地の悪い笑みが張り付いていた。

一貴はたまに思う、もしかして優紀はものすごく性格が悪いのではないかと。

しかし彼女は人当たりがよく、学園内の友好関係は広く、たいていの場所に顔が利く、そんな彼女の性格が悪いだろうか?

思い起こせば彼女の友好関係には非常に助けられた、一貴が幾度となく独断先行し、多大な迷惑を掛けたこともあったが、彼女のその類稀なる人脈と性格の良さが、場を幾度となく抑えたのだ。

そんな彼女の性格が悪いだろうか?

いや、ない(断言)

自分の勝手な判断で人を見るのは良くない、これはアレだ『無事でよかったね』という微笑みだろう。

きっと意地悪く見えるのは自身の苛立ちによるものだ、そうに違いない。

「良し、守っぞ!」

立ち上がり、刀を振るって汚れを跳ね飛ばす。

目前の敵はあの二人に一任した、ならばするべきことは万が一を考えた護衛だろう。

失態は挽回できる、今は自責の念より任務を優先するべきだ。

「ちっ」

優紀の舌打ちらしきものが聞こえたが、きっと幻聴か何かだろう、支配者め強力な洗脳がいまだに響く。

そんなやり取りを背後に、相対する新たな対抗者二人と多数の妖怪。

動く――先制は後藤千代。

「ヒャア! いっちょ景気良くぜぇ!」

叫んだと同時に、腰に吊っている携帯モバイルを見もせずに操る、その指先は踊るように、慣れた動作でタッチパネルを操作する。


≪ 対抗者/吹奏楽・指揮者/主要行為メジャーアクション/異常解除古典曲・交響詩「フィンランディア」 ≫


大音量の音楽。後藤千代の持つ携帯モバイルからだ。

クラシックの曲調に合わせて、彼は指揮棒タクトを振るう。

彼の持つ対抗者の力が、指揮棒を通して音楽と混ざり合い、周囲に広がっていく。

それは音の奔流、携帯モバイルの音量は最大だが、それだけでは説明のつかぬ、拡声器スピーカーを多重に配置したかのような重厚音。

対抗者の力だ――

効果は状態異常解除の能力、彼はその音楽によって場を支配する吹奏楽の指揮者であった。

支配者の精神支配が解け始め、あちこちから敵意を無くした片耳豚が表れ始める。

しかし、それを黙って見ている支配者ではない。


≪ 支配者/盲目白痴の従者/主要行為メジャーアクション/支配者の魔笛 ≫


支配者は効果を限定した、対抗者との領域合戦は不毛と判断し、即座に近場の片耳豚にのみに効果を絞る。

近場で、それも濃厚な支配者の力が込められた魔笛は、生半可な解除では効果はない。

その効果を受けた片耳豚の数は、五頭。

それらは一斉に指揮者である千代へと襲い掛かった。

「は~い、豚さんはここまでです~」


≪ 対抗者/応援団/主要行為メジャーアクション/応援団旗・旋回 ≫


対抗者の少女、祁答院雪名が出る。

その手には彼女の身長の二倍以上はあろうかという旗があった。

その旗にはシンボルが、国守学園の校章が刺繍されていた。

その大きな旗を、彼女は不釣り合いにも掲げていた。片手で。

応援団旗である。

そして旋回――それはもはや振り回すという言葉では表現し難く、もやは竜巻と言っても過言ではなかった。

襲いかかった片耳豚が次々と吹き飛ぶ、その応援団旗は数多の数など物ともしない。

「散るのです、あっちへ行くのです!」

そして彼女はその勢いもそのまま、応援団旗で他の片耳豚を追い払う。危機を感じた片耳豚は我先にと逃げ散り、間に合わなかったものは巻き込まれて吹っ飛んでいく。

散り散りになった片耳豚はすでに前衛の体を成しておらず、もはや支配者ただ一匹だけとなる。

「ヒャッハァ! チャンスだぜぇ!」

後藤千代が再び携帯モバイルを操る。


≪ 対抗者/吹奏楽・指揮者/主要行為メジャーアクション/補助特化古典曲・ニュルンベルクのマイスタージンガー ≫


指揮棒の動きに合わせ、音楽に対抗者の力が宿る。

それを受けるのは小さな応援団、己の象徴シンボルを掲げて雄々しく立つ対抗者だ。

「お、お、お、お~、さすが師匠です! 今日も元気イッパイ120%が出せますよ~」

千代の補助を一身に受けた雪名は一目散と駆ける、首魁であろう支配者を射程距離へ、反撃の隙も与えずトドメの一撃を繰り出す。


≪ 対抗者/応援団/主要行為メジャーアクション/応援団式正拳突き ≫


威力の高い一撃必殺。

ほぼ仁王立ちに構えて放つ拳は「押忍!」の掛け声とともに繰り出され、補助効果の乗った一撃は、支配者に深々と突き刺さり、持つ楽器が高い音を立てて折れた。

決着である。


しばらくして――

