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気を失った少女は、ひとまずユウトの毛布に寝かせておいた。こんな肌寒い夜に外で寝かせておいたら確実に風邪を引いてしまう。
「……で、これからどうする?」
「どうすればいいのかしらね」
ユウトとレイは困り果てていた。
こんなときに頼れるアンドロイドはどこかへ行ってしまっていた。彼女は寝る必要がないから、偵察にでもでかけたんだろう。間が悪い。
少女の喉の傷に薬を塗ったあとは途方に暮れ、失せた眠気を待ちながら座っていた。レイも律儀に付き合ってくれているのか、あるいは監視のためか、少女の寝顔をじっと見つめている。
「……似ているわ」
「え?」
ぽつりとつぶやいたレイ。
「あなたの故郷にいた、あなたのお友達に似ているわね。髪型はすこし違うけれど」
「ああ、そうだな」
ユウトは短く答えて目を伏せた。
見ないようにする。
少女の顔も、レイの顔も。
そんなユウトの反応に気付いたのか、レイは声を落とした。
「ごめんなさい。無神経だったかしら」
「いや、そんなことは」
「……あなたは、わたしを憎んでいるのね」
沈んだ声だった。
はっとして顔を上げる。
レイは少し悲しげな表情をしていた。
わかっている。
あの時、レイはただ街を監視していただけだった。ミンファとユウトが仲良くしていたことを、『白眼』を通じて見ていただけだ。特に何をしようとしていたわけでもない。ユウトを誘い出すためにミンファを攫ったのは複巣母体で、レイはそのことを知らなかった。
頭ではわかってる。
憎むべき相手は目の前の少女じゃない、と自分に言い聞かせてきた。
だけど咄嗟に出た反応は、レイにはその憎しみが自分へと向いていると思わせてしまうものだった。
「僕は……」
しかし、ユウトがショックだったのはそこではない。
レイを憎んでいると思われたことではなく、そのことでレイが落ち込むような反応を見せたことだった。その反応を自分に向けられたことが、なぜか衝撃的だった。
鎧獣が憎い。
でも、そうだ。
なぜだろう。
そう思われるのは、とても嫌だった。
「……僕は……」
言葉がうまくでてこなかった。
軽率なことをいうべきじゃない。それはよくわかってる。自分ですらよくわからない感情の渦がとぐろを巻いていた。
これは正常なのだろうか。それとも異常なのだろうか。
ユウトは経験したことのない複雑な思いだった。
気まずい沈黙が、夜と共に静かに更けていく。
「あれ、ここは……?」
いつのまにか座りながら眠ってしまっていた。窓から朝日が差し込んでいて、どうやら眠気に負けたらしいことはわかった。
ユウトを起こしたのは、もぞりと動いた気配と声。
倒れていた少女が毛布から起きていた。
「あの、あたし、どうしてここに?」
同じように起きあがったユウトとレイを見て首をかしげていた。知らない場所で、知らない相手がともに眠っているのに、危機感など微塵もなさそうな反応だった。
寝ていたら寝ていたでどうしたものかと思ったが、起きたら起きたでなんていうべきかわからなかった。
まさか自分たちは不法侵入者だと伝えるわけにもいかない。
「あなた、倒れていたのよ。わたしたちが介護したわ」
レイが無難に伝えると、少女はお腹を押さえた。
「あっ……ごめんなさい。ありがとうございます」
「少し錯乱していたようだったけど、もう大丈夫?」
「はい。ちょっと事情があってご飯が食べられなくて……」
困ったような表情だった。
心なしか、少女の手が小刻みに震えているような気がした。
お腹がすいたら錯乱するような体質なのだろうか。
よくわからないが、そういうことなら。
「干し肉ならたくさんあるけど、食べる?」
ユウトが鞄を漁りながら聞いた。
怪訝な顔をした少女。
「干し肉、ですか?」
しまった。
この都市は食料が配給制度で配られている。シンクがいうには、それゆえ贅沢はできない。肉はどこの都市でも嗜好品で、それゆえ持っている人すら少ない。
墓穴を掘ったか。
背中に冷や汗が流れた。
