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黄昏のG   作者: 裏山おもて
5章 ナノマシンという病魔
57/73

 

 薄暗い岩窟の穴屋で、テネイロは話を続ける。


「戦いを終えて戻ってきたレオンさんが見たのは、何事もなく王座に腰かけるヒスイだったらしい。そこで、レオンさんは彼女を殺すことを諦めた。だがヒスイもまた自分の力ではレオンさんを殺すことはできないと悟り、これ以上は誰も殺さないことを約束してレオンさんを岩下の街に戻らせ、王座に居座ったのだ。……つまり今、誰も認める気はないが、この都市の王はヒスイなのだ」


 その王を殺そうとしている革命軍のリーダー。

 それこそが、テネイロだということか。


「いま、この都市の政治は機能していない。都市機動隊は一応ヒスイに従ってはいるが、治安維持以上の仕事はしていない。だが貴族や機動隊の家族を何人か人質を取られているのか、ヒスイの命令で地底湖や岩窟内で何かの作業をさせられているらしい。もちろん解放軍が見つけた地底湖への通路も機動隊兵士に守られていて、俺たちには近づけない」

「それで、飲み水が毒だというのは?」


 シンクが本題に触れた。


「ヒスイが都市を乗っ取ったのが一か月ほど前。その直後から、何人か岩窟内の仲間たちが原因不明の病に倒れているのだ。症状は共通していて、幻覚や嘔吐、そして水を怖がるようになっている。ヒスイが玉座に居座ってから俺たちの生活が変わったわけではない。怪しいのはこれだけだ」


 テネイロが睨むのは水差し。それをまたコップに注いで、その透明な水をじっと見つめる。


「地底湖で活動しているというヒスイが、毒を撒いたに違いない」

「それ、私が飲んでもいいかしら」


 レイがコップを手に取る。

 ユウトとシンクはぎょっとしてレイを見る。


「なに言ってるんだ。本当に毒だったらどうするんだよ」

「でも、私が飲めばあなたたちにも飲んだ感覚を誤差なく伝えられるわ。効率的じゃないかしら」

「そういうことを言ってるんじゃない。なんでわざわざ飲むんだって聞いてるんだ」

「困っている人を助けるのが、人間らしい行いだと思うから」


 そう言ってコップの水を勢いよく飲むレイ。

 その瞬間、彼女の右眼が輝いてユウトたちにも飲んだ感覚が流れ込んでくる。冷たい水が食道を通り、胃に落ちる。痛みや違和感や拒否反応はなにもない。ただの水だった。


「どうかしら」

「どうって、お前なあ……」

「特に異変はないですね。解析は苦手なので、あまり自信を以っては言えませんが」


 シンクも気にしていない様子で首を振る。


「しかしテネイロさん、この水に毒物が混入しているとしても、私たちが狙われる理由がわかりません。あなたが私たちを保護した理由もです」

「保護したのは、ヒスイがあんたたちを探しているからだ。その理由がわからなくてもこの状況は俺たちにとって利用できると踏んだ」

「利用、ですか」


 テネイロはあくまで自分のためだということを隠す気はないようだった。

 その方が簡潔に話ができて有り難いが、とはいえシンクも彼のことを信用しているわけではなさそうだった。


「私たちにどんな利用価値があるかはわかりませんが、その話を聞く限りでは私たちがこの都市に長居する理由はありませんね。狙われているなら尚更です。ヒスイさんに見つかる前に立ち去るほうが賢明な判断だと思いますが」

「だが、あんたたちはそうしない」


 テネイロの口調は確信を持っていた。


「あんたたちは旅の途中だろう。どこから来てどこに向かうのか、俺にはさっぱり見当がつかない。だがこの時勢に旅をするなんて並大抵のことではないことくらいはわかる。この街で情報収集をするために滞在しようとしているのは、否定できないだろう」

「それはそうですが」

「それにヒスイがあんたを名指しで掴まえろと命令している。あんたたちがヒスイを知っているか定かじゃないし、或いはもしかしたらヒスイの仲間かもしれない」

「そうですよ。ヒスイさんの仲間かもしれません。あなたたちの動向を探るスパイかも」

「その真意がどうあれ、あんたたちは情報が欲しいんだろう。もちろんヒスイの敵であれば大人しく捕まる気もない。だから俺たちが情報提供を約束すれば、ここに留まる。違うか?」


