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にじのかなたに  作者: 星 陽友
第二章 夏
10/13

六月 二

 その時灰色に染まった曇り空から降り注ぐ雨粒の音のみが、「れいんぼう」の店内に響き渡っていた。雨量こそ激しくはないものの連日同様の天候が続いていた為、商店街を進む人数は決して満足のいくものではなかった。そんな外の様子を確認する為に、この日も窓辺に居座る六人のてるてる坊主が見張りを続けていた。


「…………やっぱりな」

 その時店内のカウンターで独り店番を任されていたのは、エプロン姿の蓮司であった。今のところ開きそうもない出入り口の扉を見つめながら、雨音に負けないくらいの溜息を漏らしていた。

「皆の言ってた通り、この天気が続いている限り、本当にお客さんが誰も来そうにないや…………」


 …………その時既に空は灰色に染め上がっており、いつ泣き出しても可笑しくない程に不機嫌な様子であった。そんな空模様を窓越しに窺いながら、蓮司は店内のテーブル掃除を続けていた。

「それじゃクロちゃん、行ってくるね」

「うん、皆さんも気をつけて」

 その時「れいんぼう」の出入り口から彼に声をかけたのは、身軽な格好で出発の準備を進める若葉であった。さらに彼女の周辺には七橋家全員が揃っており、彼らも同じく動きやすい格好で存在していた。

「ごめんなさいね、黒川くん。君だけお留守番させる事になっちゃって…………」

「いいえ、大丈夫ですよ!むしろ今まで本当にお世話になりっぱなしなんで、今回少しでも皆さんに恩返しが出来て、俺とっても嬉しいんです」

 突然の依頼を詫びる紅緒に対して、蓮司は何事もないように笑顔で言葉を返す。

 するとここで通常店内の各方面で役割を果たす、桜香、橙太、美空の三人から念の為の確認を済ませる。

「レシピは渡したわよね。それに書いてある通りに作れば、特に大きな問題はないはずだからね」

「もし食材が足りなくなってきたら、いつものスーパーに向かえば大丈夫。お店のおじさんに事情を話せば、すぐに用意してくれるよ」

「お会計に関しては、私から何か伝える必要はありませんね。クロさんなら絶対に大丈夫だと、私は信じています」

 三人はそれぞれこの一回だけ忠告し、それ以上繰り替えそうという考えは一切感じられなかった。つまりこれはそれ程までに蓮司に対する信頼が大きいという証明になっていたのだ。そして当の蓮司本人も彼らの期待を裏切らないよう、いつも通りの笑顔で返事した。

「改めて教えてくれてありがとう。このお店の名を汚さないよう、しっかり役目を果たしていくよ!」

「流石クロちゃん!何だか男らしくてカッコいい!」

 その時過剰なまでの褒め言葉に影響され、一瞬で顔面が真っ赤に染め上がった蓮司の姿があった。しかし勿論このままではいられなかった為、すぐさま気持ちを落ち着かせ、再び取り戻した笑顔で六人を見送った。

「それじゃ皆さん、道中はくれぐれもお気をつけて!」

「分かった!それじゃあクロちゃんも店番宜しくね!」

 こうして蓮司を除いた七橋家一同は店を後にし、それを送り終えた蓮司は早速店内での準備に取り掛かった。

「さてと、まずはどれから始めようかな…………」


 …………その時蓮司の下準備が順調に済まされ、店内は何時どんな客人が来店しても大丈夫な状態であった。それでも外の天候が影響して、未だ誰一人来店する様子もなかった。

「ああ、暇だぁ。俺だって覚悟はしてたけど、やっぱり恐ろしいくらい暇過ぎるぅ…………」

 独り店番を頼まれた蓮司はそう呟きながら、通行人が誰一人見当たらない外の景色をぼんやりと眺めていた。やがて彼の瞼は次第に一つとなりそうになり、彼がこれまでに経験した事のないくらいに大きな欠伸まで我慢出来ずにいた。

「…………ああ、いけない!」

 するとここまで頬杖を突く事しか役割を果たせていなかった両掌で、自らの頬に衝撃を加え、襲い掛かる眠気を何処かへと吹き飛ばした。

「俺は皆に信頼されてこうして店番を任されてるんだ。それなのに欠伸したり溜息を漏らしてなんていられない。ここに住まわせてもらってる以上、しっかりやるべき事を果たさなくちゃ!」

 その時蓮司はその思いを忘れないよう、改めてしっかりと気合を入れ直した。自らに生活の場を用意してくれた、七橋家の家族に恩返しをする為に…………。


 その時だった。

「…………来たっ、お客さんだっ!」

 これまで一切鳴り響く事のなかった「れいんぼう」のベルが仕事を開始し、固く閉ざされていた出入り口の扉がようやく開放の時を迎えたのだ。それに合わせて蓮司もまた客人を迎え入れる為に、早速音の鳴る方へと振り向く。

