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黄昏のG   作者: 裏山おもて
5章 ナノマシンという病魔
56/73

 

 岩窟都市ウルヴォロスは、その名の通り土地の七割を巨大な一枚岩が占めている。


 岩の上には王城と貴族街が建ち、岩の周囲には庶民街が広がる。そびえ立つ巨大な岩の壁の下部にはいくつもの粗雑な階段が掘られており、自然か人工かわからない穴が無数に空いていた。

 その穴は内部で幾重にも伸びて互いが繋がり、あるいはすれ違い、『魔窟』とも揶揄される迷路になっていた。

 迷い込んでしまえば二度と出られない。岩窟都市と呼ばれるようになった所以だ。


 穴の中は昼夜問わず暗い。自生するヒカリゴケの灯りと、人間が設置した常備灯だけがぼんやりと洞窟を照らしている。太陽の光はまったく届かないが、様々な場所から風が吹いてくるため意外と空気は淀んでいなかった。

 所々、岩の隙間から水が漏れていた。一枚岩の下には大きな地底湖があり、その下からの地熱で蒸気となって吹き上がり続けているらしい。上昇した水蒸気は岩の割れ目から漏れて空気に触れると水となって洞窟内に滴り、その蒸気水は岩の上――王城や貴族街まで届いているらしい。

 そのため湿気は常に高い。風通しの悪い場所だとすぐに汗が滲むほどに。


 そのなかを、ユウトたちは歩いていた。

 布で顔を隠した男に先導されて、迷路のような洞窟を進んでいく。わざと遠回りしているのかどうかすらわからない。右に左に折れ曲がり、上に下にと昇り降りを繰り返していた。

 辿り着いたのは、明るい小さな広場のような場所だった。

 天井は高く幅も広い。壁にたくさんの灯りが掛けられてあった。その中心で男が立ち止まる。

 まだ道は続いているが、通過点というわけでもなさそうだった。


「そろそろ、あなたが何者かお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 シンクが問いかけると、男は振り向いた顔を隠していた布を取り払った。

