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小さな要塞都市には城壁はなく、代わりに都市の至る所に水路があった。
地下水が豊富なのだろう。大小さまざまな水路のおかげで、道には多くの橋が架かっていた。城を囲むのはひときわ大きな水路で、敷地内には一本しか橋が架かっていなかった。
その端を渡るとすぐに城だ。近づいて分かったのだが、エヴァノートのように城と塔がすぐそばにあるわけではなかった。塔はまだまだ後ろに建てられている。
簡素でそう広くもない庭には、二階建ての石造りの城が鎮座している。
「こちらでございます」
兵士に案内されたのは、王城――ではなくその裏に建っていた小さな屋敷のようなところだった。
屋敷の横に、畑のような場所がある。
柵もない場所に食料を堂々と植えているなんて少し驚いた。城に壁がないこともそうだが、エヴァノートとは感覚がまるっきり違うのだろう。
屋敷の扉の前で待っていたのは若い執事だった。兵士と代わり、その執事に連れられて今度は屋敷に入る。
案内されたのは広い部屋だった。大きなテーブルが中心を占めた、十五人ほどが一堂に会せるほどの部屋。
そこで椅子に座って待つこと数十分。
部屋に入ってきたのは、小柄な老父だった。
「おお、シンク様ではありませんか……!」
老父は杖をついていた。足が悪いのか、執事の介添えをともなってゆっくりと歩いてくる。
シンクは彼と握手を結ぶと、懐かしそうに目を細めた。
「お久しぶりですネロさん。戴冠式以来ですね、四十年ぶりでしょうか」
「左様でございます。太陽を受けたバラにも劣らぬ美貌は健在の様子で、何よりでございますシンク様」
「ネロさんこそ、相変わらず褒めるのがお上手ですね」
おそらくこの老人――ネロが要塞都市の王なのだろう。
ネロは深く頭を垂れると、少し咳き込んだ。執事が背中をさする。
シンクが椅子を彼に勧める。
「かたじけない……肺が弱ってきておりましてな。何分、この齢ですから」
「そうですか。無理はなさらないようにしてくださいね」
「ありがとうございます。それにしましてもシンク様、此度はいかがいたしましたでしょうか。何か重大なことでも御座いましたでしょうか」
ネロが怪訝な表情を浮かべる。
シンクは首を振った。
「いえ、今回は用事はありません。この先にある都市を訪れるために、すこし食料を分けて頂きに参りました」
「なんと。エヴァノートでなにかあったのですか」
「そういうわけじゃありませんよ、ご安心を。ただ少し旅に出るだけです」
「それはそれは。しかし、この先にある都市というと『岩窟都市ウルヴォロス』のことでしょうか。恐れながら、あそこは近年様子がおかしいようで……あまり近づくことは勧められませぬ」
ネロはシンクの顔色を窺うようにして言った。その表情が、どこか硬くなっている。わずかに動揺しているのか、目を泳がせていた。
訝しんだのはユウトだけじゃなかった。シンクも眉間に皺を寄せた。
「どういうことですか?」
「我々も『英雄都市エヴァノート』と同じく都市間政治は消極的でして、詳しくはわかりませぬが……以前、用があってウルヴォロスに遣わした者から聞いた話ですと、都市内部でなにやら妙な団体が力を持ち始めているらしく、都市機動隊との小競り合いが頻発してるようなのです」
「妙な団体ですか。あそこはそれほど市民の活動が活発ではなかったはずですが」
「はい。治安も悪いとの情報もありますゆえ、迂回をお勧めする次第で御座います」
ネロは語気を強めた。
とはいえ、目的は情報収集だ。ここから向かえる大きな都市は他にあまりないのだろう。シンクは「ご忠告ありがとうございます」と答えたものの、とくに行き先を変えるつもりはなさそうだった。
「それより、お連れ様がたも長旅でお疲れで御座いましょう。よければ食事でもご一緒にいかがですかな。もちろん寝床も用意いたしましょう」
魅力的な提案だった。氷の世界ではゆっくりと休めなかったので、ユウトはつい顔が緩んでしまった。
シンクはそんなユウトの顔を見て、すぐに頷いた。
「では、ご厚意に甘えさせていただきますね」
その日はゆっくりと過ごせた。
ネロは優しい老父で、シンクと昔話や都市間政治の話について長く話していた。
ユウトとレイはあまり興味も持たれなかったようなので、静かに座って食事を摂った。エヴァノートと違って食事の味付けは濃くなかったが、とても美味しく頂けたのだった。
暖かい食事だけじゃなく、熱い風呂にも入らせてもらった。寝間着もタオルもなにもかも、すべてを用意してもらった破格の待遇だった。
どうしてそこまでしてくれるのかと思って聞いてみたら、百年ほど前にこの都市を創設した人たちのひとりがシンクなのだという。『英雄都市の魔女』は、この都市では『母』なのだった。
なるほど、王ですら敬意を以って接してくれるわけだ。
