表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
にじのかなたに  作者: 星 陽友
第二章 夏
12/13

六月 四

 …………あれは私がまだ幼稚園の年中組だった頃、神社の境内の一角に、一匹の猫が暮らしていたの。丁度この家と幼稚園を結ぶ道の途中に神社があるから、友達と一緒に帰る時によく寄り道をしていてね。その猫と会うのをちょっとした楽しみにしてたのよ。

「神社って商店街から外れた所にあるあの(、、)神社の事でしょ?そこに猫が住んでたなんて知らなかったよ」

「でもそういったお楽しみがあると、毎日の幼稚園通いが退屈ではなくなりますね」

 今考えてみればそうだったかもしれないわね。それに最初は私一人で触れ合ってたんだけど、そこから友達や神社で働く皆さん、そして商店街の皆さんという風に、少しずつ輪が広がっていったのよ。その時の事、若葉とクロくんは覚えてる?

「そういえば何となく覚えてる。本当にうろ覚えだけど、確か私もお手伝いして、ご飯持ってったり可愛がったりした記憶があったなぁ」

「俺も何となく覚えてます。まあほとんど若葉から強制的(、、、)だったというか…………」

「なっ!?ちょっとそれどういう意味!」

「い、いや!何でも、ないです…………」

 ふふっ、若葉らしいわね。確かに大勢の協力もあって、その猫も神社で暮らす事に満足していたと思うわ。そんなある日突然、その猫のお腹が段々大きくなってきてね。それに合わせて普段しないような行動をするようになってきたりして。

「お腹が大きくなったって事は、それじゃまさか…………!」

 そう、後で神社の人からお話を聞いて分かったの。その猫のお腹の中に、新しい命が宿っていたってね。最初のうちはまるで自分の事のように喜んでたけど、ちゃんと産まれるか段々不安になっていったのを今でも覚えているわ。だけどその事を知った街の人達もお手伝いしてくれたから、その不安も何処かに吹き飛んでいったの。

「そうですね。確かに一人だけでは不安な事も、大勢の方が揃えば力が湧いてくるはずですから」

 お陰で出産は無事成功。その時私や他の皆さんも立ち会ったんだけど、皆で喜びを分かち合ったのを今でも覚えてるわ。

「無事に赤ちゃんが産まれて、本当によかったね!」

「おめでとうございます。私も何だか嬉しく感じました」

 ありがとう二人とも。喜んでくれて私も嬉しいわ。その後その子猫達は街の人達が引き取ってくれて、皆でそれぞれ面倒を見る事になったの。その方がお母さん猫が苦労をせずに済むだろうって。

「そっか。確かにそうした方が子猫達も安心して過ごしていけるはずだもんね。でもその代わり、一人ぼっちになったお母さん猫は、何だか寂しく感じちゃったかも…………」

 今思えばそうだったかもしれないわ。でもね、その後で一番寂しさを感じたのは、実は私の方だったの。

「え…………」

「ど……どういう事ですか…………?」

 自分の子ども達が引き取られるのを見届けてから、その猫はね……何処かへ姿を消してしまったの。

「えっ!?」

「そ、そんな!」

 私も何日もいつもの場所で帰ってくるのを待ち続けたけど、結局その猫は戻ってはこなかった。あの時の私はそれがとても辛くてね、それから暫くは泣いてばかりだったのよ。今となっては懐かしい思い出の一つだけどね…………。


 その時桜香は話の途中で差し出されていたコーヒーカップに、静かに唇を触れさせた。いつの間にか中身のホットコーヒーは少し冷めてしまっていて、ここまで続いた時間の経過を証明していた。

 そこからほっと一息つかせたところで、彼女はこの話題をこう締めくくった。

「それ以来その猫と再会する事は、もうすっかりなくなってしまったわ。それでもあの神社の手前を通り過ぎる時、チラッと見てみたりするんだけど、流石にもう十年以上経っちゃったからね…………」

 その時他の四人は、彼女が最後の言葉を語り終えるその瞬間まで、しっかりと聞き入れ続けていた。そしてその結末を聞き終えた彼らは、全員が暗い表情を見せずにいられなかった。特に橙太と美空の二人に至っては、塞いだ唇の向こう側で自らの奥歯を強く噛み締めるまで複雑な気持ちを隠せずにいた。

