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息をひそめて待つこと数十分。
そろそろ体が冷えてきたなと白い息を吐き出したとき、眼下で動きがあった。
街灯もまばらな狭い路地に、数人の男がやってきた。
男たちは大きな荷物を台車にのせて押してくると、倉庫の前で止まって左右を確認する。周囲をひととおり警戒してから先頭の男が倉庫の鍵を開けて、荷物を中へと運び込んだ。
先頭の男だけはそのまま倉庫へ入り、残りの男たちは倉庫の前で周囲を見張る。
そこに、二人組の老父が現れた。
老父たちは倉庫の前にいた男たちに話しかけると、その脇を通って倉庫の中に入っていった。
「……いまの爺さん、アグニア商会の幹部だぜ。北街で幅を利かせてる商会さ」
「知ってるの?」
「ああ、あたしの父が元アグニア商会員だからな。何度か商会に出入りしたことがあるんだ」
「ってことは買いつけに来たのはアグニア商会で、手前の男たちは……」
「間違いなく機動隊員だな。足運びひとつとっても鍛えられた動きだ。かなりの熟練だろう」
この距離からじゃ顔は見えない。熟練の戦士なら『複巣母体』との戦いにも参加していたはずだ。見覚えがあるはずだから、距離次第では誰かわかるだろう。
もう少し近づいてみようか。
「待てユウト。押えるなら取引が終わってからだ」
「どうして? 証拠にならないだろ」
「べつにいま捕まえる必要はないんだぞ。先輩の機動隊員たちを相手に危険を冒す必要もないからな。取引が終わって彼らが別れたら、商会員のほうを押さえて証言させればいいさ」
「……なるほど」
さすが治安巡査班。戦闘よりも、こういう捕物帳のほうが慣れているようだ。
ユウトとメリダがいる場所からは、窓を通して小屋のなかもすこし覗ける。薄暗い灯りだが、荷物の中を見たり書類を見せたりして話を続けている。
ここから見る限り、暗殺未遂事件のせいで街中の警戒がかなり厳しくなっていた。夜は治安巡査班がいつも見回りをしているが、あきらかに人数が増えている。
だがちょうどこの辺りは見回りのない時間帯。
つまり、東支部の治安巡査班の動きを理解したうえでの取引だ。
誰が主導しているのかわからないが、機動隊の下っ端ってことはないだろう。それなりに地位がある者か、あるいはかなりの組織ぐるみか。
「まさかメオ隊長ってことはないだろうな」
「あり得な……いや、あり得ないとも言い切れないなぁ」
冗談まじりで言う。聞かれたら何を言われたかわかったものじゃないが。
メリダとふたりして苦笑した。
とにかく誰であろうと見逃せないところまで来てしまった。
少し緊張してきたな――と手汗をぬぐおうとしたときだった。
「ちょっとまて。あれは誰だ?」
メリダが指さしたのは、倉庫の向こうから歩いてくる影。
小柄な影だった。
この距離からはわかりづらいが、少なくとも大人ではなかった。魂威変質で視力を上げてみても、暗くて顔はよく見えない。
「……おいおい、こんな時間に迷子か?」
メリダが舌打ちする。
驚いたのは機動隊員も同じようだった。彼らは顔を見合わせてから、倉庫へ向かってくるその小柄な影に近づいていく。
まさか乱暴なことはしないだろうなと勘繰ったのもつかの間。
男たちが瞬時に剣を抜いた。
「っとやばい。口封じするつもりか!」
メリダが慌てて立ち上がったその直後、男たちがなぜか仲間同士で斬り合った。
ユウトとメリダは驚いて声も出なかった。
男たちはそれぞれ相討ちになって倒れてしまう。その横を、何事もなかったかのように歩いていく小さな影。
その影は倉庫のなかへとなんの躊躇いもなく入っていった。
「なにが起こっている」
ごくりと喉を鳴らすメリダ。
予想外なのはメリダだけじゃなかった。倉庫のなかから、今度は赤い光が漏れてきた。誰かが炎の魔法を放ったのだろう。
だが一瞬でその魔法も消え、静寂が訪れる。
嫌な予感がした。
「……メリダはここにいて」
「お、おいユウト!」
屋根から飛び降り、倉庫に向かって駆けた。
倉庫の前の道に倒れている男たち。ここまで来れば顔が見えた。全員とも北部隊に所属している治安巡査班の隊員だった。
だが、いまは彼らを気にしている場合じゃない。
ユウトは倉庫の扉の隙間から体を滑り込ませた。
薄暗い灯りが照らす空間だった。
倉庫内には石材が壁際にたくさん積まれていた。その中央にはテーブルが置かれていて、そこに樹氷らしき荷物が置いてあった。
その周りで倒れていたのは、三人。
アグニア商会の老父ふたりと、機動隊員の男。機動隊員の男には見覚えがある。名前も知っていた。北部隊の治安巡査班の副班長を務めている男だ。ついこのまえグレゴリアと共に都市を守った歴戦の戦士のひとりだ。
