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黄昏のG   作者: 裏山おもて
3章 失われるもの
33/73

12

  

 夜は嫌いだった。

 月の光は脆弱すぎて、氷の天井を抜けてこない。

 灯りが無ければ暗闇も同然だ。ろくに見えなければ戦うこともできない。


「……本当に行くのですか?」


 シンクが心配そうに聞いてくる。

 夜の氷の世界。

 そこは、呑みこまれそうなほど暗闇が漂う景色だった。それでも時折、遠くのほうで誰かが炎の魔法を放ってわずかなあいだ赤い輝きが灯る。

 機動隊兵士たちは、この暗澹とした夜のなかで戦い続けている。


 あそこにいる戦士たちは、傷ついて倒れてしまえば死ぬのみだ。グレゴリア率いる第二陣は活躍していたものの、やはり都市から『複巣母体』までの長距離を確保することはできなかった。ゆえに帰り道は用意されていない。もともと予定していた距離なら都市の灯りも届いただろう。しかし距離がありすぎて、道しるべくらいしか用意できない。

 周囲が見えない状況では、背中を見せた途端に鎧獣のエサになるだろう。

 この宵闇のなか、その覚悟を背負って戦い続ける。明日の朝を迎えたとき自分以外が全滅しているかもしれない。自分だけが死んでいるかもしれない。


 過酷な選択をした、機動隊兵士たち。

 そんな彼らに比べたらユウトの恐怖なんて小さなものだった。


「……行く以外にないよ」

「そう言うと思いましたよ」


 シンクは呆れていた。

 夜は嫌いだ。あの日、腕を斬り捨てられたときから、暗闇にいるだけで体が震える。視界を埋め尽くすほどの闇に向かうなんて、いままでは考えられなかった。

 それでも。


「ミンファがあそこにいるなら」


 暗闇のなか遠く高い場所にふたつだけ、かすかな輝きが浮かんでいた。

 巨大な鎧獣『複巣母体』の、両目だ。

 ここまで体が大きくなるまでどれほど時を過ごしたのかわからない。まだまだ繁殖力はあるだろうがその目の鈍い輝きは老体に近い気もする。気慰みかもしれなかったが、そう思っておくことにする。


「怖いときは、こうするといいんですよ」


 おもむろに、シンクがユウトを後ろから抱きしめた。

 ――怖いときはこうすればいいんだよ――

 ふと、昔のことを思い出した。

 怖い話を聞かされたと陽が沈んでから小屋に遊びに来た妹を、ユウトが一晩中抱きしめてあげたことがある。後ろから抱き締めながらだと、妹は穏やかに寝ることができたのだ。

 それを同じことを、シンクがユウトにしていた。


「それ、どこで……」

「ふつう、こうするものじゃないんですか?」


 きょとんとした様子で答えたシンクは、ゆっくりとユウトを離した。


「どうですか? 震え、止まりました?」

「うん……ありがと」


 そりゃあ怖いのは怖いけど、震えは止まっていた。

 あの怪しく光る鎧獣の目を目指せば、ここからでも簡単にたどり着く。鎧獣が襲ってくる危険だけはどうにもできないが、そう言ってても始まらない。


「では、行きます」


 ゴクリと喉を鳴らしたユウトの手を、シンクが掴んで駆けだした。

 壁を飛び降りる。地面との距離すらまともに測れないほどの暗闇だ。

 だがそこはシンクが誘導してくれた。この暗闇でも、まともに見えているのではないかと思うほどの動きだった。


 綺麗に着地して、すぐに走る。

 行く手を阻むのは暗闇に、透明な樹氷。いつ足を取られたりぶつかってもおかしくなかったが、シンクはすいすいと避けて進んでいく。アンドロイドは夜目が効くのか、それとも視覚以外に情報を読み取れる器官が備わっているのかわからない


 魂威変質をともなって、ひた走る。

 幸い鎧獣の気配はなかった。とはいえ油断大敵、緊張感をみなぎらせながら飛ぶように進む。できるだけ素早く、できるだけ足音を消しながら。


 どれくらい進んだだろう。

 少なくとも、樹氷を避けながら一時間は走り続けた。


『複巣母体』の目がかなり高い位置まで近づいていた。いつのまにか、周囲から戦う音が聞こえていた。誰かの剣が弾かれるような音、獣の唸り声、獣か人かわからない断末魔の叫び。

 それに混じって、鼻をつくような血の匂いも漂う。


 少し離れたところで、高笑いを響かせる怪人グレゴリア=レグザの気配。戦うことが楽しいのか、それとも己を奮い立たせるためか、あるいはこの暗闇のなか獣の注意を一手に引きつけるためか。