 そんな中橙太がふと何かを思い出したようで、ここで突如として閉ざしていた口を開いた。

「…………それでモモ姉が泣いてたの、もしかしたら覚えてるかも。それこそまだ小さかった頃の事だけど、何となく印象に残ってたような気がするよ…………」

「私もだよ。その頃からお姉ちゃんはいつも笑顔のイメージだったんだけど、確かその時は本当にずっと泣いていた気がする…………」

 若葉はそう言うと弟の頭に手を乗せ、そのまま優しく撫でてみせる。

「もし私がその時の桜香お姉さんと同じ立場でしたら、私も絶対に辛くて仕方がなかったと思います。普段から当たり前のようにあったはずの存在が、突然いなくなってしまうのですから…………」

 美空もまた重い口を開かせて、姉に同調する意思を示した。そして最後に蓮司が桜香の方へ顔を向け、自身も含めた四人の思いを素直に伝えた。

「皆がその時の桜香さんと、同じ思いを共有しています。その時桜香さんが感じた辛さは、他の皆さんも同様だったに間違いありませんよ」

 その時彼らの思いを受け取った桜香に、これまで通りの穏やかな笑顔が再び舞い戻ってきた。そして改めて目前の四人に対し、感謝の思いを伝える事にした。

「ありがとう皆。お陰で懐かしい昔話を思い出す事が出来たわ。とりあえず皆にお話し出来るのはここまで。最後まで聞いてくれて本当にありがとう…………」



 …………その時だった。

「っ!」

 その時店内の五人が猫の話題に夢中になり、これまで静かな空気のみが漂っていたところに、扉のベルという異なる刺激が混じり込んだ。そして大きく開かれた出入り口に存在していたのは…………、

「あっ、シロちゃん。いらっしゃい」

「若葉ちゃん、クロちゃん、そして皆さん。突然お邪魔してごめんなさい」

 その時店の出入り口にいた白山麗子がそう言うと、非常に申し訳なさそうな表情で深々と頭を下げた。

「謝る事なんてないよ。とりあえず空いてる席に座って」

「いいえ、今日はここでお茶しに来た訳じゃないの!」

 どうやら彼女は何か別の目的があってこの店に来たようだ。すぐさまそう悟った五人は、そのまま麗子の話題を聞き取る事に決めた。そして麗子もまたそれを感じ取り、早速その要件を彼らに伝える。

「実はお隣の方が探しているのがあってね。どうか『れいんぼう』の皆さんにもお力を貸してもらいたいと思って…………」

 その時麗子は突然言葉を中断させ、店内のとある一ヶ所に視線を集中させた。

 丁度桜香の座っている位置と重なる彼女の視線の先には、これまで五人の話題のきっかけとなった黒猫が存在していた。どうやら麗子が来店した事により、これまで眠りについていた黒猫もすっかり目を覚ましてしまったようである。

 やがて二人が互いの目線が一つに交わった次の瞬間、麗子はすぐさま黒猫の元へと急接近した。こちらもあまりに突然の出来事だった為他の五人が驚きを隠せない中、彼女は目前まで迫った黒猫を凝視する。

「…………あ……あのぉ…………この子に一体何が…………?」

 どうやらそのような桜香からの質問すら届いていない麗子は、そのまま黒猫の確認を続ける。面構えや全身の毛並み、尻尾など身体の各部を事細かに眺めていく。

 そして最後に首に巻かれた首輪とそれにつけられた鈴の存在を確認してから、麗子はようやく五人の方へと目線を移し、一言告げた。その時それを聞いた彼らは、全員揃って同じ方向へ首を傾けた――――。



「間違いないわ、この子よ!」

「…………へ?」



 ――――その時これまで続いていた雨音がいつの間にか静まり返り、灰色の雲の切れ目から明るい陽の光が街へと照らされていた。路面に僅かに残る水たまりが、よく磨かれた鏡のように空を明るく映し出していた。


 その時「れいんぼう」の中にいた五人は、全員揃って店外に移動していた。全員が入り口のすぐ傍で集合しているその中には、麗子や黒猫の姿もある。そして更にもう一人…………、

