表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
にじのかなたに  作者: 星 陽友
第一章 春
7/13

五月 三

 その時灰色の雲に覆われた空から、ゆっくりと地面を濡らす小雨が降り続いていた。そのせいで折角暖かさを取り戻してきたばかりの大入町の空気が、少しばかり肌寒さを帯びた物に変化してしまっていた。



 その時この微妙な天候もあり、「れいんぼう」の客足はいつもより少なくなっていた。それでもやはりこの店のコーヒーや手料理で身体を温めようと考える人々は絶えず入店し、当然従業員として働く蓮司や七橋家の一同は、あちこちで接客に追われていた。店内ではいつも通りの時間が、穏やかに過ぎようとしていた。

 但しこの日に限ってはいつもと異なる点が存在した。店内を見渡してみると、扉のすぐ傍にあるレジには何故か接客担当の蓮司がおり、慣れない手つきで会計に取り組んでいる。本来ここには七橋家の三女・美空の姿があるはずなのだが、何処を探しても彼女の姿が見当たらない。その為蓮司がいつもの接客と今回の会計を担当し、いつも以上に汗を流していたのであった――――。



「――――はぁ、はぁ、つ…疲れたぁ…………」

「お疲れ様、クロちゃん。すぐ何か飲み物持ってくるから…………」

 その時何時にも増して疲労困憊し、テーブルに向かって思い切り項垂れる蓮司の姿がそこにはあった。そんな彼を少しでも労おうと、若葉はすぐさま厨房へ向かい飲み物を探しに行く。

 そうして一人残された蓮司の元に、こちらもいつも以上の汗を流す桜香と橙太が近づいてくる。

「本当にお疲れ様。それにしても今日のクロくん、とても凄かったわね!」

「そうだよクロ兄!さっきのレジ裁き、今日が初めてとは全然思えなかったよ!」

 この日彼が披露する事となった会計作業を、二人は揃って絶賛した。そんな二人の対応を、蓮司は謙遜して受け答えする。

「とんでもないですよ。俺には桜香さんのような頭のよさも、橙太くんのような段取りの早さもありません。現に最初のうちは計算ミスばっかりで、お客さんに迷惑をかけてしまったし…………」

 するとその時、

「褒め言葉はきちんと受け入れるべきだよ、クロちゃん!二人とも君の事、ちゃんと評価してくれてるんだからね」

 自分を含む四人分の飲み物を持ち運んできた若葉が、自らを過小評価する蓮司を元気づけようと声をかけた。その時彼女が伝えたこの言葉は、親友の心に大きな自信を宿らせた。

「…………ありがとう若葉。お陰で何だか元気が湧いてきたよ」

「それならよかった!」

 二人は互いに見つめ合い、そして思わず微笑みを浮かべる…………。


「…………ところでさ」

「?」

 その時ここで突然何者かが、これまでの話題を変える為に声を上げて、周囲からの注目を集めさせた。他者がそれに従って移した目線の先にいたのは、橙太であった。それを確認した彼は傍らにあるマグカップの中身を一度飲み込み、それから“ある人物”についての話題に触れた。それは彼らが今いる「れいんぼう」にとって、なくてはならない“彼女”に関するものであった…………。


「こうして僕達だけで働いてみると、改めて感じるよね。その……ソラがいる事の重要性ってものをさ」

「確かに、橙太くんの言う通りだね…………」

「そうだね、美空が的確にレジ打ちをこなしてくれているお陰で、このお店のお仕事が順調に進んでいくんだって、私も改めて気づかされたもん」

「ここにいる全員がそれなりに計算は出来るけど、美空だけは別格だものね。私もあの子の頭のよさには、しっかり見習わないといけないわ」

 現在店内にいる四人全員が美空の重要性を語り続けていくうちに、蓮司が突然呟いた一言により、話題は更に盛り上がりを見せた。

「今頃美空ちゃん、修学旅行を楽しく過ごしているんだろうなぁ…………」


「…………はくちゅっ!」

 その時とある集団の中にいる一人の少女が、可愛げのある声でくしゃみを漏らしてしまった。そんな彼女の元へ同年代の少女達が駆け寄り、そのうちの一人が彼女へ花柄のハンカチを手渡した。

