12
医務室のベッドには、少女が横たわっていた。
拘束具を解いたとたんに気を失ってしまった。さすがに痛みに耐えるのに体力を使ってしまったのか、いまは深い眠りについている。
ベッドのそばに座るのはユウトひとりだった。
扉の外から、メイジェンとシンクの話し声が聞こえる。
「結局、大人しく話してくれましたね。自白剤が効いたのですかね」
「かもしれん。鎧獣だったから効き目が遅かったのかもな。拷問はあまり効いているようには見えなかったし」
「とはいえ、鎧獣の生態には驚かされるばかりですね」
「ああ……本当に、人間よりも高度な知的生命体かもしれんな」
氷の世界で生き延びた唯一の生命体。
暖域に閉じこもった人間とは、その社会構造もなにもかもが違いすぎる。少女が言っていたとおり、比較に意味はないのかもしれないが。
「ですが、それゆえあまりこの都市に長居していられなくなりました」
「例の『神経核ネットワーク』か」
「ええ。ネットワークが広範囲に及ぶもので、もし『複巣母体』同士が接続できるのだとすれば、おそらくユウトと私、そして彼女の三人が……『霊王の五躰』の三つが同じ都市に集っていることがバレています」
「そうなれば、次の『複巣母体』が襲撃に来るな」
「はい。ですから、一刻も早くここを去らなければなりません」
「ううむ……こればかりはどうにもならんな」
低く唸ったメイジェン。
もうこの都市にいる理由より、ここから離れる理由の方が多くなってきたようだった。
そろそろ旅立つときか。
「……長い間、お世話になりました」
「それはこちらの台詞だ。シンクがいなければエヴァノートはここまで繁栄していない。二百年間、この都市を守ってくれてありがとう。都市民を代表して私から礼を言わせてもらう」
扉の外では、きっとメイジェンが深々と頭を下げているのだろう。
ユウトは静かに眠る少女の寝顔をじっと見つめる。
長い睫毛に、綺麗な肌。
人形のように整った顔は、鎧獣だと言われてもふつうは信じないだろう。
「君が僕を見つけたから……かな」
憎いと思えば人間らしいと、少女は言った。
それならユウトは紛れもなく人間だった。
この少女が義眼の力を使って街を監視していたというのなら、きっと『黑腕』のことも、ユウトが鎧獣たちの天敵のひとつ『黑腕』を持っていることも、そしてユウトが守りたかった相手がミンファだったということも、この少女が見たことを通して『複巣母体』が知ったのだろう。
「……君が、憎いよ」
わかっている。
この少女はそういう役割を持っていたからそうしていただけだ。この少女自身に害意があったわけではない。
だけどそう簡単に割り切れなかった。
ユウトは少女の首筋に触れる。
ほんのりと暖かい。力を込めれば、すぐに折れてしまいそうなほど細い首だった。
「僕は……どうすればいいんだよ……」
だが、ユウトと少女はもう同じ立場になってしまった。
科学兵器を手に世界樹の破壊へと向かうことになる。これから先はどちらかが欠けてもダメだろう。仲間と言う名の鎖で縛られてしまったから。
だったらこの胸に渦巻いた気持ちを、どこにぶつければいいのだろうか。
ユウトは少女の首から手を離す。
「……殺さないの?」
少女がうっすらと目を開けていた。
起きていたのか。
「ああ、殺さない」
「なぜ? 私が憎いんじゃないの? 憎いと殺すのが、人間じゃないのかしら」
グサリと刺されるような言葉。
「憎くても我慢するのも、人間だよ」
「そう。人間って意外と面倒なのね」
少女が起きあがる。
いまはもう服を着させてある。最初に会ったときから変わらない、薄い肌着程度の服。
鎧獣だから寒くないのだろう。
そう思っていたが、
「こんな格好で寝たせいで、少し冷えたわ。何か羽織る物が欲しいのだけど」
「あれ? 寒さは得意なんじゃないのか? いつも薄着だし」
「寒いわよ。いつも寒い」
「そうだったのか。じゃあどうしていつもそんな恰好でいたの?」
「服を買うお金なんてないもの」
当たり前のように言う少女だった。
「盗もうとは思わなかったのか?」
「それは食料だけよ。快適さを求めてしまえば際限がなくなるから、自制してるのよ」
「なるほど」
ユウトは部屋の隅に畳まれてあった毛布を少女に渡した。少女は毛布を体に巻きつけて丸くなると、扉の外に目を向けた。
「それで、これからどうすればいいの? あなたたちの仲間になるということでいいのかしら」