「もうっ!一体何処に行ってたの!ずっと探してたんだよ!」

 その時そう叫んで自らの思いを爆発させていたのは、一人の幼い少女であった。もう二度と離さないように黒猫を強く抱き抱え、瞳から零れ落ちる滴は未だに治まりそうもない。

 そんな彼女の傍らで、その少女の両親が「れいんぼう」の五人に向かって深々と頭を下げ続けていた。

「この度は我が家のペットを保護してくださり、本当にありがとうございました。実はちょっとした用事があってこの大入町の実家に戻ったのですが、一緒に連れてきた猫が突然逃げていってしまったんです。最初は我々だけで探したのですが見つからず、お隣の白山さんにも協力してもらっていたんです」

 ここでようやく黒猫についての事情を知り、全員が納得した表情を示した。その様子を確認した二人は改めて彼らに向かって頭を下げ、感謝の気持ちを述べた。

「皆さんのお陰で私達の家族が、無事に戻ってこられました。本当にありがとうございました」

 すると両親に続くような形で、少女も同じく五人に感謝の言葉を贈った。未だに滲んだ瞳のまま、彼女が出来る精一杯の笑顔で。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、本当にありがとう!」

「どういたしまして、こちらこそお役に立ててよかったわ」

 その時桜香が五人を代表して家族の思いを受け止め、彼らに向けて微笑みを込めて返答した。。そしてそれに合わせて、今回の主役ともいえる黒猫を中心に、その場にいる全員が満面の笑みを浮かべていた。

「…………そうだ、ちょっと訊いてもいいですか?」

 とここで軽く片手を挙げて黒猫の家族に話しかけたのは、蓮司であった。対する彼らはすぐさま頷き、その要求に素直に応じた。

「どうして今回その子を連れて、こちらにいらっしゃったんですか?態々ご自宅のペットまで一緒だなんて、余程の訳がありそうな気がして…………」

 蓮司からのこの問いに対し、男性はこう返答した。

「ああそれなら、貴方のおっしゃる通り、この子がこの大入町に大きく関係しているからです」

「えっ?それってどういう……………」

 その時蓮司は勿論、更には他の四人もまた、物凄く不思議そうな表情を浮かべていた。そんな彼らの疑問を解決すべく、男性はその理由を五人に伝えた。

「これはこの子を引き取った時に聞いたお話しなんですけどね。どうやらこの子の数代前の親にあたる猫が、この大入町の生まれとの事なんです。それによるとこの町の神社の境内で生まれ、それから周辺の方の手厚いサポートがあったお陰で、元気に過ごしてきたらしいんです。確かその中で一番世話していたのが、桜のようなピンク色の瞳と髪の毛の女の子だったそうです。今回この子を助けてくれた、そちらの方のような…………」

 そう言うと男性は、これまで自らの言葉を聞き続けた五人の中から、彼の想像にぴったりな“ピンク色の少女”に向けて視線を移した。その時彼らは全員揃って確信を持っていた。男性が視線を送る“彼女”と、家族に愛される黒猫の“先祖”との繋がりを…………。

「そ、それって…………」

「もしかして…………」

「間違い、ありません…………」

「まさか、こんな偶然があるなんて…………」

 他の四人が思わずそう呟く中、桜香のみがぐっと口を閉ざし、思いを吐き出すのを防いだ。本当はその繋がりについて、包み隠さず語り尽くしたかったはずなのに…………。

 やがて両親が改めて五人へ深く頭を下げ、最後に別れの挨拶を述べた。

「改めまして本当にありがとうございました。そろそろ日も暮れてきたので、我々はここでお暇させていただきます…………」

「あ、はい……分かりました…………」

 その時彼らは何の反論も出来ぬまま、家族の帰宅を見届けようとしていた。全員が複雑な心境を抱いたまま、少々暗い表情のままで…………。


 するとその時、

「あっ!パパ、ママ、ちょっと待って!」

「ん?」

「!」

 その時大きな声で二人を呼び止めたのは、これまで黒猫との再会に感動していた少女だった。両親がその場を去るのを制止した後、彼女は一度自らの瞳を拭い、黒猫を抱えたまま桜香の元へと近づいてくる。やがて目前まで達したところで、少女は桜香の顔をじっと見つめる。