そんなひとが地下取引に手を染めていたのは意外だったが、それより意外なのは、彼が完全に気を失ってしまっていることのほうだった。
そして、そのそばに立っている人物に見覚えがあったことだった。
「君は……っ!」
小柄な少女だった。
髪と瞳は薄い鈍色で、人形のような整った美しい表情。細いその体は質素な服を纏っているだけで寒そうだ。
やはり街中に貼られている手配書とかなり似ている。
本当にこの少女がメイジェンを暗殺しようとしたのか。もしそうだったら、そんなたいそれたことをしてなぜ何食わぬ顔でこんなところに来ているんだ。樹氷片の取引現場に何をしに来たんだ。
わけがわからない。
「なんで、君が……?」
「なぜここにあなたが?」
同じ質問で返される。
ユウトは少女と見つめあう。
その感情の乏しい瞳に、なぜか惹きつけられるように感じてしまう。油断すれば呑みこまれてしまいそうな、不思議な目をしていた。
「君がやったのか」
足もとに倒れている男たちを眺める。
「だとすれば、どうするの?」
「それは……君がしようとしてることを聞いてから、決める」
「言わなければ、どうするの?」
「言ってもらう」
ユウトは右腕を掲げた。
少女にその意味はわからないかもしれない。だが通じないとも思えなかった。
彼女は理解してくれるだろうと、不思議と確信できていた。
「……それが、欲しかったからよ」
少女は視線をテーブルの上に注いだ。
そこにあるのは樹氷片の袋だった。切りだされて加工される前の、純粋な樹氷そのもののはずだ。
なぜ少女がこんなものを望むのかは、さすがに答えてくれなさそうだった。
「質問に答えたわ。その物騒なものを向けないで」
「もうひとつある。メイジェン総隊長を襲ったのも、君なのか?」
ジリジリと視線が鍔迫り合いを起こす。
少女の薄い唇はそれ以上動かなかった。ただその目の色が、一瞬だけ変わったような気がした。
膠着状態になる。
動きがあったのは少女でもユウトでもない。ユウトの後ろから、一本の剣が飛び出してくる。
「ユウト、下がれ!」
メリダが入ってきた。
魔法で剣を操って、ユウトと少女の間に浮かせていた。
「こいつ、手配書のやつだ……逃がせん!」
「待てメリダ!」
動き出したメリダを、ユウトが振り返って止めようとした。
だがメリダの掲げた右腕を押さえようとしたその瞬間、背後に異様な気配が膨れ上がる。
熱量とも、威圧感とも違う。
体感したことのない空気が、この空間に解き放たれた。
わかることはただ一つ。
少女の右目が、白銀に輝いていた。
「魔法か! させん!」
メリダが吠えて、剣を操り少女に突き立てんと魔法で動かした。
――はずだった。
「危ない!」
だが、剣は反対方向に――メリダ自身に向かって飛んできた。ユウトがとっさにメリダの体を突き飛ばして剣を避ける。
地面に転がったメリダは、すぐに起き上るとユウトに向かって歯をむき出した。
「なにするんだユウト!」
「メリダこそなにしてんだ!」
またメリダは剣を浮かせ、少女を睨みながら自分に向かって剣を飛ばす。
「くそっ! 【バースト・ギア】!」
烈風を剣に当てる。
剣は流されて倉庫の壁にぶちあたり、そのまま壁ごと粉々に砕け散った。
轟音とともに、倉庫が傾く。
「だからなにするんだユウト! まさかおまえもグルなのか!」
「なに言ってんだ! しっかりしろ!」
掴みかかってくるメリダ。
その瞳に映っているものを至近距離で見て、ハッとする。
ユウトの顔を正面から見ているはずのメリダの瞳に映っていたのは、ユウトの背中だった。メリダと掴み合うユウトの背後からの映像。
ありえない。
その視界はまるで、後ろにいる少女のもの――
「すまんメリダ!」
首筋を叩いて気絶させる。
崩れ落ちるメリダを抱えながらユウトは振り返った。
右目を輝かせる少女と、恐る恐る目を合わせる。
「……君の力か」
どういう原理かわからないが、メリダは相手を攻撃しているつもりだったはずだ。だが剣は自分に向かって飛んできた。相手の魔法を跳ね返すというより、相手の魔法の対象を自分にすり替えていたようだった。
「もしかして、メイジェン総隊長もそれで……」
「潮時ね」
はあ、と嘆息した少女。
倉庫の壁が崩れた音を聞きつけて、機動隊員がやってきた。
彼らが壁に開いた大穴から倉庫の中をのぞく前に、目を逸らさなかったはずなのにユウトの視界からいつのまにか少女の姿がいなくなっていた。
「……消えた……?」
跡形もなく、まるで幻のように消えた少女。
残ったのは倒れた者たちとただひとり呆然とするユウト。
そしてテーブルにぽつんと置かれた樹氷片だけだった。