「どうしたの美空ちゃん、風邪でも引いたの?」

 そう言って自身を心配してくれる少女達に対し、美空と呼ばれた少女は笑顔で返答した。

「いいえ大丈夫ですよ。おそらく何方かが私の噂をしているみたいですね」

「本当?それならよかった!」

 その時同年代の彼女にも敬語を使って対話するこの少女こそ、「れいんぼう」の面々が話題に持ち掛けていた、七橋家の三女・美空である。どうやら彼女の体調に問題はないと確信した同級生達は、美空の手を取った。

「だったらすぐに出発しよっ!早くしないと皆に迷惑かけちゃうわ」

「そうですね。折角の修学旅行なのに、私のせいで遅らせる訳にはいきませんから」

 その時そう語った美空は彼女達の言葉に従い、少し先を進み行く集団に加わっていった…………。


 …………その時「れいんぼう」に残った四人は、家族間での会話をまだまだ続けていた。その頃彼らの話題に挙がっていたのは、現在店を離れている美空の修学旅行に関してだった。

「…………そういえば美空ちゃん、今回の修学旅行の事、前から凄く楽しみにしていたよね」

「確かにそうだったね。当日になるまでカレンダーの日付を確認して、その度に見せてたあの笑顔って、美空にしてはとても珍しかったもん」

「そりゃそうだよ。修学旅行は学校生活の中でたった一度しかない、特別な行事なんだよ。誰だって楽しみに決まってる!」

「帰ってからの思い出話が楽しみだわ。その為にも美空には、充実した旅行を楽しんでもらいたいわね」

 その時そう語る四人全員が、美空が修学旅行を満喫している様子を思い描いていた。様々な文化に触れていきながら、文字通りい充実した時間を過ごす彼女の姿を。


 すると突然入り口のベルが鳴り響き、同時に扉が開く音が聞こえてきた。四人はここで会話を中断させ、来店した客人を出迎えようと気持ちを切り替える。

「いらっしゃいま…せ……ってあれ…………?」

 その時来店した客人に普段通り挨拶しようとした若葉であったが、その人物の素顔を確認した直後、彼女は言葉を一旦中断させる。

「こ……こんにちは…………」

「君って確か、美空の同級生の…………」

 若葉が最後まで言い切る前に、客人は軽く頭を下げた。

 その時「れいんぼう」に来店してきたのは、小学校高学年程度の体格を成した少年であった。背丈は美空と兄の橙太との中間辺りで、まだ少しあどけなさが残る顔立ちを有した少年だ。

 そんな彼がかなり緊張した面持ちで全員に頭を下げていったのだが、それが蓮司の番に差し掛かった途端、少年は彼をじっと見つめ始めた。どうやら何か話したい事があるようなのだが、緊張のせいかどうしても塞がれた口を開けずにいる。

「…………」

 そのまま数秒間が経過したが、店内には変わらず沈黙の時間が続いていた。この間蓮司や七橋家の全員が彼を見守り続けていたが、未だに何も話せないままであった。すると…………、

「初めまして、お客様」

「っ!」

 その時蓮司が皆を代表して、先に少年へ優しく声をかけてきた。緊張感漂う数秒間の中で、彼が一体何を語りたかったのかを、彼らは既に理解し切ったのである。あまりに突然の呼びかけに少年は驚きを隠せずにいたのだが、蓮司は更に言葉を続ける。

