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「『白眼』に、『無限心躯』……!?」
ユウトはシンクの体と少女の右目を何度も見る。
世界樹を破壊するために造られた五つの科学兵器『霊王の五躰』。そのひとつはユウトの腕にある。残り四つのうち二つがすでに目の前にあるなんて、偶然にしてはできすぎている。
それにシンクが『霊王の五躰』のひとつだということも、聞いてなかった。
「シンク、それってどういうことだ」
「ごめんなさいユウト。言うべきタイミングを逃してしまって……説明はきちんとあとでします。それよりあなた、その右目をどこで?」
「私が知るわけないわ。生まれたときからよ」
少女は右目の力の解放をやめた。
銀色の輝きと共にこの場に充満していた異様な気配が薄れていく。
「……詳しく話を聞かせて頂く必要がありますね。大人しく捕まってもらえますか?」
シンクが一歩、少女に近づく。
だが、少女は抵抗する手段を失ったわけではなかった。
今度は低い姿勢をとり、まるで四足の獣のような体勢になった。
「魂威豹変」
少女が唱えた瞬間、彼女の口元に牙が生えたような錯覚が起こった。
まるで獣が憑依したかのように、少女は四足でシンクに跳びかかった。見えない爪で引き裂こうとするかのように腕を振るう。
シンクは後ろに跳んでかわした。
「ほほう。珍しい技術を持っておるのう」
どこか楽しそうにつぶやいたのはグレゴリア。
「この都市の戦法ではないの。どこの生まれじゃ……と言いたいところだが、言葉も通じんか」
「ぐるるるる……!」
喉を鳴らして少女がグレゴリアを睨む。
だがその体格差は、いくら牙や爪を生やしたといっても埋まるものではない。
「グレゴリアんさん、決して殺さないように」
「わかっておる」
グレゴリアは間合いを詰めると、少女に向かって拳を振り下ろす。
跳躍して拳を避けた少女。グレゴリアの腕の上に飛び乗って、そのまま首元に噛みつこうとするが、グレゴリアはそのまま腕を振り払った。
少女は飛ばされて天井に足をつくと、そのまま真上からグレゴリアに牙を剥く。
本当に獣のような動きだった。
だがグレゴリアはもう片方の腕を振るって、少女を殴り飛ばした。
「ギャン!」
短い悲鳴を上げて、少女は壁にぶつかった。
そのままズルズルと壁をずり落ち、床に倒れる。
気を失ったようだった。
「なんじゃ。もうおしまいかの。打たれ弱いものじゃ」
グレゴリアは気を失った少女を掴んで持ち上げる。
ぐったりと、完全に力が抜けてしまっている。
「さてどうするかの。この後始末もせねばらんし、応援を呼ぶかの」
「そうですね。ですがその前によろしいですか」
シンクが尋ねると、グレゴリアは片方の眉を上げた。
「なんじゃ」
「いま聞いたことは、できれば聞かなかったことにして頂きたいのです。私の不老不死の力の正体も、その少女の右目のことも」
それは世界のための秘匿。
敵から身を守るために必要なことだった。
グレゴリアはとぼけるように首をかしげた。
「はてなんのことかのう? 最近は耳が遠くてのう。それに心なしかボケてきてしもうたか、儂はなんにも聞かなかったわい」
「……ありがとうございます」
グレゴリアは少女を抱えたまま歩いていく。
すれ違いに、駆けつけた機動隊員たちが入ってきた。部屋の状況を見て顔をしかめていたので、事情を説明しておいた。
「思わぬ収穫ですね。私たちも行きましょう」
シンクに連れられて、ユウトも建物から出る。
前を歩くグレゴリアの肩に背負われた少女を眺めて、シンクが神妙につぶやいた。
「しかし疑問です。『白眼』の適合者は、予言によればここから遠く離れた都市に住む老人のはず。この都市の少女が適合者なんてことあるのでしょうか。予言が外れているとは思えませんし……」
不吉な風が、夜の街に吹いていた。
❆ ❆ ❆ ❆ ❆ ❆
少女はそのまま本部に連れて行き、地下施設に収容された。
ユウトは本部の会議室でじっと座っていた。
いま、地下室でメイジェンとシンクが尋問にかけているらしい。どこで『白眼』を手に入れたのか。そしてなぜメイジェンを襲撃し、樹氷を狙うのか。
まだまだ夜は長い。少し疲れていたユウトは、体を休ませるために尋問に同席はしなかった。
会議室には一人だけだった。グレゴリアは少女をメイジェンに引き渡すと、事後処理のためにすぐに踵を返していった。