支配の解けた片耳豚はそのまま脱兎のごとく退散し、残ったのは四人の対抗者と一人の一般人。

「た、助かっ…た?」

あまりにも非常識な出来事が起こり、思わず疑問符である。

ただ状況を見れば、助かったのであろう。

事が終わった後もへたれこんでいる彼女に、声がかかる。

「大丈夫? 立てる?」

そっと手を差し伸べてくれたのは、花園優紀である。

転んだ拍子に少々擦り傷を負ったが、それ以外は大した外傷もない。

しかしその擦りむいた傷を、優紀は不思議なチカラを使い、治した。

あの怪物から守ってくれたのだから、味方であることは間違いない、しかしここにいる四人は、間違いなく逸脱している。

見上げた顔には、笑顔。

こちらを気遣っているのはわかる、しかし先の体験が、彼女に手を取ることを躊躇わせた。

「――あ――ッ!」

それを優紀は即座に読み取った、臆病さには敏感な彼女は、一貴に話を振った。

「ほらぁ! この突撃バカ一貴ィ! アンタのせいで怯えているじゃない!」

「お、俺は悪るないが、全部なんもかんも支配者が悪かじゃっど!」

いきなり話を振られ、全身で否定の意を表す一貴、しかしそれに重なるように言葉が放たれる。

「いや~、コレは坂口殿のケジメ案件でありますぞ」

「まったくそうです! ハンセイがないですハンセイです!」

後藤千代と祁答院雪名がやいのやいのと責め立てる。

何故か現在、後藤千代は先ほどのモヒカンから、いかにも目立たないガリ勉タイプの七三分けの髪型に変化している。

服装も先ほどは世紀末な感じの破れジャケットだった筈だが、今では国森学園の制服を普通に着こなす男子生徒だ。

不思議である。

そして祁答院雪名は、どこにでもいそうな女子中学生っぽい感じである、その顔はどことなく小動物っぽいが、学ラン姿が妙にちぐはぐな感じだ。

一貴が三人にいいように言われている様は、傍から見れば滑稽でいて、それでいてどこにでもある学生の風景にもなっていた。

そのやり取りを見て、思わず「ふふっ」と笑みが漏れる。

気を使われているのはわかるが、それでもこのやり取りは、とても自然体に見えた。

それが彼女に安心を与える、見知った常識は彼女の精神を落ち着かせ、もう安全なんだとようやく身体が理解する。

そうやってやいのやいのと騒いでいると、凛とした声が聞こえた。

「任務ご苦労だったの」

そこにいる全員が、声の主を見る。

それは子供だった。淡い紫の和服で身を包んだ、小学生くらいの女の子。

しかし何故か分かる、この子は人間ではない。

そう感じて身構えるのは一般人である彼女だけ、他の面子は弛緩した様相である。

「本当にこういうのは勘弁してくださいよ、姫ぇ」

優紀はいかにも疲れましたといった風体で、けだるげに言った。

「まったく、拙者たちが近場にいたから良かったものの、もっと怪異の監視はキビシクしなければいけませんぞぉ~」

千代が重ねて言う、助けてもらって何だが、今更というか何だが、彼女はこの男の喋りが胡散臭く、生理的に気持ち悪いと思った。

そう言ってクネクネと不思議な踊りじみた動きをする千代から、ふいっと視線を逸らした和服の童女(あの様子からこの子もそう良く思ってなさそうだ)は、わざとらしく咳払いをし、彼女――私に向き直った。

え、私?

「いや、予定外の接触だったが、無事で何より。さて、キミには大事な要件があるんじゃが――」

童女は一旦言葉を区切って、朗らかに言った。

「ここにいる者と同じ、国森学園に来ないかえ? まあ、詳しくはキチンとした場で説明するが」

胡散臭い、思わずそう思った。

しかし思うところもある、この現象は何なのか、彼らは何者なのか、その疑問は尽きることなく頭の中で反芻する。

はたして知っていいものなのだろうか?

もしかしたら危険なことに首を突っ込むかもしれない、いや、おそらく今日の出来事を見るに、おそらく危険なのであろう。

だが、なんとなくだが――彼らは信用できる、そう思った。

彼女は微かに頷く。

そして開かれる新たなる世界。

それはどんな場所なのか、当然断るという選択もあるだろう。

しかし一度関われば生涯関わる。異界とは厄介なもので、才のある者には容赦がない。

彼女は、私はどのような道を選ぶのか――

目覚めた対抗者は、どのような未来を往くのか――

とにかく、だ。

「そいじゃ行くっか、学園へ」

一貴がそう促す。

私はいま、唐突に世界の分岐に立ったのだ。

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