 真意はわからないが、ただ無事なことはわかる。


「つきます」


 シンクの静かなつぶやきに足を止め、ハッと顔を上げた。

 暗闇のなかで浮かぶ目はかなりの高度にあった。ほとんど真上だ。

 耳をそばだてると、かすかに風のうねりのような音が聞こえてきた。それと前方から吹きつけてくる微弱な風。

 言われなくてもわかる。『複巣母体』の呼吸だ。


「……巣を探します」


 シンクはゆっくりと歩きはじめる。

 暗闇で、よかったかもしれない。


『複巣母体』は遠くから見れば、巨大すぎる甲殻でその全貌がわからなかった。だが近づいてわかる。体の下部――腹にかけて分厚くい皮膚があり、呼吸とともにゆっくりと動いている。夜のいまもその図体を前方にひきずるように移動させているため、地面を体が擦る音も聞こえる。

 すこしだけ『複巣母体』の体に触れてみる。

 思ったより冷たい。人間に比べると、体温は低いようだった。


「ここから入れるようですね」


 シンクが手を引いて、甲殻の下に潜り込む。

 そこは空洞のようなところだった。凍てつくようだった空気が一変し、過ごしやすい涼しさに変わる。地面は硬いような柔らかいような感触で、ゆっくりと前方に動いている。

 ただユウトが一番驚いたのは、すこし明るかったことだった。

 天井のようなところに苔のようなものが生えていた。それが淡い光を放って、空洞内を薄暗く照らしていた。


「あれはなんだ?」

「ヒカリゴケです。太古から残る、貴重な自然植物ですよ」


 そのおかげで、手探りで巣を探さなくて済んだ。

 この巣には誰もいないようだった。てっきり鎧獣たちが寝ているのかと思ったが、よく考えればすぐそばで激しい戦いが繰り広げられているのだ。寝てられないのだろう。


「巣はいくつもありますからね、つぎを探しましょう」


 またシンクに手を引かれて、巣から外に出る。

 つぎに見つけた巣はやたらと広かった。さっきの巣の十倍はあるだろう。天井の至る所にヒカリゴケが張り付いていたが、それくらいじゃ見渡しきれない。ゆっくりと慎重に、何かないか探していく。


「……ミンファ……」


 魔力も体力も枯渇していたはずだった。そんななか凍える世界に連れ出されて、なにもされなくても命だって危うい。動いていなければこの寒さで夜を越すことさえ難しいだろう。

 早く見つけないと。

 早く。


「焦ってはいけません。敵の狙いがわからない以上、私から離れないでください」


 足早になりそうになるユウトの手を、ぎゅっと握るシンク。


「……でも、なんでミンファなんだろう」


 疑問だった。

 ユウトやシンクをおびき出したいのなら、メリダでもよかったはずだ。ミンファのほうが軽くて抵抗もしないから、と選んだのかもしれないが、それだけじゃないような気がした。

 そもそもメリダとミンファを襲った理由も、考えれば考えるほどわからない。

 あのとき怪我人はたくさんいた。ひとり離れた場所で寝ている者もいた。

 それなのに、なぜメリダといたミンファなんだ。


「治癒魔法」


 と、シンクがつぶやく。


「ミンファさんは医療班のなかでも、非常に強い治癒魔法の持ち主です。もしかするとそれを狙われたのかもしれません」

「でも、そしたら僕らに追わせる理由がわからない」

「目的が二つある可能性も念頭に置かなければなりません。それとなにより、相手の正体もです」

「そうだね……たぶん、人間だった」


 疑念が一番強いのは、そこだった。

 鎧獣の巣におびき寄せるのが鎧獣ならまだわかる。

 だが、人間が鎧獣の巣に――しかも戦場の真ん中を突っ切ってなんて想像もできなかった。もちろんユウトたちが勘違いをしてここまできた可能性もあるが、それじゃあひとつも説明がつかなくなる。


「わからないことだらけだ」

「そうですね……しっ!」


 シンクが口に手を当てた。

 数えて五つ目の巣を探っていたときだ。

 ここはいままでに比べてヒカリゴケが少なく、揺れが大きい。話しながらかなりの距離を回り込んできたから、おそらく『複巣母体』の後方部分だった。

 そっと巣の中に顔を覗かせたシンクとユウト。

 薄暗い巣の中心に、なにかいた。


「あれは……ミンファ!」


 ユウトが駆け寄る。

 その瞬間、左右から襲ってきたのは小型の鎧獣。挟み撃ちにするかのようにユウトめがけて飛び出してきた。


「伏せてください!」


 シンクの叫びに、とっさに腰を折る。

 回し蹴りを振り抜いたシンクの足が、鎧獣たちの外殻を砕いて蹴り飛ばす。巣の壁にぶちあたって潰れるような声を上げて絶命した。

 ほっと息をつく。

 ユウトはすぐにミンファに駆け寄り、その体をゆっくりと抱き上げる。

 シンクが周りを警戒するなか、弱々しく呼吸をするミンファに話しかける。


「ミンファ起きて、ミン――ッ!?」


 ずぶり、と。

 ユウトの腹に熱い感触。

 鈍い痛みがじわりと広がる。


「……なん、で……」


 ゴポリと口から血が漏れた。

 視線を下げて、戸惑う。


 ミンファの腕がユウトの腹を貫いていた。



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