 まだ若い。ユウトより少し年上という程度だろう。唇に太い切り傷が入っていた。


「よく黙ってついてきてくれたな。まずは感謝する」


 男は頭を下げた。その眼光は鋭い。


「俺の名はテネイロ。シンクさんとその連れと見受ける」

「ええ。仰る通りです」

「それならよかった。人違いでした、では済まないからな」


 男が息をついて、近くにあった岩のでっぱりに腰をかけた。

 そのとき周囲に空いていた穴からぞろぞろと人が出てきた。隠れていたのだろう。男も女も、老人も子どももいる。

 みんな薄汚れた服を纏い、体はほっそりと痩せていた。だがその目はユウトたちを観察するかのように眺めている。

 物騒な風貌だが、レイが何も言わないところを見るに敵意はないのだろう。

 彼らはテネイロと名乗った男の近くに集まっていく。


「テネイロさん、あなたは何者で、なぜ私たちをここまで連れてこられたのでしょう? 狙われてるとはどういうことですか?」


 シンクが首をかしげあげた。テネイロは渋い顔をつくる。


「こっちにも色々と事情があるんだが……まずはシンクさん、あんたの話からだ。あんたちが狙われているのは、この都市に住む誰もが知っている」

「なぜです? この都市に来るのは数十年ぶりなのですが」

「王が命令したからだ。シンクという女が来たら捕らえよ、と」


 テネイロは忌々しく吐き捨てた。


「王が? なぜでしょう。お会いしたことはありませんが……」

「理由はわからない。だが理由も告げずに捕らえろなんて言われても、都市民といえ殆どの者は従うはずもない。王に媚びを売りたい連中以外はな」


 門のところにいた兵士たちが腫れ物を見るような目でこっちを見ていた理由がわかった。


「だが理由よりも、まずあんたが狙われているということのほうが大事だ。だから俺はあんたを匿うことにした」

「それはまたどうしてです?」

「俺が革命軍のリーダーだからだ」


 テネイロは服の下から、するりと一本の細剣を取り出した。短く、細い。あまり戦いには向いてなさそうな武器だったが、隠し持つのには有用な大きさだ。

 いきなり武器を取り出したことに、シンクもレイも反応しなかった。もちろんユウトもかすかに警戒心を強めただけで成り行きを見守っている。

 三人が動じないことに感心したのか、テネイロは薄く笑みを浮かべていた。


「革命軍、ですか。思ったより物騒な集まりですね」

「そりゃあ物騒だ。なんせ王を殺そうっていうんだからな」

「私たちにはこの都市の情勢がまったくわかりません。まずはそこから説明してもらえませんか? そのためについてきたのですが」

「正直だな。ま、こっちもそのつもりで連れてきたんだがな」


 ゆっくり立ち上がったテネイロが、ついてこいと指で示して広場の奥へと歩いていく。


「この都市の情勢を知るためには、まず岩窟の中を知るのが一番だろう。なんたってこの都市は『岩窟都市』なんだから」






 ユウトたちが案内されたのは、広場から伸びた一本の道だった。

 まっすぐな長い道。その左右に人がひとり通れる程度の穴が規則正しく並んでいる。ほとんどの穴には布がかかっており、中を伺うことはできない。


穴屋(あなや)さ。俺たちの住処だ。明るい空の下に家を持つほどの経済力がなければ、ここでこうやって暮らすしかない」


 穴屋の並びは奥の奥まで続いているようだ。途中、布がかかっていない穴の中にテネイロが入り、ユウトたちを手招きした。

 穴屋の中は狭かった。

 居間のような入口に繋がる部屋に、三つの小さな空間だけがくっついているだけだ。ひとつは寝床のような布が敷かれている部屋に、ひとつは荷物が積まれている部屋。残りは岩の割れ目から漏れた水を貯めている部屋だった。


「狭いだろ? どこの穴屋も同じ構造さ。この都市が造られた頃から、法律で穴屋の敷地面積は制限されている」


 居間のテーブルに備わっている小さな椅子に腰かけるテネイロ。同じような椅子が三つあり、ユウトたちもそこに座った。

 シンクはこの岩窟都市がエヴァノートと似た社会構造を持っていると言っていたが、少なくともエヴァノートではここまで大規模な貧富の差はなかった。捨て子や貧民が外壁のすぐそばでボロ屋暮らしをすることはあっても、それはほんのごく少数だったのだ。


「とはいえ、俺たち貧民階級にとっちゃあそんなもん慣れたもんだ。あんたたちに知ってほしいのはそこじゃねえ。問題はコレだ」


 テネイロがテーブルの上に置いてあった水差しを手に取って、コップに注ぐ。

 そのコップを三人の目の前に置いた。


「この水は、地底湖の蒸留水をろ過した飲み水だ。昔から、この岩窟都市に住む者はみなこの水を飲んでいる。貧困層でも富裕層でもそれは関係ない」

「水がどうかしたんですか?」

「一見普通の水に見えるだろ? だが、コレは毒だ」


 テネイロの目には怒りが浮かんでいた。

 シンクがコップを手に取り、ほんの少し舐めた。


「無味無臭ですね。私には毒には思えませんが……」

「そうだろうな。俺がコレを毒だと判断する理由は、まず順を追って説明しなきゃならねえ。俺たちが革命軍を結成し岩窟内に潜んでる理由も、あんたたちを連れてきた理由も」

「ぜひお聞かせ願いたいものです」


 シンクが頷くと、テネイロは一呼吸置いてから話し始めた。


「一年ほど前、この都市に一人の女が旅をしてやってきた。彼女は『ヒスイ』と名乗っていた。ヒスイは噂によると美人で人当たりがよく、強い治癒魔法を持っていたらしい。ヒスイはすぐに都市機動隊の医療班に所属して、街のひとたちから信頼を得ていった」

「治癒魔法、ですか……」


 シンクが怪訝な顔をしたのは、治癒魔法の持ち主がどうやってこの都市までやってきたのかということだろう。戦う魔法を持たない人間が、この極寒で危険な旅路を一人で乗り越えられるとは思わない。

 ユウトも疑問に思ったが、テネイロは気にせず話を続けた。


「ヒスイはこの都市で数か月を過ごすうち、ある疑問を抱いた。『広大な暖域と豊富な水があるのに貧富の差が激しすぎる』と。この都市で生きる俺たちにとっては当たり前の生活を、彼女は理解できないと言った。そしてすぐにヒスイはある団体を立ち上げた。『水の解放軍』という団体だった」