 なかなか強引な論述だったが、テネイロの言いたいことはわかった。

 シンクは小さく息をついた。


「……わかりました。それで、あなたたち革命軍は私たちをどう利用するつもりなのですか? 場合によってはお手伝いしますよ」

「話が早くて助かる」

「ですがその前にひとつ、頼みがあります」


 早速立ち上がろうとしたテネイロを、シンクが手で制する。


「よろしければ寝床を二つ、貸していただけませんか? 私の隣にいる子たち、長旅の疲れが溜まっているみたいなので」


 駆け引きのなかでも、ユウトたちへの気遣いを忘れなかった。

 さすが三百年を生きる淑女だ。


「……わかった。ついてこい」


 テネイロが渋々立ち上がり、ユウトたちは彼についていく。

 ユウトとレイに用意されたのは、穴屋の道の一番奥の部屋だった。

 テネイロはすぐにでも話を進めたい様子だったが、外はまだ深夜を回ったところだ。シンクは休む必要がないとはいえ、話の続きは夜が明けてからにしてもらった。


 借りた穴屋は空き家なのか、生活の跡がなかった。奥の部屋に毛布を敷いて、その上にユウトとレイは寝転がった。

 万が一に備えて穴屋の前でシンクが見張りをしてくれていたから、安心して眠りに着くことができる。ようやく腰を落ち着けての休息だ。

 まぶたを閉じる前に、ユウトは横で寝転ぶレイに話しかけた。


「さっきの話、どう思う?」

「質問が曖昧だわ」


 レイはユウトより眠そうだった。簡潔に話せと言いたそうに、あくびを一つ漏らした。


「テネイロの話だよ。嘘があったと思うか? こっそり接続(リンク)してただろ」

「気付いてたのね。髪で隠してたのに」

「テネイロからは見えてなかっただろうけど、僕からはハッキリと。それで、どうだった?」

「彼は怒りと後悔、それと闘志に燃えているわ。あと恐怖も。いままで嘘をつく人を大勢見てきたけど、彼は違ったわ」

「水を飲んだ時は? テネイロの真意を探るためにわざと飲んだんだろ?」

「それも気付いていたのね」


 レイは感心したようだった。


「驚いていたけれど、動揺はしていなかったわ。あなたが恥ずかしがるのを隠そうとする時の方がよっぽど感情が揺らいでいたわよ」


 その話で例えるのはやめてほしいものだが、とにかくテネイロの話に不信な点はなさそうってことでいいようだ。シンクの判断に異を唱える必要もないだろう。


「じゃあ、私は先に寝るわね」


 レイが目を閉じて寝息をたてはじめる。

 まだこの岩窟都市に来たばかりだというのに、厄介なことに巻き込まれたものだ。なぜシンクが狙われているのか、ヒスイという女がシンクとどういう関係なのか、考えても仕方がないとわかっていても考えてしまう。

 いや、そうじゃない。

 ユウトは自覚していた。


 そもそもシンクのことすら、まだよくわかっていないのだ。シンクの過去も、どんなことを隠しているのかも、彼女が話してくれなければ何もわからない。ヒスイという女と仲間じゃない確信なんて、ユウトですら持てないのだ。



 ❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆



 漸くと言っていいほど久しぶりに、まとまった睡眠がとれた。

 腹が空いて目が覚めると、まだ隣でレイが寝ていた。毛布の端をぎゅっと握りしめ、外套にくるまって寝息を立てていた。まだまだ起きる気配はない。

 ここ数日で見慣れた光景だ。ユウトよりも、レイは朝が苦手な様子だった。

 喉が渇いて部屋を出る。狭い穴屋の居間に水差しが置いてあったからそれを飲もうと手を伸ばして、やめる。自分の鞄のなかから水筒を取り出し、残っていた少ない水を飲み干した。


「おはようございますユウト」


 穴屋の入口――布の向こうから、シンクが顔を覗かせた。


「おはよ……」

「よく眠れたようですね。パンでも焼きましょうか?」

「うん。たのむ」


 シンクは鞄から燃焼剤と鉄板を取り出して、パンと干し芋を焼き始めた。

 香ばしい匂いが穴屋に漂ってくると、レイがあくびを漏らしながら起きてきた。レイは半分閉じた眼で燃焼剤の熱に手をかざしながら、自分の鞄から樹氷片を取り出してゆっくりと咀嚼し始める。