「い、いらっしゃいま……せ…………ってあれ?」

 その時ここに来店してきたのは、彼にとって物凄く意外な人物であった。


「おお蓮司!今日は君しかいないのかな?」

「き……黄川田先生…………?」


 その時客人として「れいんぼう」に来店してきたのは、蓮司と若葉のクラスで担任を務める黄川田学であった。二人や他の同級生が普段学校で見かけるスーツ姿ではなく、彼らと同世代の若者が着用するような普段着姿で、教え子の様子をしっかりと確認していた。一方蓮司にとっては初めて窺う外見だった為、思わず開いた口が塞がらない状態が続く。

 そんな彼の状態を察し先陣を切って声をかけたのは、学の方からであった。

「中々その衣装似合ってるじゃないか。いつもは制服姿しか見る事がないから、何だかより一層新鮮に思えるな」

「あ、ありがとうございます!先生もとっても似合ってますよ!どうしても先生といえば、いつものスーツ姿しかイメージ出来なかったから…………」

 こうして互いに服装を褒め合うところまでは順調に進んではいた。しかしそこからどうすればいいのか両者とも思い悩み、そのまま静かに時間だけが経過していく。

「…………あっ、そうだった!こちらの席にどうぞ!」

「おっ?ああっそうだったな」

 その時ようやく蓮司は自らに託された仕事に取り掛かった。対する学もそれを受けて、「れいんぼう」のカウンター席に腰かけた。

 そして彼が暫くメニューに目を通し、やがって一回深く頷いたところで、蓮司はすかさず注文を確認する。

「ご、ご注文は何にしますか?メニューに書いてある物なら、一応(、、)どれでも作れますよ」

「それは頼もしいな。だったら……このホットケーキセットを注文しようかな」

「は、はい。かしこまりま…………え?」

 その時学の注文を聞き入れた蓮司は、突然発言を中断させ、そのまま石のように固まってしまった。それを見た学は不思議に思い、すぐさまその理由を彼に尋ねてみる。

「ど、どうした蓮司?急にそんなに固まるなんて…………」

 それに対し蓮司は物凄く恥ずかしそうな面持ちで、素直にその理由を語り始めた。

「す……すみません先生……俺ビックリしちゃったんです。まさか先生がパンケーキセットを注文するなんて、ちっとも思ってなかったんで…………」

 すると今度は学までもばつの悪そうな表情を浮かべ、照れ笑いとともに言葉を発する。

「何だそういう事か!それなら悪いのはこっちだったな。先に伝えておくべきだった」

 そして学は目前の教え子に向けて、一つの個人情報を暴露する事にする。

「実は俺こう見えて、甘い物には物凄く目がないんだ。そう言えば前に他の喫茶店で甘い物を注文した時、店員がお前みたいな表情をしていたのを思い出したよ。随分と驚かせてしまって本当にすまなかった」

「い、いえいえ!こちらこそ変にビックリし過ぎてしまいました」

 こうして互いに頭を下げ終えたところで、蓮司は改めて店員としての仕事を果たそうと、一旦呼吸を整えてから恩師に目を向けた。

「ご注文はしっかり承りました。少々このままお待ちください」

 彼はそう言うと早速準備に取り掛かるために、厨房へと続く扉の方へと移動を開始した。その時厨房に向かう直前もう一度学に視線を向けて、一言こう伝えた。


「先生のご期待以上に美味しい料理を目指して、頑張って作ってきます!」

「ああ、楽しみにしているよ…………」


 …………その時未だ止む気配のない雨音を耳にしながら、独りカウンターの席に残った客人は、静かに注文した料理の登場を待ち続けていた。先に用意されていたホットコーヒーを傍らに、彼は静かにその瞬間を心待ちにしていた。その間彼が待ちくたびれて顔を顰める様子は見られない。寧ろ厨房から聞こえる調理工程の音や、そこから漂ってくる香ばしい香り、さらに時折口にするコーヒーの味わいが、客人の心を穏やかに保ち続けていた…………。


「…………お待たせしました。ホットケーキです」

「ありがとう。とっても美味しそうだ」

 その時学の目前に、彼が注文したホットケーキが差し出された。程よい厚さのホットケーキが三枚重ねられていて、頂点にはスプーン一杯分のバターが乗せられている。

「それじゃあまずはこれをかけて…………」

 目前の三段重ねの見栄えを確認した学は、まず始めに傍らの小瓶に手を伸ばす。そして掴み取ったそれをホットケーキの真上で傾けると、中からは琥珀色のメープルシロップが甘い香りとともに流れ出し、頂点のバターを経由して全体へと広がっていく。

 やがて小瓶の中のシロップが全てホットケーキにかけられたところで、彼は自らの両掌を目前で合わせる。

「いただきます」

 その時学はそう言うと、早速両端に用意されたナイフとフォークを手に取り、目前の三段重ねの最上部に刃先を入れる。先にかけられたメープルシロップの効果もあり、しっとりとした生地はかなり切れやすくなっていた。

 そして一口大までカットされたホットケーキにバターを少々添え、いよいよ客人の口の中へと運ばれていく。その時彼はゆっくりと噛み締めていく姿を、カウンター越しの蓮司は随分と緊張した面持ちで見つめていた。

