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黄昏のG   作者: 裏山おもて
1章 胎動
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「おいユウト、塩が切れた。買ってこい」


 夕飯の支度をしていると、調味料の棚を見ていたジルが眉間にしわを寄せた。

 すでに外は薄暗かった。窓を開けていても街の音はほとんど聞こえてこない。遠くから聞こえてくる風の鳴き声が、肌寒い風に乗って流れてくるだけだ。

 ユウトも眉をひそめる。


「もう市場もやってないよ。あしたでいいでしょ」

「バカ野郎! トマトに塩かけないでどうやって食べるってんだ!」


 不機嫌に唾を飛ばしてくるジル。どうやってもなにもそのまま食べればいいのに。

 ユウトはそう思いつつ、しぶしぶ外套を羽織って街へと繰り出した。

 以前そう言ったときに説教を受けたことがある。どんなイタズラをしても五分で叱り飽きるジルが、一時間も説教をつづけたのにはさすがに辟易した。

 そんなにトマトが好きなら、畑にでも生まれ変わればいい。


「やっぱこんな時間じゃどこもやってないのに」


 市場の店はすべて終わっていた。

 日没後は、街の人たちのほとんどは仕事も終えて家に戻ってる時間だ。夕暮れも過ぎた街を出歩いている人影は少ない。石造りの家々に灯る明かりが窓越しに道路をほんのりと照らしているだけ。

 大通りにある何軒かの酒場は賑わってるが、営業してる店なんてそれくらいだ。


「いっそ分けてもらうか……あれ?」


 酒場の前で立ち止まったユウトの視界の端に、ちらりと映ったのは小さな人影。

 隣にはパン屋があった。そのパン屋の前でうずくまっていたのはひとりの少女だった。


 歳はユウトと同じくらいだろう。。

 髪の色は薄く、瞳は灰色だった。

 小柄でどこか感情の乏しい表情。ぼんやりとした瞳で足もとにいる小さな黒ネコを見つめ、手に持っているパンをちぎって与えていた。


「ネコ、珍しいね」


 ユウトはつい話しかけていた。

 少女はユウトをちらりと見上げると、抑揚のない声でつぶやいた。


「……なに?」

「いやほら、ネコって貴族街の愛玩動物だからさ。こっち側にいるなんて珍しいなって」


 ネコはかつて人間が繁栄していた時代からの愛玩動物だったらしい。人間とともに氷河世紀を乗り越えて、いままで進化していない珍しい生物だった。人間でさえ魔法という力を得たのに、ネコは人間が守ってきたおかげか変わらなかったらしい。

 少女はユウトを疑うような視線で見つめてきた。


「……そんなことよく知ってるわね。貴族街に住んでたみたい」

「ほ、本で読んだだけだよ」


 慌てて誤魔化すユウト。

 それにしても話しかけたことがまずかったのか、機嫌が悪そうな少女だった。


「ふうん」


 短い返事をするだけで、ネコにパンをあげ続ける。

 自分で話しかけておいてなんだけど、正直女の子は苦手だった。とくに同じ年頃の子なんてまともに話したことはない。

 沈黙が気まずい。


「じゃ、じゃあ僕はこれで……」

「あなた、靴磨きのひとよね?」


 帰ろうとすると、こっちに見向きもせずに少女がつぶやいた。


「そうだけど……君、もしかしてお客さん?」


 少女を見た記憶なんてなかったけど。


「残念だけど、あなたに磨いてもらうような靴はないわ」

「そうか」


 それは残念だ。

 この少女が客としてきたことがあるなら、さすがに憶えてるだろう。顔立ちは整っていて睫毛が長い。これだけ美しい少女はなかなか目にかかれないだろうから。


「でも、じゃあなんで知ってるの?」

「さあ……なんでかしらね」


 知ってると言いながらも、興味はなさそうだった。

 教えてくれる気はなさそうで、少女はまたパンをちぎってはネコに与える。


「君はこのパン屋さんのひとなのかな」

「どうしてそう思うの?」

「だって、こんな時間にパンをあげてるから」


 もう店は閉まっているし、防寒具の外套を羽織ってるわけでもない。部屋着のような薄い服だから、外出するような恰好じゃなかった。

 少女はパンをすべてちぎって地面に落とす。

 手を払いながら、ユウトを無感情な瞳で見上げた。


「もしそうなら、あなたはどうするの?」

「どうするって……」


 妙な質問に面食らう。

 もし少女がパン屋の娘だとすれば、か。


「そうだな。こんどパンを買いに来るよ」

「なぜ?」

「そりゃあせっかく話したんだし」

「すこし話したくらいで、パンを買う店を決めるの?」

「せっかくなんだから、それくらいはしてもいいかなって」

「……そう」


 少女は不思議そうに首をかしげた。ユウトの言うことに納得したのかしてないのかわからない反応だ。


「でも残念ね。私はここの人間じゃないわ」

「そっか。それは残念だね」

「そうかしら」


 少女は立ち上がると、ユウトの横を通りすぎる。

 髪がふわりと泳いで、なにか甘いような薫りが漂ってきた。

 すこしドキリとしてしまう。


「あなた、名前は?」

「僕? ユウトだけど」

「ふうん。家名はないの?」

「いまはないよ。捨て子だから」

「……そうなの」

「君の名は?」


 ユウトが問い返すと、少女はわずかに沈黙を挟んでから上目遣いで見上げてくる。

 やはり表情は乏しい。


「さあ。なにかしらね」


 これも教えてくれる気はなさそうだった。

 少女はそのままスタスタと歩いていく。

 もう帰るつもりなんだろう。足元にいたネコもいつのまにかどこかに去っていた。


「送っていこうか? もうかなり暗くなったし」

「必要ないわ」

「そう? 家、ここから遠いの?」

「遠いといえば遠いかもしれないわね」


 ユウトにかまわず歩いていく少女。

 断られたけど、さすがに夜道を歩かせるのは危ないかもしれない。

 無理にでも追いかけたほうがいいのか。

 いやでも、困らせることになるかも。

 ユウトが迷っていると、


「……居場所なんてないし……」


 歩いていく少女の口から、そんな言葉が聞こえた気がした。


「え?」


 どういう意味だ――そう聞こうとしたとき、突風が吹きつけた。

 いきなりの風に、とっさに腕で顔を守る。

 風は一瞬で止んだ。


「あれ?」


 腕をおろしたときには、少女の姿は消えていた。

 なんだったんだろう。

 気になることは多かったけど、とにかく不思議な少女だった。

 幻みたいな少女だった。

 また会ってみたいなと思いつつ、ユウトは踵を返した。


「……あ、塩」


 かなり時間が経っていた。

 慌てて走り回って探したけど、当然見つかるはずもなく。


 家に帰ってからしこたま怒られたのは、言うまでもない。



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