そのおかげでかなり居心地がよかった。もちろん、ユウトとレイはおまけとして甘えていただけだったが。
寝室はそれぞれに一室与えてもらった。ここ数日は、三人が体を寄せ合って眠っていたから熟睡ができなかったのだ。ふかふかのベッドに体を預けた途端に眠気が襲ってきて、深い眠りについた。
「――起きてくださいユウト!」
はず、だったのだが。
まだ闇も深い夜中に突然起こされた。
別々の部屋で寝ていたはずなのに、目を開いたらシンクもレイもいた。ふたりはまだ寝間着のままだったが、レイが全員分の荷物を抱えて埋もれていた。
「なんだよ……まだ眠いって」
「あとでたっぷり寝かせてあげますから、急いでください!」
シンクに引っ張られてベッドから降りる。
せっかくいい夢を見ていた気がするのに、なんでこんな時間に叩き起こすのだろう。
目をこするユウトに、レイが荷物の隙間から顔を出して言った。右目が銀色に輝いている。
「私たち、狙われてるわ」
「……どういうこと?」
少し目が覚める。
「歓迎するにしては私たちが会った人数が少なすぎたわ。外壁の門兵がここまで送ってくることも違和感があったの」
「さすがに警戒しすぎじゃないか?」
「私はまだ人間を信頼してないもの」
レイの抱える荷物がずり落ちてくる。ユウトが自分とシンクの分を取ると、レイは乱れた髪を整えた。
「ネットワークを展開して、都市内の人間に接続してみたのよ。いま、私たちを捕らえるために大勢の人間がこの城を囲んでいるわ」
「……まさか」
外は静寂に包まれている。誰かの足音はおろか、風の音すら聞こえない。
「信じられないなら見せてあげる」
レイと目が合う。
一瞬、意識が吸い上げられたような感覚に捉われる。真っ暗な海のなかを漂うように視界が揺らぎ、海の底から見上げると別の景色が見えた。
水路だ。
城を囲む水路のそばから城を眺めている光景だった。視点は建物の陰から城を眺めている。すぐ近くの隠れられる場所という場所に、たくさんの人間が潜んでいた。
つぎの瞬間、感覚が途切れる。
視界が元の場所――部屋のなかに戻った。
「見たわね?」
「う、うん」
確かに、レイの言葉通りだった。
「でもなんで」
「わからないわ。この『白眼』は言語化された思考までは読み取れない。ただ、全員が共通の感情を抱えているわ。焦りと、恐怖をね」
「とにかく大人しく捕まる道理はありません。ここから脱出します。すぐに着替えましょう」
シンクはそういうとすぐに寝間着を脱いで着替え始めた。レイもなんの躊躇いもなく下着姿になる。
とっさに視線を逸らしながら、ユウトもふたりの背後にまわって着替える。誰かこのふたりに羞恥心というものを教えてほしい。
手早く着替えると、自分の荷物を背負って廊下に出る。
「近くに人はいますか?」
「いないわ。王も執事もいなくなってる」
「おかしいですね。まさか――」
シンクが目を見開いたと同時に、廊下の窓に映ったのはまばゆい光だった。
真夜中の闇の空が、真っ赤に燃え上がったのだ。
炎の魔法だ。それも一つや二つじゃない。
膨大な数の炎魔法が空に放たれて、この屋敷に降り注いでくる。
「やばい!」
一斉攻撃だ。
さすがのレイもすでに放たれた魔法の目標を変えることはできないだろう。
「ユウト、黑腕で床を!」
「【バースト】!」
ユウトはすぐに床に向けてギアを捻った。
烈風が床を砕き、足場が崩れる。
地下にあったのは空洞だった。陥落する足場のなか、シンクがユウトとレイの腕を掴んで器用に瓦礫を避けて着地する。
洞窟のような場所が屋敷の地下に通っていた。壁には薄い明かりが灯っていた。
そのまますぐに駆ける。
魔法が屋敷に着弾したのだろう。地鳴りのように揺れと音が頭上に響いた。
洞窟の天井から土がパラパラと落ちてくるなかを走る。
少し遠ざかったとき、後ろのほうで洞窟が崩れるような音が響いた。どうやらさっきの穴が埋まってしまったのだろう。土煙がゆっくりとこっちに近づいてくる。
戻ることはできなくなったが、無事に回避できた。息をつく。
「……それにしても、ここはなんだ」
「避難用の通路です。都市内部の三か所と繋がってます」
「よくそんなとこ知ってたな」
「ここも私が造りましたから。憶えていてよかったです」
なるほど、合点がいく。
しかしなにがあったのかわからない。
いきなりの襲撃。あの魔法の規模は確実に殺す気だった。
「……この都市の創設者を殺そうとするか、ふつう」
「狙われたのがシンクとは限らないわ」
「しかし夜間に襲撃するにしても、眠らない私に勘付かれないようにするならもっと別の方法があったはずですが……まあ、とにかくここから脱出しましょう。生き埋めにされたらたまりません。レイさんはネットワークの展開を私たち中心にお願いします。待ち伏せがあればすぐに言ってください」
「わかったわ」
薄暗い地下道で、足音を立てないようにゆっくりと移動するのだった。