「このお店で色々とお手伝いをさせてもらっている、黒川蓮司です。俺と会うのは初めてだったから、ちょっと緊張しちゃったみたいだね」

 明らかに自分より先輩であるはずなのに丁寧な言葉遣いで話しかける彼の推測に、少年は無言のまま首を縦に振って返答する。

「それで、君の名前は?美空ちゃんの同級生だって、さっき若葉が言ってたけど…………」

 先に蓮司が自己紹介した事で、どうやら少年の緊張感は少々解れたようだった。念の為一度深呼吸して落ち着きを取り戻したところで、ようやく彼の閉ざされた口が開かれる。

「は……初めまして。は……灰谷司(はいたに つかさ)と言います。お……仰る通り美空ちゃ…………な……七橋さんの同級生……です」

「そうなんだぁ。宜しくね、司くん!」

 その時司は再び無言のまま首を縦に振った。それでも先程とは異なり、これまでの緊張感から少しは解放されたようであった。


 するとここで若葉の口から、一つの疑問が放たれた。

「ところで灰谷くん、どうして君はここにいるの?今頃君は美空やクラスの皆と一緒に、修学旅行を楽しんでるはずだけど…………」

「あ、はい……それが…………」

 彼女の質問を耳にした司は、突然暗い表情を浮かべながら俯いた。そしてそこから語り始めたのであった、彼がこの場所に存在する理由を…………、


 実は僕、修学旅行の当日になって、突然体調を崩してしまったんです。その前の日までは何事もなくて、皆と一緒に修学旅行を楽しみにしていました。ところが当日になってから急に気分が悪くなって……念の為病院で診てもらったんですが、これといった大事にはなりませんでした。それでも万が一の事を考えて、僕だけ修学旅行をキャンセルする事になったんです…………。


「…………そうだったんだ……」

 その時司の事情を本人から聞き入れた若葉は、いつの間にか切ない表情を浮かべていた。そしてそれは彼女だけでなく、桜香や橙太、そして蓮司も同様であった。

「とても残念だったね。折角楽しみにしていた修学旅行だったのに、自分だけお留守番になってしまうなんて……」

 彼の事情を知った上で、これ以上司に向けて何を伝えればいいのか思い浮かばなくなってきてしまった若葉。そんな彼女に対し、司は敢えて前向きな口調で言葉を返した。

「大丈夫ですよ!機会さえあれば何時でも行けるはずなので、今はそれを目指して、元気なままでい続けたいと思っています…………」

 ここで彼は発言を一旦停止させ、その場に落ち着けを取り戻させる。そしてそれを確認すると、司は再び発言を再開させた。

「…………それで今日このお店に来たのは、僕が少しでも大人になりたかったからなんです。大事な場面で体調を崩すような弱い自分を卒業して、より立派な大人に近づく為に…………」

 そう言い切った司の表情は、途轍もなく真剣なものへと変化していた。そんな彼の決意を聞き入れた上で、今度は蓮司が年下の客人にこう尋ねた。

「…………君の決意はよく分かったよ。それじゃあお客様、今回のご注文はいかがなさいますか?」

 その時司が蓮司に対し、注文したのは…………、


「はい、ブラックコーヒーを一杯、お願いします。砂糖もミルクもいりません」


「…………かしこまりました、少々お待ちください」

 その時司の注文を受け取った桜香が、すぐさまカウンターの裏側へと移動し、コーヒーを用意する準備を始めた。彼が頼んだメニューを知った橙太は、思わず感心の言葉を漏らす。

「司くん、君の思いがよく伝わってきたよ。確かにブラックコーヒーって、何だか“大人の飲み物”って感じがするんだよね。実際中学生の僕だって、あの味にはまだまだ抵抗があるんだもん」

「え、本当ですか?こういうお店で暮らしているから、てっきり平気なのかなと思ってました…………」

 どうやら彼にとって橙太が暴露したこの事実は、相当意外なものだったようである。急に何処か緊張した表情が戻り、司の頬を一筋の汗が流れ落ちる。

「…………じゃあ降参する?」

「えっ?」

 その時突然若葉の口から、思いもよらない問いかけが発せられた。それを聞いて一瞬動揺した司であったが、すぐにその返事を口にした。しかもこれまでの緊張を再び跳ね除けて、真剣な表情を取り戻した上で。

「…………いえ、諦めません!ここで絶対に大人に近づいてみせるって、そう決めたから!」

「そう!その意気だよ!」

 そう言うと若葉は司の肩を叩いて、彼の決意を称える。そして彼女が離れた席に腰かけたその時、店の奥へ移動していた桜香が全員の元へ戻ってきた。コクのある香ばしい湯気を漂わせた、カップとソーサーのセットを両手で持ち運びながら。