「どうしたの?」

「…………え、えっと……その…………」

 いざ本人の前まで辿り着いてはみたものの、突然襲い掛かってきた緊張感のせいで上手く言葉が出てこない。傍らの両親が心配そうに見つめる中、それでも少女はどうにか緊張から解放され、一言だけ桜香に尋ねた。

「…………こ……今度は私もこのお店で……ご飯を食べに来ても……いいです……か…………こ……この子と一緒に…………」

 少女はそう言い切ると、今度は頭を下げて強く懇願した。それにより地面に視線を向ける事となった彼女の表情は、かなり真剣なものへと変化している。

 その時尋ねられた桜香だけでなく、他の四人と同様の表情を浮かべて、優しく返答してみせた。それは五人の表情を窺うだけで、その答えが簡単に判明してしまいそうなものであった。

「勿論大歓迎よ!気が向いたら何時でもいらっしゃい!」

 その時それを聞いた少女の表情が、一気に満面の笑みへと変化していった。そんな彼女の笑顔に釣られて両親や麗子もまた、優しい微笑みに満ちた表情を浮かべた…………。


 …………その時家族三人と一匹が足並みを揃えて、今回黒猫捜索に協力してくれた麗子とともに「れいんぼう」を後にしていた。彼らの姿が少しずつ小さくなっていく中、少女は今もなお五人に向けて、大きく手を振り続けている。今度は自らの大切な“家族の一員”と離れ離れにならないように、しっかりと抱き締め続けながら。そして対する五人もまた、彼らに向けて振り返していた。

 やがて家族や麗子の姿が視界から失われたところで桜香が後ろを向き、そこにいる四人へ明るく声をかける。彼女の瞳から零れた一滴が、輝きながら頬を伝っていくのを彼らに示しながら…………。

「…………さ、そろそろ中へ戻りましょう!晩ご飯の準備をしないと!」

 その時そう語った彼女の言葉は、頬を伝う滴の意味も含めて、心の奥に引っかかっていた“何か”が吹っ切れたかのように感じられた。そしてそう感じながらはっきりと首を縦に振った他の四人も、ほっと一安心したような表情を浮かべていた。こうして互いに思いが繋がったところで、彼らはすぐさま「れいんぼう」の店内へと舞い戻っていく。

 その時大入町の真上に広がる大空は、とても鮮やかなオレンジ色に染まっていた――――。



 ――――その時灰色に染まった空の彼方から、いつものように雨が降り注ぎ続けていた。いつものように街中を歩く人影はほぼなく、いつものように所々で濁った水溜まりを出現させている。この日も未だ梅雨が治まりそうな気配は、一瞬たりとも感じられなかった。

 その時商店街から少し離れた場所にある神社の濡れた脇道に、傘を片手に独り進んでいく少女の姿が近づこうとしていた。曇天のせいで少々薄暗い中でもしっかりと目立つ、桜色の髪の毛と瞳が印象的な少女である。


 やがて彼女が神社のすぐ脇まで辿り着いたところで、ふと何気なくその場に立ち止まり、彼女は改めて傍の神社に目を向けてみた。どうやら境内の周辺を囲む木々が傘の代わりを務めてくれているお陰で、まるでここだけ世界が異なるかのように雨量が少なく思える。それを確認した彼女はその場で目を閉じ、そこにはいない“何者か”に向けて独り呟く。


「私は今でも覚えているよ。一緒に過ごした君との思い出を…………」


 その時だった。

「…………!」

 その時何処か聞き覚えのある猫の鳴き声が、彼女の耳の中に飛び込んできた。驚いた彼女は咄嗟に背後へと振り向き、そこから周囲を見渡して様子を確認する。しかしその発信源は何処にも見当たらない。

 それでも彼女は何か確信を持ったような表情を浮かべながら、再び歩みを再開させる事に決めた。そしてそこからもう一度振り向く事はせず、一歩ずつしっかりと前へ進んでいった。


 その時鳴り止まぬ雨音に紛れて、再び猫の鳴き声がその場に鳴り響いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