「軍隊とは、いささか突飛な名前ですね」

「ああ。だが、彼女の言い分は尤もだった。この岩窟内から漏れてくる水は安定している。だが、その水分量を決めているのは王族だ。中央調査隊が地下水の水量を常に把握し、地底湖から上がってくる水蒸気を調整するような器具を設置しているのだ。この岩窟内に地底湖までの道が一本だけ存在し、それを中央調査隊が管理しているらしい」


 都市の生命線になる水の管理。

 それは、都市経営をする王族なら最も気を留めるべき事案だろう。ユウトには納得できたが、テネイロは首を振った。


「水の量が決められているということは、岩窟内で生きることができる人間の数も制限されているということ。我々が当然だと思っていた環境を、ヒスイは生きる自由を奪っていることだと主張した。最初は相手にしていなかった我々都市民も、次第に彼女の声に賛同するようになっていった。それが『水の解放軍』の結成理由だ。それから始まったのは、岩窟内の大規模捜索だった。魔窟と揶揄されるこの岩窟内で、一本の道を見つけ出す困難な作業だった」

「地底湖までの道を解放軍で奪おうというわけですか」

「そのとおりだった。ヒスイの熱心な説得と人望で、解放軍はみるみる人数を増やしていった。解放軍は法で禁じられている岩窟の掘削や、危険区域への立ち入りも躊躇しなかった。そのせいで、噂を聞きつけた都市機動隊との小競り合いもいたるところで起こり始めた」


 ウルヴォロスの治安の悪化。

 それはネロに聞いたことと同じだった。妙な団体とは、解放軍のことだったのだろう。


「小競り合いはすぐに過激化し、殺し合いにも発展したこともある。捕まったやつも大勢いた。だが、解放軍はそれを間違いだと思っていなかった。もともと貧しい生活を送っていた我々は、水さえ解放すればもっといい暮らしができると思っていたのだ。……いや、思わされていた」


 テネイロが語気を強めた。

 話の流れが変わるのを感じ取って、シンクも黙る。


「だが、我々は騙されていたのだ。綺麗ごとや理想論を並びたてていたが、ヒスイは水の解放なんてことに興味などなかった。解放軍が機動隊と戦いながら、やっとのことで地底湖への道を見つけたとき、彼女は地底湖には目もくれずにその道とは逆の方向へと進んだのだ。中央調査隊が管理していたその道は、貴族街――本来貴族と王族しか立ち入れない岩上へと繋がっていたのだ」

「彼女の狙いはそれだった、と」

「いかにも。いまなら、彼女がはじめに機動隊に入ったのもそのためだとわかっている。だが機動隊といえど貴族街に足を踏み入れられる者は、総隊長と副総隊長だけと決まっているらしい。貴族街への門は厳重で、到底侵入することなどできない。そこでヒスイが目を付けたのは、地底湖への通路だったというわけだ」


 テネイロの表情に、少しずつ怒りの色が増していく。

 自分たちが利用されたと分かったときの気持ちを思い出したのだろう。


「貴族街はその門の堅さゆえ、中に入ってしまえば脆いものだった。ヒスイはたった数時間で王城を乗っ取り、王族をすべて殺した。都市機動隊が駆けつけたときにはもう遅い。貴族の半数も、彼女によって殺されていた」

「……ひどいわね」


 ぽつりと、レイがつぶやいた。

 テネイロはレイの顔をちらりと見て頷いた。


「まさに非道だ。生かされたのは、都市運営に必要最低限の貴族だけだった。ヒスイは本当の力を隠していたのか、都市機動隊も大多数が返り討ちになったらしい」

「でも、レオンさんがいたでしょう?」

「そうだ。レオンさんのおかげで、被害はそれだけだったと言える。事態を聞きつけて外壁防衛から駆けつけたレオンさんは、ヒスイと三日三晩戦い続けてくれた。三日間の戦いでヒスイを地底湖まで追いつめたレオンさんは、ついに彼女を切り刻んで沸騰する地底湖へと突き落としたという」


 ふう、と息をついたテネイロ。

 そこで終わりではないだろう。彼が睨みつけているコップの水が毒だと言う話は、まだ触れられてもいない。

 テネイロは喉が渇いたのか、少し躊躇いながらもコップの水を飲み干した。

 毒と言えど、他に飲み水はないのだ。


「こんな屈辱はない……っ!」


 テネイロは怒りに声を震わせながら話を続けたのだった。


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