「お待たせしました、ブラックコーヒーです」

 桜香の言葉の直後に司の目前に用意されたソーサーには、原色のブラックコーヒーが一杯分注がれていた。沸き上がる湯気に含まれる香ばしい独特な香りは、先程より更に彼の嗅覚を刺激させる。

「い……いただきます…………」

 その時司は両手を合わせてそう言うと、早速目前のカップを自らの口元に近づけた。あまりの緊張のせいか一筋の汗が流れ落ちる彼の様子を、他の四人は固唾を飲んで見つめている。

 そして何度も自分の息を吹きかけてコーヒーの温度を冷まさせると、慎重に口の中へと流し込む。

「…………!」

 突然彼の表情が険しいものへと変化した。それは熱さのせいなのか、それとも苦みのせいなのか、この時の四人には分からなかった。最初は彼に声をかけようと口を開きかけたが、司が躊躇わずに再びカップを傾けたのを見て、行動を中断させた。余計な心配をかける事で彼の集中力をかき消してしまうのを防ぐ為である。

「…………」

「…………」

 無言のまま見守る四人の目前で、司は必死の思いでカップの中に残るコーヒーを減らし続けていく。無理をして一気に流し込もうとはせず、ゆっくりと一口ずつ、確実に消費させていきながら。

 やがて彼が絶えず傾かせたカップをソーサーの中央に戻したその時だった、

「…………ご……ごちそうさまでした……」

 その時彼が置いたカップの中は、空っぽであった。その様子を間近で目撃した七橋家のメンバーには、それが何を表しているのかがすぐに理解出来た。

 やがて店内で少しずつ広がっていったのは、彼らが客人に向けて贈った拍手の音だった。それと同時に届けられた満面の笑みを受け、顔中を真っ赤に染め上げた司の姿がそこにはいた。

「おめでとう、灰谷くん!よく頑張ったね!」

「い……いえ、そんな…………あ……ありがとう……ございます…………」

 するとそんな彼の目前に、新たな一皿突如として用意された。それはいつの間にか弟妹達の傍を離れ、店の厨房に移動していた桜香からの差し入れであった。

「はい、司くん。これは私達からのプレゼントよ!」

「えっ?こ、これって…………」

 その時七橋家の四人から司へ差し出されたのは、通常よりも一回り多く盛られたバニラアイスであった。彼の注文なく手渡された料理の登場に、司は何度もアイスと桜香の表情、そして他の三人の様子へと目移りさせていった。その時彼以外の四人全員が、揃って満面の笑みを浮かべている。

「コーヒーの苦みを和らげるには、アイスの甘さが一番じゃないかなって思ってね。君が挑戦している間に相談して、こうしてプレゼントする事に決めたの」

「あ、ありがとうございます……あ、でもどうしよう。僕今コーヒー代くらいしかお金持ってなくて…………」

 そう言いながらポケットから取り出した財布の中を覗き込み、思わず焦りを見せる司。しかしそんな彼を落ち着かせるように、桜香は首を横に振った。

「ううん、お金なんていらないよ。これは私達からのサービスのつもりだから。ついでにコーヒー代もサービスにしておくわ」

「えっ、でも…………」

 その時尚更迷惑をかけてしまったと思い、そこから続ける言葉を失くしてしまった司だった。しかし改めて四人の表情を確認したところで、それは考え過ぎだという事に気づいた。全員が笑顔で自分を見つめ、誰一人迷惑そうな表情を見せていなかったからだ。

「…………分かりました。有り難くいただきます!」

 その時自信を持って返事した客人の明るい笑顔と言葉に、七橋家の四人は心から喜びを溢れさせた。そしてそんな彼らの様子を笑顔で見つめる司に対して、蓮司が優しく一言声をかける。すると彼は慌ててスプーンに手をかけ、急いで目前のアイスクリームを食べ始めていった…………。