「テネイロは?」

「まだ睡眠中のようです。穴屋の方々は、まだ起きる時間ではないみたいですね」


 穴屋の道は静まり返っていた。そばの穴屋にも人々が住んでいるはずだが、物音はまったくといっていいほどしなかった。

 朝食を摂り終えると、今度は手持無沙汰になった。テネイロから情報を聞き出すことが先決なので、勝手に動くわけにもいかない。


「体を洗いたいわ」


 レイが不満そうに漏らした。トイレは穴屋の道の奥に共用のものが設置されているのだが、風呂はどこにもなかったのだ。


「たしかに湿気が高いですしね」

「この穴屋の貯水を使っていいかしら。体だけでも拭きたいわ」

「それはダメでしょう。飲み水だとおっしゃってましたから。郷に入れば郷に従えです」

「そう。残念ね」


 結局やることもなく、ただ座って待ち続ける。

 ユウトは密かにシンクの様子をうかがっていた。この都市に来てから、とくに変わった様子はない。何かを隠しているような気配は感じなかった。

 穴屋の住人たちが起き始めたのはそれからしばらくたってからだった。生活音や足音が聞こえ始めてくると、シンクはテネイロのところに向かった。


「ユウトたちはここで待っていてください。万が一に備えて、レイさんは義眼の発動をすぐにでもできるようにお願いします」

「わかったわ」


 穴屋の並びの最奥の部屋だ。ここから奥は共用トイレがあるだけの袋小路。襲われたら逃げ場はない。

 念のためにレイが感覚ネットワークを展開する。

 義眼を使って周囲の様子を探っていたレイが、かすかに眉をひそめる。


「……揺れてるわ」

「え?」


 たしかに揺れている。穴屋全体が小刻みに振動を始めていた。

 なんだろう。地震というものは、何度か体感したことがある。こんな岩窟のなかでも地震が起こるのかはわからないが、揺れはどんどん大きくなり始めていた。

 天井から、パラパラと細かい礫が落ちてくる。


「原因は何……?」


 ネットワークを探るのに集中しているレイは、自分の髪に砂がかかることに気を留めていなかった。確かにレイのネットワークは便利だが、脳を媒介にして感覚情報を得るということは、近くにいる人間が見えない場所のことはわからないということ。決して万能な力ではないのだ。


「レイ、こっちこい」


 そんなレイの手を引いて、ユウトはテーブルの下に隠れる。もし岩が崩れたときのことを考えると心もとないが、ぼうっと立っているよりは安全だろう。

 それにそろそろシンクも異変を察知して戻ってくるはず。

 そう、思った瞬間だった。

 がくんと重力に引かれる感覚が、ユウトたちを襲った。

 部屋のテーブルが一瞬浮いて、床ごと――部屋ごと落下していくような感覚に襲われる。とっさにレイの肩を掴んで引き寄せた。


 落下はそう長くは続かなかった。

 大きな振動とともに、部屋の落下は止まった。

 座っていたはずだったのに、いつのまにか重力に潰されて床に倒れていた。

 何がなんだかわからない。この穴屋に――岩窟に何が起こったのか。


「……無事か?」

「ええ、おかげさまで」


 ユウトたちはゆっくりと身を起こした。

 穴屋のなかは荒れていた。椅子は倒れ、荷物は散乱してしまっている。だがそれよりもユウトたちの顔をしかめさせたのは、入口から漏れてくる土煙だった。

 すぐに外套で口元を覆って、穴屋の外に出る。


「嘘だろ……」


 長い道が続いていたはずだった。

 だが、そこにあるのは岩の壁だった。

 ユウトたちの穴屋以外、岩の壁の向こうへと消えていた。そして逆側――共用トイレしかないはずだった奥の道に、一本の登り坂が続いていた。

 

「これは、なんだ」

「わからないわ。かなり上方で、シンクが私たちの名前を叫んで岩を叩いているけれど」


 脳に流れ込んできた映像は、穴屋の住人の誰かの視点だった。まださっきの穴屋の道にいるのだろう。テネイロとシンクが岩の壁を叩いて叫んでいる。

 だが、ここからは何も聞こえない。


 ユウトたちを襲った落下の感覚を考えると、こっち側の道がかなり下方に落ちたのだろう。

 そして、別の道に繋がったのだ。


「……罠かしら」


 レイがつぶやいた。

 岩窟の不自然な変動。

 自然の災害の可能性も否定できないが、たしかに誰かの意図が絡んでいるような気がした。シンクと引き離されたことを考えると、その疑いはほとんど確信でもあった。

 どちらにせよ、ここで黙っているわけにもいかないだろう。


「どうするの?」

「行くしかないだろ」


 これが罠だとしたらなおさらだった。

 ユウトたちが欲しいのは情報だ。この岩窟都市で何が起きていて、なぜ巻き込まれているのか。ユウトが『霊王の五躰』を持っていることを知っていた男がこの都市から来て、なおかつシンクを狙っていたことを考えるなら、ユウトたちの旅路を邪魔する何かがこの都市にあることは間違いがないだろう。

 それが何であれ、無視するわけにはいかない。

 最初から、危険を承知で進むしかない道を選んだのだから。


「……行くぞ」


 ユウトとレイは、誘われるかのような一本道を進み始めた。


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