「すみません。あたし平民だし……お肉は食べちゃいけなくて」
「そ、そっか」
「せっかくですけど……ごめんなさい」
頭を下げた少女。
「わたしたちも平民だから食べられなくて困ってたのよ。たまたま手に入れて」
「そうなんですね。でも、あたしもたまに貴族階級の方から甘味をもらうことあります。こっそり食べていいよ、って。……あ、もちろん食べませんけど」
バツの悪そうな顔で笑う少女。
レイがなんとか取り繕ってくれたからか、バレずに済んだようだ。
平民と貴族階級。
この都市にも身分制度はあるのか。
「じゃあパンなら食べる? こっちも貰い物だけど」
「はい、いただきます。大好きです」
都市が違うから多少は味も違うだろうけど、見た目は配給で配られていたパンとあまり変わらないはずだった。これなら大丈夫だろう。
そう思って渡したパンを、少女が一口齧った。
その瞬間、
「……え?」
少女は驚いた顔をして、ユウトたちを見た。
まるでこの世のものではない物を見た時のような、それほどの衝撃を物語る表情で。
「あ、あなたたち……」
ごくり、と喉を鳴らす。
ヤバい。また何か失敗したか。
万が一、ユウトたちが侵入者だと勘付かれ逃げ出すようなら、最悪実力行使もやむなし。
そう思って警戒する。
少女はパンを手に、大きく叫んだ。
「なんて美味しいパンなの!」
「へ?」
「すごいわ! こんなに美味しいパンは初めてよ! ああ、美味しい……美味しいわ」
一心不乱に食べ進める少女だった。
ユウトは拍子抜けして壁に背中をつけた。
「そんなに美味しいの?」
別段、変わらない普通のパンのはずだけど。
それでも少女は「美味しい」を連呼し、咀嚼を続ける。
もしかしてこの都市の配給は物凄く不味いのかも。
逆に味わってみたい気もする。
「……あ、そうだ。レイって味覚も共有できるんだっけ」
「ええ。やってみたい?」
「うん」
頷くと、レイの義眼が白く輝く。
この都市のどこかの誰かが口にした味が、ネットワークを経由して流れ込んでくる。
「おえっ」
「これは、不味いわ。とっても」
ユウトとレイは顔をしかめた。
なるほどこれなら少女が感動するのもわかる。
「美味しい……美味しい……美味しい……」
「ほんといままで食べてきたもののありがたみがわかるっていうか、こう、なんというか幸せに気づいたよ」
「世界は広いわ」
「美味しい……美味しい……美味しい」
しかし熱心に食べる少女だ。
そう思って少女を眺めたユウトは、ぎょっとした。
少女の手にはパンはもうなくなっていた。
代わりに齧っていたのは、少女自身の手。
指が血まみれになっていた。
「美味しい……美味しい……美味しい……」
「なにやってんだ!?」
明らかに目の焦点が合ってなかった。
ユウトは少女を羽交い絞めにする。暴れる力がやはり強い。
「ちょ、つよっ……レイたのむ、どうにかしてくれ!」
「どうにか……でも、ネットワークは閉じてしまってるわ」
「なんか、こう、力づくで!」
「わかったわ」
レイは少女の死角に回り、首に手をかけた。
頸動脈を押さえたのか、数十秒で白目を剥いて気絶した。
「ふ、ふう。助かった」
「それにしても、なんなのかしら」
「ああ。普通じゃない」
ただパンを食べていただけで半狂乱になるなんて。
「おそらく中毒症状ですね」
ふと、聞き覚えのある声が部屋の入口から聞こえた。
シンクが戻ってきた。なぜか手に買い物籠を下げている。中にはパンや保存食がたくさん詰め込まれていた。
その食料を睨みがなら、シンクはため息をついた。
「まったく、ヒスイの件があったばかりだというのに」
「……中毒症状って?」
「ユウト、レイさん。決してこの都市の食料に口をつけてはいけませんよ」
シンクが手にした食料たちを地面に投げ捨てて、強い口調で言った。
「なにが〝医療の象徴〟ですか……この都市の食べ物にはすべて薬物が混入しています。薬物と言っても、薬じゃありません」
「薬じゃない、薬物?」
ユウトが首をひねる。
「ええ。かつて科学時代の社会の裏で出回り、数多の人間を狂わせ堕落させたもの。……それらは総じて、『麻薬』と呼ばれていました」