「…………さて、そうと決まったら早速食べてもらわなきゃね!早くしないと折角のアイスが溶けてしまうから」

「あっ、本当だ!そ、それじゃあいただきます!」



 …………その時店の窓越しに映し出された空は、すっかり茜色に染まっていた。昼頃まで大入町の空を覆っていた灰色の雲は、いつの間にかこの場所から離れていったようだった。

 そんな中「れいんぼう」の入り口では、先程まで店員からの手厚いもてなしを受けていた小さな客人が、何度も何度も頭を下げ続けていた。

「今日は本当にありがとうございました。お陰で僕、少しは成長出来たような気分です」

「そう言ってくれて嬉しいよ。もしよかったらまた来てね。何時でも大歓迎するから!」

 こうして若葉からの言葉を土産代わりに受け取ると、灰谷司は改めて深々と一礼して、店の外へと姿を消していった。それでも四人は店内から、既に見えなくなった彼に向けて微笑みを絶やさないまま、何時までも手を振り続けていた。

 彼らのこの行為を感じ取ったからか、こちらもまた笑顔で商店街を駆けていく司の姿があった。流石にだいぶ日が暮れてしまった事もあり、足早に帰り道を走り抜けていく。

 その時そんな彼の姿を、少し離れた場所で確認した人物がいた。司はその人物に気づいてはいなかったようだが、笑顔で元気そうに駆けていく彼を見た彼女(、、)は、安堵の表情を浮かべる。彼女はそのまま司の後ろ姿が完全に見えなくなるまで視線を送り続けてから、「れいんぼう」の扉を開けたのであった――――。



「ただいま帰りました!」

「おかえりなさい、美空!」



 ――――その時澄み切った青空から顔を覗かせる太陽が、久々に大入町全体を暖めていた。穏やかな日の光が街のあちこちを、欠かす事なく照らし続けていた。商店街も、勿論「れいんぼう」の店舗も、そして小学校の校舎にも…………。


 その時小学校のとある教室には、続々と登校してくる児童の姿が増えていった。同級生と会話を楽しむ者もいれば、机に向かって自習を始める者もいる。

 そんな中でまた一人、教室の扉を開けた少年の姿があった。彼は他の同級生に挨拶を交わしながら、自らの机にランドセルを置いた。そしてこの日の授業に向けて準備を進めていると、既に登校していた一人の少女が彼に近づき、一言優しく呼び掛けた。

「あの……灰谷さん…………」

「ん?どうしたの、美空ちゃん…………」

 そう言って灰谷司に声をかけた七橋美空は、持参した鞄の中に片手を差し入れ、暫くしてから何かを取り出す。その正体を今はまだ知られないように、ちょっとした頼み事を追加して。

「私がいいって言うまで目をつぶって、そのまま手を出してください」

 司は素直に頷くと、両眼を閉じて両手を差し出した。するとその直後に彼に掌に、僅かな重みがかかったのを彼は感じた。

「…………はい、もういいですよ」

 美空からの言葉に従い、下ろした瞼を開かせて、重みの正体を確認する司。

「え?これって…………」

 その時彼の掌に添えられていたのは、有名な観光名所のマスコットキャラクターが吊り下げられたキーホルダーであった。司が体調を崩さなかったら美空達とともに訪れる筈だった、修学旅行の目的地のキャラクターだ。

「灰谷さんへのお土産をどれにしようか考えたのですが、残念ながらこういう簡単な物しか買えませんでした。申し訳ありません…………」

 美空の話によると、どうやら彼女は修学旅行に行けなかった司の為に、彼を満足させる土産物を至る所で探していた。しかしなかなか見つける事が出来ず、最終的に購入したのがこのキーホルダーだったのだ。自身の思うような物を届けられず、深く頭を下げる美空。

 それでも直後に司から返された言葉が、彼女を元気づける源となった。


「…………ありがとう!ずっと大切にしていくよ!」


 満面の笑みとともに贈られた司からの感謝の言葉を受け取って、こちらもいつも通りの優しい微笑みを取り戻した美空。その時二人が存在する教室の一角は、外の空気に負けないくらいの暖かさに包まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