「…………」

「…………あ、あの、いかがですか?ホットケーキの味は…………」

 口に含まれた生地を飲み込み、そのまま無言のままでいる学。そんな彼に対し蓮司は、自らが作り上げた料理の味の感想を尋ねてみる。

 その時学が発した言葉は、実に単純明快なものであった…………。


「…………美味しい。誰もが満足出来る味だ」


「…………ほ……本当ですか?」

「ああ、嘘じゃないよ。これは他の人に自慢しても構わない美味しさだ」

 その時担任からの太鼓判を押された蓮司は、少しずつ満面の笑みを構成していきながら、その場で喜びに満ちたガッツポーズを披露した。そんな教え子の様子を微笑みながら見つめる学は、飲みかけのホットコーヒーを口へと運ぶ。

「このコーヒーも完璧だよ。このコーヒーといいホットケーキといい、何もかもが懐かしい(、、、、)…………」

「えっ?懐かしいってどういう…………」

 突如学が放った謎の言葉が気になり、蓮司は一旦落ち着きを取り戻す。あまりにも不思議そうな表情を浮かべる彼に対し、学は素直にその理由を語り始める。

「実は俺も大入高校の卒業生なんだ。だからその時はこの商店街のお店にも沢山お世話になっててね。勿論この『れいんぼう』にも。確かその時はとても若々しいご夫婦が、二人でここを切り盛りしていたはずなんだが…………」

 するとここまで学の話を静かに聞き入れていた蓮司が、その際「れいんぼう」で働いていた若夫婦について“ある事”を思い出し、早速それを恩師へと伝える。

「ああ!それはきっと若葉のお父さんとお母さんの事ですよ!以前お二人から同じようなお話を少し聞いた事があります」

「そうか!どうりで彼女を初めて見た時、何処となく懐かしさを感じた訳だ」

 どうやらここで彼自身が抱いていた疑問が解決し、とても上機嫌な表情を浮かべる学が再びカップを口へと近づけた。ところが、

「…………おや?」

「あ…………」

 その時彼が覗いてみたカップの中には、既に中身が消失してしまっていたのであった。

「どうやらお喋りに気を取られて、飲み切った事に気づかなかったみたいだ」

 そこで学は空になったカップを今度は目前の蓮司に向けると、一言こう頼み込んだ。

「コーヒーのおかわりを頼もうかな。まだまだお喋りを続けたいから」

「はい、かしこまりました!」

 蓮司は明るい表情で首を縦に振り、目前の客人からカップを受け取った。その時外で降り続く雨の勢いは治まらず、どうしても学を帰してはくれないようであった――――。



 ――――その時雨はようやく弱まり、それもあって「れいんぼう」の入り口では傘を差した学が、今まさに帰宅の準備を始めていた。そしてそんな彼を見送る形で、蓮司も同様に入り口で傘をさしている。

「今日は本当にいい時間を過ごす事が出来たよ。もしまた機会が出来たら、この店に立ち寄ってもいいかな?」

「はい、勿論です!いつでもお待ちしています」

 そう言って喜んで頭を下げる教え子の行動を、学も微笑みながら眺めていた。

「それじゃあ俺はここで」

「はい、また学校でお会いしましょう」

 そして互いに軽く手を振ると、学は蓮司に背を向けて「れいんぼう」を後にしようとした。

「…………あっそうだ」

「?」

 するとここで突然学は振り向き、そおれを不思議に思う蓮司に声をかけた。

「そういえばお前のご両親から聞いたよ。本当はここで一年間一人暮らしをして、二人の到着を待つはずなんだってな」

「え?あ、はい、そうなんです」

「そうしたら若葉やご家族からの提案で、ここで居候する事になった。そういう訳なんだね?」

 蓮司は相変わらず不思議そうな表情を浮かべながら首を縦に振る。しかしその直後に学からかけられた一言のお陰で、彼の表情は一気に緩む事となった…………、


「いい友達を持ったんだな」

「…………はい!」


 そして学はその言葉を彼に贈ったところで、遂に蓮司の元を去っていった。一方蓮司は彼の姿が見えなくなるその瞬間まで、大きく手を振り続けていた。やがて学の姿が完全に消失したところで、今度は蓮司の方から一言感謝の言葉が贈られた。

「ありがとうございます、先生…………」

 するとその時、

「クーロちゃーん!」

「!」

 その時聞き覚えのある明るい少女の声に反応し、今度は蓮司が後ろを向いてみた。そこに立っていたのは、

「ただいまクロちゃん!」

「おかえりなさい、若葉!皆さん!」

 そこには蓮司に店番を任せていた、若葉を始めとする七橋家の六人が存在していた。ようやく戻ってきた彼らに向かって、蓮司は再び大きく手を振る。するとそれを受けた若葉が雨に濡れた歩道を全く気にする事なく、駆け足で彼の元へと向かっていった。

 その時空に広がる灰色の雲からの贈り物は、ほんの少し量を減らしてもらっていた。

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