誰もいない部屋で、ついうとうとしてしまう。
机に伏せて舟をこいでいると、ぼんやりとした夢を見てしまった。
どこか遠くで誰かが叫んでいる。
自分はそれを暗い闇のなかで眺めていた。誰かの悲鳴を、現実ではない遠くから聞いていた。
その叫びが少しずつ近づいてくる。
一歩、また一歩と叫び声が迫ってくる。
そしてやがて、ユウトの全身に強烈な痛みが――
「うわあああっ!?」
飛び起きた。
机の上で起きて、すぐに左右を確認する。
誰もいない会議室。寝る前と同じだった。
ユウトは自分の手を眺めた。夢とはいえハッキリと感じた痛みに、小刻みに震えてしまっていた。
「……なんだ、いまの」
ごくりと喉を鳴らした。
現実の感覚がそのまま夢に反映したようだった。それほど現実味があった痛みだ。
背中を冷や汗が流れ落ちて、ユウトは立ち上がった。
嫌な予感に引かれるように地下室へと向かった。
地下室への階段を降りるにつれて冷くなる空気が、ざわざわと肌を撫でる。
暗くて狭い空間は嫌いだ。階段を踏み外さないように足早に降りていった。
地下室は長い廊下と、いくつか部屋があった。
扉は分厚い鉄でできていた。その部屋の最奥から、誰かの声が聞こえてくる。
「……シンク? メイジェン総隊長?」
ユウトはゆっくりと扉に近づき、開いた。
「ああああああああっ!」
耳をつんざく悲鳴が聞こえた。
部屋のなかでは、少女が壁に張りつけられていた。目隠しをされて、服をすべて剥ぎ取られた状態で、手足を錠で縛られて壁に固定されていた。座ることもできず、全裸の状態で壁に背中をつける少女。
その少女の両腕に、二本の棒が押し当てられていた。
それを握るのは年老いた男。なにか小さくつぶやきながら、魔法を発動させていた。
「あ、ああ、ああああっ!」
少女が喉がちぎれるほどの悲鳴をあげて、体を痙攣させる。
ユウトはその光景に足が竦んだ。
なにをしてるんだ。なにを……。
「見学してもあまり楽しいものではないぞ」
その様を傍観しているのは、シンクとメイジェンだった。
メイジェンは目を細めて少女を見つめていた。
「自白剤も効かなかったからな。自ら口を割ってもらうしかあるまい」
「だからって、こんな拷問みたいなこと……」
少女は絶叫しながら悶えていた。視界も防がれて『白眼』の力も使えないのか、ただ痛みを受け入れるだけ。
「『霊王の五躰』のひとつを持っているだけでなく、適合している。世界を救う妨げになるかもしれんのだ。理由をはっきりさせておかねばならん」
「……シンクも、そう思うのか」
「はい。本来は適合するはずのない人物が適合している。私も把握していない事情があるのかもしれませんが、しかしメイジェン総隊長を狙ったことを考えると、あるいは敵だという可能性もありますから」
「でも、このままじゃ死んでしまう」
メイジェンを襲ったのは事実だろう。『白眼』に予想外に適合していることも疑念なのはわかる。
だが、ユウトは納得できなかった。
少女は前に言ったのだ。
『生き物は持ち物ではないわ』と。
ただその一言が、ユウトに迷いを生んでいた。そんなことを言える少女が、なんの理由もなくメイジェンを狙ったりしないだろう。
「あああああああっ!」
口から魂をしぼりだすかのように叫ぶ少女。全身が痙攣しては、痛みに悶え動く。
「我慢してください。私たちだって、やりたくてやっているわけではありません」
シンクはじっと少女が自白するのを待っていた。
事情を話そうとしない少女。
彼女がなにか話すなんて想像できなかった。
なら、待っているのは死という未来だけだろう。
ユウトは痛みに震える少女に、つい語りかけた。
「教えてくれ。君は誰なんだ……君は何者なんだ。頼むから教えてくれ。僕はもうこれ以上、誰かが目の前で死ぬなんて見たくない……もうイヤなんだ。だから教えてくれ。頼む、頼む!」
「あ、あ、あああああ!」
「教えてくれ。君の名を。君の過去を!」
聞こえていたのかは、わからない。
だがユウトの声が途切れてから数秒後、少女が初めて叫ぶのをやめて歯を食いしばった。
目隠しがずり落ちていた。少女の右目がユウトを捉える。
喉から漏れたのはたった一言。
「【接続】……ッ!」
次の瞬間、 ユウトの脳に映像が流れ込んできた。
まるで自分が見たかのように、記憶として。
それは、氷に囲まれた世界の出来事だった。