「君が嫌でなければね」
「べつにどちらでも構わないわ。私を人間にしてくれるなら、断る理由もないし」
自分のことなのに、さほど興味がなさそうだった。
「なら一緒に来てもらうよ。まあ僕が決めることでもないんだけど」
「この都市を離れるということでいいのよね?」
「ええ、西に向かいます」
扉を開けて入ってきたシンク。
「ここから西へしばらく行くと、小さな要塞都市があります。そこを経由してさらに西に向かうと、ここよりも大きな要塞都市がひとつ建っています。そこで情報収集をしましょう。残り二つの『五躰』の在処を調べなければなりません」
「わかったわ」
「そのまえにこれをどうぞ。あなたの服です」
シンクが少女に渡したのは医療班と同じ制服に、ユウトと同じ緑色の外套だった。
少女は素直に受け取って、制服を着る。
いままで質素な布のような服ばかりだったからわからなかったが、制服も意外と似合っていた。
ただ、外套を手にするとそれをじっと眺めて首をかしげる。
「……これは、どうやって着るのかしら」
「こうするんですよ」
シンクが少女の首に外套を着けてやる。
かなり立派な風貌に様変わりした。
自分の服装を興味深く眺めてから、少女はユウトのほうに振り向いた。
「少しは人間らしくなったかしら」
「まあ、似合ってるよ」
「そう。ありがとう」
意外と従順だった。
驚いてると、少女が怪訝な顔をした。
「なにか文句でも?」
「いや……礼も言えるんだなって」
「褒められたらお礼を言うのは当たり前でしょう?」
それもそうなんだけど。
「ではさっそく準備をしに戻りましょう。急な出立ですが、各方面への挨拶はしておかなければなりません。次にいつ戻って来れるかわからないのですから」
シンクはそのまま医務室を出て行こうとして、足を止めた。
ユウトが動こうとしないのを疑問に思ったようだった。
「どうかしましたか?」
「いや……名前をまだ聞いてないなと思って」
もちろん、少女の名前だ。
これから先、しばらく一緒に旅をするのだ。名前も知らないのは不便どころの話じゃない。
そう思ったが、少女は淡々と答えた。
「名前なんてないわ。鎧獣は名前を持たないから」
どこか冷たい言葉だった。
そういえばそんなことを、地下室でも言っていたっけ。
シンクも困ったような顔をしたから、ユウトは大きくため息をついた。
「君は人間になりたいんだったよね」
「ええ。ひとまずは」
「なら、まずは名前からだよ」
名前がないならつければいい。
べつに、それくらいなら珍しくない。
ない物を生み出すことは、昔から得意だった。
「呼ばれたい名前、ある?」
「とくにないわ。名前はただの記号でしょ? 好きに呼んで構わないわ」
たしかにそうなんだけど。
とはいえ、名前は大事だ。
少女のことは憎いが、その憎さも含めて守っていかなければならない。
守りたいのではない。守らなければならない仲間だからだ。
べつに仲良くなる必要はないことはわかってる。仲良くなる必要も、なりたいとも思わない。これから先とっさに守ってやることもできないかもしれない。守らなければならなくても、心でまだそれを容認できてはいなかった。
だからこそ、ユウトは覚悟する。
「……レイ」
かつて最も守りたかった妹。
でも、守る前に失ってしまった。
その一部を借りて呼べば、少しは守ろうと言う気にもなるかもしれない。
彼女の名を、憎い相手につけるなんてどうかしてる。
そんなこと自分でわかってる。
でも、それくらいしないとこの道は進めないだろう。
痛くても、苦しくても、進まなければならない。
ミンファにもらった命。
自分だけ、痛みから逃げてはならないはずだ。
「レイ、はどうだ」
「それでいいのですかユウト?」
シンクが眉をひそめた。
レイラのことは知っている。だから心配にもなるのだろう。
それでも、ユウトはうなずいた。
「いいんだ。君さえよければ、レイと呼ばせてもらう」
「……レイ……レイ……」
少女は何度かその名をつぶやいて、覚えようとしたようだった。
「僕はユウト。こっちはシンク。これから長い旅になる。仲良くしてくれとは言わないけど、せめて裏切らないようにしてくれよ」
「ええ、努力するわ。よろしくユウト」
握手を交わすようなことはなかったけれど。
ユウトと鎧獣の少女――レイは、堅く視線を合わせて頷きあった。




